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#0162【革命の大天使(サン・ジュスト、フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

前回はジャコバン派のロベスピエールを紹介しました。
ジャコバン派の首魁ともいえる人物がロベスピエールですが、彼には一人の懐刀・右腕がいました。

懐刀の名は、サン・ジュスト。

「革命の大天使」と呼ばれるほど、若く美男子でありながら冷酷なまでに革命に人生を捧げた人物といえます。

彼が一躍有名になったのは、ルイ16世の裁判のときの演説です。

それは議会での初演説でした。時に25歳。

紅顔の美青年の演説には、老壮年の年配議員たちからヤジが飛びました。

ところが、サン・ジュストは堂々となぜルイが死刑に値するのかを述べるのです。

「王は罪失くして王足りえず」

人権思想に基づけば、人間は皆平等であるはずです。それなのに「王」という人間を超えた不遜な地位にいたこと自体が罪であると喝破したのです。

西欧の絶対王制を支えていた神に選ばれたという王権神授説の思想を、近代人権思想が粉々にした瞬間でした。

サン・ジュストの演説が始まる前にヤジを飛ばしていた王制擁護派のジロンド派たちもこの演説の前には黙るしかありませんでした。

国家政体に対する考えの違いはあれども、ジロンド派もジャコバン派も理想としては、人権思想をベースとしているのです。

ヨーロッパ各国との現実的な落としどころとして、イギリス式の立憲君主制を目指していたのがジロンド派だったわけです。

サン・ジュストの演説は、革命の理念・理想をあらためて全議員に知らしめた格好となりました。

この演説を受けて、その後のルイ16世の採決投票を全議員記名で実施することになりました。結果、ルイ16世は一票差での死刑となりました。

以後、民衆の急進的な理想に力を得たジャコバン派が勢力を拡大したのは、ロベスピエールの回で触れたとおりですが、その懐刀・右腕としてサン・ジュストも次々に反対派を反革命的との理由でギロチン台へと送り込んでいきました。

しかし、あまりにも狂信的すぎる理想論を掲げるロベスピエールやサン・ジュストたちに周囲の気持ちがついていかず、むしろ恐怖政治に対する恐れから逆にクーデターを起こされてしまいました。

ロベスピエールと共に逮捕・拘束されたサン・ジュストはロベスピエールと共にそのままギロチン台へと連れていかれて、27歳の若さで生涯を終えました。

若さゆえに活躍し、若さゆえに理想と現実のバランスが取れず、その理想の中で死んでいったとも言えます。

ジャコバン派は、政権は失ったものの、その後も地下へと潜りながら次の機会を窺うことになっていきます。

今回のフランス革命シリーズはここまでです。また、不定期で配信・掲載させて頂きます。

以上、今週の歴史小話でした。

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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