#0128【後顧の憂いなし、後方支援の重要さ(蕭何)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は古代中国から「高祖劉邦の三英傑」を紹介しています。
二回目の今日は蕭何(しょうか)を取り上げます。
No.127の韓信は「武」の人であり、戦場で功績を挙げた人物でした。蕭何は、後方にいて補給や根拠地の内政問題に全力を挙げていました。
彼は高祖劉邦と同郷の人物であり、高祖の若い頃から知り合いであり信頼が厚かったです。
高祖が秦を滅ぼし首都咸陽で入城したときに高祖やその部下たちは豪壮な宮殿や宝物庫にクラクラします。
その中で蕭何はそういったものに目もくれずに書物庫へと足を運び、大量の文書を押収します。
過去の行政記録、裁判記録、納税状況や地理・交通要地の詳細といった国家を運営するために必要不可欠な情報でした。
初めて中国全土を統一した秦が、短い期間ながらも積み上げた記録は、蕭何を通して漢の時代に引き継がれたのでした。
高祖は、秦滅亡後の覇権争いを項羽と行います。項羽の戦闘力は高く、高祖は直接対決で何度も敗れています。
頼みの韓信は周辺地域の制圧に派遣しており、高祖は幾度となく窮地に陥ってしまいました。
そんな高祖に蕭何は人員・武器・食糧をよどみなく供給し続けて支えます。
その間、住民へ増税をすることなく財政のやりくりで厳しい状況を乗り切りました。
韓信が周辺地域の制圧に成功すると、孤立した項羽は遂に力尽きて敗れました。
彼はたびたび高祖を追いつめましたが、補給が続かずに撤退を余儀なくされてトドメを刺す機会を逸してしまったのです。
蕭何の功績の大きさが想像できます。
天下統一後に論功行賞を行った際に、最大の功績者として蕭何が取り上げられました。
現場で汗水を流した武将たちの一部に不満が上がりますが、後方からの補給業務の重要性が項羽との争いを制した最大の要因であることへの理解が進み、また蕭何の謙虚な人柄もあって、やがて異論はなくなりました。
丞相(総理大臣)である蕭何は、漢帝国の創設と維持のために心を砕きます。首都に定めた長安に壮麗な宮殿を造成して皇帝の権威を高めていきます。
しかし、皇帝となった高祖は猜疑心の固まりとなっており、韓信を粛清しその他の功臣たちも次々と処分します。その過程で内乱もたびたび起きました。
蕭何も疑惑の対象となりますが、全財産を戦費のために拠出します。
それでもある人から「あなたが名宰相である限り、高祖にとって代わる人物と思われてしまい、高祖の疑念から逃れられず、やがて破滅が訪れるでしょう」と進言されます。
蕭何は、農民から安く農地を買い叩くなどの不正にわざと手を出し、高祖に叱責を受けることを通じて保身に走りました。
これにより蕭何も所詮こんなものかと、高祖は安心したと言われています。
粛清されることなく人生を全うした蕭何でしたが、その処世術には仕方なしとはいえども批判があります。
以上、本日の歴史小話でした!
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