#0017【サラディン(中東、12世紀後半)】
こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
イスラム偉人特集第二回の今日は、サラディン(1138年~1193年)を取り上げます。
サラディンは、アイユーブ朝の君主で現在のシリア・エジプトを中心に勢力を張りました。彼は、西欧のキリスト教国による十字軍活動への抵抗者・解放者として名高い武人です。
彼はとても寛容な人柄であり、敵側である十字軍からも尊敬を集めていた高潔な人物でした。
簡単に十字軍活動について説明します。
発端は、イスラム勢力に圧迫されたビザンツ帝国(現ギリシャ・トルコ西部、キリスト教国)が西欧キリスト教諸国に救援を求めます。
1095年クレルモン公会議においてローマ教皇インノケンティウス二世は、
「聖地エルサレムをキリスト教徒の手に!」
と呼びかけ、キリスト教徒であれば聖地奪回の十字軍に参加すべきであると説きました。
この十字軍に参加すれば、「戦死者は天国」、「生還すれば平穏な日々」が待っているとも説かれたため、困窮していたヨーロッパの荒くれ者たちが十字軍に殺到します。
十字軍は、聖地エルサレムを1099年にイスラム教徒から奪取し、その地にエルサレム王国というキリスト教徒の国を設立しました。このエルサレム占領の過程で、十字軍は非キリスト教徒を虐殺しました。
それから約100年後、十字軍に奪われていたエルサレムを奪回しようとサラディンは試みます。
1187年にサラディンはヒッティーンの戦いでエルサレム王国軍を蹴散らし、王様を捕虜としました。敗北したエルサレムは、サラディン軍に包囲されました。
エルサレムのキリスト教徒は、100年前のことを思い出します。復讐の恐怖に震えている中、サラディンからの使者が訪れます。
「アッラー(神)は慈悲深い。エルサレムが降伏するのであれば、生命を保証しよう。条件は身代金を支払うことだ。」
その身代金も大した額ではありませんでしたので、大半の住民は支払うことができましたが、それでも支払えない貧しい人たちもいます。
サラディンは、アッラーへの供えとして最終的には身代金の払えなかった人々も奴隷とせず、解放しました。
一方、ヨーロッパ世界ではエルサレム王国壊滅の報を受けて衝撃が走ります。再度十字軍が編成されました。今度はイギリス・フランス・ドイツの王侯貴族たちがこぞって参戦します。
しかし、サラディンを相手にした戦いは思うように進みません。ヨーロッパの諸侯にて構成された十字軍でしたが、結局エルサレムをサラディンから奪い取ることは出来ませんでした。
1192年にサラディンと十字軍の間に休戦協定が結ばれます。
条件は、キリスト教徒の聖地エルサレム巡礼をイスラム教徒が保障することでした。もともとエルサレム市内のキリスト教徒を保護しているサラディンとしては何の問題もない条件です。
翌1193年、十字軍との休戦協定の成立を見届けたサラディンは55歳で病のため死去します。
その死は、イスラム教徒だけでなく、キリスト教徒からも哀悼を捧げられました。
以上、本日の歴史小話でした!
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