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#0059【三木武吉(日本、20世紀)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

戦後政治家シリース第二弾は三木武吉(ぶきち)です。ご存知ない方が多いと思いますが、日ソ共同宣言を樹立した総理大臣鳩山一郎の懐刀で盟友です。

1884年に香川県で生まれ、早稲田大学の前身である東京専門学校を1904年に卒業しました。1905年に日本銀行に入行するも日露戦争終結のポーツマツ条約の内容に反対し、内閣退陣要求演説をしたことから服務規程違反により免職となりました。1907年に司法試験に合格して裁判官補佐となりますが、やはり宮仕えが性に合わず7か月後には弁護士となりました。その後、政界に転身し1917年に憲政会所属の衆議院議員として当選を果たします。後に同志となる鳩山一郎はライバル政党である立憲政友会所属で1915年の選挙で一足先に衆議院議員となっていました。

三木は議会において「ヤジ将軍」のあだ名を得るほど、舌鋒鋭く政府批判を繰り返します。太平洋戦争勃発後に結党の自由がなくなり、全ての政党が大政翼賛会に纏め上げられた際には、三木は翼賛会からの推薦を受けずして、衆議院議員の議席を確保しました。鳩山も同様に非推薦の立場で議席を確保したことから、二人は軍部に抵抗する自由主義政党人として、将来の「鳩山首相、三木衆議院議長」を誓い合う関係になります。

敗戦後の1946年4月の総選挙で鳩山と三木が設立した政党が選挙で第一党の立場を確保しました。鳩山は組閣準備に入りましたが、ここでGHQから鳩山に対して公職追放の命令が届きます。軍部に反対していたはずの鳩山でしたが、戦前の議会で彼が文部大臣として行った行為が問題視されての追放でした。

三木は吉田茂を鳩山の代わりの総裁として迎え入れ、党内の反対派を説得して吉田総理大臣を実現しました。吉田に「鳩山の追放が解除されたら総裁を譲る」と約束させて第一次吉田内閣が成立しました。成立二日後には三木も公職追放を受けます。

地元の香川に引っ込んで隠棲していた三木ですが、1951年6月に公職復帰が認められると鳩山と共に吉田政権打倒に力を注ぎます。既に追放から五年が経っており、「吉田学校」の門下生を従えた吉田茂の政治基盤は堅固なものとなっており、追放前に取り交わした口約束を反故にされた格好となっていました。

政界に復帰した鳩山と三木は、新党結成を目指しますが今度は鳩山が脳溢血で倒れてしまいます。鳩山という看板がない以上は三木も新党結成には踏み切れずに党内での反吉田闘争に踏み切ります。ワンマンで強引な吉田路線に反対する人間も多かったのですが、吉田も1952年8月に抜き打ちで衆議院を解散し、反対派の勢力を削ぎます。選挙の結果、自陣営が強化された吉田は反対派の除名を実施しますが、三木については何もしていません。これは第一次吉田内閣樹立の際の貢献に恩義を感じてのものと言われています。

しかし、三木の宿願は「鳩山首相」であるため、ありとあらゆる手段を使って吉田への攻勢を強めていきます。1953年には三木は渋る野党を説得して吉田内閣への不信任決議案を提出させます。三木はこれを取引材料に吉田と会談して辞職を迫りましたが、吉田は衆議院解散で対抗します。鳩山と三木は党を割って選挙戦をおこないますが、吉田は何とか第一党の地位を守ります。

1954年には保全経済界事件が発覚し、造船疑獄という贈収賄の疑惑が吉田学校門下生である池田勇人、佐藤栄作にもふりかかったため、三木はこの機を逃さず野党結集で吉田内閣の倒閣に走ります。事ここに至って吉田内閣は総辞職し、第一次鳩山内閣が成立しました。1954年12月のことでした。三木の宿願の半分は達成されましたが、自身の衆議院議長については連合した他党に取られてしまい、就任できませんでした。

鳩山政権成立後に革新系の政党が統一の動きを見せたため、1955年4月に三木は保守系の政党統一を呼びかけます。選挙のたびに争いを繰り返したことから成し遂げられないと思われましたが、三木は浪花節と愛国心をもって各党・各派の代表者たちに訴えかけます。誰が最初の総裁になるかで最後までもめましたが、三木は総裁決定を棚上げにして「まず合同、その後に公選で総裁を決めたらいい」として、保守合同を成し遂げました。現在に至るまで日本戦後政治の中心にある「自由民主党」が誕生しました。

その後、三木は1956年7月に胃癌のため死去しました。保守結集を呼び掛けた際には既に医師から余命宣告を受けていたと言われています。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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