#0071【ミラボー(フランス、18世紀後半)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
フランス革命前期の指導者として今回はミラボーをご紹介します。彼は第二身分である貴族階層の出身でありながら、第三身分からの選出者として三部会に参加していました。
ミラボーは素行不良で父親から疎まれ、廃嫡されたり、禁治産者処分を受けたりと苦労し、さらには人妻と駆け落ちを図るなど、なかなかのやんちゃものでした。
三部会が開催されると知ったミラボーは、自分の評判では第二身分から選出されることが難しいと判断し、自分は平民の味方であると名乗りを上げて悠々と第三身分代表として当選します。
彼は、体も大きく演説も上手であり「ライオン」と綽名されるほど、押し出しの強い人物でした。三部会開催の年、ミラボーは40歳。脂がのり切った状態です。
ミラボーは機能不全に陥った三部会へ見切りをつけて第三身分代表者だけによる「国民議会」の創設を激しく主張し、演説を行います。
ライオンの演説で勢いを得た第三身分は、三部会を離れて「国民議会」を創設し、憲法制定まで解散しないことを誓います(球戯場の誓い)。
国王ルイ16世から直々に解散するよう命令されますが、応じません。国王退席後に、三部会担当大臣が退場を促しますが、ここでもミラボーが吠えます。
「我々を解散させたいのなら、銃剣が必要だ!」
その後、バスティーユ陥落などの武力衝突が発生しますが、フランス革命は当初、イギリス型の立憲君主制を目指した穏健な動きに留まりそうでした。
革命前期の有力な指導者たちがミラボーなどの貴族出身が多かったこともあり、王室と繋がっていたからです。
しかし、革命の指導者として活躍が期待されたミラボーは、不摂生がたたって、革命のさなかの1791年に42歳の若さであっけなく死んでしまいます。暴飲暴食の食生活によるものでした。
彼の死後、革命政府との関係に不安を感じたルイ16世一家はパリを脱出します。王妃マリー・アントワネットの実家であるオーストリアへ向かいました。
しかし、出発準備に時間がかかり、警備隊を同行させていたため、道中、王室一家の一団は人目に触れやすく、替え馬の交換にも手間取ってしまいました。
結果、逃亡途中のフランス領内のヴァレンヌで村人に見咎められてしまいます。そして、皮肉にも王の権威を示すためにコインに彫刻されていた肖像が決め手となってルイ16世一家であることが露見してしまったのでした。
これをヴァレンヌ逃亡事件といい、平民が王室に対して失望してしまうきっかけとなり、立憲君主制から共和制(王室の否定)へと歴史の流れは大きく動きます。
ヴァレンヌ逃亡事件が成功していれば、或いはミラボーが急死しなければ、フランス革命の進展は全く違ったものになっていたはずです。
歴史を動かすような人物には、強い意思と明晰な判断力といったものに加え「健康」であることが求められると思わずにはいられません。
以上、本日の歴史小話でした!
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