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タモリはお守り


ちょうど一年前、ブラタモリ「東京・目白〜目白ブランドの正体とは?〜」の回で、タモリはホテル椿山荘東京の最上階から景色を眺めながら、かぐや姫の『神田川』を「絶対こっち(目白)の歌じゃない」と言ったそう。 

私はまさに神田川のあっち側で若い頃を過ごしたので、思わず笑ったと同時に、タモリの言葉に自分の経験した苦労の数々がメロディーとともによみがえり、ゾワゾワと寒気がした。

それは、苦労の過酷さを思い出したものではなく、「もしもタモリの言うこっち側(目白)であんな生活をしていたら……」という惨めさの質の違いを想像して、心と体が反応したのだ。

「目白ブランド」というくらいだから、高級で洗練されたイメージ。華やかで上品で……一言で言えば眩しい。もちろん若い頃の私の目にも向こう側が眩しく映っていた。

……もしも当時の私の住まいが目白で、マンション名も「◯◯目白」だったら、違った人生を歩んでいたのかしら…………んなぁこたぁない。

憧れの住所だったけれど、私の生活にはそぐわなかった。私は「あっち側」で安心して苦労した。だからこそ、身震いしながらあらためて「あっち側で良かった」と思ったのだ。 

*       

当時、私は希望の見えない迷路を彷徨いながらもがき苦しんでいた。カツカツなうえ、将来に対する不安や取り残されているような焦りから、生活が少し荒んでしまうこともあった。

それでも、「大丈夫、あなただけじゃないよ」と思わせてくれたのは、タモリが眺めるあっち側。優しさにもいろんな形や種類があることを知ったのもあっち側。

そして何より、あっち側にいた自分を今これだけ誇りに思い、苦労を「楽しかった」と振り返る事ができるのは、タモリさん、貴方をいつも近くに感じながら生きていたから。

昼、夜、深夜、毎日タモリ。

淡々飄々堂々と、力強く緩く時に大胆に、溢れるユーモアと自然体で「生き方」というものを示しながら日々に明かりを灯してくれた……

私はタモリが好きだった。

でも、この気持ちは結婚を機に過去に置き去りに。

だから今こうしてタモリとの日々をあらためて思い出すと、懐かしさとほろ苦さで胸がきゅっと締め付けられる。

会ったこともなければ話したこともないけれど、タモリは私の部屋のテレビに忙しく映り、一方的に話しながら、私の生活の全てを見ていたような存在。元カレみたいなもの。……?  

私は私で、わざわざ『笑っていいとも!』のオープニングに合わせてアルタ前に行くなんてことはしなかったけれど、新宿駅の東口に出れば「今、いるかな」と意識したし、昼時にアルタの並びの喫茶店でコーヒーをいただきながら過ごしたこともあった。

決して会いたかったわけではない。タモリを感じたかったのだ。

もしかしたら私たちは、知らぬ間に大ガードを並走しながらくぐり抜けたことがあったかもしれない……

小滝橋辺りで綺麗な弧を描きながらすれ違ったことがあるかもしれない……

車窓の景色に私が流れていったことがあるかもしれない……

視界の端に私が入り込んだことがあるかもしれない……

私、サングラスに映ったことがあるかもしれない……

タモリ、ここに来たかも……タモリ、これ見たかも……これ、聴いたかも……

そんなことを想像(妄想)するだけでムフフとなっていた若い頃の私。

そういえば、今も変わらない。ふとした時に自然とタモリを思い出す。

元気や勇気が欲しいとき。
悲しいときや寂しいとき。
背中を押して欲しいとき。

きっと私はこれを永遠に繰り返す。それでいいと思う。

タモリはお守り。

私の願いは、タモリが元気でいてくれたら、それでいいということ。それだけで幸せ。私にとってタモリとはそういう存在。

やっぱり好き。

もし実物のタモリを目の当たりにしたら、私は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、咄嗟に隠れてしまうと思う。

……生タモリに出くわしたら卒倒するかもしれない。

だからもう、いっそのことカッパとかツチノコとか、そういった会えそうで会えない幻の生き物でもいいとさえ思ってしまう。

*

昔、タモリのデタラメな中国語で、友達とひぃひぃ呼吸困難になりながら笑って笑って笑い転げて友情を深めたことがあった。

ちなみに、その友達の名前は森田さん。「タモさん」って呼びたかったけれど、「えー、やだ」と断られて泣く泣く諦めた。

中国語、また見てみたいと思って探したら、「徹子の部屋 7カ国語バスガイド」というのが……んもぅ、なにやってんだか。なにやってんだかwwwww

また、オールナイトニッポン55周年記念『タモリのオールナイトニッポン』では、久しぶりにタモリの声をちゃんと聴いたような気がする。

ゲストは星野源。RUN DMCとのコラボの話など、懐かしい話に興味津々で(めちゃくちゃ笑いながら)聴き入った。そして、ジャズの話。沁みる。

……あの頃、神田川のあっち側のあの部屋でタモリと一緒にジャズを聴いた。大西順子やこぶ平も一緒に。懐かしい思い出。

「タモリのジャズスタジオ」という番組を一人で見ていただけだが、ジャズを聴いているときは一人じゃない錯覚に陥り、孤独が和らいだ。

時を超えて、再び「タモリのジャズスタジオ 連続4夜・その1」をユーチューブで。

懐かしい映像とともに一瞬で当時に引き戻された私は、あの一人の部屋の空気に包まれながら番組に見入った。浸った。そして、いつの間にか泣いていた。悲しかったのではない。感極まったのだ。

まさか、またタモリたちと一緒に「ジャズスタジオ」でジャズを聴けるとは。

ウェス・モンゴメリーの「ジングルズ」、セロニアス・モンクの「エピストロフィー」。

そして、今もよく聴いている、ビル・エヴァンスの「いつか王子様が」。

タモリは王子様………………ではない。

彼はいつも飄々と私の心の中にいる。何かあれば、手作りの料理を振る舞ってくれるし、トランペットを吹いて楽しませてくれる。

会ったことも、話したこともないけれど、タモリとはそういう人。

永遠に、私の心の中に棲み続ける……

タモリは私の大切なお守り。

そう、これでいいのだ。

(2460文字)



こちらの企画に参加させていただいております。


この度は素敵な企画を開催していただき、誠にありがとうございました。
お陰様で、とても懐かしく楽しい時間を過ごすことができました。



本文中で、有名人の方々を呼び捨てにする形で記載しておりますが、これは文章の流れを自然にするためであり、決して敬意を欠いた意図ではありませんでした。

ご本人様やご関係者の皆様にご不快な思いをさせてしまった場合には、心よりお詫び申し上げます。何卒ご理解いただけますと幸いです。


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