Vol.114【有料記事】 人生を豊かに生きるために必要な解釈力
<1.はじめに>
「人生は解釈力で決まる」・・・解釈力という言葉でググると、このような言葉が目に飛び込んできます。
・VUCAの時代、何が起こるか分からない
→そして、起こった出来事は変えられない
→だけど、自分の考え方は変えられる
こうした背景で解釈力が必要であるとの論調であり、異論を挟む余地はありません。
そもそも解釈という言葉を広辞苑で調べると、「文章や物事の意味を、“受け手の側から”理解すること」とあります。受け手の側=自分なりに、と同義です。
ということは、解釈は必然的に自分次第でどうすることも可能です。例えば雨が降った時に、「最悪・・」よりも「しばらく水やり出来ていなかったから良かった」と考えられる方が精神衛生的に良いですし、もっと大きな話(例えば転勤、プロジェクトへの抜擢など)であっても、「成長への必要なステップである」等の前向きな思考を事ある毎にできれば、潜在意識にも良い影響が出ます。
ですが、ここで問題になるのが以下3点であると考えます。
・「自分次第」とは一体どういうことか、明確にできているか?
・どうすればその解釈力を鍛えられるか?
・どうすれば解釈の仕方を変えられるか?
これらに関し、全体の関連性や具体的なhowについて詳しく書かれた記事や本はなかなか見当たりません。
そこで、この記事では、自分という人間は一体何者で、何か価値観なのか?という根本的な問いに対し、40歳を過ぎてから、3年間のMBAスクール(グロービス経営大学院大学)や、コーチング・様々なセミナー等、あらゆる場面において、累計400時間以上も自分と向き合ってきた中で得られた経験・理論を紹介させていただければと思います。
<2.こんな方にオススメ!>
・30~50代くらいで、過去を振り返り、未来の人生をどうするかを真剣に考えている方
・解釈力が大事、それは分かっているが、結局は気分によってブレてしまう・・・という方
・過去の後悔を引きずっているが故に、なかなか前に進めない方
・解釈力を点ではなく、線/面で捉えたい!という意欲のある方
また、記事を読むことで感じていただけるメリットは以下の通りです。
・解釈力が小手先のテクニックではないことが分かる
・自分と向き合うきっかけを得られる
・次は何をすれば良いか、具体的な行動のヒントが得られる
・今この瞬間から前向きに生きよう!とポジティブになれる
・解釈力をどのように鍛えれば良いか、大きな視点での捉え方が分かる
<3.自己紹介>
解釈力について語る前に、自己紹介をさせていただきます。
端的にこれまでの勉強~仕事面について言えば、ざっと以下のような人生でした。
小中学校:勉強頑張る
→高校:挫折(サボって自爆①)
→浪人:頑張る
→大学:挫折(サボって自爆②)
→社会人(MBAスクール):人生やり直してもこれ以上無理!というくらい頑張る
この浮き沈みがWの文字のように起きてきた40年強でしたが、次は下がらない/下げない/上がるしかない!の精神で今に至っております。
どうしてWの人生になったのか、少々長くなりますが、以下に記載します。
私は1978年に大阪府堺市に生まれました。父親の教育が厳しかったこともあり、早くから勉強は頑張っていた記憶があります。その最たる例は5歳で論語を読まされていたことですね(笑)
その父親ですが、私が10歳の時に胃ガンで亡くなりました。享年45です。そしてその頃から徐々にイジメに遭うようになり、小学校高学年~中学校まではプライベートがボロボロな時期を送ることになります。
一方勉強に関しては、まさに父親が亡くなる直前、幸運にも最後を看取ることができ、「勉強頑張るからね」という一言をかけたこともあって、子供なりに“父親と交わした重い約束”として一生懸命努力し続け、学年トップを走っていました。
そこまで頑張っていたのは、親の期待に応えたいのと、当時の自分自身を鼓舞できる唯一の手段であったからだと思います。
ということで、小~中学校は「勉強◎ プライベート×」でしたが、この状況は高校に入って激変しました。ハンドボール部に所属し(ちなみに中学校はサッカー部(イジメが原因で退部)→卓球部)、気の合う仲間に恵まれ、プライベートが充実。一方、勉強は年を追う度にダレてきてしまい、学年順位も右肩下がりに落ちる始末。
勉強がダレた理由は今でも謎なのですが、敢えて言えば居場所が見付かってホッとして気が抜けたのかもしれません。。
さて高3を迎え、ダレたままの状態で進路を考えることになり、何となく「弁護士になりたい」と思ったので京大法学部を受験しようと決意。しかしダレたままの状態でしたから当然の不合格に終わりました。
この時ショックだったのが、合格最低点に僅か3点足りなかったことです。合格最低点が470点くらいであり、その中の3点です。圧倒的に不合格だと思っていたので、逆にショックが大きかったのですが、幸い(と言ったら申し訳ないですが…)にも、一番の親友も同じような結果であり、共に傷を舐め合いながら同じ予備校に通い、浪人時代は3点の差を埋めるために猛勉強しました。
そして2回目の受験も京大一本に絞りました。父親を亡くし決して裕福ではない中(※唯一の働き手であった父親が生命保険に入っていなかった・・・)、私学の受験料を払ってもらうのが余りにも申し訳なさ過ぎたためです。プレッシャー極大の選択でしたが、母親になんと言われようとも意地でも貫きたかった選択でした。
受験が終わった時に「これは大丈夫!」という手応えがあったので、2回目は合格発表を見に行きました。合格者を掲示する瞬間は、恐らく人生で一番緊張した時間だったと思います。自分の名前を見付けた時は号泣。アメフト部の皆様に胴上げしていただき、これから勉強もプライベートも絶対に充実させるぞ~!と最高潮に達したのですが・・・
その後、プライベートが楽しく超充実していた一方で、完全に失ってしまったのが学業への情熱です。
1~2回生はまだ“学生”でしたが、3回生にもなるとすっかり授業への参加率が低くなり、本格的に始まった法学部としての学問=六法を中心とする法律科目の勉強も全くやらず、単位が取りやすい科目にてターゲットを絞り込み、テスト前だけ頑張って単位を拾っていく遊び人になってしまったのです。
一方、ちゃんと司法試験の勉強もしながら、サークル活動も恋愛も楽しんでいる、という友人もいっぱいいて、勉学において堕落したのは完全に自分個人の問題です。
結果的に、ゼミは何とか単位が取れたもののクラス中の討議に全くついていけず、○○法と名の付く法律の単位は僅かに1つ、という状態でした。
最終的に憲法・民法・商法など、多くの法律単位を全く取らないまま卒業に足る単位を取得できてしまったんです。悪い意味で超レアキャラです。
このままでヤバいと4回生の半ばにやっと危機感を覚え、司法書士の勉強をするため予備校に通い、勉強継続のため留年して5回生まで残るも、結局全く勉強に身が入らず、一般企業への就職に切り替えました。
大学生活を総括すると、プライベートは100点、勉強は10点(曲がりなりにも卒業できたから一応10点)という感じでした。
こうして、勉強を頑張らなかったことへの後悔を感じながらも、一生の友人に囲まれて楽しかった思い出の方が勝った大学生活を終え、社会人生活がスタートしましたが、入社後暫くしてから、司法試験予備校に入りました。「大学の学びに関する後悔を払拭しよう」と思っての決断でした。
が、結局は100万円近くのお金をドブに捨てたようなものです。全く勉強に身が入らず(忙しい云々以前の問題)、僅か3ヶ月で勉強しなくなってしまったからです。
○○だから弁護士になりたい!という強い想いや信念がなくて、あくまで大学時代の後悔を払拭するために司法試験を考えただけで、学びを継続するための土台がスカスカだったのだと、今なら客観的に分析できます・・・。
こうして、完全に司法の道とは縁がなくなり、再び後悔したまま、仕事に打ち込むことで何とか払拭しようとした20~30代を過ごしてきました。
<社会人中盤(~40代)>
仕事は自分なりに一生懸命頑張り、それなりの評価も受けてきましたが、大学時代の後悔が消えることはなく、むしろ「自分の意思で勉強せず、親の遺産だけで40代を迎えてしまった、父親との約束を完全に反故にしてしまった」という負の感情が増幅して止まりませんでした。
一方、仕事では課長へ昇進した頃で、マネジメントされる立場から、する立場となり、リーダーシップを発揮することが求められる立場に大きく変わっています。
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