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”教育”という言葉の意味について考察!
前回、立川国際中等教育学校で講演させていただいた経験につき投稿しましたが、国民の三大義務の1つである”教育”を志した1人の社会人として、この言葉が持つ意味(超自己流の解釈)と、その解釈から何が言えるか?について考えをまとめてみたいと思います。
”教育”という言葉を広辞苑で調べると、以下の通り記載されています。
教え育てること。人を教えて知能をつけること
まあ、そりゃそうですよね(笑)。
先生と生徒が代表例ですが、
①先生から見れば「教えて育てる」
②生徒から見れば「教わって育つ」
図にするなら以下の形が一般的な教育の認識であることに、特に異論は無いと思います。
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が、「教え育てる」「教わって育つ」だけでは教育の意味の50%しか説明できておらず、むしろ残り50%の部分によりフォーカスすべきでは?と思っています。それをイメージしたのが以下の図です。
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例えば立川国際中等教育学校で講演をさせていただいたのは、①の領域が一般的な解釈かもしれませんが、前回記載したように私自身が高校生からフィードバックを貰ってモチベーションを大いに上げることができました。
その意味では、まさに「教えた結果、育つことができた」と言えるかと思います。相手のことを考えて一生懸命アウトプットした結果、自分が育つというギフトを貰えたようなイメージで、①→③の展開です。
上記は”教える”に着目した解釈ですが、”育つ”に着目した場合も、「何かを教わって育ちたい」=②の発想だけではなく、「何かを教えて育ちたい」
=③のマインドが重要なんだと思います。ラーニング・ピラミッドはそのことを端的に示しています。
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一方、④の領域ですが、まず”育てる”に着目した場合、普通は①の「教えて育てる」に意識が向くと思います。が、例えば
・上司が答えを知っていてもそれを言わず、部下に発言させる
・親が(全く知らないフリをして)子供から教わることで、子供の自己
肯定感を高めて育てる
ことも凄く大事だと思います。①→④の展開ですね。
同じく④に関して”教わる”に着目した場合も、教わることで自分が育つだけではなく、無意識のうちに相手を育てる効果も意識しておくと、例えば誰かの発言に対して愛のある質問ができるようになり、発表者と質問者がお互いに育て合う好循環を生むことが可能となります。「学びや気付きを促す質問」と言い換えても良いかもしれません。
ということで、教育の意味についての個人的な解釈をまとめます。
1)伝統的な教育観では、①教えて育てる × ②教わって育つ の2点に
フォーカス
2)だが、③教えて育つ × ④教わって育てる の2点も教育を語る上で
は非常に重要
3)自分が育ちたいのであれば、ラーニング・ピラミッドの考え方からも、
②だけではなく③を意識することが大事(=インプットだけではなく、
アウトプットが大事)
4)一方、何かを教わりに行ったり、学びや気付きを促す質問をすること
で、教える側・教えられる側が互いに育て合う好循環を生むことが可能
特に自分にとっては、③を積み重ねていくことが今後の一番重要なテーマであり、アウトプットにこだわって日々を送りたいと思います!