![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83278585/rectangle_large_type_2_4d4b4be16544eba12df317885fac4e27.png?width=1200)
これまでの人生を振り返って(3)
<社会人前半(20~30代)>
こうして、勉強を頑張らなかったことへの後悔を感じながらも、一生の友人に囲まれて楽しかった思い出の方が勝った大学生活を終え、社会人としての生活がスタートしました。
実は、入社してしばらくしてから、司法試験のオンライン予備校に申し込みました。いつも苦楽を共にしていた友人が周りからいなくなり、勉強への後悔が徐々に強くなってきたこともあって、「大学の学びに関する後悔を払拭しよう」と思っての決断でした。
が・・・、結局はお金をドブに捨てるような形で終わってしまいました。全く勉強に身が入らず(忙しい云々以前の問題)、僅か2~3ヶ月で勉強しなくなってしまったのです。
○○だから弁護士になりたい!という強い想いや信念がなくて、あくまで後悔の払拭のために司法試験を考えただけで、学びを継続するための土台がスカスカだったのだと、今なら客観的に分析できます・・・。
こうして、完全に司法の道とは縁がなくなり、再び後悔を抱えたまま、仕事に打ち込むことで何とか払拭しようとした20~30代を過ごしてきました。
<社会人中盤(40代~)>
仕事は自分なりに一生懸命頑張り、それなりの評価も受けてきましたが、大学時代の後悔が消えることはなく、むしろ「何も勉強しないまま40代を迎えてしまった、父親との約束を完全に反故にしてしまった」という負の感情が増幅して止まりませんでした。
一方、仕事ではちょうどこの頃課長へ昇進したところで、マネジメントされる側からする側に変わり、リーダーシップを発揮することが求められる立場に大きく変わっています。
この状況に差し掛かった時に、「このままでは学びのバックボーンが何もない課長になってしまう」「こんな体たらくでビジョンを示して具体的な戦略を練れるのか?」「子供に勉強頑張ろうという資格はあるのか?」などなど、”40にして惑いまくる”自分に我慢できなくなってしまいました。
改めて人生を振り返ってどうすべきか考えましたが、この状況を打破するには、大学時代の後悔を払拭できるほど勉強に励み、父親との約束を果たすしかない・・・という結論に至りました。そこで、ビジネスにも活かすことができ、且つ自分を見つめ直すための学びをすべく、グロービス経営大学院の門を叩いたのです。
そして、入学を決めた直後に母親から聞いたのですが、享年45歳であった父親が40歳の頃に「アメリカに留学してMBAを取得したい」と思っていたそうで、やっぱり親子なんやね~としみじみと感想を漏らしていました。
ここまでストーリーが繋がった以上、自分がこういう道を選択したのは運命的なもので頑張るしかない・・・と完全に腹をくくることができ、3年間仕事と学びと両立させながら(※)、最終的に成績はオールAを取得して、卒業式で代表の挨拶をさせていただくことができました。やっと、過去のマイナスを払拭してプラスに転じた、勉強もプライベートも共に充実した、と胸を張って言える状況に変えることができたと感じています。
(※)両立のための工夫・努力は、別途深掘りして投稿したいと思います。
支えてくれた家族や親への感謝も、その際に改めて振り返ります。
こうした紆余曲折を経た今、強く実感できたのは「過去の事実は絶対に変えられないが、その解釈は”変える”ことができる」ということです。
「苦労して入学した京大法学部なのに、法律を殆ど学ばず遊んでしまい、法律の単位は1つしか取れなかった」事実は今も全く変わりませんが、その事実がなければ、40歳を迎えた自分がここまで突き動かされることもなく、学びを言語化してnoteに書いて誰かに伝えたい・共有したいと思うこともなく、父親の分まで頑張ってMBAを取得することも無かったはずです。
”変える”に力を込めたのは、過去の事実にきちんと向き合い(私が好きな田坂先生は「正対する」という言葉を使われます)、一生懸命努力した結果、解釈を変えることができた点を強調するためです。即ち、全て自分次第。
小~中学校時代にいじめられていたことも同様です。この事実は絶対に変わりませんし、まして自分の中で消えることもありません。本日Yahooの記事で、ジャンポケの斉藤さんが「いじめた人は一瞬で忘れるかもしれないけど、いじめられている側は一生忘れない」と講演で語られた、という話を目にしましたが、まさにその通りです・・・。
が、グロービス経営大学院を卒業し、「教育の力で日本をより良くする」という志を持つようになったのも、いじめられた辛い経験があったからこそであり、それがあったから少しは辛い人の気持ちに寄り添うことができる(課長になってから部下との1on1を重視していますが、その経験がめちゃくちゃ生きています)、と思えるようになりました。
ということで、これからの人生でもきっと色々な出来事があるでしょうが、「過去の事実は絶対に変えられないが、その解釈は”変える”ことができる」ことを胸に、一日一日努力を積み重ね、この学びを自分の子供や次の世代に伝えていきたいと思います!