褒めて育てる?叱って育てる?
「最近の親は怒れない」という言葉を耳にすることがあります。僕が子どもの頃から耳にしたことがあるので最近っていつまでだろうなんて思ってしまいますが、叱る子育てがいいのか褒める子育てがいいのかは、子育てをする上で悩むことの一つでしょう。
「叱ったほうがいいよ」と言われたら叱ったほうがいい気がしてきますし、「褒めたほうがいいよ」と言われたら褒めたほうがいい気もします。「メリハリが大事だよ」とか「バランスだよ」と言われたらそんなことはわかっているけどそれができたら苦労しないんだよ!と思ってしまいます。
僕は、子どもと過ごす日常が、子どもにとっても大人にとってもしんどくない環境であればいいなと思っています。
そのための何かのヒントに、日々の子育ての悩みや不安が少しでも解消するお役に立てれば幸いです。全部読まずに、パラパラとめくって見てもらえたら、そうですね、トイレにでも置いていただいて、たまに思い出して読んでもらえたらうれしく思います。
「叱る」「褒める」ってなんだろう?
褒めて伸ばしてあげたほうがいいだろうけれど、言わなきゃダメなことはしっかりと叱って教えなければならない。そんな思いで葛藤することがあります。一方で「叱られるからやらない、褒められるからやる」じゃなくて、自分で考えて行動してほしいなと思ったりもします。
じゃあ、そもそも叱るとか褒めるってなんだろう?そんなことから考えていきたいと思います。
叱るよりも褒めるほうが良いと思われがちだけれど、実は「褒める」も「叱る」も、多くの場合、賞罰で大人にとっての望ましい行動を促すものなんですよね。
だから「自分で考えて行動」といっても(ただし大人にとって適切とされる)なので、「考えて行動したのに怒られた」という事案が発生します。
「良いことや悪いことの判断がまだできない子に対して大人がそれを教えるのは当たり前だ」と言えばたしかにそうです。ただぼくは、怒られたり褒められたりして正解を知るよりも、色んな経験を通して自分でそれが良いか悪いか(ときには白黒折り合いつかないこともあるということを)自分で考えたり色んな人の言葉を聞きながらその人なりの答えが出せるようになることも大切なことだと思っています。
普遍的な正解って意外となくて、文化や時代で変わってきますし、人それぞれで違ってきたりもします。
なによりも、恐怖で行動を制限されたり(したり)、ご褒美に釣られて(釣って)良い行動をするのって、心の負担が大きいですよね。
じゃあ、叱らないといけないと思ったときにどうするの?ということで、ぼくが気を付けていることを紹介していきます。
例えば、おやつをこっそり盗んだ子がいたときに
悪いことをしたらガツンと叱る?
子どもが悪いことをしているのを見つけたときに、僕たち大人はショックを受けます。「この子がこんなことをするなんて」と、信じられない、信じたくない気持ちで、その行動を二度としないようにその子を𠮟責しますが、それはその子の悪い姿に蓋をして見えないようにしているだけということも多くあります。
「悪いことをしたらガツンと怒って分からせないと!」と思ってしまいますが、それをして見られるのは「怒られるからやらない」か「怒られないようにこっそりやる」という結果的に望まない姿です。
考えてみれば僕も忘れ物ばかりしています。そんな時に、忘れ物をしてから責めてくる人か、忘れ物をしないように助けてくれる人か、どっちが自分にとってありがたいだろうって考えると、子どもへの関わり方も少し変わってきます。
子どもにとってぼくは、失敗を咎めて(とがめて)くる人なのか、助けてくれる味方なのか。ついつい口うるさくなっちゃうんですけど、できれば味方だと思ってもらっていたいです。媚びを売るという意味ではなく、信頼してもらえるようにという意味で。
じゃあ、ほめるのは?
じゃあ、褒めるのはどうなんだろう?その子が怖がったりしなくても、コントロールしようとしていることは、叱って行動を制御していることと同じだよなあって葛藤しながらも、どうやって声をかけたらいいのか悩みます。
ほめるときの視点に気をつけてみる
大人も、褒められるのはうれしいものです。褒めてもらえたらがんばれるし、間違ってないんだと自信が持てます。僕もできることなら毎日褒められていたいです。ただ、褒めるときにも気を付けたいことがあります。それは、おだてないことと、「褒めてもらえないと価値がない」と思わせないような声かけです。
子どもの上に矢印を置いてみる
子どもの人生はの主役は子ども本人です。当たり前のことだけれど、褒めたり叱ったりするときに矢印(矢印)は「大人」の上にあることが多い気がします。
矢印(主体)を子どもに置くと、おのずと叱ることや褒めることよりも対話することが多くなってきます。
大人の思いはどう伝える?
なんでも子ども主体でやりたいようにやらせるわけにはいきません。親として大人として、伝えたかったり言わなければいけないと思うこともたくさんあります。それを伝えるときに少し気をつけられたら、お互いにしんどくないんじゃないかなって思います。
伝え方を変えてみる
「叱る」「ほめる」のかわりに
これまで紹介した関りで共通しているのが、「対話」です。褒めたり叱ったりする代わりに、対話をすることで、自分も子どももそれぞれ一人の人として尊重しあって思いを伝えあいながら、それぞれにとって良い方法を見つけていくことができるんじゃないかなって思っています。
おわりに
子育てに正解はない、という言葉をよく聞きます。僕は、その言葉を、自分を正当化するためには使いたくないなって思っています。ただ、悩んでいる自分には、その言葉を使って励ましてあげたいなって思うんです。正解はないからこそ、ちゃんと悩んで迷って後悔できているんだと。一番大事なことは、本当にこれでよかったんだろうかって振り返れることと、振り返れた自分をちゃんとほめてあげられることなんじゃないかなって思います。一番って言ったのに、二つ言ってしまいましたね。
子どもも大人もそれぞれが一人の人として、お互いがしんどくなくて、お互いが少し我慢して、お互いに手を抜いて、そんな風にみんながしんどくない方法を見つけていけたらいいなって思います。
おわり