映画「望み」 ネタバレ感想
原作:雫井脩介『望み』
監督:堤幸彦
脚本:奥寺佐渡子
音楽:山内達哉
映画「望み」、予告で何度も繰り返し見ていましたが、いざ見に行くとなると最後の一押しがなく見ていませんでした。
だけど、あと少しで公開終了、「星の子」を見逃したという事もありついに見に行ってきました。
結論から言うと、めっちゃ良かったですよ。
以下あらすじ、良かった点、悪かった点を書いていこうと思います。
あらすじ
設計士の石川(堤真一)と在宅で編集の仕事をしている妻貴代美(石田ゆり子)は、二人の子供とこだわりのマイホームで幸せに暮らしていた。
兄の規士(岡田健史)はサッカーに打ち込んでいたが膝を故障。それ以来燻って帰りが遅くなることが増えていた。
妹の雅(清原果那)は明るく、名門校合格を目指して毎日塾に通い猛勉強中。
そんな中規士がナイフを買ったと知った石川は、「用途を言えないならこれは預かる」とナイフを取り上げる。顔に謎の痣を作っていた規士。石川と貴代美の不安は高まるばかり。
ある日、規士が夜に出かけたきり朝まで帰ってこない。
心配する家族に、近くで規士のよくつるんでいた仲間が殺されたというニュースが入ってくる。しかも犯人の二人組は逃走中。そしてもう一人、被害者がいるという情報が入ってくる。
マスコミは規士を犯人と疑い家を囲み一家にカメラを向け、家や車に落書きをされ雅は学校でいじめられてしまう。
石川が「規士はそんなことをしない」と信じる一方、貴代美は「たとえ人を殺していても、無事なほうが良い」と規士が犯人であると信じようとする。雅は「お兄ちゃんが犯人じゃない方がいい(=殺されていてほしい)」と考えるように。
そんな中、石川は規士から取り上げたナイフがなくなっているのを発見。規士はいなくなった晩、ナイフを持ち出していたのだった。
良かったところ
・「望み」の意味
このタイトル、本当に秀逸だと思います。
貴代美は「どんな形でも生きていてほしい=犯人であってほしい」という望み。
妹の雅は「殺人をしていて欲しくない=殺されていて欲しい」という望み。
そして石川は二人の間で揺れ動き、仕事のこともあって葛藤します。
恐らく石川の望みは、「日常を取り戻したい」というものでしょう。
最も贅沢な望みで、でも貴代美も雅も本当はそう思ってる。
それぞれの「望み」が交錯し、物語が複雑になるにつれ彼らの望みは洗練されていきます。
途中、兄の死を望むようなことを言う雅に、貴代美は「そんなことを望まないの」と怒鳴ります。
でもそれは、自分の子供が人殺しでも生きていて欲しいなどという望みをもち、息子は人を殺したかもしれないという疑惑を持っていた貴代美自身にも深く刺さる言葉でした。
途中、石川は「どこ逃げてんだろうな」とぼやきます。その際貴代美は面会用の弁当を作りながら、「望みはあるわよ」と答えます。
これよく考えると不思議じゃないですか。石川は貴代美に同調したはずなのに、貴代美はほんのり否定すらしています。
この時、貴代美の言った「望み」は既に「殺人を犯していても生きていて欲しい」というものではなかったんじゃないでしょうか。
きっと見つかるわよ、ではなく「規士が殺人犯じゃないという望みはあるわよ」ということ。そしてナイフを置いていった事実を聞いたところで、完全に規士が殺人をしていないと信じたんだと思います。
でもそれはつらいことですよね、つまり死んでいるかもしれないと覚悟するということですから。
終盤で石川が言った「あいつに救われました」という言葉。
規士は一度ナイフを手にしましたが、自分の意志で手放しました。
じゃあ規士の望みはなんだったのかといえば、家族や周りの人を、その日常を守ることだったんだと思います。
雅にお守りを渡したこと。父の話を嬉しそうに話していたこと。規士は本当に家族を大切に想っていて、だからこそ打ち明けられなかった。
家族には心配かけたくなかった、でも友達のことも見捨てられなかった。
きっとどうすることもできなかった最悪の事態、でもその先に確かな望みを持って死んでいったんではないでしょうか。
・石川一家の演技
これはもう言うまでもないかもしれませんが、堤真一、石田ゆり子、清原果那、岡田健史の演技が本当に素晴らしかった。
石田ゆり子は、貴代美が雑誌の記者から「被害者というよりは・・・・・・」と言いかけたとき、「加害者、ですか」と答えたときの表情、目の動き一つ一つがほんと良かった。接写していたからよりわかりやすいのか、「子供を守る」という母親の狂気みたいなものが見えました。
堤真一は、やっぱり倉橋(一人目の被害者)の通夜で、「息子はやってない」と泣きながら言い切る場面。ナイフを置いていったこと、それはその場で石川しか知らない、それでも石川は確信していた。仕事がなくなるとか、家を売らなくてはになるとか、そんなことを全部超越して、親だからというそれだけの理由で、どこまでも深く確信をもって信じていた。それが痛いほど伝わってきて、もどかしさで吐き気がするほどでした。
岡田健史はラストの、リハビリのPT?らしき人に
「何もやらなければ、何もできない大人になる」
と石川の話をする場面。この後の、「ウチの親父」という場面は、照れくさそうで、それでも嬉しそうで、親の言葉に感化されている恥ずかしさもあるちょっと誇らしげな顔。ああ、この表情があったらきっと、観客は最初から「この子は人を殺さない」と気付いてしまったかもしれない。そういう表情ができるすごさに感動しました。
清原果那は、貴代美との言い争いで「何で私がお兄ちゃんの巻き添えにならなくちゃいけないの」と言い、「お兄ちゃんは家族でしょ」「そんなこと望まないの」と言い返されたシーン。
「何で私が怒られなくちゃいけない訳!?」
「どうせお兄ちゃんの方が大切だから」
雅は辛いですよね。優しい兄がいきなり殺人容疑をかけられ、学校でも塾でもそれが前提のように話される。雅が「お兄ちゃんが殺されていた方がいい」と思ったのは、自分の受験もあるけど規士が殺人をしていて欲しくない、との思いも強かったのだと思います。じゃなければこの後、お守りを握りしめるなんてことはしない。ここの場面の清原さんの声、これは鬼気迫るようなものではなくて、どうにもできない悔しさと、発言と心の矛盾への叫びみたいなものがありありと出てました。すごい俳優ですね。
・演出
初め、サッカーのビデオが写り、恐らく規士であろう子供の写真と、家族写真が写る。こんな始まり方の映画私は初めて見ました。
観客は「これは殺人鬼の昔の写真かも」という思いもありつつ見ることに。
そして俯瞰から設計されつくした注文住宅がうつる。
初めみたときは「おしゃれで、気取っているようにも見える家」だと思いました。傍から見れば計算されつくして過不足はなさそう。でも実際は、親子間のコミュニケーションが足りていないなどの不具合はあった。貴代美が「収納が足りない」とぼやくように。見た目が良くても、中身が伴わないんじゃねぇ、なんて思いました。
そしてその家が中盤はどんどん汚されていきます。これは見ていてつらかったですね。幸せな家族の象徴のような、精密な計算がどんどん狂っていく。何度も石川が落書きを消そうとしているのも印象的でした。
でね、なんとラスト。規士が犯人ではない、もう一人の被害者だったと分かった後。なんともう一度初めと同じ演出をするんですよ。
子供の時の写真、家族写真。そして逆にミクロからマクロへと切り替えられる視点。これが面白いながらも恐ろしいとさえ思いました。
全ては初めから決まっていたかのように、私たちだけが知らなかった出来事を見せられていたのだと気づくラストシーン。面白い演出です。
あと、「警察は何も教えてくれないじゃないですか」というセリフが、何度も繰り返されます。でも実際何でも教えてくれた記者の情報は、事実もありましたが主観が大いに含まれていた。要するに事実無根も多かった。ラストシーンでも、「規士くんが犯人であればよかった」と記者は言っています。
警察は何も教えてはくれない、でも主観を消してこそ、真実を見極めることができる。これは恐ろしい演出でした。
・脚本
脚本が好きでした。今までもそうなんですけど、ちょこちょこうろ覚えで恥ずかしい。
例えば初めの、受験先として名門校の名前を挙げた雅に、客が「え、あの〇女!」と言う場面。このちょっとなんですけどね。これだけで、あ~建築事務所も土着でその学園も名門校だってすぐわかるじゃないですか。
あと「どうしてあたしがお兄ちゃんの巻き添えにならなくちゃいけないの」
これも良いセリフですよね・・・・・・どのセリフも、本人の思いが滲むような言葉選びで。奥寺佐渡子さん。覚えました。
悪かったところ
・BGM
BGMなんとなくで数えてたんですけど、ちょっと多すぎるというか「展開をこうしたい!」っていう思いが強すぎる気がしました。
サントラの力って偉大で、場の雰囲気を一気に染め上げられると思うんですけど、それを使いすぎると感動に慣れが出てきちゃうような。
静かなサントラならまだいいんですけど、いかにも「さあここで泣け!」っていう壮大な音楽は多用されると疲弊しますね。演技で魅せられる俳優がいるので、もう少し信じてもいいんじゃないかなって・・・・・・。
・バイプレイヤーの演技
これは石川一家が良かった分ちょっと残念でした。
松田翔太も胡散臭い空気を出したいのはわかるのですが、気取らない分棒っぽさが強すぎる気がして。そこの塩梅って非常に難しいと思うんですけど。
あと警察の方。棒でしたね。
竜雷太は良かったです、SPECでの様子も知ってるのに苛立ちやむかつきを覚えるほどで、俳優のすごさを感じました。
蛇足
後最後に、雫井脩介原作では「仮面同窓会」と「検察側の罪人」を見たのですが、どちらも胸糞というか、腑に落ちなさがあったじゃないですか。
どちらもやるせなさ、どうしようもなかったのにな、みたいなものが混在していて。
今回の「望み」もやるせなさ、でもどうしようもなかったっていう点では一緒です。でも、最後に石川が家を見上げ、お帰りと迎えられる場面。
同じやるせなさを、よく爽快感に近づけたなとびっくりしました。
全てどうしようもなく重い作品ですが、これは重い物を乗せながらも「これで良かったんだ」と思わせてくれる結末。勿論この結末は沢山の選択ミスの上に成り立っています。痣のとき、ナイフのとき、もっとちゃんと聞いていれば。
でもそこを掘り下げすぎないことで、見た後にまだ席を立つ力を残しておいてもらえた気がします。
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