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競馬への偏愛を語る【なぜ僕は競馬が好きになったのか?】

Webライターラボのコラム募集ということで、テーマは「偏愛」ということで何を書こうか迷ったが、今回は思い切って競馬について書いてみることにした。

千葉県松戸市に住んでいた、大学時代の2001年の秋に何気なく船橋競馬場に足を運んだ後、気がついたらその年の暮れの有馬記念を見ていて、気がついたら色々な競馬場に足を運んでいたのである。

それから競馬は自分の生活に欠かせないものになっていき、日本国内のJRAと地方の競馬場、さらには海外の競馬場にも行ってしまった。

というわけで今回のコラムでは、自分がどうしてここまで競馬が好きになった理由と、今まで見たレースの中で1番印象的なレースについて書いていきたい。

競馬を好きになったきっかけ

僕が競馬を好きになったきっかけは、大学進学のために千葉県松戸市に住んでしまったためである。

かつ通っていた大学がJR武蔵野線沿線にあったこともあって、電車に乗っていると船橋市にある中山競馬場や船橋競馬場の建物の大きさになぜか興味をそそられていた。

そして気がつけば、大学2年の2001年の11月に船橋競馬場に足を運んだのである。

余談だが、府中本町〜南船橋を結ぶJR武蔵野線は、

  • 府中本町駅:東京競馬場

  • 南浦和駅:浦和競馬場

  • 船橋法典駅:中山競馬場

  • 南船橋駅:船橋競馬場

と計4つの競馬場が沿線にある通称「競馬電車」である。

だから、武蔵野線を頻繁に利用する僕は、競馬を好きになるのは必然だったのかもしれない。

なぜなら、武蔵野線を使うのに競馬を好きにならなければ、天罰が下りそうになるからだ(笑)。

それはともかく、その後ダビスタを好きだった弟が有馬記念に行きたいということで、一緒について行くことにした。

そこで大歓声やサラブレッドの美しさを改めて認識し、翌2002年から頻繁に競馬場に足を運ぶようになるのである。

そして気がつけば、毎週のように中山競馬場に足を運ぶようになった。

当時の自宅から電車で20分ほどで行けるので、気がつけば中山競馬場は僕にとって庭のような存在になったのである。

その後は2005年にNZにワーホリに行き、NZやオーストラリアの多くの競馬場に足を運んだ。

また一時期は乗馬クラブにも通い、障害競技で大会にも出場するなど、僕の20代〜30代前半は馬一色の人生だったのである。

過去に訪れた競馬場


G1レースの東京競馬場

僕がこれまで訪れた競馬場は、

  • 中央競馬場7ヵ所

  • 地方競馬場10ヵ所

  • 香港競馬2ヵ所

  • シンガポール1ヵ所

  • イギリス2ヵ所

  • オーストラリア15ヵ所

  • ニュージーランド11ヵ所

と国内外合わせて48ヵ所に及ぶ。

ただ中には、自由に入れたので不法侵入に近い形で入った競馬場や、繋駕速歩競走(早足でスタンダードブレッドの馬のレース)専用の競馬場も含まれるので、かなり足を運んだ方なのかもしれない。

ちなみにその中には、宇都宮競馬場やハロルドパーク競馬場(シドニー)のようにすでに廃止された競馬場や、シンガポールのように2024年10月をもって閉場する競馬場もある。

2度と足を運べないのが残念ではあるが、あの時本当に行っておいて良かったと思う。

印象的だったレース


これまで20年間で見続けたレースの中で、特に印象に残ったレースは?と聞かれると、どれを上げたらよいかなかなか難しい。

ただ、強い印象に残ったレースをあえてあげるとしたら3つある。

ここでは、僕が20年近い競馬ファンとしてのキャリアで特に印象的なレースを紹介していきたい。

2002年安田記念

僕が競馬場に通い始めた2002年、僕を競馬の魅力にどっぷりとつかるようになったレースが2002年の安田記念だ。

勝った馬はアドマイヤコジーンという馬で、実は個人的に魅力的でずっと追い続けてきた馬だった。

実はこの数日前、僕は寝ている時に偶然アドマイヤコジーンが勝つ夢を見たのだ。

それ以降、「安田記念は絶対にアドマイヤコジーンが勝つ!」と妙な思いを感じ始めてレースを観戦した。

結果は大外18番枠から豪快に2着のダンツフレームを差し切り、アドマイヤコジーンは完勝。

その瞬間、僕は今まで出したことのないおたけびを上げて人馬の勝利を祝った。

思えばこのレースを生で観戦してなければ、僕はここまでの競馬好きになっていなかったと思う。

またこのレースは、

・スタンドが改修される前の東京競馬場最後のレース
・アドマイヤコジーンの騎手だった後藤浩輝騎手が2015年に死去

という2つの出来事があったことで、あれから20年近くたっても強い印象に残っているのである。

2005年メルボルンカップ

メルボルンカップとは、毎年11月の第1火曜日に行われる距離3,200mのオーストラリア最大のレースで、別名「Stop The Nation」と呼ばれその日は祝日になる程の国民的レースである。

幸運なことに、2005年にニュージーランドへワーホリに行っていた僕は、「チャンスだ!」と思ってオーストラリア行きのチケットを入手して、約3週間メルボルンに滞在した。

コーフィールドカップやコックスプレートなどのビッグレースも競馬場でじかに観戦したが、やはり国民行事と呼ばれるメルボルンカップを生で観戦したことは自分にとって大きい出来事だった。

しかもこのレース、マカイビーディーヴァという馬が史上初のメルボルンカップ3連覇という快挙を成し遂げた歴史的レースになったのである。

さらにすごいのは、このレースがオーストラリア全土の新聞に一面で掲載されていたことだった。

それを見て僕はメルボルンカップの影響力のすごさと、そんなすごいレースに立ち会えた幸せを強くかみしめたのである。

当時23歳だった僕にとって、この時の思い出は忘れられない思い出になったのは言うまでもない。

2008年天皇賞秋

2008年の天皇賞秋は、今での中央競馬のレースの中で最も印象深いレースとして語り継がれているレースである。

このレースでは、最強牝馬のウォッカとダイワスカーレットを中心に、ダービー馬のディープスカイやカンパニー、ポップロックなど中距離の最強馬が揃い、「日本競馬最強を決めるレース」として何かが起こるのでは?とかなりファンの間でワクワク感が広がっていた。

レースは最後の直線、ダイワスカーレットが粘るところをウォッカが差して勝つと思ったその時、何とダイワスカーレットが馬鹿力を発揮して差し返してきて、ほぼ2頭な並んだようにゴール。

タイムは何と1分57秒2と、当時の2,000mの世界レコードを叩き出したのである。

ゴールの瞬間の高揚感は今でも覚えていて、東京競馬場に訪れた10万人のファンが、

「すごいものを見た!!!」

と誰もが興奮状態にいた。

肝心の勝ち負けは、鼻差の大接戦でどちらが勝ったかわからないくらいの大接戦だった。

リプレーが何度も大型ビジョンで流れたが、その度に

「ウォーーーーーー!!!!」


と大歓声が起こるくらいすごいレースだったのである。

写真判定はかなり時間がかかり、判定が出たのはレースが出て15分後だった。

ここまで写真判定が長くなるのは、競馬のレースでは早々ない。

おそらくJRA側も、かなり判定するのが難しかったであろう。

長い判定の結果、勝ったのはウォッカだった。

レースそのものも印象的だったが、最も思い出に残ったのはレース後の帰り道である。

あまりに凄いレースを見たことで気分が高揚して、帰りの電車の中でもニヤニヤが止まらなかった。

それは、

「とてつもない歴史的なレースを見られた」

「このレースは、後世に語り継がれるだろう」

という確信を強く持っていたからである。

競馬を知らない人にとっては理解できないかもしれないが、あれだけの高揚感と幸せな気分になったのは、これまで40年間生きてきた中でそんなには無い。

そういう意味でも忘れないレースであり、16年経過した現在でも今まで見た中で最高のレースだったことは今でも変わって無いのである。

最後に


乱文ではあったが、ここまでいかに自分が競馬好きであるかを書いてみた。

競馬を好きになって気がつけば20年以上、あの時松戸市に住んだことで、まさかこれだけ多くの競馬場に行くとは思っていなかった。

今は以前のように、毎週東京や名古屋に行って競馬場に行く機会はそれほど多くなくなってしまったが、馬の美しい馬体と眼がある限り、これからも競馬を愛し続けていくだろう。

そしてできることなら今度は、まだ行けてないアメリカの競馬場にも行ってみたい。

Discord名:松井ひろたか
#Webライターラボ2405コラム企画

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