「推し活してる奴は気持ち悪い」という感覚は正常
「生活の中心は推しである」、そんな全ての人へ。
また、そんな人たちのことが「異常」に見えているあなたへ。
オタクは経済を回す
推しのメンカラを身に纏い、推しが行ったとあれば聖地巡礼をする。広告に起用されれば商品を購入し、複数形態あるCDを全て予約し、MVが公開されれば寝る間も惜しんで再生回数を増やす。
外から見れば「何をそんなに必死に…」と思われても仕方ない。現にオタクは、いわゆる「非オタ」の皆様からうっすら軽蔑されている節がある。
しかし、オタクは金を使う。経済を回す。
それをビジネスチャンスと捉え、大手企業が「推し活」と名打ってオタク相手の商売を始めた。昨今では、スリーコインズやWEGO、ジェラピケ、リンツチョコレートなど、これまでオタク色のなかった有名ブランドも、こぞってオタク向け商品を展開している。
メディアや街中で「推し活」という文字を見る機会も増え、かつて陰気で好まれないパブリックイメージだった「オタク」もかなり変わった。「推し活ってメンタルにいいんだよ」「この多様性の時代に、他人の"好き"を否定するなんて間違ってる」「好きなものがあるっていいことじゃん」といった肯定意見が多数派になり、それに異を唱えるのはおかしいといった風潮にまでなっている。
「推し活文化」のスタンダード化と感覚の麻痺
アクリルスタンド、というものをご存じだろうか。
この記事を読んでいる人であれば恐らく知っている人の方が多いと思うが、10センチ程度の小人サイズの人間がプリントされ、型抜きされた、アクリルの板だ。
要は、持ち運びサイズの、推しの分身。
私がこのアクスタに初めて触れたのは2018年。V6の三宅健のファンになり、彼のグッズで初めてアクスタという存在に出会った。
それまでアイドルオタクではなかった自分からすれば衝撃だった。実在する人物の分身のようなものを手元に置くという気持ち悪さ、滑稽さ。アニメキャラクターのそれとは訳が違う、と思った。伝わるだろうか。
おもしろグッズの類?ネタなのか?と思ったが、どうやらそうでもないらしかった。
問題は、その先である。
最初そんなにも反感や違和感を持ったにも関わらず、わずか半年ほどで私はその感覚をなくした。
推しの新しいアクスタが発売されるとなれば早朝からオンラインショップを開いて待機し、予備を含めて最低2つ以上購入するのが当たり前。遊びに出かけるときには持参し、飲食店、観光地、ライブ会場の前などで恥ずかしげもなく取り出して写真を撮った。
今これを読んでくれている人の中にも、細部は違えど似たような経緯を辿ってきた人もいるのではないだろうか。
アクスタを愛でるのは気持ち悪いのか?
今やアクスタという商品は、大手アイドル事務所でなくとも、様々なアイドル、芸能人、アーティストが、グッズとして発売するものとなっている。ビジュアルを商品にするという性質が同じであるトレカや生写真も含めれば、かなりの数が世の中に存在する。
恐らく中には、これに違和感や嫌悪感を感じている人もいるだろう。2018年の私のように。
「他人の好きの形を、推し活の形を、否定してはいけない」そう思ってなんとか違和感・嫌悪感を飲み込んで過ごしている人に、私は言いたい。
あなたの感覚は正常です、と。
否定派がアクスタを無理して受け入れる必要はないし、肯定派がアクスタを集めるのをやめる必要もない。ただ、一人の人間として、自分がアクスタになる側の想像をしてみてほしい。
自分の知らないところで、見ず知らずの誰かが、自分のアクスタを大切に持ち歩き愛でている。好いてくれて嬉しいと感じる人もいれば、気持ち悪いし怖いと感じる人もいるはずだ。
どちらが正しいという正解もないし、どちらも否定されるべきではないが、実在する人物の分身を手にするからには、最低限そこまで想像力を働かせることが大切だと思っている。
この文章で気を悪くしたアクスタ肯定派の誰かから、「単純にアクスタ可愛いから欲しいっていう人もいるんです。否定派は買わなければいい、欲しい人だけ買えばいい」という文句が来るかもしれないが、そういう単純な話をしているわけではない。
「ビジュ売り」への警鐘
私は、仕事として家財整理・遺品整理に関わることがよくある。その中で、大量の「推しグッズ」を整理することは少なくない。
部屋の中に大量に残されたCD、DVD、雑誌、生写真、タオルやペンライトなどのグッズ。このたった1年半ほどで、恐らく数千点(数万点?)にもなる。
そうして大量の遺留品に触れていくうちに、社会にありふれた「推し活」の弊害や、オタクたちの不安定さがどんどん目に付くようになった。
専門家ではないので詳しくは言及しないが、精神疾患と依存には相関がある。これは私の肌感覚になるが、精神的に疾患を抱えていた人、もしくは生活困窮者の家ほど、おびただしい数の推しグッズが溢れかえっていることが多い。
残された大量のグッズが、「推し活」を心から楽しんでいた結果なのであれば、他人がとやかく口を出す問題ではない。しかし、明らかに未開封のままのCDやDVD、5冊6冊と全く同じ雑誌が並んでいるのを見ると、なんとも虚しい気持ちになるのだ。
そこに企業が売り上げを上げた、経済を回した、という事実はあれど、個人の心を本当の意味で満たしていたかどうかは分からない。
その「推し活」は、その人を幸せにしただろうか。
「ビジュ(見た目、容姿)」を前面に出したグッズを売り続けることは、ファンの中の「ビジュ推し」の感覚を強くする。
ひいてはそれがファンの中の「好き」を歪ませたり、過剰にさせたり、元来の価値観を麻痺させる一因となることがある。
遺品整理・家財整理する部屋に残されたアイドルグッズの中には、状態の悪いものがしばしば見つかる。アイドルの顔面の上に、何度も液体を擦り付けたような跡。
やめろと言っているわけではなく、その人が異常だと糾弾したいわけでもない。ビジュを売るということは当然、男女問わずそういう側面があり、売る側は織り込み済みですらあるだろう。
ビジュを売る。恋をさせる(リアコ化)。依存させる。「ビジュを売ることが好きを歪ませる」というのは、こういうことだ。
あとがき
タイトルにした、「推し活してる奴は気持ち悪い」という感覚は正常、というのは、少し大雑把でセンセーショナルすぎる自覚はありますが、過剰な散財や収集、心酔を異常だと思う感覚を持ち続けてほしい、という思い(+自戒)を込めて付けたものです。
「ファンじゃない人から気持ち悪いと言われても気にしない!」で思考を止めず、推し活の中で「自分ちょっと気持ち悪くない?」とたまに俯瞰する。そんなバランス感覚を大事にしてほしいと思っています。
アクスタやトレカを売る(特典にする)のが一概に悪いわけではなく、生々しい言い方をすれば、儲かるのであればビジネスとして正しい、と言えます。ファン心理の面で言えば、自分が好きなもの(人)を形として手元に置いておくことで充足感が得られるというのがあります。
しかしビジュ売りというのは、繰り返しになりますが、ファンの中の「好き」を歪ませたり、過剰にさせたり、元来の価値観を麻痺させる一因となります。中でも10代や20代の若いファンならば特に、その時期に触れたものは価値観を形成する大きな要因となります。
寝ずにMVを回したり、グッズも雑誌もコンプリートしなければならないような強迫観念に支配されたり、推しのMCをくまなくチェックし一挙手一投足を知ろうとしたり…。人生の軸足を、自分ではなく推しに置いてしまっているのではないか、と心配になるような人が、SNS上に散見されます。
そんなファンダムの中にいる人たちに、それが推し活のスタンダードとして刷り込まれてしまうことは望ましくないでしょう。
熱烈なファンをたくさん作ると売り上げが立ちやすく、これは「信者ビジネス」と呼ばれる人の心理を利用した商法です。
また、「情報過多すぎて無理」「急に供給多過ぎてパニック(幸せ)」というのはオタク・ファンたちからよく発せられているセリフですが、飽きさせる前に次の情報を与え続けること、考える余地を与えないこと、というのも販売戦略のうちのひとつです。
過剰に推し活に入れ込まないためには、自分がビジネス戦略に取り込まれているのではないか?と、たまに冷静になって考えてみることが必要なのではないでしょうか。