こどものげいじゅつ
日々の生活に疲れ、長い残業とアフター。
削れる睡眠時間と食欲不振。
肌荒れ、白髪、かすむ目…
朝起きて歯ブラシ突っ込んだら「…ッォォウェッッゥェェ★」
裏切り・陰口・妬みに嫉み
競争・賄賂に・足の引っ張り合い
社会は汚いもので溢れています。
noteに救いを求める
そんな世間に疲れた時に
とあるnoteの記事を読みました。
※三毛田氏のほのぼの記事※
そこには純粋無垢な子どもの
芸術作品が紹介されていたのでした。
なんとも、ほんわかとした内容で
読者の反応を見ても皆一様に
癒しを感じたようです。
こんなこともあるのです。
社会とは、人生とは、
まだまだ捨てたもんじゃぁない!
いやー、しかし
平和なnoteだったなぁ..…
で終わればよかったのに、
悪い癖
あー、だめだぁ。
この〇十年で培った腐れ根性では
当該作品が眩しすぎて直視すること
ができん。気が付いたら
矛先をグイッと変えて作品の裏に
あるテーマについて勝手に
考察を始めてしまっていた。
以下、考察
本来はコメント欄に投稿するつもりでいたが
読者たちのコメントがあまりに温かく、
このような長文を投下してしまうと
世界観をブチ壊してしまうことになるので
流石に控えた。
時間が経ち、多少クールダウンしたので
当初の文章からカットしたのだが
なんというか
訪問先で出されたお茶を3分の2まで飲んで
話に花が咲き、しばらくして
では帰りましょうか、となるも
せっかく出していただいたお茶を
最後は飲み切ろうと「グイッ」としたとき
「・・・苦ッ(;^ω^)」
となるような嫌な大人の苦みだけを
抽出した人間がいるとしたら
多分、それは私のことだろう。
時が経つのは
速い遅いの議論が成り立たないほどに
ブッちぎりで速い。
手にした瞬間に失われていく時間。
過ぎ去ってしまった時間は二度と
戻ることはなく、素晴らしい過去も
いずれ忘却の彼方へと消えてゆくのだ。
子ども時代の文書や絵などは
時が経ってから見返すと
「ハッ!」と思うことがある。
モノがきっかけで、当時の記憶や
想いが一瞬でフラッシュバックする。
一種のタイムマシンのようなものだ。
今回のような作品も保管しておくことで
将来「…ハッ!」とするかもしれない。
我が家でいえば、その作品の点数は少ない。
妻はなるべく残そうとしているが
ご本人様たちは自称、
「過去にとらわれない女たち」なので
目を離すと次々に処分してしまう。
何を残して、何を捨てるか、
非常に悩ましい問題ではあると思う。
全てのものは残せないしねぇ。
なんだか、そんなこと考えていたら、
世界的な壁画や遺物も
もしかして、子どもが作ったものを
残そうとした親の努力だったのかも。
「前世で子どもの落書きを大切に保管していたら現世では大変貴重な文化財になってしまった件」
という妄想が加速しだしたので
ここらへんで終わりにします。
では