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ノンアイロンの朝

夏過ぎて9月の半ば、来月には衣替えが迫っている。

そういえばこの夏期間は肩こりが軽減されていた気がする。これがクールビズのおかげであるとは少々無理なこじつけだろうか。ノージャケット・ノーネクタイ、半袖。身が軽くなったからと言って仕事速度が上がるわけでもないけれど暑い季節はやはり効果的だ。

年々、電気料金があがっているため冷房にも気を付けていきたいところだが、職場では「私、冷え性なの」と言いながらひざ掛けを使用し、顔にはUSBミニファンをフル回転であてる矛盾に、正の気が保てなくなりそうだが決して文句は言わず、追加で「白湯」を飲みだしたとしても、勝手に冷房の温度を上げるようなテロ行為は控えるようにしていた、それが職場の平和のためだ。

私にとって良かったのは、半袖のシャツをノンアイロン仕様にしていたことだ。職場はクールビズに対して範囲が甘めで、働いている者たちは毎年ギリギリのユルユルポイントを探り、ラインを下げて行っている節がある。

私のノンアイロンのシャツもそのうちの一つで、洗濯後にハンガーに掛けてからは一切何もせず、朝になりハンガーから半袖Yシャツをそのまま「スッ」と着用し颯爽と職場に登場する。誰にも咎められることのない最高の夏の手抜きである。

ある朝のトラブル


その日もギリギリまで睡眠時間を取り「・・・・・バッ!」と急に飛び起きシャワーを浴びる。毎朝、シャワー中に口ずさむ鼻歌を覚えていられたら、きっとグラミー賞も夢ではない。と一人でつぶやく。でも実際問題、呟くのは一人だからで、二人でつぶやくのって、もはや会話だよね。なんて考えながら顔に当たる飛沫がスタンディングオベーションの拍手の代わりだと自分を納得させ、朝の儀式を終える。何気ない、いつもの朝の風景だった。


出発予定時間まで残り15分


まだ慌てる段階ではない。ドライヤーで髪を乾かしながら「この毛量は何とかならないのですかねェ」と無駄なことを考えていた。きっと私は99歳を超えたら「毛羽毛現けうけげん」にでもなっちゃうのだろう。尊敬する水木しげる大先生とお会いできるのなら、それもいいかもしれない。



出発予定時間まで残り10分


毛量のわりに早くないか?と矛盾を指摘したいところかもしれないが、誰も完全に乾いたと宣言しているわけではない。良いのだ、夏は適当で。
さて、あとは簡単。ハンガーにかかっているシャツをササッときて、出発するだけだ。ササッと、サ、サ、ッ?

なっ、無い!シャツがない…だと!?


ハンガーに吊るしてあるはずのシャツが見当たらず、シャワー後の肌に「ざわわ」と緊張が走る。残り時間は刻一刻と迫ってくる。1階か!?2階か!?もしかして3階なのか!?2階建てだけど。さぁ困りました、朝からバタバタ走るよシャツおじさんの様相のまま、右往左往天地無用で捜索するも発見には至らず。

これは奥の手を使うしかないと意を決し、まだ眠りから目覚めない眠れる森の元美女を、いや、元眠れる森の、いやいや、眠れる元森の出身の・・・?

「-ぉはよぅございます」

と、在りし日の寝起き潜入レポーターの如く、アイドルの部屋に潜入した私は「Tシロか、Kマンか」という今の世代には通用しないであろう話題をグッとこらえて「私のシャツを知りませんか?」と問いかけてみた。

しばらくの沈黙の後にモゾモゾと

「・・・・知らないッ!!!」

その時、確かに「ブチィッ」と聞いたことのないような音が聞こえたと思うのです。幻聴だったのでしょうか、どこにも切れるものなんてなかったはずなのですが変ですねぇ。後にあれは人がブチ切れたときに聞こえる音であるということが学会で発表されたとかされてないとか。しかし、いかなる時でも冷静沈着なクールガイを心掛けているだけの私は、自力でこのサバイバルを生き抜くんだと残り時間に目をやりながら決意を新たにしたのだった。

名探偵は朝から、っょぃ

何度も1階と2階を往復していると、ふと違和感に気づいた。流石は普段から間違い探しアプリ広告を目にし「はいはい詐欺詐欺」とあしらってきただけはある。いつもハンガーに掛けてあるはずの私の戦闘服が四角く折りたたまれて階段の4段目にあたりに鎮座しているのを発見した。

おそらく洗濯物を畳んでいる際に、誰かが気を使って畳み込んでしまったのだろう。上から見ると四角く折りたたまれていたが、広げてみると無残な折り目が縦横無尽に駆け巡っていたのだった。


俺はノンアイロンシャツの実力じつりきを信じる!


と生まれて初めてついた白々しい嘘に吐き気を覚えながら、素直にアイロンを探す。無情にも時は流れ続けて、出発予定時間が迫ってきていた。再び文字通り奥の手をかりてアイロンとアイロン台をゲットし、ノンアイロンのシャツにアイロンを当てようと、アイロン台にシャツを広げて取り掛かったまでは良かった。


ここまでは良かった。


出発予定時間まで残り3分


しばらく使ってなかったであろうアイロンを急稼働させ、さらにスチームまでGO!したものだから、原因不明の液体が噴出し、白いシャツに錆色のシミが広がった。「終わった」誰もがそう思ったであろう瞬間、私は猛省するとともに一縷の望みにかけ、洗面所に駆け込みシミのついた袖部分を洗濯洗剤で手洗いした。まるで深夜の海外通販のごとき手腕により、見事にシミは落ち、シャツは干される直前の状態オーバーキルにまで復帰してしまった。

乾燥機にかけている暇はない。

よく見れば左半身は無事だ。右半身に気持ちばかりのドライヤーをかけ、再びアイロンのもとへ。悪いのはアイロンではない、急なスチームが悪いのだ。ドライだッ、SUPER ”DRY”ドッラ~ィだよ、いま必要なのはドライだから!もう残り時間なんて見ていない。最悪、焦がさなければよい。というラインまでボーダーを下げて必死で手を動かした。

これはもう、乾いたといっても清少納言ではない。という当たり前に意味の分からない宣言を頭の中で繰り返しながら車に乗り込む。出発予定時間に遅れたからと言って、「はやく出せ!!」と焦って運転手を怒鳴りつけることはしない。それは、紳士として当然の行為であると同時に、運転するのは私以外の何者でもないわけだから、存在しない運転手に対して声を荒げることも、優しく気遣うこともないのだ。やれやれだぜ

世の中には、何でも当たり前のことだと勘違いしている人が多すぎる。シャツがハンガーにかかっているのは当たり前のことではないのだ。今回の話を通じて、私が諸君らに伝えたいのはそういうことだ。

今後の人生の中で自ら「ルーティーン」などと、こそばゆいことを言ってチョーシこいてると、いつか痛い目に合うから、日々を堅実に生きなさい。
わかったかね?

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