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令和6年10月19日(土)のあたりさわりないエッセイ日記

今年も10月1日から31日まで毎日エッセイ日記を書くことにしました。


本日のテーマ
苦労して当たり前という風潮

 今日は仕事が休みなので日頃思うことをエッセイにします。

 これから名前を売る新人俳優や新人作家などのインタビューや対談記事を読むとたいがい苦労話が出てきます。
 実は順風満帆にみえても苦労しています、
 実はですね……と。
 で、わたしはソラキタ、と思います。ハイハイハイハイ……と思います。

 みんな苦労しているのは当たり前ではないですか。どういう種類の苦労であっても苦労してこそ人間ではないですか。それが何らかの理由で一気に有名週刊誌や雑誌に目立ったとたんコレです。
 バックについている企画会社、プロモーターによっては、扱いも大きくこのエピソードも宣伝を兼ねて広めようという意図が感じられる。その時も、ハイハイハイハイ……と思います。
 ただ作家の場合は、苦労してこそ書ける作品もあるので、トータルでプラスマイナスゼロになると思う。
 親ガチャ、経済ガチャで人生に不利な成育歴だと知ると、わたしも書く側なので、作品を読んで、ああそれで、作中の人物はあの書き方なのかと思う。作者による心の断片みたいなものを感じる。間違っているかもしれないけれども。
 また己の書き方の参考にすることもあります。

 そして最近は2世もまた注目します。女優、俳優、作家、政治家。親が著名であるほど名前を広める点では有利だが、子の性格でそれを割り切って利用するかしないかで生き方も作品も変わる。ただ著名人で親と仲が良いアピールをするのは珍しい。
 私見ですが2世作家は、創造的な面では不利に傾くような気がします。有名作家の親の死後、親の著作権で出版社の人から気を遣われているのがわかってその複雑な思考を書いたりで。
 2世にしか書けない話を読むのは好きだが親がその人だから読むというのは、あるので当人には有難迷惑だろう。色眼鏡がついてまわる。その色眼鏡自体が苦労になる。

 なんらかの苦労話や挫折話をしておかないと、ひいきをしてくれるファンが大勢得られないだろうから……というこの風潮ってよく考えると変だけど、成功譚にはついてまわる。……多分わたしの思考が変なのだ。あの人はあれで苦労されていると思われた方が今後の活躍に応援も得られるパスポートに感じる。
 わたしのような庶民は、結局一番好き放題な言動ができる。無名が一番気楽でいい。


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本日の作品紹介
「豪華客船」

 それに乗船すると時間の流れがゆったりで何も考えずに食べたいものを食べたいだけ。寝たければ好きなだけ寝ることができる。

 A子は疲れていた。だから定年退職と保険の満期でまとまったお金が入ると、すぐに申し込んだ。家族や友人がいないので一人だ。一番安い部屋にした。長年の夢がやっとかなった。身体が動くうちは好きなことをしよう。中古のロングドレスを二着購入し、社交ダンスを基礎から教えてもらって毎晩踊った。疲れたら眠り、起きたら食べる。夢のような時間が過ぎた。気が付くと半年以上がたっていた。

 フロントに行って「下船したことがないのに今気づいたが私は大丈夫か」 と、訴える。天女のコスプレをした美しいマネジャーが出てきた。

「これは客様だけの特殊な浦島太郎現象でございます。超過代金不要ですが目覚めたので次の港で降りてもらう」

 記念品としてリボンのついた正方形の箱をもらったがA子は怖くて開けられない。

小説家になろう/
ふじたごうらこ

ありがとうございます。