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令和6年10月12日(土)のあたりさわりないエッセイ日記

今年も10月1日から31日まで毎日エッセイ日記を書くことにしました。



※今回は以前に書いたエッセイの検証です。霊的な話がからみますので、それ系の話が嫌いな人は申し訳ないです。(別のページに飛んでください)

初出は約3年前です。2021年。小説家になろうのサイトです。
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NOTEの人は、わたしの過去のエッセイを読んでいない人が大半だと思いますので先に転載します。その後について改めて書いてみます。

↓ ↓ ↓(小説家になろうのページです)https://ncode.syosetu.com/n0043gn/51/

引用でもって転載します。文中の「J」 はわたしの叔母のことです。
いらない人は読み飛ばしてスクロールしてください。(読まなくても大丈夫です)
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第五十一話・霊能力者との会話、天国や地獄、霊障の話

 ひょんなことで、商売気がない霊能力者と出会いました。生年月日も住所もなにも告げないで霊視する。そんな人いるのか、ふーん……というわけで、半信半疑で行ってみました。電話予約もあっさりと取れるし第一料金が信じられないぐらい安い。

 私が聞きたいのは霊障云々ではなく、悪人は死後どうなるかという話。その人に叔母Jの話をして結果的に無神論者になったというと、実はあちらも無神論者だという。霊能者なのに無神論者なんだ……へーえ……というわけでエッセイに書き留めてみます。この人をNとします。

 叔母Jについては霊視するまでもなく、なるべくしてなったという。以下は私とNとの会話です。私は時間的な制約もあるので、最低限の前振りしかしてない。それでもちゃんと会話がかみあっていて、今更ながらこれを書きつつ驚いている。話の流れを全部把握しなくても先読みして返答している。霊能者だからではなく、単に敏い人だと思うがどうだろう。



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 以下は私、Nと会話が交互に続きます。

「Jがやった勤務先横領、私文書偽造、同行使罪などの罰がない。私の実家は犯罪隠ぺい用に利用され尽くし。それゆえに私は怒っていますがそのままにしても、Jの死後は地獄に行くというのはアリですか。それともナシですか」

「天国地獄は元々ないと考えています」

「じゃ、犯罪はやったモノ勝ちなの」

「はい。その通りです。甘い汁を吸える立場になったら、人間はとことん甘い汁を吸う生き物です。たとえ肉親を利用してでも。それが人間の本性です

「じゃ、利用された側は泣き寝入りなの」

「そういう言い方は好きじゃない。仮に犯罪被害者となっても、加害者に復讐したり罰したりすることを望むよりは、別の新しい道をさがして生きた方が結果的に得だと思ってほしい。第一そういう犯罪ができる人は、もともと他人の感情なんかどうでもいい。反省させること自体がどだい無理な話です」



 それ以降は、堂々巡りになることが推測でき、私は話を切り替えました。私が医療従事者であることを打ち明け、霊的な病気や霊障は本当にあるのかと聞きました。興味があるからです。

 するとNは「ある」 という。本来の病気と、霊的な病気は人間には区別がつかなくても「ある」 らしい。でも証拠は提示は誰しもできない。まさに信じるか信じないかの世界。

 Nがなにを聞いても許容範囲が広く怒る人でないと悟った私は、ぶしつけながら生い立ちなどを伺った。霊能力に関しては、四十歳を過ぎてから突然出てきたという。修行の類は一切なし、ごく普通の仏教徒の家に生まれている。生来の持病ありで臨死体験をしてからこうなったという。その能力も授かりものなどとは考えてない。仏の力がどうのこうのではなく、あくまで自然体で余っている時間で相談者の質問に答えている。Nは霊能力も特に磨いたり向上を目指していない。私の母が信仰していた自称霊能者の仰々しいやり方とはまったく違う。上から目線に私は敏感だが、Nに関してはそれはなかった。霊能者にしては自然体すぎる。Nの年令を聞いたら、私よりずっと年上だった。若く見える。

 私は質問を重ねる。

「……では、霊障からくる病気が存在するなら、たとえば医師が治療して治した場合は、その霊だって病気が治るのですか」

「はい。一緒に治ります。本体が治ればそれはもう見違えるように顔色もよくなって霊も離れていきます」

「そうなんだ……となれば医師も知らずして、人間と、その人間に取り次いでいる悪い霊魂を一緒に治療したことになりますね」

「はい。どういう言い方をしたら理解してもらえるかわかりませんが、そういうことです。そして私もまた簡単なものなら相手に害をなす霊を弾けます。その場合も病気は治ります」

 三十分に満たない時間でNの心情は理解できぬ。見えない世界が見える霊能者VS人生に懐疑的な私の構図は珍妙だ。しかしNは穏やかな笑顔で私を見ている。金儲けでは、なかなかここまで話につきあってくれない。

 私には肉腫があるが、Nはその場所をあてた。なぜわかるのだろう。ちかっとするからわかるという。Nは理屈ではない世界に生きており、職業として迷える依頼人の悩み相談に応じている。そんな霊能力があるなら、また私の体内の肉腫を取れるなら取ってほしい。

「良性の場合はぼくはあえてしません」

 断られた……良性を散らすと逆に悪化するという。これも検証できない。それにしても犯罪はやったモノ勝ちって、霊能力者からはっきりと言われるとは思わなかった。

 Nはまったくの趣味でやっている。ホームページなし、完全な口コミで数珠や経典、お守り販売などもなし。ごく普通の服装。仏像やら仏具、水晶などの道具類はまったくなし。メモ用紙と筆記具しかない。


↑ ↑ ↑(以上転載終わり)


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 いかがでしたか?
 医療関係者なのに、こんな話を書くなとか……いう人はいますかね? でも、わたしはこういう話は大好きです。母の人形状態から好きだったというのは、不条理な世界に我が身を置いていたからではないかと自己分析している。
 母は、占い関係が好きだったが、わたしは母経由の占いでの決めつけが不快で(しかし文句は言えなかった)良いことがあれば、占いがあたったといい、悪いことがあれば、やっぱり占い通りになったと満足げにいう。母は占いが好きすぎて、家族や親せきに占いによる行動を強要する女でした。方角が悪いからそっち方面に行ってはダメとか。それが善意だと信じている女。

 そんな母親が愛でる意思のない人形娘(←わたし)はパソコンもない時代から、先祖霊から何もしていないのに、いじめられたり、引っ越した家にすみつく怨霊からひどい目にあうような話を好んで読んでいました。
 生まれなかった水子、生まれていたら兄弟姉妹になっていたはずの霊からひどい目にあわされたりで昔の幽霊話には、そういうパターン化がありました。怨霊話が好きだという子どもって変でしょ?

 いまにして思えば母がわたしの怨霊でした。無意識ながら、それをわかっていた。諦めをもって不条理な怨霊話を繰り返し読んでいたとも。

 さて、この霊能者Nさん。
 今でも読んでいて、話がかみあっていたのを不思議に思う。ごく普通のひとですよ~と本人も謙遜していたが、しょっちゅう予約の電話がなっていたので人気のほどがわかる。Nさんのスマホの電話は対話中もマナーモードにせず鳴らし放題で、取るときと取らないときがあった。わたしの時は2,3回のコールですぐに取られたが、別のコール音では無視をする。今のこれ、わざと取ってないよなと思ったりもした。

 なんにせよ、神仏はいないと言い切る人は他にも知っているし、60歳を超えて生きてきたわたしもそんなのいないと言い切れる。全世界の宗教関係者全員から怒られるでしょうが、あれって、はっきりいって商売道具のネタですよね。

 宗教に対する信仰心は、生きている人間への影響は数知れず、歴史を動かしているといっても過言ではない。しかし、この人の場合は信仰心はゼロというのが面白かったし、少額で会話ができるというのもよかった。
 通常より不思議な力を持ち、これを最小限のお金でもって助言という形で提供してくれるのは助かる。でも、もう行かない。なぜなら、母のようになりたくないから。
 結局は自分の人生のかじ取りは自分でしなければならないことがよくわかったから。


 肉腫の件ですが、これは場所をあてられて本当に不思議だった。あてずっぽうではない。わたしはがん検診でひっかかり、生検までいった。前がん状態でわたしはこの三年、免疫を上げるために食事を変えた。結果跡形もなく消えました。
 これについては、次の日にまた記事をUPします。

(続く)

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(本日の創作)
何を血迷ったか演歌作詞にチャレンジしました。
でも演歌ダメだわ。というより、わたしは恋愛絡むと
経験不足で語彙力や企画構成力全部ダメだ。

本作は著作権放棄しますので改作や作曲など
好きにしてください。

うちは あんたが 好きやねん

好きで好きで たまらんねん

寒い冬の日に あんたのために作った 豚汁

飲んでくれたあとの温かい汗で 愛を感じて

愛を感じて

ああ あたしは あんたをもっと抱きしめたい

抱きしめて あんたの髪のにおいを

感じたい

ああ ほんまに うちはあんたが だいすきやぁ



うちは あんたが 好きやねん

好きで好きで たまらんねん

暑い夏日に あんたのために作った かき氷

食べきったあとの冷たい汗で 愛を感じて

愛を感じて

ああ あたしは あんたの胸の広さを感じたい

もっと感じて あんたの笑顔に

癒されたい

ああ ほんまに うちはあんたが だいすきやぁ





うちは あんたが 好きやねん

好きで好きで たまらんねん

被災中に あんたのために作った 折り紙を

ようやく渡せて 笑顔見て 愛を感じて

愛を感じて

ああ あたしは あんたの度量の広さを感じたい

もっと感じて あんたの身体に

魅せられたい

ああ ほんまに うちはあんたが だいすきやぁ

ふじたごうらこ



ありがとうございます。