難聴者に対する思いやり、親切という名のいじめ
私には感音性難聴があり補聴器を使用しています。これについてのもやもやが幼少時からありました。この世は耳が聞こえていて当たり前の人から気遣いをいただくことがあり、それには感謝しています。しかし、親切にもいろいろあります。個人的には今回の話はどなたにも読んでほしいです。
たとえば車椅子の人がいて、通りやすいように道をあけるなどはどの人も、さりげなくしていると思います。今回の話はそうでなく、意識的に難聴をあげつらう人の思い出話です。相手は意地悪とは思わず、難聴者でかわいそうだから親切に「してあげているワタシエライ!」 と思い込んでいます。
これは悪気の有無は関係なく、親切にされた対象の人間にとってはかなりのストレスと複雑な感情を想起させるというのが今回のテーマです。つまり、
親切に「してあげているワタシエライ」 人間
……の話です。上記のわざわざカギカッコをつけた文面が今回のイラクサのテーマ。イラクサは花言葉が悪意ですので、心の中のもやもやを勝手にイラクサと名付けてエッセイにしています。ひねくれ者と罵られることを覚悟で書きます。行きましょう。
私の高校時代にあるクラスメートの一人に、この「してあげよう」 をこれ見よがしにする女がいました。小学校時代とは違って他者の目を意識してやる。まだ十代なのに、こういう性根の腐った根性の悪い婆のようなのもいます。
Kとします。彼女は悪気と悪意をもってする人でした。もともと私は聞こえが悪く、親切と気遣いを受ける側であります。親切を受ける側としては、この気遣いに「感謝しないといけない」 側でもあります。それは一種の心理的圧迫でもありなんともいえない哀しみもあり……思春期の私は聴力いじめも受けていたので複雑な気分を味わっていました。
特にこのKは「ワタシ、気遣いができてるでしょ、ワタシって親切でしょ?」 というアピールがひどかった……親切ごかしという言葉そのもの。これが相当なイラクサでKの得意な音楽の時間が一番ひどかったです。
あるとき、音楽の時間に数人一組でなんでもいいから一曲弾くことになりました。ピアノ、ハーモニカ、フルート、歌、どういう組み合わせもいいからとなったのです。席の順番で私と一緒になった人に例のKがいました。とりあえずの一曲なのでなんでもいいや、となりました。私はピアノを弾けますのでピアノ担当、Kは歌が得意ですので歌担当。あとはリコーダー複数名。Kは合唱部所属でかつ仕切りやさんでしたので歌を歌える人がもう一名欲しかったようです……が、私は音痴だしリコーダー希望の人は断固拒否。歌を人前で歌いたがる人はやはりある程度は上手という自信というか自負がありますね。たいていの人は恥ずかしがって尻込みするのは当然かと思います。
別のグループでは音があるピアノなどは使わずまた歌える人を一切使わず全員カスタネットなどの鳴り物というグループも。つまり自由があったのです。Kはフルートを弾く人や歌がクラス一うまいとされている人と組みたかったらしくいいなあ、と言っていました。Kが私の所属を快く思っていないのはわかっていました。しかしKは表立っては不満を言いませんでした。逆に私に不要な介助をこれ見よがしにしました。この辺りがKのズルいところです。
音楽室を交代で借りて練習をするのですが、Kは毎回ピアノを弾く私の横に座って不要な「介助」 をしました。私の言う不要な介助とは私の背後にまわって背中ととんとんと叩いてリズムをとること。繰り返しますが私は感音性難聴です。見た目ではわからぬ障害です。女性の声はほぼ問題なく聞こえますがわかる音域であっても高低がわかりません。しかしながら幼少時からピアノやバレエを習っていて、下手ながらもリズム感はあるつもりです。そして私は聴力は極端に声の低い人、鼻声の人、マスクの人はアウトだが近くで歌う人は問題なく聞こえている。これを何度説明してもKは理解してくれない。
「遠慮しないで」
これがKの言い分です。やめて、というと背中の叩く強弱を弱めてはくれるが、でも叩くのはやめない。しかも前奏曲はピアノから開始なので「イチ、ニのサンハイッ」 というKの合図も不要のはず。私にとって、Kの合図と背中を叩かれながらピアノを弾くのは相当なストレスでした。音楽会がこれでいくならば欠席しようかとまで悩みました。リコーダーの人はKは音楽に強いのを知っているせいか黙っていました。また練習でこの状況を見ていた他のグループの人も黙っていました。
Kは私が嫌がっているのは理解していたはずです。いい加減にして、と私が強く抗議すると「わかった」 といって練習の時は控えてくれました。でもKは気遣いをしてあげたのに、と抗議されたことに怒ったのでしょう。私は本当に舐められていました。
……読者さんはこの後の展開は容易に予測がつくと思います……音楽会当日……Kはピアノ用のイスを別の部屋からわざわざ用意して私の横にびっちりと座り、練習の時以上に私の背中をたたきました。それはもうイタイぐらいに。歌うはじめから。直前の練習の時は背中を叩くのはやめてくれたのに、本番で最大限の背中を思い切りカウントをとって叩くのです。背中からのど元まで響くように叩かれました。ばしんっ、ばしんっ……と音楽室中に音楽よりも音が響いていたはずです。それがKの私に対する思いやりという名前の仕返しでした。
私はピアノを弾くのをよっぽどやめようかと思いましたがリコーダー係は演奏をはじめていますし、迷惑がかかる。私は俯いて最後までピアノを弾きました。Kは最初から最後まで私の背中を強くたたきながら歌いました。Kは私の某を介助しつつ上手に歌える「ワタシエライ」 アピールができてさぞ満足だったと思います。私たちの番が終わった後、私が精いっぱいの抗議で「痛かった……」 と言ったら「あらそお? でもおかげでリズムはあっていたでしょ?」 と言いました。忘れられない。
曲が終わった後、礼儀上拍手が来ますが、俯いて席に戻る私の顔を気の毒そうに見る人、面白そうに下からのぞき込もうとした人、いろいろいました。Kは上機嫌でいました。普段話すこともしない私と音楽演奏を組まされて不満だったが、介助アピールもできて、これで縁が切れたしよかったと思っていたのでしょう。
私にとってはあれが人生史上最低の音楽の時間です。これを書いている今、私はあの時の怒りが再現され手が震えています。体があの時の怒りの感情を覚えているのです。あの時曲を弾くのを中断し横にいたKを殴ればよかった、突き飛ばしたらよかったと今にして思っています。音楽会なんかどうでもいい。今現在の私ならそれができます。でも当時はできなかった。私は気が弱かった。当時は大勢がいる場では居場所がない、存在する資格がないとまで思っていた人間ですから……。
本当に数十年たっても忘れられない。これも罪にはならぬが、私にとっては相当な罪です。Kは私が嫌がっているのを承知でやったから。
そんな最低なKにされるがままだった当時の私も大嫌い。でも過去は変えられない。だからこれもここに書いておく。
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現時点、そんな状態に置かれている読者さんがいたら、また周囲もしくは特定の意地悪な人間に理解してもらえない読者さんがいたら、いや、いると思います。善意を表に出している以上、周囲の先生も親も助けてもらえない場合もあると思います。
介助が必要なのは確かでしょ、とかね。
とにかくその親切に感謝しなさい、とかね。
「私、親切でしょアピール」 をしてくるうざい人々の存在……障害を持つ人間にとっては大変大きなストレスです。「感謝しろ」 といいますが度がすぎる相手にも感謝なんてできません。感謝の言葉を期待する人間に対してもです。
介助を受けざるをえない人の心情を踏まえたうえで接するのが本当の思いやりのある人です。親切アピールをする人、かわいそうにと同情してくる人がいるということは、もっとはっきり言えばそれをされるあなたは残念ながら「好かれていない」 ということです。嫌われているのです。
そう、私もKから嫌われていた……でもKは私と組むのをイヤとはいえなかった。そのストレスを「私、親切でしょアピール」 になったのでしょう。
Kは私の存在が不快だったのを、私に親切にすることでその不快な気分を払拭できたのです。そして逆に私にとって一生消えない不快で屈辱な思い出になった。
やはり健康が一番だよね? その概念がこの世にある限り障害持ち人間が不快な思いはするかと思います。どうして私だけが、と悩むなどね。
でも某は本当はですね、一言でいえば以下の通りです。
↓ ↓ ↓
「この世は障害がない人用に作られているので、不便なだけ」
↑ ↑ ↑
だと考えを切り替えて割り切らないとストレスの元ですよ。私はそう思っています。
私は障害者は親切にしてもらって当たり前だと考えているなどという批判を目にしたことがあります。でもたいがいは親切にしてもらえば相手に感謝すべきだと思っています……当たり前となんか思っていません。その書き込みをした人はせっかく「親切にしてあげたのに感謝されなかった」 ことについて怒っています。でも私から言わせてもらえば、相手から感謝されなかったのは、発言者の行動に己の親切心に酔っていたかもしくは、思い上がり、親切ごかしの感情を察知されていたのではないかと思いました。
私もKからまた親切に「してあげた」 のに、と思われている立場です。Kは私を傷つけた意図もないと主張するでしょう。Kはその主張ができる側の人間なのです。
私はKのこの一連の行為でKが「私と一緒にいることを好んでいない」 と看破していました。つまり遠回しに「一緒にいることが不快」 とされていたということです。期間限定とはいえ、音楽会のために嫌いなのに練習で一緒にいないといけない。先生の目もある。そういうことであの強い背中叩き=親切アピールになったと思います。
それ以降私は終始Kとは仲良くもしないし目もあわせませんでした。Kは平気でした。どうでもいい相手だからこそあの「親切」 になったわけです。
周囲には障害持ち人間(この場合私)を嫌ってはKの立場が悪くなる。それは絶対にイヤ、というわけで逆に親切にしてやる、ということです。
今回は要は嫌われモノの思い出か、と思われたらそれまでですが、親切にもいろいろあると言いたくて書きました。聴力に関しては私の脳内にはイラクサがそれこそいっぱい生えています。一冊の本がかけるぐらいです。でも今となってはいじめにもあったが、己自身の感情の考察や相手の人間の奥深い闇の部分もどうしてこうなったのかを推察できるようになったという面ではよかったと思っています。だって、私は考える側の人間だから。
ありがとうございます。