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劇場版輪るピングドラム前編を見てから心奪われてる話

RE:cycle of the PENGUINDRUM[前編]君の列車は生存戦略を見て1週間。ネタバレあり

はじめに近況報告的なやつ

色々忙しくて、書きたい話とアウトプット以外のこととでいっぱいになって、もうええや!でnote放置してたんですけど、これは自分の中のものを出さなきゃ進めない、という熱に犯されたのでお久しぶりに書きます。アウトプット久々すぎるので変でも許して。
(ポケモンシンオウ地方ネタ(DPキッズです)とか考えてたんだけど、ポケモンというコンテンツが今までの、そしてこれからの生涯に関わりすぎたクソデカ感情すぎてまとめきれなかった)

今年入ってから映画では電脳コイル大好きだった元幼女として「地球外少年少女」が刺さってたり(名前を出したら当時のことが思い出したので『少年少女が自分たちで選び掴み取る、しかしながら「必然」』がすごく好みでした……)
テレビ放映されたものだと、昨年から年をまたいだワールドトリガーやべ〜!!!!→鬼滅やべ〜!!!!!とジャンプに骨抜きにされたり、羅小黒戦記を見て好きになってなければ見なかっただろう時光代理人が思った以上によかったり、二次創作ボーイズなLoveにちょいちょい触れてきた女オタクとして人気が凄いらしいという印象だった最遊記をゼロ知識で見て知見が深まるしおもしれーアニメ(後方腕組漫画ポチる3秒前)
などなど、元気にオタクしてました。

そんな中、10年前に家族が見てたものを横で見て、のちのち高校図書館にあったノベライズ(どんな高校かと言うとすごくラノベの蔵書が充実したいい図書館の高校)を読んだ「輪るピングドラム」が劇場公開するぞ!と1か月前劇場版・ゆるキャンの前売を買いに街まで出た時に一緒に買った前後編の前売。GWに見てきました。

「輪るピングドラム」とは

幾原邦彦監督により、星野リリィキャラクター原案で、やくしまるえつこが主題歌を歌う2011年に放送されたアニメです。

詳しい解説はしないし、出来ないし、私なんかの記事読むよりもっといい人紹介しますぜ?って感じなので劇場版のあらすじだけ引用します。

これは、ある兄弟妹と、突然やってきたペンギンと、この世界の過去と未来についての物語である——。
病気の妹・陽毬の命を救うため、謎のペンギン帽の命令により「ピングドラム」を探す高倉家の双子の兄弟・冠葉と晶馬。自身の運命を信じて日記に書かれた出来事を実現しつづける荻野目苹果。新たな運命を導くため萃果の日記を手に入れようとする夏芽真砂子。大切な運命の人を取り戻すために目的を果たそうとする多蕗桂樹と時籠ゆり。彼らはそれぞれの運命と大切な人の為に「ピングドラム」を追い続けたのだった。
あれから10年——
かつて運命を変える列車に乗り込んだ冠葉と晶馬が、運命の至る場所からひととき戻ってきた…。

劇場版輪るピングドラム公式サイトより

きっと何物にもなれないお前たちに告げる──

私がピングドラムにしっかり触れたのが高校生の時、何物でもないけれど、まだ何者かになれる気がしていた頃。

それから5年(訂正、高二とかで読んだ記憶はあれどナチュラルに計算ミス。5年前大学生だってばよ…)7年と少しぐらい。大学生と就職活動を経験して、「何物でもない」側にいる。

ざっくりあらすじ

劇場版はTVシリーズ最終回後の冠葉と晶馬が彷徨い、自分たちが何者か、一体誰なのか忘れてしまったところから始まる。
謎の赤ちゃんペンギンに導かれるままやってきた図書館で「かえるくん、東京を救う」という本を探す。
その中でまたもやペンギンにそらの孔分室へ誘われ、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルの衣装を見に纏った桃果に「運命の乗り換え」を完了させるために、なすべきことを思い出すよう言われ、「かえるくん、ピングドラムを救う」という本を読んでTVシリーズの過去を思い出し、自分たちのなすべきことを知る、総集編でありながら結末は最初に出ているような構成となっている。

生存戦略ー!!!

当時は、考えるな!感じろ!!スタイルが今より強かったので、久々に触れた今作で滅多打ちにされました。

ピンドラの元ネタ部分(95年のアレ)について、昔よりは少し詳しくなったし、この物語の顛末をわかってて見るのは初めてだし、SNSで見受けられた(この表現は好みがあるようですが)「さらざんまいの後の幾原邦彦監督」でもあれば「さらざんまいを実際に毎週楽しみに追いかけた後の私」ってのもあるとは思うんですけど、現状何者にもなれなかった私はギャグ要素が前編では強いのに、強いはずだし劇場でめっちゃ笑ってたのに、なにか奥歯に詰まって取れないように、気になって気になって、仕事中もどこか引っかかってるような感覚に陥ってしまいまして。

運命の果実を一緒に食べよう

小学生の時に「宮沢賢治の名作に触れよう!」みたいな授業が同世代ならあったんじゃないかな?教科書に「やまなし」が掲載されていて、クラムボンがカプカプ笑ったりしてたんですけど。
その時に、連動授業で「好きな宮沢賢治作品で絵を書こう!」って図画工作でやりまして、いくつか読んだ覚えがあるんです。

その時にピンドラのもうひとつのテーマである「銀河鉄道の夜」に挑戦して、時代的な仮名遣いやら宮沢賢治独特の言い回し、文章で内容が入って来ずにリタイアした記憶からなかなか読めてなかったんですけど(余談ですがその時は猫の事務所の絵を描きました)今はオーディオブックたるものがあるし、ようつべに朗読動画ぐらいあるのでは!?って文章が苦手なことを無視して文明の利器を使って映画を見た後に思い立ってようやく内容を知りました。

銀河鉄道の夜は(それこそ猫の姿が有名なますむらひろし氏による漫画版は今現在も3回目の銀河鉄道の夜を書いているらしいし)未完ということを除いても解釈がいっぱいの、難解な話だ……と思いながらも、輪るピングドラムというアニメをきっかけに改めて読んだ(聞いた)物語は少し理解出来たような気がして。(ま、おかげで理解できそうでできない何かとしてピンドラの隣の奥歯に詰まりましたが)

テレビ版冒頭では2人の少年が高倉家の前をこんな話をしながら通る。

小学生A「だからさ林檎は宇宙そのものなんだよ。
      手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
小学生B「あっちの世界?」
小学生A「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
小学生B「それと林檎になんの関係があるんだ?」
小学生A「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
小学生B「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」
小学生A「おしまいじゃないよ!
      むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
小学生B「わかんねぇよ。」
小学生A「愛のハナシなんだよ?なんで分かんないのかなぁ~。」

輪るピングドラムwiki

これはピンドラの、ひいては幾原邦彦監督の解釈でもあり、また「輪るピングドラム」という作品を表すセリフであったのだと、銀河鉄道の夜を履修して深く痛感した。

私は幾原邦彦作品のユリ熊嵐、少女革命ウテナが履修できてないオタクなので(ユリ熊はちょっとだけ履修して、でも最後まで見れていない)ピンドラとさらざんまいしか引き出しがないんですが、

(さらざんまいについて、少し愚痴混じりの情報漏洩しますと、完全にSNSの弊害なんですがさらざんまい最終回放送当時は死亡説が横行してまして。それに対しイクニ作品ファン強火が強い言葉で反論してるのを見てしまい、「アッ……ワ……ワ……」ってちいかわのようになってアウトプット出来なかったので、自分の言葉として消化しきれてない部分が大きいです。上から風になりますが、当事者はそんなこと思ってないかもしれないけど当時の誰が悪いとかではなく、リアルタイム性の高いSNSの発達した時代だから1回自分の中で落とすではなく、自分もよくやりますが呟きながら落としていく作業が良くも悪くもああなってしまった感はある。知らんけど。
詳細知りたければまとめがあります…結構言葉強いから今読んでも多分しんどい。)

自己犠牲の傾向が強いらしい幾原邦彦作品において「自己犠牲はダサい」と作中でいい切った後の今作ピンドラ。(そういう面で前述の「さらざんまいの後の幾原邦彦監督」)

前編だけ見てここにたどり着いてしまった人にはネタバレになるのですが、「愛による死を自ら選択した者」は冠葉であり、晶馬でもあるんですよね。
でもそれって、さらざんまいでダサいと言った「自己犠牲」でもある。

なんならピンドラの主要人物は須らく「愛または罪による呪い」によって「自己犠牲」を選んでいる/選んでしまった子供たちであると思っていて。

ただ、さらざんまいもピンドラもすごく表面的な所だけを拾うと「つながりによって、罪や罰を感じた子供たちが、つながりのために選ぶ話」ではある。(さらざんまい前後で区切るのに苦言を呈している声の正体はここら辺なのかな)

「みなのほんとうのさいわひ」のために「どんなことでもした」双子はどこへ行くのかは後編次第!

後半の内容ですが、まぁテレビ版(私がよく記憶してるのは小説版)の話なので思いついたら出しとけ精神で。

運命の果実を分け合う=キャッチコピー「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ

で、ひとつ私の大好きな作品でも分け合う(?)描写があったなと。

京騒戯画っていう2013年に放送されていたアニメ。
主人公コトは母親を探しに鏡の都「鏡都(キョウト)」にやってくる。鏡都には同じ母親の帰りを待つ姉兄がいて……っていうとある家族の話なんですけど、そこでも「果実を分け合う」というシーンがある。(アマプラで確認しようと思ったらなんか入れバカヤロー!って言われたので、DVD引っ張り出すのを不精して話数は書きませんが)

リンゴはピンドラ中では運命の果実として出てきますが、聖書等では「禁断の果実」として出てくる。

アダムとイブが分け合った禁断の果実と言えばリンゴの他にもイチジクやブドウなどなど、これまた解釈多様なものだけど、そのうちの一つに京騒戯画で分け合う「ザクロ」があったなぁと。

ザクロはお釈迦様が鬼子母神に「人肉食べたいならザクロを食べるよう」助言した果実で、リンゴがキリスト教に近いならザクロは仏教に近いのかな?と厨二病真っ盛りに思ってた記憶が思い出されました……仏教に禁断の果実なんて概念はないのにね……。

時系列的にはピンドラの後の作品なので、影響を受けた可能性もありますが、よく良く考えれば構図が似てる部分がある。

・ピンドラ
高倉三兄妹がリンゴを分け合う。
リンゴは罪でもあるが、ご褒美であり、愛の象徴。
両親からの愛を知る冠葉が愛を知らない晶馬へ渡した。
そして愛を貰った晶馬は陽毬へ愛を渡した。

・京騒戯画
深層心理みたいなイメージ描写ではあるんですが、
薬師丸が明恵上人より渡された命の証、ザクロ。
食べれずのずっと抱えたままだったけれど、末の妹・コトがぶんどって(?)一緒にザクロを食べるのを感じた薬師丸。
(その後、薬師丸はコトに罪ともなる己の願いを託す)(なんなら明恵上人=子供らのパパは子供らに自らの枷を渡してる)

果実は愛を選ぶしるしであるけれど、それと同時に罪も渡しているのすげえ似てる……ってあれから9年目にして気づいたよ……。(脱線したけど、ピンドラ好きなら多分好きだからぜひ見てくれよな京騒戯画!)

きっと何者かになれるお前たちに告げる──

あの頃から比べて何者かになれたとは言い難い、特別愛を誰かと分け合うでもなく、罪も分け合うでもなく、あのころの繋がりから大きく変わらずなにかを大きく選ばず今に至ってしまった私にも、桃果のプリンセス・オブ・ザ・クリスタルは双子越しに告げた。

死を自ら選択した自己犠牲は自分を度外視した、ある意味独りよがりな「みなのほんとうのさいわひ」、みなの中に自分が入っていない、という部分についてさらざんまいではその部分を否定したのかな。欲望を手放すな=自分の「さいわひ」を手放すな……的な。

(所詮作り手じゃないし、いくら客観視しようとしてもそれは自分の主観でしかない、どう足掻いても主観であるっていう考えなので解釈ちがーう!!!って怒らないでください。かなり怒ってるのを目撃したのが尾を引いてしまってる)

「何者かになる」という自己実現、いわば欲望。それを諦めていて、自らを犠牲にして、愛する者を守った双子へ告げられるその言葉が指し示す道を早く見たいなぁ……。

後編を待てしばし!!!

後編主題歌となるやくしまるえつこ「僕の存在証明」も後編のサブタイトル「僕は君を愛してる」も良すぎてやっぱり7月まで囚われっぱなしじゃぁないですか。

PS:自分の記事見直してて前回の本誌ヒロアカで狂ってた時も雨ニモマケズで宮沢賢治の話を出してて笑ってしまった。宮沢賢治今日の作品に影響与えまくりなんよな。すげえな宮沢賢治。
さすがに次はゆるキャン△が待ち受けてるのでないと思うぜ…ゆるキャンの前に犬王行きたいなぁどうしよっかなぁ(チラッチラッ)してるのでそっちになるかも。多分ゆるキャンはアウトプットしないと持たない体になってる。

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