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20代中頃の俺へ

 昔から、本気で頑張れない人間だった。小中学生の時の夏休みの課題は夏休み最終日に徹夜してやってたし、持久走なんて開始2kmの地点から歩いてしまうような奴。頑張ってる人を馬鹿にする事もなければ、だせぇと思ったこともない。ただ「すげー」とだけ。
 でも、自分は全力を出さない。

 ある時、本当に本気で取り組むものができた。それ以外のことは全部やらずに、それの事だけを考えた。一度火の着いたロケット花火の様に、何の疑いも迷いもなくそれに打ち込んだ。

 そして、挫折した。

 その時の感情の一つが納得だった。だからか、と。これが嫌だから全力を出せないんだ、と。
 本気で頑張った後失敗すると、自分が全部否定されてしまうからか。70%80%で挑んで挫折した時「まあ本気じゃなかったし」と自分に言い訳をするためだ。
 腐った根性だった。自分が嫌いだった。自己分析も出来ず能天気に笑える程馬鹿ではなかった。

 これを覚えると厄介だった。逃げれない。あの挫折を思い出すたびに、取り組むべき事の手を緩めた。まるでトラウマだった。頭の中で「どうせ失敗する」と言われ続けた。
 腐った根性はついに朽ち果てていき、
 そしてある日土へ還っていった。

 不思議な気持ちだった。気づいたら導火線に火はつき、目標に向かって一直線だった。
 同時に、またこの気持ちになれたことが嬉しかった。目標を達成する前に弾け飛ぶ程に。自分が好きだった。
 過去の失敗を忘れ、もう一度無鉄砲になる程には馬鹿だった。

 この道は困難だろうか。そうだろう。辛いだろうか。きっと辛いだろう。
 成し遂げる事は、出来るんだろうか。
 本気を出さないのは自分を守るためだろう。困難な道を選ばなかったのは、自分が失敗したくないからだろう。
 わかるよ。

 逃げて逃げて逃げた先に、灯火を持った願望が佇んで待ってる。そしてきっと言われる。
 「何があっても突き進め」
 そうしてまた導火線は燃え始める。

 誰も通ったことのない道の先に、辿り着きたい場所があるのだから。

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