THE BACK HORNが”戦う君よ”と歌うなら僕は何度だって立ち上がるだろう
最近、THE BACK HORNばかりを聴いている。
ご存知の方からすれば今更の話かもしれないが、THE BACK HORNと言えば超骨太の曲を歌い上げる世界観の濃いバンド。
ボーカルの声が、真に迫ってくる感じで、切なさも、叫びも、乾きも、美しさも、全て心に残り続ける。
どうだろう。上述した言葉の羅列を見ただけでも、この世界観という意味が伝わってこないだろうか。これこそが”世界観”。尾崎世界観なんて本当の世界観ではないのだ。というか、なんだこの芸名。正気か。成功しているから正気と捉えられているだけなのではないか。
そんなクリープハイプも敬愛する私だが「銀河遊牧民てwww」などと宣う言葉尻だけ捉えて冷笑するような輩はもう、平成に置いていこうと思う。文字列だけで体験もしていないのに知ったかぶりして語る時代は終わったのだ。
私は、このTHE BACK HORNの楽曲たちに「KYO-MEI」させられた。それは紛れもない事実なのである。心を震わされるとはこのことを言うのだろう、そう思わせるような珠玉の音たちを紹介して行きたい。
「刃」
私がTHE BACK HORNの何が好きなのだろうと考えた際に、曲のドラマティックさに魅せられているのだろうな思った。
曲の進行やボーカルの強弱、詩の壮大さが一つの物語を聴いているように感じるのだ。
「刃」はその中でも疾走感と共に力強いボーカルの声が重なる傑作。一人の男の決意と寂しさと叙情がこれでもかと留め込まれている。
やるしかない、そんな時に背中を押してくれる応援歌でもある。あと歌詞をじっくりと見てみると、男たちの物語としても完成されていて聞き応えが凄い。
「罠」
まずタイトルで「罠」て。その言葉を選ぶセンスよ。
しかし歌詞を覗けば、まさに”戦場”がテーマだというのがわかる。
そして、重々しいイントロからの疾走感とセンチメンタルが連なるサビは戦場に生きる少年少女の様を彷彿とさせるのだ。流石としか言いようがない。
これがガンダムの主題歌だと言うのも、なんとも歌からドラマを作るのかと思わされる強さがある。
そこで改めてタイトルが「罠」。すげえよな。
「コバルトブルー」
今世界でバズってるんですって。
やっぱりちゃんと良いと思っている人は評価されるのだなあ。
この叫びの声が、心地良くなるから強い。
「闇の沈黙(しじま)に十六夜の月」という端正な言葉と「変わらねえ世界」「くだらねえこの世界」という砕けた言葉が交互に来るのが気持ち良い。
「シリウス」
切なさと刹那さが迫ってくるメロディと歌詞。
日常や平穏が侵食され、それでも前に向かって進んでいこうとする人間たちの生命讃歌。
ラスサビの”生命(いのち)”を繰り返す箇所には、いつも心を奪われてしまう。
「ヒガンバナ」
彼岸花をタイトルに持ってくる才覚に脱帽。
荒々しいメロディや歌唱。
けれど猛毒を持つ花を冠して歌われる言葉には「どこまでも咲け孤独なヒガンバナ」「涙の跡が美しいから」と寄り添う姿勢が見られる。
時に応援歌というのは、ポジティブなものをまっすぐに受け止められないタイミングがあるが、この「ヒガンバナ」には良い意味で後ろ向きなパワーと、故に真っ直ぐ放出される人生への歓声が聞こえてくる。
「戦う君よ」
そして最近、ヘビーローテーションで聴いている「戦う君よ」。
この傷つきながらも前へ進む様を彷彿させる今作に私は人生の「もう無理かもしれない」というタイミングでそっと背中を押してもらった。現在も進行形で。
まず「戦う君よ」から始まる歌いだし。そして「世界を愛せるか」と問う力強さ。
先に手を出したからロシアが悪だろ。この時はまだ良かった。じゃあガザとイスラエルのことはどうだ。単純な二元論では語れない情景が今世界に転がっている。そして、その背後に”平和”という当たり前が当たり前ではなくなってきた我々の国の背景。
そう、我々は”戦う”ということを意識せざるを得ない時代を生きている。そしてその戦いは各々の人生の中、各々の生活の中に存在しているのだ。
「何故君は行く」「傷つき倒れても」それでも私たちは、それぞれの人生の裁量のために生き続ける。身体中に消えない痣や忘れられない傷痕を残しながら。
そんな人々に対して「何処までも行けよ」と力強く押してくれるTHE BACK HORNの言葉はどうしてここまで心に浸透していくのだろう。
「水たまり反射する飛沫あげて」の爽やかさと、それに相反する「泥だらけ」という言葉に「笑えたのなら」付随させる語彙力。そこに歌声が乗れば、心はひたすらに動かされるだけ。
どうしようもない世界。変えられない世界。セカイ系なんて言葉が薄っぺらな紙のように見えてしまう世界。それでも前に進む人たちの可能性をTHE BACK HORNは力強く応援し続けてる。
そしてその先には、「さぁ走り抜けよう」から始まる転調の場面の如く「高く高く羽撃たける」未来が待っていると、この曲を聴くと信じられる。
THE BACK HORNが”戦う君よ”と歌うなら僕は何度だって立ち上がるだろう。
例えその様が、惨めで見栄えが悪くて情けなくても、私たちは生きるという戦いに赴く戦士なのだから。
きっと生きていれば掴めるであろう光の残滓を掴み取るために、今日もまた静かな朝や、震える夜に、私はTHE BACK HORNを聴き続ける。
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