見出し画像

ウーバーイーツ

 ウーバーイーツはギャンブルである。
 そんな訳がないだろう、寝言は寝てから言え、ファッキンジャップくらいわかるよバカヤロー。そんな罵詈雑言が飛んできそうだが、間違いない。ウーバーイーツはギャンブルなのだ、独身の男にとって。

 ギャンブルの中毒性というのは、お金を溶かす行為そのものにある。パチンコ、競馬、競輪、これらは全て、そのギャンブルそのものではなくギャンブルによってお金が溶けることへのスリルや興奮を楽しんでいる節はないだろうか。お金を儲けるのであれば、勿論一部のプロを除いてではあるが、財テクを駆使すれば良いのである。にもかかわらず、お金を投じるのは、お金を無くすことに快感を覚えている他ない。

 ウーバーイーツは、なんか食べたいものを、なんかよく知らない人が、自宅まで持ってきてくれるというコロナ中に爆流行りしたシステムだ。勿論その分、人件費もあって店頭で購入するよりも幾分か高い。お金を溶かす、という意味では少し前述したギャンブルに似ている。 
 しかも、ウーバーイーツは、宅配の人がわざわざ運んでくれる。そのわざわざ、というところが、何か人間の欲、みたいなものを刺激する気がする。こちらが冷暖房の効いた部屋で待っていれば、宅配の人が届けてくれるのだ。この優位性。涼しげな顔で安達祐実やら芦田愛菜やらが宣伝しているが、その実、なかなかにえげつないサービスを供給しているように感じられる。 
 そして、この人間の醜い部分を曝け出せる点がギャンブルとの組み合わせの良さを引き立てているように思えるのだ。

 何より、食、である。食の欲というものは、もう計り知れない。身長164センチメートル体重90キログラム台の小さくてふくよかで視力の悪い私にとって、食欲というものは、それはもう止まることを知らない時の中でいくつもの移りゆく街並みを眺めていたばりに、止めることのできないものである。普段は店に行かないと食べれないものを食べれる、と言うのはそれだけで果てしない闇の向こうへウォウウォウと手を伸ばせるほどの魅力があるのだ。Tomorrow never knowsとは、このことを言うのかもしれない。

 少し高めの料金設定。そして、食の欲を満たしてくれる点。どうだろうか、お金を溶かす行為に少し似ている。これが、ウーバーイーツをギャンブルと言う理由である。 
 さて、問題は、そんなギャンブルに僕が爆ハマりしていることだ。


 
 一人暮らしの部屋から歩いて数分程度でマクドナルドの店舗がある。自転車で行けば一分にも満たない場所だ。普段から特別混んでいるわけでもないので、店舗にさえ行けば十分に商品を注文できる。何も不便ではない。

 その店舗へ僕はウーバーイーツを頼む。

 歩けば数分。自転車であれば一分にも満たないマクドナルドへ。そして、わざわざ配達人を調達し、現地で買えばワンコインのセットを多めの料金を支払って、マクドナルドをもぐもぐと食す。

 現代社会の闇が、そこにはあった。きっと実家の母が見たら卒倒するだろう。しかも朝マックである。何を朝マックをウーバーイーツで頼むことがあるのか。この時に出る脳内麻薬は、おそらく異常な分泌量を記録するだろう。常軌を逸している。更に注文するのがマックグリドルである。あの甘いのか辛いのかよくわからないと世間で噂の。やばい調達方法で、やばい商品を、それも朝から頼んで食す。というか、なんだ、あのマックグリドルと言う食べ物は。完全に欧米発の企業で欧米的な発想のもと作られた欧米食そのものである。バンズが甘く、パティがしょっぱい。あれこそが具現化されたアメリカなのかもしれない。我々はマックグリドルというアメリカを食しているのだ。食しているのだ、ではない。

 にも関わらずセット注文でドリンクに爽健美茶を選ぶ自分。何を健康気にしてるんだ、と。もう朝からマックグリドル食べてる時点で健康面は諦めろよ、と。ギャルゲーをプレイングしてモテようとしているのと、行っている無駄さでは変わらない。具象化されたアメリカを食しているのに、お気持ちばかりの日本茶でうやむやにしようとする、その根性よ。奴らはフランチャイズ化された外来種なのだ。ごはんバーガーとかを推しているのは我々日本のご機嫌を伺っているに過ぎない。うん、ドナルドに謝ろう。

 このギャンブルの輪廻から抜けられる方法を模索している。このままではカイジばりの破産をする未来が見えている。金銭面でも。健康面でも。
 私は、その日まで戦い続ける。そう、命の果てるその時まで。


 ウーバーイーツというよりは、ギャンブルなのは僕の人生の方なのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!