今井美樹『雨にキッスの花束を』はギャンブルの場でも一人の夜でも洗い物の中でも人々に寄り添う
【はじめに】
良い曲というのは場所を厭わない。
どのような状況で聞いても「良い曲である」と思わせてくれるものだ。
数少ない友達の中にパチンコのヘビーユーザーがいる。
彼と家で遊んでいるときに、スマホをスピーカーで繋げてプレイリストを流していると、たまたま今井美樹『雨にキッスの花束を』が流れてきた。
すると、彼の表情が一変して明るくなった。そして私に、こう伝えたのだ。
「新お天気スタジオだ!!!」
私は、その言葉を聞いて「は?」と思った。
え、「何が?」と思った。
この曲は「新お天気スタジオ」ではない。
『雨にキッスの花束を』である。
歌っているのも『今井美樹』である。
「新お天気スタジオ」さんではないのだ。
というか、なんだ新お天気スタジオって。
旧があって新なのか。
そもそも、なんだ、お天気スタジオそのものが。
お天気のスタジオ?
お天気の……スタジオ……?
頭の中の疑問符が飽和状態になった頃、友人の彼はこう答えた。
「パチンコパチンコ」
どうやらパチンコの台に「新お天気スタジオ」というものがあって、その当たりの演出で、「雨にキッスの花束を」が使われていたようなのだ。
それを聞いた時に「パチンコという騒がしい空間の中でよく、このようなおしゃれな曲を選曲したなあ」という想いと、「でもやっぱり良い曲って場所を問わずに届くんだなあ」という気持ちが重なった。
【雨にキッスの花束を】
『雨にキッスの花束を』は、可憐かつ、勝気という女性の心情を描く歌詞と、それを内在させる、おしゃれで耳心地の良い対極なサウンドのギャップが非常に良い相乗効果を生み出した名曲である。
いわゆるシティポップのような洗練さも持ち合わせているし、今やレトロと冠されるような90年代のトレンディドラマの感もある。
そして何より特筆すべきが、1993年発売の音源にも関わらず、令和の現在聴いても古く感じない点。
曲の体幹が強すぎるのだ。
今回は、そんな『雨にキッスの花束を』が色褪せない名曲である理由を考えてみようと思う。
(素敵なカバー①)
(1)可憐な歌詞
まずは優れた歌詞についてだ。
この『雨にキッスの花束を』は、雨というネガティブなシチュエーションから曲が始まる。
にも関わらず、人生において最大級の出来事である『プロポーズ』まで歌い出しで提示されるのだ。何という大混乱。
この「雨」と「プロポーズ」という組み合わせに波乱を感じざるを得ない。
しかし、そんな状況下でも爽やかに歌詞が聴こえるのは歌詞の登場人物の可憐で勝気な様相がネガティブさを相殺してくれるから。
このような大人の関係性を前提で出しておいて。
開かれた傘の花(この言い回しも本当に素敵)を転がしてしまう主人公。
”嘘でしょう”という心理描写も彼女の驚きと可憐さを表現している。
そしてクラクションが鳴るスクランブル交差点のど真ん中。動けない彼女。大雨の中、ずぶ濡れで。まるで、この世界が私たちの行く末を見つめているような。
さながらその様はトレンディドラマ。それも月9と呼ばれたような平成初期の良い部分を集めたような情景が思い浮かばないだろうか。
(私のイメージでは、ずぶ濡れの彼女は驚いた顔で大きな口をあんぐり開けている)
そして二番からの心情が、一番で描かれた大人の関係と対比されて、可愛らしさを増幅する。強がっていた彼女の心情が強調されるのだ。
もう、大雨のあまりルージュすら落ちて、けれどそれすらも関係ないほどの驚きと嬉しさが混在している。
素晴らしい大円団。
大雨というネガティブさを、プロポーズという多幸感が消し飛ばす。
そもそも、である。
この曲はタイトルの段階で、相当おしゃれだ。
単館系の隠れた名画のような表題。
インパクトもあるし、歌詞をなぞらえると きちんと意味も通る。
この曲で、銀色に光る玉がジャラジャラ出る演出を、と考えた企画者は凄いのか何かが飛んでいるのか。
(素敵なカバー②)
(2)洒落た音楽
ただし、上述した歌詞だけでは、名曲にはならない。
リリックを包括するサウンドが肝になる。
注目してもらいたいのが、イントロダクションのメロディ。
『雨にキッスの花束を』は、このメロディの反復が耳心地の良さを作り上げている。
イントロで、このメロディはシンセサイザーの短音から、もう一度反復する時には重なりあう音へ推移する。そこから今井美樹の『突然あいつが言った』という強い言葉が綴られるのである。上質な流れ。
そしてサビに来た瞬間、もう一度イントロと同じ音のライン。
歌詞の「思いがけないプロポーズ」と彼女の心情と重なるように、盛り上がりを見せていく。素晴らしい。
さらにサビは二回同じメロディ。
二度目の締めくくりには「世界中 息をひそめて今私たち 見つめてるよ」と強い言葉とおしゃれなメロディ進行の反復で印象づけさせつつ「chuchu」とラフな言葉で落とし込む。
雨にキッスの花束は、この洒落た雰囲気と可愛らしい雰囲気の塩梅が絶妙なのだ。どちらか片方が行きすぎても成立しない。この配合こそが、古く感じさせない所以なのかもしれない。
個人的にはラスサビ前の
このパートのアレンジが少し雰囲気の変わった彼女の心情を体現しているようで好き。
(ジャラジャラ)
(3)今井美樹という歌い手
この歌の可憐さと洒落た雰囲気の両方を兼ね備えることができたのは、何より今井美樹という歌い手の存在に他ならないだろう。
彼女の声はフラットである。
それは『PRIDE』でも『PIECE OF MY WISH』でも変わらない。
上手い技法を見せつけよう、という欲が歌声から主張されないのだ。
これは、なかなか思い切りがなければできないことに思う。
けれど、伸びやかで、本来彼女の持つ声質の良さは唯一無二。
聞けば「今井美樹の歌だな」とすぐに分かるのが素晴らしい。
そしてそんな実直な歌声が曲のエッセンスとして混じることで押し付けがましさのない、自然な可憐さ、自然なおしゃれさが、表出されると私は考える。
今井美樹が歌ったから『雨にキッスの花束を』は可憐で洒落た名曲となった。
【最後に】
個人的にはパチンコ店のような場所でも特に変わることなく良さを保ち続ける、この曲には、ポップスとしての確かな強さとしなやかさがあると思う。
そして名曲というのは、欲に塗れたギャンブルの場でも、一人布団の中で泣きじゃくる夜でも、洗い物の中でも、同等に人々の耳に届き、寄り添う。
そんな質の高い手軽さが今日もまたどこかで誰かを励ましたり勇気づけたりするのだろう。