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バケツエンターテイメント
パソコンで色々やっているうちに、こんなものが出てきた。
10年前、私が『バケツ』という芸名で活動していた頃のブログだ。
当時私は大学生。
誇張でもなんでもなく、本当に存在を忘れていた。
改めて中を覗いてみる。
歌に関する解説、リア充に対するルサンチマン、イベントの出演告知、コント脚本。
今と、あまり変わらなかった。こわい。
10年前から、このようなエッセイを書いていて、今も、このようなエッセイを書いているのだ。
表現の技法こそ変容しているものの、根幹は同じだ。いや、というか、同じすぎる。社会人の時と、大学生の時が同じなのは、これは成長的な意味合いで大丈夫なのか。
タイムマシンで伝えたら当時の自分はどう思うだろう。「10年後も、ほとんど今と変わらないよ、あと彼女彼女言ってるけど、今も本当にいないし、期待しない10年を過ごしていればいいよ。」と。卒倒するか。嬉々として肩を組み返すのか。
まあ、内容に関して言えば、”彼女””大学””青春”と言う同世代対する僻みを今よりも爆発させている感はある。
当然と言えば当然か。当時は大学生というものの当事者であったわけだから。それを踏まえても酷いのは酷い。
というわけで、記事の中から何点か引用して紹介しよう。
すまない、10年前の自分。当時全力で書いていたことを、大人になった自分がネタのような形で落とし込むのを許してくれ。
パートだよ
だけど心は
社員だよ
パートだよ
何を言っても
パートだよ
連句で一記事ってなんだ。
内容もなかなかである。
世の中を舐め腐ってだ時期だからこそ生まれた一句ではある。
コント「見知らぬビデオ」
◆男、目覚める。
二日酔いなのか目覚めが悪い
男、はっとした顔で急いで支度準備をすませる。
しかし再びハッとする。
男「……今日、日曜か」
◆落ち着いた男。
男「えー、昨日は……、飲んで、ズルズル梯子してぇ…、それでぇ…」
◆ふと枕元にあるDVDを見つける。
男「……え?。えーっと」
◆男思い出す。若干後悔。
男「……借りたか、これぇ」
◆男DVDを取りだす。
男「……五本も?。え、一泊二日? 今日じゃん」
◆男、しばらく沈黙。
男「……見るかあ」
◆男、DVDを観る。
一本目
男「……『さよなら、夏の日。』」
◆ビデオを見てみる。
やってくるスーツ姿のおっさん二人。
おっさんA「(ダンディーに)頼む、トイレに行かせてくれ」
おっさんB「行かせてくださいだろ」
おっさんA「トイレに行かせて下さい」
おっさんB「もっと大きな声で」
おっさんA「トイレに行かせて下さいっ」
おっさんB「もっと大きな声でっ!」
おっさんA「トイレに行かせてくださいっ!」
◆映像を止める男。
男「…………」
二本目
◆別のビデオを見てみる。
やってくるスーツ姿のおっさん二人。
おっさんA「(ダンディーに)頼む、トイレに行かせてくれ」
おっさんB「行かせてくださいだろ」
おっさんA「トイレに行かせて下さい」
おっさんB「もっと大きな声で」
おっさんA「トイレに行かせて下さいっ」
おっさんB「もっと大きな声でっ!」
おっさんA「トイレに行かせてくださいっ!」
◆映像を止める男。
男「……同じヤツ」
三本目
◆別のビデオを見てみる。
やってくるスーツ姿のおっさん二人。
おっさんC「(ダンディーに)頼む、トイレに行かせてくれ」
おっさんB「(受話器を取る男)」
おっさんC「やめろっ、私の会社にだけはっ」
おっさんB「ほら、自分の会社の名前言え」
おっさんC「山中商事」
おっさんB「もっと大きな声で」
おっさんC「山中商事っ」
おっさんB「もっと大きな声でっ!」
おっさんC「山中商じぃぃっ!」
◆映像を止める男。
男「……『さよなら、夏の日。2』……2」
四本目
◆気を取り直して四本目を観ようとする男。
上手にやってくるスーツ姿のおっさん三人。
おっさんB「(ダンディーに)頼む、トイレに行かせてくれ」
おっさんA「行かせてくださいだろ」
男「……なんか逆転した」
おっさんB「トイレに行かせて下さい」
おっさんC「もっと大きな声で」
おっさんB「トイレに行かせて下さいっ」
おっさんA「もっとっ!」
おっさんB「トイレに行かせてくださいっ!」
おっさんC「アグレッシブにっ」
おっさんB「トイレに行かせてください」
おっさんA「やまびこのようにっ」
おっさんB「トイレに行かせて下さいいいっ」
おっさんC「あの頃の自分へっ」
おっさんB「トイレに行かせてください…」
おっさんA「出会ったころのように」
おっさんB「トイレに行かせてください」
おっさんC「時には娼婦のようにっ」
おっさんB「トイレに行かせてくださいっ」
おっさんA「違うっ、『トイレに行かせてくださいっ』」
おっさんB「トイレに行かせてくださいっ」
おっさんC「違うっ、『トイレにいかせてくださいっ』」
おっさんB「トイレに行かせてくださいっ」
おっさんA「トイレに行かせてくださいっ」
おっさんC「トイレに行かせてくださいっ」
おっさんB「トイレに行かせてくださいっ」
男「……」
五本目
◆気を取り直して五本目を観ようとする男。
男「(しばらく映像を見る男)
……。
……。
……。
魔方陣グルグルだ」
シュールすぎ。
すごいな、今書けないなこれ。思いついても理性が止めるな。
魔法陣グルグルで終わるオチが突き放しすぎている。
金・銀・銅。
よく、これら三種類の金属はセットで用いられる事が多い。
例えば金メダル、銀メダル、銅メダル。
例えば金賞、銀賞、銅賞。
他にも用法があるはずだ。
もちろん私だって、この日本という国で生きている限り、この金・銀・銅の用途は十分承知している。
小学生の頃は皆勤賞のご褒美てして担任から手製の銅メダルを貰った男だ。
しかし。
しかしである。
私は、この金銀銅に関して幼い頃から一つの違和感を感じていた。
幼少に頂いた銅メダルも、この違和感のせいでありがたみが半減していたくらいだ。
その違和感とは。
「なぜ、銅が『どう』というネーミングなのか」
である。
金は『きん』と読み、銀は『ぎん』と読む。
それなのに銅は『どう』。
『どう』なのだ。
前二つと呼び方が全く被っていない。
これはどういう事なのか。
金も銀も「カ行のイ段」的繋がりも、「ん」的共通点もある。
にも関わらず銅は「タ行のオ段」だし、「う」だし。
なんだ、銅。
お前、なんなんだ銅。
金と銀にも一言言いたい。
銅の「タ行のオ段」的な部分をずっと黙って見ているだけだったのか?
何も思わなかったのか?
ああ、可哀想な話ではないか。
いつも三金属一緒に行動していたというのに、心根の部分では金も銀も銅を仲間はずれにしていたのだ。
そこで私は考えた。
銅が仲間はずれに成らない方法。
金も銀も動かないというなら、この私が一肌脱ごう。
その方法は一つ。
『銅』の読みを『どう』か、『ぢん』に変えるのだ。
これなら「イ段」的繋がりも、「ん」的共通点もある。
どうだ、銅。
これで、お前も金銀の仲間入りだ。
金、銀。
これが本当の友情というやつではないか?
『ぢん』メダル。
『ぢん』賞。
ああ、いい。
力強さがあるな、ぢん。
ぢんメダルなら私も貰って嬉しかったかもしれない。
なんなら金銀よりも喜びが大きい。
ぢんメダルなら選手団も胸を張って日本に帰って来れるだろう。
「逆にぢんメダル狙う方が難しいんだから。」
と解説の川合俊一に言われる事間違いなしだ。
銅よ、これで君は一人ぽっちではない。
今日から君は金銀の横に堂々と並ぶといい。
銅だけに堂々と。
うん、銅だけに。
うん。
お前、やるな。
10年前の自分、なかなか自分だけに好きな感性してるな。
川合俊一の件は蛇足な気もするけど。
この内容なら今でも全然掲載できるレベルだな。
多分、疲れているのだと思う。
今朝「ワンコ」が「ウンコ」に見えた。
駄目だろう、「今日のウンコ」は。
もちろん外れもある。
当たり外れは、当時の方が大きい。
今、絶対エッセイで書かないもんな、こんなの。
お前が駄目だろう、って言いたくなるもんな。
電車の吊り看板に掲載されてる大学の広告とかで「キャンパスライフ満喫してます!」と言わんばかりのモデル役ってギャラとか貰ってるのかなあ。
でないと釣り合わないんじゃないの、と私は思ってしまう。
「よく、そんなことが出来るなあ」と。
見ず知らずの人間にルックスはおろか学力まで提示する形になってしまうのだから。
私には出来ない。
きっと、こういうモデル役に立候補するような子は自己顕示欲がすごいんだろうなあ。
もう、人生に自信が満ち溢れているんだろうなあ。
人前でキスとかするんだろうなあ。
ニューシネマパラダイスみたいなキスをなあ。
いいなあ。
あと、人前でビンのコカ・コーラとか飲むんだろうなあ。
イッキで。
ゲップとかしないよ。自信に満ち溢れているから。
会社に入ったら見本のようなプレゼンをするんだろうなあ。
パワーポイントとか駆使するんだろうなあ。
ハキハキと駆使するんだろうなあ。
あと、木に風船が引っ掛かった女の子を見かけて、取ってあげたりするんだろうなあ。
ありがとうとか言われたりして。
身長も多分高いだろうしね。自信あるから。
あと、深夜アニメとか見ないよ、自信があるから。
けど、見たら見たで一定の理解を示すんだよ。
「意外に面白いな」とか言って。
あとTwitterは本名でやる。
鍵もつけない。
「バケツ」なんて名前、絶対つけないんだから。
月曜日とか、絶望しないよ、こういう人は。
人生がミュージカルだから。
サウンドオブミュージックだから。
午後の紅茶とか、すげー飲むんだろうなあ。
和食とか洋食とか関係ないよ。
「むしろ中華こそ、午後ティー」とか言うんだろうなあ。
24時間テレビは見るよ、こういう人だから。
むしろ黄色いシャツ着て、チャリティーとか参加するんじゃない。
サライ?
歌うだろうねー、泣くだろうね、それで。
各駅停車?
乗らないよー、乗るわけないじゃん。
急行とかが止まる大きい駅にしか用事なんてないよー。
踊るだろうなー、こういう自信のある人は。
絶対踊るよ。
人生の節目節目で踊るよー。
あと書かないだろうなー、自信のある人は。
こんな内容のブログ書かないよ、絶対。
でも、こういう内容のブログ、見たら見たで面白がるんだろうなあ、そういう人は。
踊るだろうなー、こういう自信のある人は。
絶対踊るよ。
人生の節目節目で踊るよー。
↑ここ好き。
コント「出棺」
・A
・B
・あと数名
◆AもBも喪服を着ている。
Aは喪主。
Bは故人の会社の平社員。険しい顔で葬儀に参列している
A「皆様には、大変ご多忙中にもかかわりませずまたお暑い中を、亡き父・本田雄太の葬儀に、かくも多数ご参列下さいましてまことにありがとうございました。私は、長男の雄一でございます。喪主として一言ご挨拶を申し上げます。 父は和歌山県田辺市で本田家の長男として昭和37年1月17日に出生致しました。寺本商業を卒業後東京に出て丁稚奉公の後、祖父が創立した現在の青山株式会社に入社。昭和62年に同社を引き継ぎまして以来、幾度の変転の後今日に至っております。社業がこれまでに発展できましたのも、ひとえに皆様方のご厚情のおかげと感謝しております。 悔いない生涯を送って、故人も満足し、かつ感謝の念をもってあの世に旅立ったことと存じます。父に成り代わりまして心からお礼申し上げます。今後は残った母を大切にし、家族心を合わせて父の意志を受け継ぎ、社業発展のために身を捧げる覚悟でございます。亡き父同様、ご厚誼のほど切ににお願い申し上げまして、お礼の言葉に代えさせていただきます。 どうもありがとうございました。」
◆A、出棺をするために舞台袖にハケる。
B、他の参列客と話している。
B「……出棺みたいですね。はい、生前はよくお世話になってたんで。」
◆故人との別れの曲が流れる。
曲はMAXで「Ride on time」
B「…………。…………。 (不意打ち気味のMAXに、ちょっとニヤけてしまう)」
◆開場中が「なんでMAXの『Ride on time』なのか」という空気で満ち溢れている。
A「故人が生前愛していた曲です。みなさん、歌ってお見送りしてやってください。」
B「…………。…………。 (なぜ、葬儀でMAXの「Ride on time」を歌わなければならないのだろう、とちょっとニヤけてしまう。)」
◆B、「Ride on time」知らないので周りに合わせて歌う。
A「手も振ってやってください」
◆参列者全員でうろ覚えの「Ride on time」を歌いながら手を振る。
◆霊柩車のクラクションの音。
A「(父が死んでしまったことに感情が高ぶってしまい泣きだす)」
B「…………。…………。 (Aを見ながら、なぜこの人はMAXの「Ride on time」をバックにこんなに泣けるんだろうと、ちょっとニヤけてしまう)」
◆MAXの「Ride on time」曲、終わる。
◆開場中が「なんでMAXの『Ride on time』だったんだろう」という空気で満ち溢れている。
◆暗転
当時の感性、嫌いになれないな。
もしも暇だったら覗いてやってください。ディグる気持ちで。
10年前の自分も浮かばれると思います。