見出し画像

シーシャ屋

 家の近所に「シーシャ屋」がある。
 シーシャ屋、である。

 つまりそれは、自身の人生をシーシャに賭けようとした店長がいるということだ。
 いったい、どういった人生を歩めば「シーシャ」で当てようという思考に至るのだろうか。
 シーシャ、である。
 カレー屋とかじゃない。
 シーシャ一本で。
 シーシャ一本で、財を成そうとしている。
 すごい。
 全然憧れないけれど、すごいとは思う。
 それはシーシャに可能性を感じた、ということだ。
 なんだ、シーシャに見えた可能性って。
 シーシャに転がるビジネスチャンスってなんだ。


 実家に帰った時に、両親に何て説明するのだろうか。
「お前、今、何やってるねん。」
「あの、シーシャ。」
「ミーシャ?」
「それはEverythingの人やんか。シーシャ。」
「オリンピックで国家歌った。」
「だから、それはミーシャやん。シーシャ。」
「お前、薬物やってるんか。」
「水タバコは合法。」
「いや、絶対嘘やわ、お前、あれやろ、裏メニューでそういう大麻的な、吸ったらEverythingになる裏メニューやってるやろ。」
「なんなん、吸ったらEverythingって。」
「二度と敷居を跨ぐな。」
「なあ、なんなん、吸ったらEverythingって。」
「散れ!」
「もう『散る(chill)』はしてるけど」
 みたいな。

 大はしゃぎ、である。


 こんなことを書いといてなんだが、めちゃくちゃいきたい。
 人生経験という意味でも、純粋にシーシャがどんな味なのかという興味でも。 
 行きたすぎる。

 口から吐きたい。
 煙を。
 chillしたい。
 日常の全てを置いて、新しい自分になりたい。
 
 しかし、である。
 私の中で、シーシャ屋はジャンルとしてはクラブ(語尾が⤴️)と同じである。
 ミラーボールでVIP席はもう酒池肉林、みたいな。
 チャラ箱。
 シーシャ屋は私のような164センチメートルの小太りが行くにはハードルが高すぎる。

 入店の段階で断られそうだ。
「すみません、164センチの小太りはご遠慮しております」
 って。
 多分、ピアスかタトゥーか、昔なんかした時の古傷か何かがないと入店できないに違いない。
 
 例え、中に入れたとしても、きっと量産型キャンドルジュンみたいな人がたくさんいて、私を一瞥して冷笑するのだろう。
 あんなピアスの人と話すこと何てない。
「キングダムハーツって、ディズニーとスクエアエニックスとの合同って最強すぎますよね。」
 みたいな話をしても、無言で席を立って、静かに煙を吹きかけられるだけだろう。


 でも、もしこの記事のいいねが20超えたら(ハードルが低い)一度行ってみようかと思う。

いいなと思ったら応援しよう!