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『乙女のポリシー』を寝起きのアラームにしてはいけない。


 昔から美少女戦士セーラームーンRのエンディング「乙女のポリシー」が大好きだ。だから、今目覚ましのアラームに設定している。

 なんでだ、34歳。成人男性。
 6年くらいこれが当たり前のルーティンになっていたから気にしてなかった。
 よく考えたら意味が分からない。
 疾走する月野うさぎ感を欲しているのだろうか。

 けれど、目覚ましにすると弊害もあり、あの『ポポポポポーン♩』というイントロダクションを聞くと「はっ、はぁっ、はっ…」と寝起きの焦燥感と緊張感を味わうようになってしまった。いよいよ目覚ましに設定している意味がわからない。

 エンディングで疾走するうさぎちゃんのように軽やかな目覚めを期待しての登板だったのだろうか。今は、ポリシーも何もない三十代半ばの男性が「はっ、はぁっ、はっ…」と寝起きの焦燥感と緊張感を感じるだけのルーティンと化してしまった。

 はっ、はぁっ、はっ…

 
 しかし、この曲、改めて聴いてもめちゃくちゃ良い曲だ。
 応援歌として最高。
 アラームの設定にはおすすめしないが。
 
 まず、セーラームーンが自ら美少女戦士と名乗っている事実からして、最高なのだ。
 幼い頃私は、それを心から馬鹿にしていた。
「うわ、自分で美少女とか言ってる、恥ずかしくないのかよ。」と。
 自分でハードルを上げているわけである。
 ビッグマウス。
 それも自称の”美少女”。
 美少女も、あんまり自分で美少女とは言わないだろう。
  
 だが、これが大人になって視野の広がった今改めて聞いてみると、なんて自尊感情が高いのだ、と感銘を受けてしまう。
 名乗ることの気高さといえば良いのだろうか。
 その強さに恐れ慄いてしまうのだ。

 SNSを覗くと、骨格がストレートだとか、整形がどうとか、そういった世界を全否定するわけではないが、何か”美”にとらわれた人間が多いように感じられて仕方がない令和の世。
 その中で、胸を張って自ら美少女と名乗る平成初期の大胆さと馬鹿馬鹿しさ。これが非常に爽快だ。

 しかも、美少女だけど戦士。
 この組み合わせの妙。
 セーラームーンは美少女で終わらない。
 戦うのである、戦士として。

どんなピンチのときも絶対あきらめない
そうよそれがカレンな乙女のポリシー

石田耀子/乙女のポリシー

 そう、決して彼女たちは諦めない。

いつかホントに出会う大事な人のために
顔を上げて飛び込んでゆくの

ツンと痛い胸の奥で
恋が目覚めるわ

石田耀子/乙女のポリシー

 顔を上げて飛び込んでいくような、その気高い意志を『乙女のポリシー』と称しているのが、軽やかさと美しさを表現している。

コワイものなんかないよね
ときめく方がいいよね
大きな夢があるよね
だからピッと凛々(りり)しく

石田耀子/乙女のポリシー

 このサビの良さは、聴いている人たちに「よね」と尋ねてくる部分にあると思う。自分で「コワイものなんかない」と断言するのではなく、聴いている人や第三者に自分の強さを確認する言葉選びが非常にはまっている。自身の中では間違いないはずの気持ち、けれど、どうしても誰かに聴いてみたくなる感情。
 これほど強さと乙女さを兼ね備えた歌詞はないだろう。

もっと大変なこと いっぱい待ち受けてる
きっとそれは華麗にはばたくチャンス
みんな本気のときがとってもきれいだから
自信持ってクリアしてゆくの

今は眠る未知のパワー
いつかあふれるわ

石田耀子/乙女のポリシー

 下手な応援歌よりも真っ直ぐで心に響くことを歌ってくれるのが、この乙女のポリシーだ。生活の中でふと思い出して宝石のように煌めく言葉を羅列してくれる。

なりたいものになるよね
ガンバルひとがいいよね
涙もたまにあるよね
だけどピッと凛々(りり)しく

石田耀子/乙女のポリシー

 ”なりたいものになるよね”は全大人に刺さりすぎるのでNG。法律で禁止するべきだ。
 この明るいメロディと少女向けのアニメーションのエンディングという事実を踏まえて聴くと、本当に胸にくる。
 乙女のポリシーは応援歌であると同時に琴線にも触れてくるのが非常に厄介である。けれど、だからこそ、今切実に戦っている人たち全てに届くのだろうし、エンディングの映像にある、うさぎちゃんのように走ってみたくなるのかもしれない。


 美少女戦士セーラームーン。

 その一見ふざけたような名乗りこそが、彼女の掲げる可憐な”乙女のポリシー”に他ならない。
 

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