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虫のこえ

 ※虫の話です。苦手な方はブラウザバックしてください。


 みなさんは、秋の虫といえば何を思い浮かべるだろう。
 スズムシ? コオロギ? キリギリス? カマドウマ?
 そんな秋の虫の共通点と言えば風情のある声。
 彼らを夜長に感じられたりすると、「ああ、秋だなあ。」と感慨深くなったりするものだ。
 そう、彼らはいわゆる虫界隈でも『良い方』のイメージが強い虫たち。
 可愛いイラストとかも、たくさん量産されている。 

 しかし。私は思う。
 秋の虫は過大評価されている。され過ぎている。幼い頃に習う『虫のこえ』という童謡のせいで、さも、あの子たちは可愛い虫さん、と刷り込まれているのだ。
 私は、気づいてしまった。秋の虫。君たち、あれだな。なんか、その、よくみたら、まあまあ、アレな見た目をしているな、と。
 これが本当なのだ。全然可愛いとはかけ離れた『虫』という具合の見た目。無骨なまでに虫。ナチュラルボーン虫。虫中の虫。

 試しに虫が苦手ではない人は画像検索などをしてみてほしい。私の意図が伝わると思う。まあまあな、アレなのだ。チョウなんてものは、まだ可愛げがあるし。カブトムシなどもひっくり返さなければ全然愛嬌がある。
 だが、秋の虫。彼らはなかなかアップにインパクトのある連中が多いように思われる。個人的にはファーストカマドウマが強烈だった。

 そんな中、私が特筆したいのは、コオロギだ。
 本当に、本当に、本当に、君は、その。秋の虫として鳴く声のビハインドがないと、ゴで始まりリで終わる例のあの虫(ヴォルデモートのような忌名)に似ている。夜中に遭遇したら「うわああああああっ。」という声が出る。というか出た。以前、出たことがある。
 一度、実家の洗面台近くで出現した際には、ゴで始まりリで終わる例のあの虫かコオロギかで家族会議が開かれたことまである。結局その時の彼は、コオロギであった。いや、別に会議したから状況が変わるわけでもないし、別に終わった後も普通に洗面台で律儀に待機していたのだが。
 秋の風情をバックに、コオロギ氏はやりたい放題。だが世間の目は誤魔化せても私の目は誤魔化せられない。ああ、おもしろい、むしのこえー、ではないのである。

 私が秋の虫に対して違和感を感じたのは、父が育てているスズムシがきっかけだ。

 父は、私が幼い頃から秋になると虫かごで鈴虫を飼育していた。卵から成虫になるまで。
 鈴虫に愛情を注ぐ父の表情は愛に溢れていた。割り箸にナスやキュウリを刺し、霧吹きで水をシュッとやる。私は、そんな優しい目をした父の姿を見るのが嫌いじゃなかった。

 ちょうどシーズンの訪れと共に、幼虫は大きく育ち、特に涼しげな風が吹き通る夜などに一匹が鳴けば、二匹が連なり、それらは輪唱となる。
 私は、夏の次に好きな季節が秋なので、鈴虫たちの音色は秋の訪れを感じさせる風物詩だった。
 ハロウィンの文化もまだ根付いていなかった静かな秋。風呂に入る前などに私は虫かごへ、へばりついて秋を耳に染み込ませていた。

 そこで終われば素敵な思い出だったのだが、何を思ったのか幼い私は虫かごの上蓋を外し、中から鈴虫を取り出そうと目論んだ。
 理由は単純。直なら、より素晴らしい音色を楽しむことができると確信していたからだ。当時は小学校低か中学年。なんと単純で純粋な思考回路だろう。
 
 そして悲劇が起こる。
 虫が苦手な方はブラウザバックしてほしい。

 突っ込んだ手。
 もぞもぞもぞ。

 虫かごの中は、予想を遥かに上回る鈴虫が生まれ育っていた。
 聴覚であれば楽しめるその個体数も、触覚になると、それはもう、個体数を直で感じ取れるわけである。

 もぞもぞもぞ。
 うわああああ。
 すごい数やああああああ。

 叫びたかった。だが、父の大切な鈴虫たち。勝手に手を入れて、勝手にもぞもぞされているのはこちらなのだ。
 急いで手を戻す私。
 心なしか、大きくなる鈴虫の輪唱。 
 触れた手を見つめてみる。
 かすかに残る、もぞもぞの実感。

 もう、そうなると以前感じてた風流は吹き飛び、秋を嗜む心なんてものは憎しみに変わる。
 父よ。なんで、こんな虫を飼っているのだ。
 声が、それっぽいだけで、虫だこれは、父よ。
 ちゃんとよく見てみろ、結構虫っぽい虫だぞ、こいつら、父よ。
 騙されるな、父。これは、虫の中でも虫を実感できるタイプの虫だ。父よ。
 ああ、父よ。
 ナスに群がる様を見よ、父よ。
 きついぞ、父よ。
 ビジュアル、結構きついぞ、父よ。 
 
 私は、一瞬にして鈴虫、そして秋の虫が苦手になってしまった。

 後日。

 私は、積極的に彼らとの遭遇を避けて生活をしていた。
 一度抱いてしまったイメージは、そう簡単に覆らない。
 風呂に入る時なども、あえて遠いルートを辿りながら目的地まで向かっていたりした。

 しかし、である。

 秋風の中に紛れる、彼らの声。
 それらが少しずつ小さくなっていることに私は気づいてしまった。
 恐る恐る虫かごを除く。
 私の願いが叶ったのか、なんと虫かごの鈴虫の個体数が減っていた。 
 胸の奥に秘めていた呪いのような思いが彼らに届いたのだろうか。 

 少しだけ後ろ髪を引かれつつ、私は父に話しかけてみた。
「なんか、虫かごの鈴虫、減ってない?」
 すると父は笑顔で答えた。

「こいつら、卵産むためにメスがオス食べるねん」
 食べるねん。
 食べるねん。
 食べるねん。

 生命の営みとか輪廻とかそういう高尚な気持ちは一切湧かなかった。
 ただただ「虫、やばあ。」となるだけだった。

 これから虫に対しては、平等に虫という認識を持って生きていこう。
 少なくなった個体を遠巻きに眺めながら、そんなことを思った夜だった。

 外にはもう、肌寒い風が吹き始める。
 小さな冬が訪れ始めていた。


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