歌集「遠ざかる情景」#5 解説

今回のテーマは日常だ。

日常と言っても、そんな日常を愛したり、愛おしく思い思わず微笑むとかではなく、退屈や鬱屈から、どこかでそれに疎ましさを感じる時だ。人は、己の不幸を嫌いながらも、地震や、誰かの悲劇に心を寄せる。

それは、甘酸っぱく、かつ、切ない、そんな日常も愛おしい、解説してみる。

 

もし海の向こうの誰かの流す血を思いてみゆる双眼鏡を

寺山修司氏の「マッチ摺る・・・」の歌から、インスパイアされた歌である。むろんこの歌が寺山氏のようにシリアスなテーマではないのは分かるはずだ。遠くを見ることのできる双眼鏡、そして、それを手にした時、多くの人がやってしまうのは、空など、おそらくたどり着くことのできぬ場所を、やけっぱちに見てみることだ。

 何が見えるだろう? もしかしたら……、そう思いながら、覗いて見てもやはり見えない。そんな気持ちを歌った。

もし、悲劇を覗くことができるのなら、おおよその人がそれをやってしまう筈だ。

 

親知らぬ仔であるという設定で、いもせぬ君と泣き合う月夜

何でもない、空想、妄想の歌が、二親が揃い、恐らくは人並みの家庭に生まれながらも、どこかでそれを忌み、不幸に憧れたりする。そんな気持ちを歌った。

 

“こけころ“と鳴く朝を知りるやわらかき我が仔の肌が強張る帰省

単純に、(僕は結婚すらしてない)子供を連れて、田舎に帰省する歌。自分の実家でもいいし、親の実家でもいい。心をときめかしたり、退屈したりした田舎に、子供を連れていく、朝鳴く、鶏のこけころという音を演出してみた。

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