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使命の輪郭:2回目の廃校教育camp参加

2回目の廃校教育campに参加してきた🏫⛺
一言で表現するなら「使命感に輪郭が出来始めた時間」となるかと。
教育と言う分野に限った使命は「教育に想いがある人達を束にする」が
自分の言葉での表現である。


2023年11月の廃校教育camp初参加

昨年の参加踏まえて非常に人生に大きな影響があった。
前回参加前までは「漠然とした課題感」且つ、
「人と共有できるものである」
「推し進めるべき価値がある」という確信を持てていなかった。

自分は先生でもないし、教職もとってないし、
教育サービスに携わる身でもない。
ただ就職支援の仕事を通じ「これから社会人になる存在」を沢山見て、
自分の中に教育に対する問いの種が出来て、
にょきにょきと苗が生えていってる状態だった。

でもこの苗は教育という花壇に植えていいものなのかな?
そんな漠然とした不安があったので、
前回の参加は「実際のところ僕の問いってどうおもいます??」
を先生や教育業界の人、教育を志す学生に問うてみたかった。
というのが参加してから整理して今僕の中で思っている参加理由だった。

結果は思ったよりも違う背景からの参加者がいる中で、
想定以上の共感を得ることが出来た。
その心の「後ろ盾」が、その後の僕のアクションを加速させてくれた。

2024年6月2回目の廃校教育camp参加

そんな僕の今回2回目の廃校教育camp参加目的は
①自分の問いをさらに深める
②前回の自分みたく不安交じりの方の自信のきっかけを創る
だった。

結果としては「使命感に輪郭が出来始めた時間」
(正直①寄りの成果だったところは個人的な反省点。
②の為にも、もし1on1等希望された方がいればばしばし受けていきたい)

自分の使命

もともとの使命感には「輪郭」はなかった。
親が仕事を楽しんでいるご家庭のお子さんが
自分が就職支援担当した中では100%社会に出ることを前向きに捉えていて、
その「身近な大人の存在そのもの」が教育
「大人の生き様」が教育であると認識してから、

自分の使命は
プロデューサー視点で「人生を楽しむとなと子供の接点を創ること」
プレーヤー視点で「自分の人生も子供から見て社会人を楽しんでいると思えるものにする」の2つだと設定している。

具体的なwhatは敢えて設定せず、
自分という触媒が化学反応を起こせそうなものは、
なんでもwelcomeで挑戦していくつもり!
最たるものはラジオのパーソナリティ。
やりたいと思ったことは一度たりともなかった。
3月から週1回30分の番組を続けているが
今も「ラジオパーソナリティ」をやっている感覚はあまりない。
「人生を楽しむ大人と子供の接点を創る」手段として試しているつもりだ。

とまあ「人生を楽しむとなと子供の接点を創ること」
という北極星はあるものの、
通るルートや乗り物にこだわりは一切ない。それがこだわり。
特定の才能はなく何でも一からできるまでやるのが生き方の自分にとっては、これが一番しっくりきているし、北極星があるからこそ、荒波が来たって、足元に明かりがなくたって迷わず歩みを進め続けられている。

教育に想いがある人達を束にする

が、今回の廃校では「教育」という分野に携わる
「輪郭」のようなものが見えた。
大きな変化である。
それは、「教育に想いがある人達を束にする」ということだ。

例えば
とても想いがある小学校の教師がいたとする。
「生徒の為にも学校を変えるべきだ!」と。
でもその思いは成就しない。
なぜならその小学校は中学校や高校・大学受験に繋がった
小学校の決まりで縛られているからだ。

その先生が小学校を変えるためにアプローチする先は
小学校だけでは足りないのだ。
しかしただでさえ想いがある人ほど忙殺されている先生という職業をやりつつ、仕組み全体に影響を与えるアクションを行うのはさすがに一人でできることではない。
(決めつけに見えたら申し訳ない。能力がないと言いたいのでなく、
どこまでも一人一人に向き合うことを選択するのでは?という意味だと受け取ってもらいたく。)

でも今の仕組みの中でそれぞれの学校で学ぶ未来の担い手の為に、
先生はそれぞれの学校に時間を最大限使うので合ってるとも思う。
とすれば、その先生の想いを組んで変化を起こすのは、
包括的、外側から見ている人である必要がある。

だがそこで、外側の人と熱量に差があったり、
一つ一つの学校のひとりひとりの先生・生徒がいる
想像力がない人だと革命は成しえない。

そこで必要だと僕が考える機能が、
「教育に想いがある人達を束にする」ということだ。

これまで教育に貢献しようと動いてきて感じること。
「想いがある人の量と実際の変化の量が合ってない。」
「素敵な人こんなにいるのになぜ変わらないのだろう。」
だから本来日々の業務で関わる以上の人数、
「教育に想いがある人達を束にする」ことで、
それぞれの想いの量が実際の変化に昇華される様に。

自分の役割はそこにあるのではないかというのが、
今回の廃校教育camp参加で見えた輪郭である。

僕自身知見が浅いし、頭もよくないので、
そんな僕の稚拙な現時点の解として、
知見のある方にはむしろ教えてほしいところ。

さいごに

ソフトバンクの孫さんは昨年「まだ人生で何も成しえていない」
という自分へのふがいなさから号泣したと話されていた。
一気に背筋が伸びた。
生まれてから今日までの自分の成長曲線を踏まえ、
普通にいけば絶対に孫さんに届かない。
その孫さんが号泣するほどに自分の成長にふがいなさを感じている。

昨年から進んだことに少しでも満足を感じていた自分に気付き
恥ずかしい気持ちである。
改めて自分は何もない挑戦者である、
誰よりも行動をする必要があるのだと思いなおして、
残りの命を志に費やしていきたい。


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