“宇宙でいちばん”好きでいること

先日こんなことがありまして。

完全に私の私による私のための“宇宙でいちばん”解説を書くことにしました。

未来の私は時々これを見返して、自分の感覚が世間一般とはズレていることを忘れないように。


たくさんの”宇宙でいちばん”

多くの人は、“宇宙でいちばん”と聞いて序列を想像すると思います。
家族がいて、友人がいて、はたまた恋人がいたりして(いません)、その中の順位としての“いちばん”。
つまり一番と二番には明確な違いがあるはずだと。

序列?そんなものはないです!
少なくとも私にはないです。

宇宙のはじまりを想像してください。
ビッグバンです。
途方もないエネルギーが膨張していき、やがてそれは爆発します。
新たな宇宙の誕生です!

好きな気持ちがどんどん膨らんでいって、自分を誤魔化せなくなって、人を特別に思うとき、私は自分のなかに宇宙の誕生を見ます。
宇宙は同時に多数存在するので(多元宇宙論)、“宇宙でいちばん”は何も序列ではないのです。

母がいちばんの宇宙があり、妹がいちばんの宇宙があり、そして推しがいちばんの宇宙があります。
誰かを押しのける“いちばん”ではなく、たくさんの大切と共存する“いちばん”の概念です。

ニュアンスとしては序列というより質量規模の方がより近いと思います。
いまだ広がり続ける果てしない宇宙の、惑星銀河ブラックホール、そのすべてのなかで、あなたがいちばん好き!
そういうことです。

人を愛するのが好きな私は、今日もうっとり自分の宇宙を眺めています。


愛もしくはエゴについて

人を愛するのが好きです。
極度の愛されたがりかつ寂しがり屋の私ですが、それと同じくらい愛するのが楽しいと感じる人間です。

しかし私は執念深い女です。
記憶力が無駄に冴えていて、昔されたこと・言われたことがいつまでもずっと忘れられないのです。
好きな人を嫌いになれないまま、小さな不快の積み重ねが段々心を遠くしていきます。

(”私は踏みにじられた”という一方的な自己認識は自分も知らず知らずのうちに誰かを踏みにじっているという加害者意識を透明化させるので、正直あまり好きではないのですがこの話を始めると長くなるのでご容赦ください。)

本当に好きなんです。大好き。
何一つ嘘じゃないのに、でもすべてが好きなわけじゃなくて、嫌なところも勿論あって、すべてを好きになれないことが私は寂しい。

こだわりが強く、自分の価値観がしっかりしていて、しかも頑固。
自分が面倒な人間だということは分かっています。
人を愛するとき、本当は少しもがっかりしたくないというのは私のエゴイズムです。

でも、私は私の自我でもって人を好きになり愛しているので、自我を殺したくはないんです。

我ながらなんて我儘なんだろう!
こんな私の面倒な愛を受け止めてくれる(あるいは聞き流している)家族と友人は一生大切にします。
いつもありがとうだよ。ほんとにだいすきだからね。


遠く光る星であれ

そもそも。
近くにいれば、また付き合いが長くなってくれば、いろいろな顔を見ることになり、そりゃあ嫌なところも見えてくるというもの。

だからアイドルが好きなんです。
彼らは他人で最初から遠く、知ることの出来る部分なんてたかが知れています。
がっかりすることも少なければ、がっかりしたところで離れるときの痛みも少ないのです。

やっぱり他人同士の距離感が一番健全なのかもしれません。
私は人に近付きすぎるきらいがあるので。

今の推しはアイドルではないのですが、とても丁寧で誠実な方なので心が遠くなるようなことが皆無で、追っていて本当に楽しいです!
積極的にSNSを更新するタイプでもないので、ほんのすこーし寂しいですが、元気でいてくれさえすれば後は何も望みません。

好きな人はなるべく遠くにいてほしいタイプです。
手が届かない星に手を伸ばすのが好きなので。


蛇足

以前書いた文がこのだらだらとしたnoteの総括みたいになっていたので繋げておきます。


あなたのことがだいすき。
そうだな、たぶん、宇宙でいちばん。
あなたは何より輝く星だから、うんと遠くにいてほしくて、私はあなたに向かって手を伸ばすのが好きなんです。
独りよがりのような気がして、寂しくなって、私を見てほしくもなるけれど、ほんの一瞬でいい、見つめてくれたら、それはもう空だって飛べるだろうけれど、それでもやっぱり、あなたは遠くにいてほしい。
浅ましい私はきっともっと多くの愛を求めてしまうから、この手は届かなくていい。
これが正しいとも間違ってるとも思っていなくて、私はただ、ステージに輝くあなたを見上げていたいんです。
それが私の幸せです。



2024/11/12 “宇宙でいちばん”好きでいること

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