見出し画像

【十個目の扉で細切れになった感情に会う】 《極私的短編小説集》


 扉を開くと、ちぎれちぎれのイメージがところどころに浮かんでいる。それは記憶でもあり、像でもある。

 《古い団地。子供用の椅子を逆さまにして、「すべり台」だよ、という女性。彼女は私の従姉妹だ。多分、中学生から高校生くらいの。もしくは小学生高学年だったかもしれない》

 《小学校。教室の油引きをしながら、好きな女生徒にぶつかり、転倒させる。好きな子に意地悪をする、後悔と甘美な思い》

 《地下鉄の座席。「最近は、アイデンティティを考えてるんだ」と話す。
「アイデンティティ、自己同一性ね」彼女は先輩で、彼氏がいる》

 《駅前の喫茶店。「やっぱり、僕たちは合わないわ」という言葉の裏には、彼女と一緒にいたもう一人の娘と付き合うようになったから。後ろめたさと緊張が走る》

 《トヨタカリーナED。「お別れね。さようなら」と言って車から降り立ち去る彼女。微笑みながらさよならをする。その後、車を疾走らせる。突きぬける青空の中、信号が赤になり停車すると同時に嗚咽する》


 「これはもう物語にはならない、あまりにもプライべートな断片だ。意味がない」
 「それを出してきたのはあなたよ。どうするつもりなの。知らないわよ」
 「もうここまでじゃないか。逆戻りをするべきだ」
 「不可逆的な世界で生きている私たちには、バック・ギアはない」
 「じゃあ、どうすればいいというのだ」
 「自らの責任において前に進むの。次の扉を開きなさい、それが定めなのよ、私たちには」


  透き通り硬く美しい声で彼女は言う。その背後には愛慕と共感と憐憫が佇んでいる。私は彼女を滑り込ませたくて仕方がないのだが、まだその時ではないようだ。仕方なく、次の扉を開く。そこには何種類もの扉が乱立している。いったい、私はどこに行こうとしているのだろうか。そして何を探しているのだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!

sakazuki
よろしければサポートお願いいたします!更に質の高い内容をアップできるよう精進いたします!