読書ノート 「明恵上人伝記」 平泉洸
「華厳中興の祖といわれる明惠上人は、教団を組織せず、終身釈迦を父と仰ぎ、自ら遺子と称された。上人の法話は「悪人なお隠れたる徳あり、況や一善の人に於てをや」と差別がなく、人はただ「あるべきやうは」の七字を心懸ければ世の中に悪いことはあるはずがない、と温順な言葉で説かれている。が、この一見やさしい教えの数々が、実は華厳哲学と美しく冥合して輝かしい光を放つ。本書は、その上人の伝記を歴史の大局から見た注釈書。」(講談社HP説明)
明恵上人の伝記は人気があり、江戸時代に度々版を重ね、広く普及した。書き手は弟子の喜海とされているが実際は異なり、後世の徳慕人が書いたようだ。一番の長所はこの本が現代語訳を記していることであり、それにより、浅学の徒である私にもよく理解することが出来る。「沙門高弁は、紀伊の国在田の郡石垣の吉原村にして生る」からはじまり、死の間際まで時系列で綴る伝記として、一般大衆にも読み良い平易な表現で記されている。
明恵の無私無欲のエピソードが心に残る。弟子が作った薺のみそ汁の味と香りが良すぎて、引き戸の縁にあった埃を入れて食べる、なぜそのようなことをするかと問うと、「あまりに美味しかったもので…」という。またある日、松茸料理を食した後、弟子が明恵のことを「松茸好き」と聞いたので、頑張って料理しましたと告げたところ、恥じ入って「仏道者は『仏法好き』と言われるのは恥なのに、まして『松茸好き』などと言われるのは情けない」と言い、以後松茸を食べなくなったという。欲望をなくし、我を(自我ではない)なくす行を徹底して遂行した姿がここに現れている。
寿命が尽きるまで、無私無欲を突き詰める明恵は、透徹したその思想を未来に残すことになる。その姿は孤高の人となり、衆生の指針となった。矛盾するようだが、明恵は翻って言えば釈迦を求めるという点では誰よりも欲があるとも言えよう。その欲望のためには、それ以外のものを徹底的に捨ててしまうことができたのである。
原文、訳文、注釈、参考と、非常にすっきりと整理して書かれた伝記は、今のところこの本しか存在しない。明恵を元に何かを生み出そうと考えている私には、必読の書で、必携の書。このゴールデンウイークに神保町の澤口書店でやっと買えました。