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読書ノート 「双生児」・「夢幻諸島から」 クリストファー・プリースト 古沢嘉通訳

   

 サンリオSF文庫隆盛の時代(今から約三十年以上前)、P・K・ディックの著作に混じってアンナ・カヴァンやジョン・スラディック、トマス・ピンチョン、ガルシア・マルケス、カルペンティエールなどの文庫本を読んでいた。

 その中の一つに、プリーストの『逆転世界』があった。


 ネタバレになるが(誰も怒らないかもしれないが)、〈地級市〉世界を走る都市要塞列車、その外の世界は、月も太陽も球形ではなく歪みを帯びている。軌道上を北に移動する都市で、人々は地球ではない世界で生きていると思いながら生活をしている。主人公は様々な危機に直面しながら、世界の成り立ちの種明かしが最後にされ、人間の認識の脆さや危うさを一挙に感じるという内容であった。その当時読んでいたSF小説の中で、飛び抜けて奇妙な設定であり、深く印象に残っている。 

 私はSFはサイエンス・フィクションであるとともに、スペキュレ-ティブ・フィクション(思索的小説)であると思っており、科学的な検証を伴わずとも、「もしもの世界」、内宇宙(インナースペース)、そういったもののほうが好みである(科学的な検証があればそれに越したことはないが、所詮、濃度の問題である)。折しもその当時は、「ニューウエーブ」と言われるムーブメントが日本SF界にはあり、山野浩一らが主催する「NW-SF」が発行されていたが、あいにく私は読んだことがない。まだそこまで成熟していなかったのだ。その後、いわゆるSFの「浸透と拡散」(筒井康隆)の時代が来て、筒井康隆は『虚人たち』を書くのである。私もSFの範疇を超えて「驚き」に繋がる、世界観を改変するようなものを求めるようになり、それはSF小説に留まらなくなってゆく。


 そんなプリーストの訃報が届いた。『逆転世界』以来、付き合ってこなかった後ろめたさから、いくつかの著作を読む。実直な作風で地味と思われているかもしれないが、そんなところも親近感が増すのである。


『双生児』

「1999年英国、著名な歴史ノンフィクション作家スチュワート・グラットンのもとに、J・L・ソウヤーなる人物の回顧録原稿が持ちこまれる。第二次大戦中に活躍した英国空軍爆撃機の操縦士でありながら、同時に良心的兵役拒否者だったJ・L・ソウヤーとはいったいどんな人物なのか……。稀代の物語の魔術師が、持てる技巧のすべてを駆使して書き上げた、最も完成された小説。アーサー・C・クラーク賞、英国SF協会賞受賞作」(Amazon説明)


 二日で読了。第一部と第二部の世界。二つの世界は交差しているのか、並行に進んでいるのか、それはわからない。一つの世界では、第三次世界大戦が起こり、もう一つの世界では、ドイツとイギリスは1941年に和平が成立する。どちらもこの現在の世界とは違うものだ。ここに論理的統一はない。それぞれがそれぞれの世界を進む。その絡み様を追いかけることで世界の謎を解き明かせるのかと苛立ちながら読了。読後は、さあ、もう一回読まなければ、と思わせる。ストーリーについては様々な方が様々に語っているところでもあるので、ここではやはり、金言と断片を写す。


(ドイツとの和平を頑なに固辞するチャーチルに対して)
「J・L・ソウヤー
 そうでしょうか。歴史は、戦争がつねにその目的を果たせなかったことを示しています。記録に残る戦争で、勝利者の明言した目的と一致する結果を生みだしたものはありません。それはなぜかというと、明言した目的というのが、不正直なものであるか、仮に真摯な意図があったとしても、戦争に本来そなわっている暴力にむしばまれているかのどちらかです。

 民主主義国家は、悪しきを糺すため、あるいは、人々のあいだに平和的な関係を設立するためという意図を明言して戦争を戦っていると、つねに語りますが、現実には、彼らの動機は、投資した国益や、財政投資の保護であり、政治権力の追求なのです。専制君主がおこなう戦争は、うわべでは、論争を解決するため、あるいは失われた領土をとりもどすためだと言われますが、じっさいには、彼ら専制君主たちは、自国民への違法な支配をつづけたいのです。

 歴史は、また、軍事的な結果が表面上どうであれ、暴力によってくじかれた暴力は、つねに将来の暴力の種を播くことをあきらかにしています。暴力それ自体が、結果を歪曲するのです。現在のドイツに対する戦争は、最後まで戦われることがあれば、軍事的な手段によるどちらかの征服という結果を生むかもしれませんが、より長期的に見た場合、戦争状態は、いやおうなく、対立関係にある数多くの有能な人士を失わせてしまいます。 

 英国人士の喪失は、啓蒙、社会主義、政治的寛容性、自由主義の運動を何十年も後退させてしまうでしょう。ドイツ人士の喪失は、ヨーロッパの問題へのアメリカ合衆国のさらなる介入をもたらすことになるでしょう。
 いまこの瞬間に和平を実現すれば、世界の安定と調和のための唯一の希望を提供することになるのです」


【蛇足・フラグメント】
こけつまろびつ
 大型の黒塗りライレー
 ウエスタン・アヴェニュー、アクトン
下水の臭い、煙の臭い、石灰の臭い、油の臭い、煤の臭い、都市ガスの臭い
泥溜まりに横たわる、砕けた煉瓦とパイプ、炭と化した木のゴミ

 シェパーズブッシュ市場
均されていた
 レイトンストーン、アドミラルティ・ハウス
戦争は問題を単純化する。数多くの小さな関心事を一掃し、大きな関心事で置き換えてしまう。
 ミチェット・プレイス
輾転反側
 ヴァルター・リヒャルト・ルドルフ・ヘス
不満居士
 アンジェラ
なまなかな勇気
 ボカ・ド・インフェルノ(地獄への入り口)


『夢幻諸島から』

『夢幻諸島から』では一転して、異世界の描写を楽しむプリーストの姿が見える。

 「時間勾配によって生じる歪みが原因で、精緻な地図の作成が不可能なこの世界は、軍事的緊張状態にある諸国で構成されている「北大陸」と、その主戦場となっている「南大陸」、およびその間のミッドウェー海に点在する島々〈夢幻諸島〉から成っている。最凶最悪の昆虫スライムの発見譚、パントマイマー殺人事件、謎の天才画家の物語……。死と狂気に彩られた〈夢幻諸島〉の島々には、それぞれに美しくも儚い物語があった。語り/騙りの達人プリーストが年来のテーマとしてきた〈夢幻諸島〉ものの集大成的連作集。英国SF協会賞/ジョン・W・キャンベル記念賞受賞作。」(同)

アイは、大南海嶺によって形成された弧状に並ぶ火山性列島のなかで最大の島である」
「大渦巻き群島のなかのもっとも遠方にある島のひとつ、アナダックは、数百年まえに大渦巻きを形成するもとになった潮位偏差の近いところに位置している」
オーブラック群島は、夢幻諸島のなかでは異例な存在で、はっきりとした固有の方言名を持たず、群島の本当の実態を発見した科学者にちなんで名付けられている」
「ぼくの名前はケリス・シントン。チェーナー島のなかのおなじ名前を持つ町で生まれました」
「ミッドウェー海南の温帯地帯にある中程度の大きさの島。元々は、酪農で知られていたコラゴは、雨食作用で削られた低い山並みと、温かい夏、風の強い冬の島である」
「この島のことはほとんど知られておらず、またわれわれは本地名案内の調査のため、この島を訪れることがいまだにできずにいる」
トークイル群島最大の島にして、行政の中心でもあるデリルは、伝統的に農業と鉱業の混合経済に依存してきた」
エレメットは小さな島で、まだ人口が少なく、一世紀前に大規模な山火事の被害に遭った」
フェレンシュテルは南温帯地にある大きな島で、東西に捕捉長く伸びている」「フールトは、北の亜熱帯地帯にあるマンレイル群島に属する、中規模の島である。その方言名は『歓迎せよ』と翻訳できるが、含意はさらに深い」
ジュノは小さな独立国で、ミッドウェー海の亜熱帯地帯に横たわる三つの島から成り立っている」
メスターラインは詩人にして、劇作家カル・ケイプスの生地である」
「わたしの名前はウォルター・カムストン。ピケイ島で生まれ、ここで生涯を送ってきた」
「ミッドウェー海南部にある小さな島ローザセイは、東に横たわるカタ-リ半島の湾曲した腕の部分に聳える山脈によって卓越風を受けずにすんでいる」
リーヴァーリーヴァー・ファストショールズとして知られる群島のなかで最大の島である」
「…それで、隠されたもの、失われたもの、忘れ去られたもの、未知のもの、未発見のものを探しだす心構えで、スムージ探索にでかけた」
ウインホーは、いわゆる娼婦の島である」
「ふたりの人物が、小さな島ヤネットにやってきた」…


 島の紹介の書き出しで始まる各章は、それぞれ独立した読みが可能である。読者は各島を旅行する気分で移り気に動き回れば良い。紀行であり、人類学的調査でもあり、ときにはロマンスにもなる。その非日常を味わうことができるなら、もう読みは完璧だ。
 そしてきらめく宝石のような語り口。

「わたしは棺が地中に降ろされていくのを見守った。
太陽は輝きつづけていたが、わたしは身震いせずにはいられなかった。
あの人のことだけしか考えられられなかった。


指先の愛撫、
あの人の唇の軽い圧力、
優しい言葉、
最後にわたしがあの人のもとを去らなければならなかったときにあの人が浮かべた涙。
あの人抜きでの長い歳月。


わたしが知っているあの人のすべてにすがって生きてきた日々。
あの人の思い出を吐き出してしまいそうで、息をするのも怖かった」 


 このような、感傷的なことばが好きなのです。いまのわたしは。

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sakazuki
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