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【短編小説】わたしへの切符 〔2,801文字〕

『7月23日
今日私は一人旅に出ることにした。
会社を辞め、気晴らしというか新しい自分を見つけに行くというか。。
まぁほんとは、すぐにこの場所から逃げ出したいってのがほとんどなんだけど。』

早朝、荷物をまとめ終わった私は
今まで毎日書いていた日記にこの3行を綴り
戸締りをガッチリとした部屋の中から外へ飛び出した。
まだ西の空は暗い。
東を見ても未だ太陽は姿を表していない。


バックの横についているミニポケットの中からスマホを取り出し、右手に持つ。
自分が乗る電車の時間を再度確認して、まだまだ余裕があると一息つく。
左手で5キログラム程あるキャリーバッグを引きずりながら
朝方の澄んだ空気の中、1人ズカズカ駅に向かって歩いていく。


博多駅から電車で2時間半。辿り着いたのは大分駅。
まだ時刻は9時である。
眠たい。
長時間座っている間に寝ておこうと考えていたのだが、
最近は病み期(気持ちが底まで落ち込んでいる)なのもあって
考えに反して身体も言うことを聞いてくれない始末。

晴れ晴れした気分で駅に降り立つ予定が…。
まぁ、そんなアニメみたいにすぐ気分転換できるわけないよね。

今まで勤めていた会社はいわゆる職場ハラスメントが酷い環境だった。
就職難だった私は、親を困らせないためとにかく早く
どこでもいいから受からないかなと、興味のない会社
の面接や好きではない業界の面接も受けたりして
必死に毎日走り回っていた。


不採用の通知がメールにいくつも入ってくる中、
「採用」と言う文字が見えた時は本当に親と泣きながら喜んだ。
私がやっとのこと就けたのは、関東の方ではまぁまぁ名の知れている会社だった。


「これから頑張るね!」「親孝行していきます!」と
自慢げに親に言っていた私だったが、蓋を開けてみれば
毎日残業ばかりの人員不足な職場で。
仕事の期限を1分でも守れなかった人には
当たり前のように怒号を浴びせられる。
職場の中はほとんど誰も喋っておらずいつもシンとしていて
聞こえてくるのはキーボードを忙しくカタカタ押す音や
急いで荷物をかき集め、焦った様子で勢いよく
玄関から飛び出ていく人の息遣い。


当然私は新入社員だったため
周りが忙しい中何も自主的にできず、
任された仕事は誰にも相談ができなかったため
次第に上司の叱咤をくらうようになっていった。
「山田、お前ほんっと使えない。入社してきた時、はいはい言うこと聞いて何でもやってくれてたのによ。期待して損したな」と、
眉間に深いシワを作っているタバコ臭い上司に目の前で
きつく言われた時には、心がとても張り裂けそうになり
息をするのも辛くなった。

身体症状が出始めたのは入社して2ヶ月目。
1週間に1回は病院に通うようになり、
医者からは「ストレスが原因です。このままではあなたが潰れてしまいます」
と仕事にストップをかけられた。


話は飛ぶが、あれから色々あり
無事に辞めることができて今に至る。

日記にはこれまで毎日書いてきた愚痴の数々が並んでおり、
最悪な環境から解き放たれた今は、もう前のページを
見たくないほどこれまでの事がトラウマになっていた。

今回泊まる民宿は、駅からバスに乗り換え
5つ先のバス停で降りたところにある。
とにかく癒されたかった私は実家の雰囲気を感じれるような
古い暖かい宿に泊まろうと、某旅行サイトで必死にチェック
してこの宿をやっと見つけた。

まずは荷物だけ預け、周りの風景や地元ゆかりの飲食店を徒歩で
ゆっくり堪能していった。
陽が傾いてきて涼しくなってきた頃、そろそろ戻ろうと来た道を引き返した。


夜ご飯はお宿で。
郷土料理のダゴ汁をおかわりし放題で朝食なし一泊8,500円。
部屋の案内をしてくれている時、初めての一人旅をしていることや
ここ周辺はとても素敵な場所だったことなど色んな話を女将とした。

お部屋は12畳はあるだろうか、
畳から感じる和の香りと
薄オレンジ色の間接照明の相性がとても見事で
布団もよくクリーニングされているのか
ほんのりハーブ系の優しい香りがした。


部屋についてすぐ敷布団にダイブして顔を埋め
深い深呼吸をし、初1人旅の疲れを吹っ飛ばす。
そこに女将のおばあさんが再度来て
この姿を見られてしまったことにだいぶん恥ずかしかったが、
そんな私を優しく微笑みながら笑ってくれた。


こんなに心から笑顔を向けてくれる人をいつぶりに見ただろう。
人の優しさに久しぶりに触れたように思った私はもう泣きそうになった。
笑顔を向けられただけでこんなに嬉しいのか。

母にも父にも言えなかった仕事の愚痴を
目の前にいるこのおばあさん(女将)には話せそうだった。


じんわり涙が溜まっていく私の目を見た女将は
静かに部屋の中に入ってきて横に座り、私の背中をさすりながら
「山田様、これまでどんなことがありましたのかは私には分かりませんが、ここには山田様の敵はいません。傷つけてくる人もいません。どうか、この旅行で山田様が心からお寛ぎできますように、精一杯おもてなしさせていただきます。ゆっくりお過ごしくださいませ」と声をかけてくれた。


今まで潰されていた私の中の何かが、人の温かみで
元のかたちに戻るような不思議な感覚に包まれた。
いっせいに涙が止まらなくなり、
必死にハンカチで声を押し殺しながら布団にまた崩れる。

その間もそっと隣にいてくれた女将は、
私が嬉しがるようにと夜ご飯の料理の品数を
普通より増やし、なんと朝ごはんもサービスしてくれると言った。
流石に悪いですと断ったが、元気になって欲しいとのことだ。
私は最終的に甘えることにして
「お食事今運んできますので少々お待ちくださいね」と
部屋を後にする女将を見送った。

こんなに優しくされていいのか。
これまでの日々は実は夢で、異世界を体験してたん
じゃないかと思うくらいたった今は本当に幸せで
1日が何事もなく平穏に終わることに対してつくづくありがたみを感じていた。


少し時間が経った頃、襖の向こう側から入っていいかの確認の声が聞こえてきた。
はいと返事し、メイクがよれよれになっている自分の顔をぱちと叩き気持ちを締める。
満面の笑みの女将が豪勢な食事を机の上に並べてゆく。
サイトで見た写真より本当に料理の品数が多い。しかも全て美味しそう!


「本当にこんなに頂いていいんですかぁ⁉︎」また目元がウルウルしてきた私。
「また泣きそうになってますね」とツッコまれ部屋に明るい笑いが響き渡る。
お礼を言い、箸を持とうと右手を添えた時
部屋の外の廊下に出ていた女将がそっと正座をし
膝の前に綺麗に両手の指先を揃え一言、
「本日はこの民宿をご利用いただき誠にありがとうございます。
これからは山田様が心から幸せと感じる日々を送られることを願っております」と静かにお辞儀をし戸を閉めて行った。

私の顔が今日1やわらいでいるのを感じた。


本当に頑張ったな。


もう少し仕事を続けていたら
鬱病になってしまっていたらしい私は、
これまで闇雲に頑張ってきた自分を褒めてみようと思った。


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