Taku
カメラや写真に感じることをまとめています。
AIの発展が著しい。ChatGPTが出現してからというもの、さらにその速度は増しているように感じる。 AIの領域は文章作成にとどまらず、イラスト、3D、そして音楽まで各ジャンルにおいて目まぐるしく成長している。 Suno AIで瞬間で曲ができる音楽生成のAI「Suno AI」を使ってみた。 我が子のテーマソングを作ってみた。 2分くらいでできた。 シンプルにすごい。こんなに簡単にできちゃうのね。曲としても崩壊していないし、イメージもプロンプトをしっかり入れれば誘導でき
社会人も7年目。 実は最近熱中していることがある。 「ギター」だ。 大学まで軽音サークルでバリバリやっていたが、社会人になり「時間がない」「一緒に音楽をやる知り合いがいない」と、ギターから離れていた。そういう人って多いと思う。実際、大学の仲間も楽器を続ける人は自分のバンドを持っている人くらい。そんなもんです。 社会人の忙しい日々の中で、ふと「このままだと働くだけで人生終わる感じだけどいいのか?」と思った。いやもちろん、家族もいるし、休日タイミングが合えば友達と酒を飲んだ
社会人1年目、働き出して4ヶ月しか経っていないときの文章が発掘された。 更新が滞ってしまったnoteに、久々の投稿が「供養の文章」でいいのかは定かでは無いが、人目に晒されずに消されるのも可哀想なので載せておく。 % 仕事をする中で文章を書くことが圧倒的に増えた。仕事で書く文章はすべて「本番」である。 だから、普段何気なく考えていることも文章にして文を書く力を鍛えていこうと思い、こうして書くのを始めた。 これが私が文章を書く表向きの理由。 実はもう一つ理由がある。 私の
読書は単に知識の材料を提供するだけである。それを自分のものにするのは思索の力である。(ジョン・ロック) 探す苦労、忘れる苦悩読書というのは自分の世界を広げるのに大変有効な手段であり、また、最大の娯楽である。 私も、本の虫をは言わないものの、それなりに本を読んできた。 しかし、どうしても自分の好きな作家や話題の本にしか手が伸びず、偏った選び方をしてしまうという悩みがあった。また、本を読んだあとは感動で胸がいっぱいになったり、学んだ知識を生かす意欲に満ちていたりするが、1ヶ
京都で毎年行われるKYOTOGRAPHIE。 今までずっと興味はあったものの、行く機会がなかなか無くて足を運んでいなかった。しかし、会社の写真が好きな先輩に「画面じゃなくて大きくプリントした写真を見ることもまた楽しい」と言われ、今年初めて行ってみた。 アーウィンオラフ 京都グラフィエはサーキット型のイベントで、京都の各地で展示が行われる。「土日2日間たっぷり一人で写真を楽しんでくるよ」と妻・子どもに告げる勇気もないので、土曜日の半日だけ自由時間をもらって、気になっていた
「お花のサブスク始めようと思うの。」 ある朝、妻は温まったコーヒーのカップを片手に、そう僕に相談した。 それはまだ春の匂いと夏の匂いが入り混じった暖かい日のこと。春とも夏ともどちらともいえない隙間の季節だった。 お花のサブスク、それは毎週、あるいは隔週、定期的にお花が届くサービスのことだ。 いろんなサービスがある中で、僕たち家族は今、medeluという会社のサービスを愛用している。 厳選されたお花 公式サイトによると、medeluのお花は生産者と市場から直接仕入れて
「写真は写真だ、機材じゃない」という(偉そうな)記事を書いた私だが、何を隠そう「機材・・・レンズ・・・ボディ・・・・・」と彷徨ってきた過去を持つ男。(そしてまだ完全には克服できていない) 懺悔も込めて、過去に使ってきたカメラを振り返る。 (本当はフィルムカメラも使い始める沼っぷりだが、今回は割愛させていただく) ※掲載している写真は、全てそのカメラで撮影したものです。いやぁ懐かしい・・・ Nikon J1 (2016-2020) 人生で初めて購入したカメラ。 当時
目が覚めている間、網膜にスマホやPCの画面が映っている時間を計測したらどれくらいになるのだろう。 きっとうんざりするほどの時間、果てしない時間が算出される。うんざりするとわかっているので、時間を計算するのはやめておく。 スマホやPCに触れる時間というのはおおかた「情報」に触れる時間と言い換えても過言ではない。 「知るは正義」。情報社会になってからというものの、情報を持つ重要性が加速している。その速度はいわば二次関数のグラフを描くように止まることを知らない。 1日24時
前回の記事で写真とカメラと自分の関係を再考して、写真と向き合うことに決めた。 SNSで他の人が撮った写真を眺めるが好きでよくInstagramなどをチェックしていたのだが、過去の「名作」と言われるものに触れる機会がなかった。 もちろん名作だって、SNSの“映え写真”だって、つまるところ他人の評価であるということは変わりない。 しかし名作には名作たる所以がある。「なぜ後世まで語り継がれる写真なのか」を考えることには意義があるはず。 ということで、写真家の界隈ではあまりにも
大学時代にカメラを買ってからというもの、旅行にも日常にもカメラという道具は欠かせなくなった。 買った当時は、友達を、恋人を、風景を、時間を、そしてそれ以外の有象無象を残すことが目的だった。 しかし、自分でも気づかないある瞬間から、写真を撮る行為ではなく、写真を撮る機材や他人の興味を引く行為に興味が移ってしまった。 いつからか忘れていまったが、手段と目的を取り違えてからというもの、写真そのものに向き合う時間が減っていた。そしてそのこと自体につい最近まで気がつかなかった。
こんにちは。カメラ・動画を中心に紹介している「Yamablog」を運営しているTakuと申します。 今までずっと登録していたものの、書き始めなかったNote。重い腰をやっと上げてぼちぼち書いていこうと思います。 簡単な自己紹介26歳の会社員です。普段はデザインやWeb広告などの制作や運用を行なっています。 妻と1歳になる男の子と3人暮らし。 写真を撮るのが趣味で、週末にはカメラを持って家族と一緒に出かけることが多いです。愛機はFUJIFILMのX-S10とSony α