つぶやき2021.10.4-10.24
生き金、死に金という言葉がある。
同じように、生きた時間と、死んだ時間がある。
なぜ、こんな無駄な、死んだ時間を、これ程の長い時間過ごさなければならないのだろう。
死んでいるのと、変わらない。
不遇な時を沢山過ごした。
もう沢山だ。
国境は紛争の原因となりうるが個の力ではどうにもできなさそうだ。
自他の境界線もおかしいと争いのもとになるがこちらは自らの気づきにより争いを避けることができるかもしれない。
問題は、自他の境界がおかしい人がなかなかそれに気づかないことだ。
そして今日も争いが起きる。
おはようございます。
料理用に買ってる日本酒に氷を浮かべてコップ半分だけ。
ほんとお酒あまり飲まなくなった。
ビールというか糖質オフの発泡酒を週に1回か2回飲むかどうか。
少し前はスコッチウィスキーをストレートでちびちびとやっていつの間にか瓶を開けていたが、こづかいないし。その割に酔わないので辞めてしまった。
犬も歩けばオモロないおっさんに当たる。
人生は、オモロないおっさんになるか、性別によらずオバちゃんみたいになるかの二択のような気もする。
オバちゃんの方が、救いがある。
なうすぴにんぐ。
このデザインのスリップマットあったら欲しいな。
たぶん買えないけど。
後ろばかり振り返るのは、前に希望が見えないからか。
回想しても一文にもならないのにねえ。
この世界で起こることは全て不可逆だと認識している。
例え可逆的に見えることでも。
恐らく、北朝鮮にはやましいというか、知られると国際的に都合の悪いところがあって、帰すに帰せない事情があるのだろう。
ほんとうにくだらないと思う。そんなことを不問にしてでも、家族の元に帰してあげるような、そんな社会でも国々でも世界でもないことを、何とも糞だと思うのだ。
コロナの急減は、ワクチンが普及して一時的に抗体を備えてる人が多くなって、集団免疫により抗体を持つ人が多くなった場合(集団免疫の概念はイマイチ飲み込めないが)に起こることが、擬似的に起こっているのかな?
ワクチンの抗体がいつまで有効かわからないから、3回目のワクチンは考えなきゃねえ。
メルカリ、詐欺まがいの価格で出品してる人を非表示にできないものだろうか。腹立つ。
海老蔵は蟹蔵が出てきたらどうするつもりなのか?
僕も古本を買ってみました。
たしかに美味い。
前歯の詰め物してたところだろうか、それとも前歯にヒビでも入ってたのだろうか?
裏側がえぐれるようにかけてしまった。
歯医者行かなきゃ。
夜はマウスピースするくらい、歯に力入ってるもんなあ。
こういうのは、ほんと。歳をとりたくないって思うね。
こむらがえり
サンマ新物。ご馳走さまでした。
ドコモの通信障害、現代社会の脆弱性だよね。
NHKの事故物件の番組、見るともなく聞いてたけど、僧侶の方も言ってたように、日本人の死に対する考え方変。
昔はご老人が家で亡くなるなんて、当たり前だったよ。老衰のどこが事故やねん。高齢者が部屋を借りられないのもその人にとっては大変な問題だし、他人事とは限らない。
問題だらけだよ。
お年寄りが、ついの住処として、そこで亡くなることも含めて借りられるような賃貸物件が出てくればいいのに。
借りる方も、前に亡くなられた方がいらっしゃるかもしれないことを、折り込み済で借りる。
大家も借り手がつく。
誰も困らない。
需要と供給のバランスを取るというのは、そういうことだと思うのだが。
憐憫という言葉を軽々しく用いない方が良いことは歳なりにわかっているが。
根底に寄るべなき者たちへのシンパシーがない人間は嫌いだ。
アキカウリスマキ監督作品。見終わった。今回の作品は難民となった人が主要登場人物。アキカウリスマキ作品はいつもそうだが、人生幸運ばかりじゃない。むしろ人生はハードだ。どんな未来が待ち受けているかもわからない。だが、微かに希望のかけらがそこには在るように感じさせてくれるのだ。
30歳くらいまでは腕時計してたけど、以降はめてないな。仕事で実験するとき、外すのが面倒というのもあったか。
こだわりが強い方だから、腕時計のことは、逆になるべく調べないようにしてた気がする。(車も。)
お金無いからね。
時間は、携帯で確認するから、いらないといえば、いらない。
ものすごく浅い欲求を解消する夢を見た。
夢の中の私は少し若く、やせていただろうか。しばらく疎遠になっていた旧友と洋服を買いにいく夢をみた。
今ではもう着ないだろう、鮮やかな品のいいピンクのセーターや、程よいフィット感のある革製のインナーベストなど。気にいるようなものが次々とあった。
夢の中でもお金はあまりなかったが、買ってしまえということになった。(ここで目を覚ましたので、買ってはいない。)
浅い欲求を満たす夢は案外ありがたい。少し目覚めもすっきりしている。
夕べからエヴァの最後の劇場版を見始めているのだが、何か心象的に影響しているのだろうか?
知らんけど。
エヴァンゲリオン劇場版最後のやつみた。エヴァンゲリオンはテレビでやってたやつをYouTubeで観たのが最初で、それから次々と映画化されて、劇場版になったのはしっかり見てなかったけど、最後のやつは気になっていた。
よくもこれだけ広がった世界を美しく終わらせたものだな。見事にケリをつけた。
この作品(特に劇場版)には、庵野さん自身のことも投影されている部分がある気がしてるんだけど、この作品が完成したことで、庵野さん自身の中にも、ケリがついたとこがあるんだろうなと感じた。
いや。観て良かったよ。
みんなで大人になった映画かもね。
少し高いが、わりと美味かった。
少し練乳的な濃厚さだった。
岸田総理への批判、これまで政権批判してた人たちとは、違うところから声が上がっている気がする。
言ってみれば、既得権益側とか、安倍路線派とか。
ちょっと面白くなってきたというか、本格的に政治の正常化に向かうと良いなあ。
記者会見わかりやすいよね。
頭いいんだと思う。
馬鹿な身内の言うことを聞きすぎないかだけやな。心配は。
総理はいいけど、周りがおかしいのいるんだよな。
岸田さんは、少なくとも意識が高そうだ。意識高いというのは何だか馬鹿にされた言い方をされる世の中だが、意識高い系と言われてる人たちは変なとこだけ意識的になってることが多いだけで、むしろ意識の質が低い。本来の柔軟性のある意識の高さは歓迎するところだ。意識低い人が多すぎ。
野党も意識高い人は多いと感じてるんだけど、柔らかさが足りなくて、怒りに飲み込まれて批判に終わるのは惜しいよ。
ネットで意識をググってみた。
「意識が高い」が用例として用いられてる3番では、政治的、社会的関心や態度、また自覚。とある。
社会で生きてくにあたって、大人なら、意識高い方が、そりゃ好ましいやろ。問題は、その意識の"健康さ"にある。人間が健やかに生きていくこととの相補性が大切だと思う。
本気でただれる道を選ぶなら、それもまたその人の人生であるが、政治や社会に関わろうとするならば、意識は高く、健やかな方がいい。関わる以上、他人が迷惑するから。
今回ノーベル物理学賞を受賞した、日本生まれの方、アメリカ国籍を取得しアメリカ人として生きることを選択したのが、日本の報道との対比から見ても、痛快ですらある。
何人とか、どこに生まれたとか、生と死のつまらん概念とか。そんなものを飛び越えて、人間が人間らしくその生涯を生きられたら良いのにね。
つまらんよ。実にくだらないことに捉われて人間は生きてる。くだらないことなのに、それがその人の人生を限定することもある。ほんとに糞だと思う。
中国共産党は中国共産党自身がリスクです。恐れからきてるのか知らないですが、中華思想も行き過ぎたらロクなことがありません。中華思想を飛び越えて文化や多様性を恐れている気がします。自らを打倒しうる敵と感じているのでしょうか。それは自らが不自由だから敵と感じるのです。
そんなことしなくても、緩やかな気持ちであれば、中国は大国であり続けるだろうに。
完全にオセロをシロだかクロだかにするゲームをしているから、自身が逆のクロだかシロにされる恐怖から逃れられなくなるのです。
似たようなこと、ツイッター始めたころから言ってますが、届かないですねえ。
中華思想なんて、ほどほどにやっときゃいいんです。ほどほどなら、文句言われませんて。
香港からは、魅力が失われてしまいました。
台湾のことは、一つの中国と言い続けたいならそれもいいですが、放っておくことです。
この世界には曖昧さも必要であることがお分かりでない。一昔前の人はそこが賢かったのです。
国が一人一人の人間を脅かすことは歴史的に何度もあっただろうが今現在もそれが起こっていることに心が痛む。
人間には社会性が必要とされるが、社会(を統制する者)が人間性を失ったイデオロギーに陶酔し人間の自由や生活を拘束することは、どんなに正当化しようとしても、正当化されるべきではない。
こうしたことが起こる時、1人の人間が偏ったイデオロギーで繋がった群衆と化し、行き場のない1人の人間を追い込んでいくのは、ほんとうに愚かで不幸である。
統治者にしろそれに感化された人間にしろ、人間が個であることを忘れ集団としての意思や思想をこそ正義と思うとき、度々大きな不幸が起こる。
いい加減に人類は、歴史から学んで欲しい。自らを個として省みて欲しい。そして、今ある現実を直視し、不幸な出来事があるのであればそこから離れる一歩を踏み出してほしい。
悲しいよ。人間というものが。
国が好きなら好きで別にいいけど、ネトウヨ的な考え方は、その大好きな国を転覆しうる国家のリスクだと思うよ。
#過ぎたるは及ばざるが如し
右翼とか左翼とか存在までは否定せえへんけど、主流になっちゃいかんかもなって、やってて思わへんのが不思議や。
スパイス程度に本気そうに見える程度でええねん。或いは、本気でもいいけど、ほんまに勝っちゃったらあかんねん。大勢に影響ないくらいで騒いどけや。
ほんまに頭悪いと思われるで。
せやねんな。
憲法変えようとしよるから、根っからは信用できへんねんな、自民党。
既にご承知おきでしょうが、これも美味い。
母親が実家に送られてきた年賀状のコレクションの一部を送ってきたので、週末に拝見させてもらおう。
JR宇治駅から表参道を通って平等院に行ってきました。
普段は庭から平等院の阿弥陀さまがパンフレットのように拝観できるそうなのだが、あいにくこの日は修理のため覗けず。阿弥陀さまは+300円(1.5時間待ち)で中から拝見しました。
平等院の御堂は鳳凰堂と呼ばれており、屋根にも鳳凰が飾られています。
阿弥陀さまも見事ですが、特筆すべきは阿弥陀さまの周りを取り囲む雲中供養菩薩像の数々です。一体ずつ異なり音楽を奏でたりしています。平等院内にはミュージアムが設立されており、この雲中供養菩薩像の半分くらいが間近で鑑賞できます。ミュージアムは見事な鐘や初代の鳳凰も見られておすすめです。
抹茶どころということで。お天気もよく、散歩に丁度良い感じのお寺でした。
自民党ちょっとあかん感じになってきたみたい?
岸田さんが旧勢力に押されすぎなら、野党が政権取った方がいいな。
安倍晋三-高市早苗ラインの言うこと聞いとったら、選挙勝っても、すぐまた駄目になるわ。
本当に終わる。
ここ大事なとこなんだけどな。
わかってるのかな?
二度と立ち直れなくなるよ?
今、希望と地獄の岐路に立っているという時勢感です。
Anju Dodiya
Doron Langberg
Beatrice Caracciolo
Sayed Haider Raza
Hilary Pecis
Anastasia Balabina
sophiebryant-funnell
Barbara croll
Charlotte Salomon
Max Beckmann
Maria Ramishvili
Sophie Treppendahl
Pierre Bonnard
Alejandra Caballero(この人の絵とてもいい)
10月15日までガリガリ君を食べるのは、観測史上初です。(当社調べ)
なし崩しになってしまいそうな予感が漂ってるね。悲しいけれど。
インフレ目標2%なら、収入も2%ずつ増えなバランス悪いんとちゃうの?
手取り増えてないよねー。
岸田総理の敵は身内(党内反対派)にありやろうな。
自民党が選挙で勝ったら、この問題が政局を左右することになりそう。
岸田総理の策がなし崩しになると、だんだんこの問題が大きくなると思う。
それを挽回しようと党が手を変えて、党内反対派の主張を推し進めようとしたら、それが最悪の手になる。
岸田さん河野さんあたりが頑張ってくれないと、自民党はクソ溜め(糞駄目?)なのになあ。
展開悪いなあ。
何だかキツネとタヌキのばかし合い(馬鹿試合?)モードに突入しそうな予感がするな。
三流国だからね。
選挙投票日まで色々と出てくるかもしれないから、様子を見よう。
支持したい政党があるのではなく、消去法なのが残念だな。昔から。
久しぶりにしゃっくりが。
こうなるとアイコス吸うたびしゃっくり出る。
Collage ガンジー
Collage ふののこ
ふののこさんではやりにくいだろうなということをしてみました。
ふののこさんのありがたいお札です。
ナンボでも遊べる。
大好物の神秘的なものとも相性良いみたいですよ。
Collage まじでブロマイド屋を始めようか
タツオトのブロマイドも作ってみました。
ひろゆきさんは、考え方の参考にするくらいが丁度いいと思うんだけどな。
参考になることは言ってるし。かと言って真似はできないし。
まんまじゃなくて、自分のスタイルを考える時に、思考を柔らかくしてくれる一つのアイデアだと思えば、役に立つよ。
のめり込むのもめくじら立てるのもわからん。
母親から年賀状の相談が来た。虎は黄黒白の三色で消しゴム版画は難易度高い。とりあえずボールペンや筆ペンや少しの絵の具で試し書き。
消しゴム版画も彫ってみた。ホワイトタイガーならいけるかと思い、木につかまるホワイトタイガー。
急に絵を描きたい欲が生まれて少しだけ興奮して眠れない。
若い時なら描いていただろうがさすがにな。明日は月曜日。しかも在宅勤務ではなく出勤。
ちょっとばかりウィスキー飲んで寝よう。
わたしは何をやっているのか?(結局夜中に描いてしまった)
昨日の続き。
この辺で母親に選んでもらおう。
近田春夫
いとうせいこう
小西康陽
クレイジーケン
ヤン富田
田島貴男
仲井戸麗市
美輪明宏
崎山蒼司
山下達郎
まだまだいるけど、生きてる人で、思い入れの強い人から選んでみました。
今日は会社でチームミーティングがあった。半ば研修要素のあるミーティングだ。
互いの価値観や強みを共有し、関係の質を高める。という目的だ。
わたしの仕事に対する価値観(インタビューにより再発見する)を端的に表すのに、わたしが言ったのは、仕事のむこうに人がいる。ということ。
いいコピーだと思うが、どこかで聞いたような。は。お金のむこうに人がいる。てな、類似性はさておき。
どんな仕事も、その先に関わる人がいる。そこんとこの想像力が無い仕事は、全て糞と言ってもいいくらいだと思う。
それに、仕事をして、まがりなりにも楽しいのは、協業者と気持ちの良い協力関係をお互いに果たせた時だ。
人と血の通ったところのある仕事をしたい。
助けて欲しいこと。というお題があったので、楽しく仕事して欲しい。と書いた。
わたしは自分でいうのも何だが、仕事が大嫌いだ。1人で仕事している時は機嫌の良い時ばかりでは無いだろう。
そんなわたしでも、仕事で人と関わる時は、なるべく仕事に楽しく取り組めるように、言葉に配慮している。
仕事など、糞ほど嫌だ。けれど、その不機嫌を一緒に仕事する人にぶつけて、仕事を一層つまらなくする人間には、お前は何をやっているのだ。と思う。
自分のモチベーションがどうのこうの言う人がいるが、そんなものは無い。むしろ、一緒に仕事をする人のモチベートを気にするべきであろう。
よっしゃ、じゃあ俺も一丁やってやるか。と、お互いに思いたいじゃないか。
そういう配慮のない人とは仕事してもつまらないし、話しても大抵の話が面白くない。
今朝起き抜けに考えていたこと。
穢れがないということ。
穢れがないというのはどういうことであるか。
先日わたしが生まれた頃に母親がつけていた日記を読ませてもらった。
生まれて間もないわたしは大胆不敵でかなりのいたずらをしていたようだ。
それでいて周りの世界を窺い周りが自分の敵なのか味方なのかを感知する能力はかなり早くから備えていたようで、次第に大人が誰かによって態度を変えるようになっていったようだ。
周りの世界から怖い目に遭えば、しばらく世界から閉じようとしたり、実際体に症状が出てしまったり。
ずいぶんと赤ちゃんの頃から、感情の素みたいなものはあるのだなと驚いたり。ずいぶんとまあ、母親らに手をかけられて生まれ育ったのだと、改めて感謝した。
それにしてもわたしはいたずらっ子で、おばあちゃんたちにも、色々いたずらをしかけていたようだ。
この頃の記憶はやはりなく、いたずらをしたわたしが、おばあちゃんらを好きだったのか嫌いだったのかも覚えてないし、いたずらした理由が、単に面白かったからか、おばあちゃんらが弱い存在で反撃しないことを見抜いていたからかもわからない。
無垢な魂とは、そもそもあるのだろうか?
生まれたばかりの頃から、わたしは周りの世界を窺い、その歳なりのずるさを持って大人たちに接していたのかもしれない。
そのようなことを含めて無垢な魂と呼ぶのだろうか?
わたしは、子猫のことを考えた。
うちで今一緒に生活している猫ちゃんは北海道生まれで飛行機に乗って大阪にやってきた。
はじめて大阪の我が家にやってきた時、子猫は誰かを呼んでいるような、それでいてほんとはそうでもないような鳴き声を、何度もあげていた。野良猫の一生を立派に世話したうちの奥さんも、この子は手がかかるかもしれないと予感したようだ。
子猫はやがて逞しくなってきたが(身体能力はすごい)、純血種だからかどこか生存能力的には弱さを感じるとこもあり、やはりひとりで赤ちゃんの時のように鳴いていることがある。
そんな子猫も、虫を見つけると、多くの他の子猫がそうであるように、追いかけまわす。これは恐らく本能に基づくものだが、虫さんがちょっとかわいそうになるくらいの残虐さをもって殺してしまうこともあるようだ。たぶん殺すつもりもなく、遊んでいるうちに殺してしまうような残虐性。
虫というものがよくわかっていないからこそ、してしまう残虐性のようなものがある。無垢な魂は、この様な残虐性をそもそも備えているのではないだろうか。
魂からみた本来の穢れのなさとは、このような、先天的な残虐性をも備えたものではないだろうか。
人によっては、穢れがないと聞いて、悪いことをしないとか、性善説的な意味合いに捉える人がいるかもしれないが、穢れのない、つまり、手付かずの魂は、善も悪もなく、生まれながらにして本能的で、ある種打算的ですらあると思うのだ。
先ほど、おばあちゃんらにいたずらをしたのが何故だったかわからないと書いたが、近しい存在であることは察していたと思う。わたしは、本能で苦手と感じた人間の前には、しゃべりかけないどころか、逃げ回っていたようだ。今でも苦手な人間からはできるだけ離れたい心がある。生まれたての頃から、人間の本質的な部分は変わらないのかもしれない。
一般的な人が、穢れがない。という言葉に求める素養は、むしろ後天的に備えた社会性ではないだろうか。
暖かい愛情を受けて真っ直ぐに育った社会性。そのようなものを人々は無意識に子供らに求めるのではないだろうか。
それはあなたがなりたかった子供の姿なのだろうか。そこのところは曖昧にしたまま、とりとめもないので、この辺で。
ツイッターで一旦はフォローしたがフォローを外すこともたまにある。
松本人志さん
落合陽一さん
朧さん
ポコ美さん
しぬこさん
コスモ・オナンさん
嫌いになった訳でも無いのだが、タイムラインの温度が変わるというか、異世界化するので。個性の裏返しがきつい時がある。歳なので。
失礼な話だが。
自分のことはさておきというやつだが、自分のiPhoneの中でのことなので、そんなのでいいと思う。
人のタイムラインは知らない。
各自よしなにしろ。
俺はお悩みを募集しない。
各自散れ。
定点観測。
洋服の収納が洋服の収納になっていないと奥さんに言われるの巻。
いとうせいこうさんが断捨離を進めている。焦るではないか。
別に何党が政権取ろうとええねん。
良くしようと力を尽くしてくれて、良い社会に向かえば。
住んでる選挙区、候補者ぜんぶ何やねん。という感じでして。
比例代表選の選挙に行く感じですわ。
あーあ。
(行くけどね。)
ボードレールの詩集を古本でゲット。堀口大學さん訳の悪の華を探していたところ、訳者は違うが装丁の良さそうなのを見つけた。佐藤朔さんという方が翻訳されたもので(悪の華も収載)、私の生まれた年に出版されたものだが、写真の冒頭部の訳を見て興味を惹かれた。
ちびりちびりと読みたい。
仕事の合間に悪の華の冒頭を読み始めたが、ボードレールも生きづらさを抱えた人だったのかなと思う。
詩人は苦悩する。苦悩に神聖な意味を見出したかったのかな。
詩人だから苦悩するのか。苦悩するから詩人になるのか。
堀口大學さんの訳詩集については、月下の一群をポチった。
この中には、小西康陽さんが夏木マリさんの歌で使用した「鎮静剤」という詩も含まれているようだ。
こちらも到着が楽しみである。
堀口大學さんの訳詩集「月下の一群」が届いた。文庫本だが、けっこうな厚みがある。ちびりちびり読もう。
僕の場合、言葉の数を減らすには時間というフィルターが要る。
言葉を発する時は既に私のフィルターを通っており(このフィルターは人生経験に基づく)、この発した言葉はその時の自分と1:1の関係で同質化しており、そこからまた言葉を選ぶには、未来の少し変化したわたしに委ねるしかない。
月末でおこづかいが無くなって、言ってみれば瀕死である。
衣替え。半袖の服をしまいます。
今日から厚いかけ布団出した。
気温が低下すると、生命活動の活性も低下するのだろうか?
何が言いたいかというと。眠い。