つぶやき2020.12.7-12.13
今度の年末ジャンボ宝くじが当たったら奇跡だと思う。当たったら嬉しいよね。使い道は好きに使うよ。まぁ、宝くじ買ってないんだけどね。
おでんでんででん。
バルト海峡で獲れるケバブを西ケバブ、カムチャッカ沖で獲れるケバブを北ケバブと呼びます。
カムチャッカ沖で獲れる北ケバブの卵は珍重され、高級レストランでもなかなかお目にかかれません。
北ケバブの中でも赤ケバブと青ケバブがあり、赤ケバブの方が味が良いとされます。
ケバブはその鳴き声がケバブケバブと鳴いているように聞こえることからケバブと名付けられました。
欧米では鳴き声が違って聞こえるのかキュバブと呼ばれています。
しかし国際ケバブ会議の2019年度の調査によるとケバブの生存数は減少の一途を辿っており、ケバブの国際的な保護が叫ばれるようになりました。
ケバブの雌が卵を生むと、雄のケバブが口の中で子ケバブが孵化するまで育てます。人口の孵化が難しいことも、ケバブの数を増やせない原因とされてきました。
しかし、この度我が社は、画期的なケバブ養殖技術を見出しました。WO国際特許出願もしています。この画期的技術を更に発展し国際的事業とするには莫大な費用がかかります。あなたの資金援助が必要です。小口の投資でも構いません。賛同される方は下記口座に現金をお振り込みください。→みずほ銀文字数
人間はほぼ猿だからね。
マウント取りやすい人は本能に忠実なんですよ。猿の。
本能だから仕方ありません。ほぼ猿ですから。
より猿に近い個体がいる。本能的でなくなったヒトからすると原始的だなと思うわけです。猿が猿をマウントし、猿が猿を猿だなと思っているわけです。
丁寧にいうと。
猿(より猿に近いヒト)が猿(本能的でなくなったヒト)をマウントし、猿(本能的でなくなったヒト)が猿(より猿に近いヒト)を猿(ほんまの猿)だなと思っているわけです。
本能的で無くなった猿は、本能に忠実な猿と共存できるのか?
実は、2020年の分断化された社会の2軸構造はこれなんです。
ものごとによって、立場が入れ替わるのがポイントです。
みんなその人なりに懸命に生きているのだと思う。自分の思い込みで人の生き方を馬鹿にする人が大嫌いだ。
とどのつまり心の無い人とは共に生きられない。感情とは違う別のお話。
西ケバブ二丁目三番地
ビリージョエルのレコジャケみたいな夕焼けの色やった。
自分の中にある本能と理性そしてアンビバレント。他者の中にある本能と理性そしてアンビバレント。そこの間の折り合いをつけることが、人は下手になってる気がする。
一見協調を示す時代が過ぎたが、ポーズだけの協調の時代であったので、今度は自分の中の折り合いがつかなくなり、それが他者への攻撃性という形で表出している。
これを乗り越えるためには、自分を見つめ直し、他者を見つめ直し、そしてまた自分を見つめ直すことだ。
頭の中でやっているだけでは、自分の中でぐるぐるしているだけだ。
人との関わりの中で、自分と相手を発見することが大切だ。
思い込みは禁物。
結局人は自分の存在を認めて欲しいのだ。その時自分を認めてくれと闇雲に叫んだり、自分を認めてくれない相手を否定ばかりしていても駄目だ。
自分の存在を認めて欲しいならば、相手の存在も認めることだ。
最低のラインとして、自分と相手の尊厳を認めなければいけない。
私は人の尊厳を踏みにじる人間が大嫌いだ。しかし私はそのような人間にも尊厳を認めている。私にも感情はあるので、近づいたら尊厳を否定しそうになる場合は距離を置く。
人はすべての人の味方にはなれないが、わざわざ敵になる必要もない。
自分の鬱憤を晴らすだけのために相手を攻撃しないことだ。
相手に向けたその刃は、やがて自分の喉元を掻き切る。
人への攻撃性は、その者の幼さ、未熟さ、経験の足りなさから来る、不理解によるものが殆どだ。
人を攻撃する行為は、自分の未熟さを曝け出しているに過ぎない。
これがわかっている人とはどこかで分かり合える気がしている。
そのような人は、自然に相手を尊重し、敬意を持つ。
そして、いい顔で笑い、泣く。
怒りは良い。
怒れ。
問題は怒り方だ。
魂の問題である。
ラーメン。
5時間ほど前だが単調な作業をしている時にデジャブの感覚があった。何年かに一度ある。だからってどうもないのだがその時は不思議な感じがするよね。
夕食を戴いたあとキッチンで忙しくしている奥さんが一言。「作っただけで終わりじゃないのよ。」
同じセリフを神に言う女神の姿を想像した。創造は続けなければ役に立たなくなる時が来る。
1人で飲む酒は好きに飲むがいいが、皆で飲む酒は皆が楽しい酒を飲め。
テキーラなど尚のこと。
人格とお金の間に相関は全く無い。(二回目)
金で腐る人がいる。残念ながらお金を生かす人は少ない。
儲かるとそこにろくでもない人達がすり寄ってくる。だから最初は素晴らしかったお店や製品やコンテンツも流行るころには粗悪さが混じってしまうことがある。大きくなるというはこうした残念な結果を引き起こす確率を増やすことでもある。
規模により個人ではできないお金のかかったプロダクツが生まれることもあるが、長期的に規模が大きくなるとプロダクツの質は落ちるリスクがあり、おかしなことに(原理的にはおかしくないが)売り上げと質の間にトレードオフの関係が生まれやすくなる。
純粋に質を追い求めるなら、小さく仕事をする方がいい。
そうも言ってられないという人は質より金が欲しいのである。
多くの人に行き届いた方がいいプロダクツもあるだろうから、必ずしも大きくなるのは悪いことでは無い。
どう質やクリティカルな性能や安全品質を維持するかが技術者の腕の見せどころであり、本来経営はその技術を支えるものでなければいけない。
ものづくりをしているのならばね。
あー。ナマコ食べたい。この辺売ってない。し売ってても高い。あそこで買うか。
松本大洋コラージュ
もうじきクリスマスですね。