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つぶやき2024.11.25-2025.2.2

疲れる世界やな。
どこ見渡しても。
地球人終わってるのでは。

人生はもっともらしい顔をして、その実、全く合理的ではないし、かと言って、馬鹿にしていると生活に困る。芥川龍之介が言っていたようなことだが。わたしのような愚直な人間には、ほとほとくたびれる。

決まり手は肩すかし。くらいこの世に手ごたえがない。

人の間と書いて人間というのならば、人間とは不確かであやふやで要領を得ないものである。

ハレとケというが、気分的には、ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケハレケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケという感じである。ケケケケケケ。

若い時は想像したことも無かったけど、根っこから腐ってる人はびっくりするくらい悪手しか打たないものだよ。1兆パーセントそれ。

人間なんてララ-ラ-ララララ-ラ-ゆうけど、正しくは人間なんてミド-ド-シラソラ-ミ-らしいぞ。

この世界の社会的成功者はわがままなだけではないのか。ずっと、変なの。と、思っている。
世界中の政治家やら大金持ちやら。影響力を及ぼしうる人達が、頭乗っ取られてる感じだからね。世も末って感じだよ。一昔前はプロパガンダによる自家中毒みたいな感じだったけど、ステージ変わってる感じだよね。感じって5回言いました。

今月は特におこづかいがカツカツ山のたぬきさんです。
この投稿は役に立ちましたか?(聞いてない)

人生なんとかなるって言ってたのは一昔前で、これからは何ともなんなくなると思う。
景気が悪いとさもしくなるし、景気が良いと調子に乗りすぎるものなーんだ。
正確は、あなた。

韓国荒れとるの。
まともな国ほんま少ないな。
当たり前がまかり通らない国は駄目だよ。

人類、末期やと思う。
人間、偉そうにしているが、どうしようもなくしょうもないことだらけである。
偉そうにしてるの、ほんまみっともない。
各国の首脳を見ていると、みっともない人間選手権大会をしているのだと思う。

政治に殺されそう。
この世界はディストピアより酷いのではないか?

SNSを見てもメディアを見ても、頭おかしい人の方が多いし、まともだった人もストレスでおかしくなっているので、ほんと余計な人間の繋がりいらないと思っちゃうよね。
孤立すんのも生きるのがしんどいとは思うけど。
コンフォータブル感ゼロの世界。
全く気が合わないんだけど、これ誰の嗜好でこうなったのよ?

倫理観の違う人とは決して仲間になれない気がする。
最近の思いつきだけど、倫理観が近いもの同士しか仲間にならない。糞同士も同じ。
戦争などその最たるものだが、全く自分とは相容れない倫理観で世界が動いている。生きにくくて当然である。

人類、俺の足を引っ張るな。

カリスマ的な人は世の中にいることはいるが、あとあと冷静に見てみれば、ただの自分本位な人間だったという経験があるので。まず疑ってみるようになったね。

Yahooニュースとかを見ていると、なんてことない話題で何度も記事になる芸能人などがいると思うんですが、実家が太いってことですか?
それとも、実家が太い人に囲われてるってことですか?
知らんけど。

今日クリスマスイブやったんやな。
鶏もターキーもケーキも食わず25日になって気づいた。

2024年。そろそろ本気出す。(2024.12.25記)

金欲などない。

2兆円欲しい。

CDプレイヤーは無い。

今DJをする機会がもしあったとしたら、
絶対どれかかけるやろな。

年賀状の絵出来ました。
今年は消しゴム版画です。

わがままを英訳すると、my motherになる。
そんなの常識〜。

嫌な上司の褒め方
『お猿さんみたいで可愛いですね。』

悪人は賢いと考えている人もいるようだが。
そもそも悪人は普通の人と行動原理が違うので。
例えば、悪人の目的は人を騙し欲を叶えることだったとする。
その目的が見抜けないと、人はその発想がないので悪人が何をするか予測がつかない。簡単に騙されたりする。しかし、目的が騙して欲を叶えることだということから考えると、その行動は合理的で自然であるし、大した知恵も働いていない。
話がちょっとややこしいのは陰謀論である。
この場合、悪人でないものが悪を目的に行動しているという盲信があり、事実よりもありもしない悪事の証拠をつかもうとすることが陰謀論者の目的になっている。悪人でないものを悪人とする(自分の目的を叶える)情報を嘘でも信じる。昨今はアルゴリズムの問題もあり、周囲には嘘の情報しかなくなる。そんなことを敵対する二つの勢力がお互いにやっている多層構造になってたりする。正しい事実を述べるものは(自分の目的を叶えるものでないため)弾劾される。わかってて断罪する悪いやつもいれば、騙された人が誤った正義感で断罪することもある。メディアの中にもアッチ寄りの人が紛れているし、正しい意見を言うこともめんどくさくなり、ますます誤情報が蔓延る。
更に話がややこしいことには、悪人が全く悪事を認めずむしろ自分の行動を正当化する風潮である。悪人(加害者)が被害者づらして、(デマも溢れているので)案外それでまかり通ってしまう。それどころか、被害者が加害者にされたり、デマの為に多大な労力やコストを支払わされたりする。
もはや現実がでたらめでぐちゃぐちゃである。
しろうとに出来ることは、他人相手に、感情的に反論しないことかもしれないが、悪人や騙されて正義感をふるう人は相変わらずそれを続けるだろうし。政治で良くないところがあれば声を上げるべきだが、先の行動と行動だけみると区別つきにくいし、悪人や業者はそれを潰そうと反論を試みる。地獄の様相である。
嘘のような話だが、それが現実であることは、ツイッターの慣れの果てをみたら文字数

Xのアルゴリズムはイーローンマスクへの憎悪をつのらせると米スタンフォード大が発表。

アルゴリズムが崩れると、TLが呪怨に満ちる。
かと思えば、アホな投稿しか現れない時もある。
結局、SNSなど、アルゴリズムの気まぐれで見える世界は変わるので、世界の何も見ていないに等しい。或いは毒を見せつけられたりね。

不機嫌の忌むべきところは、その負の感情が伝染することである。必ずしも意味を伴わず不快感のみ伝染することもある。

今日も世界はとち狂っている。(ニュース見てる)

あいつ得をしている。気に食わない。潰せ。と言って結局全員が損するまで損をしつくす世界があるって聞いたんですけど、こちらで間違いないですか?

混乱が目的って人(混乱に乗じて儲けてる人)もいるんだろうね。

死んだはずなのに、まだ世界は文鮮明の呪いにかかってる気がする。

電気ですか!

電気があれば何でもできる。

関西電力です。

みんなコスパ、コスパ言うけど、この10年とか20年で全部コスパ悪くなってる感あるよね。
今年の漢字は「金」らしいが、うちには金がない。
万博行く金があったら焼き鳥行くよ。

中古市場も含めて、レコードの価格もインバウンド需要というか外国のディガー向けに値付けされてきているので、日本人からみると、モノによっては購入するのがキツい。

なうすぴにんぐ。
一回りして、レコード何を買ったらよいかわからなくなってきました。(お金が限られているので買ったあと買ってよかったかむっちゃ考えてしまう。)
これはいいんですけどね。おもしろいから。

片面同じ曲のアレンジ違いしか入ってないのに、トータルアルバム的に聴けてしまう。インストも全ておもしろい。すごい。

良い。くらいのものは手放していかないといけないのかなあ。
すごく良いものに手がのばせない。

いやー、今日は裏金日和ですね。
自民党です。

GANTZという作品があったが、あれみたくバランスをつかさどる神様が寿命を迎えて、世界のあちこちがバグっているかのような、いかんともしがたいどうにもならなさがあるね。

人格を否定するのは良くないと言われるが、わたしの場合、全人類駄目だこりゃ。と思っている。

#なうすぴにんぐ
穴盤としては、RCの楽曲の中で、クラブ文脈的に1番再評価されてもおかしくないと思うのがこの曲とずっと思ってるんですが、そうはなりませんね。
そんなもんです。
個人的には、たしか高校生の時テレビで偶然ミュージック・ビデオを見た時からずっとかっこいいと思ってます。グルービーです。

世の中、ほっといて良くしてくれる人など、まずおらん。

自由と無秩序の区別がついてない人はちょっと。

いい人って言うのは、言うことを聞く人のことじゃないよ?(なんか見た)

例えば政治家みても、性格や言ってることが無茶苦茶でも賛同者が出てくるくらいなのだから、あんまり縮こまって生きる必要はないと思う。
もちろん丁寧に言葉は扱った方がいいというのはあるとして。下手(したで)に出すぎる必要はない。
むしろ、いい加減にしろや。って人の方があつかましい。

人間の内面的な大きさに対し態度の大きさをプロットすると反比例曲線となる。
器の小さいやつほど態度がでかい。
器の大きい人ほど謙虚なものである。

嘘って言うのは、言葉だけじゃなくて、行動した結果で確定する。
僕の場合、とにかく結果を見る。で、結果に対する言動を解析して、その人の人間性を判断する。
一度や二度の嘘で人間性までジャッジしない。
世に言う嘘つきは、何度も繰り返し嘘をつく。
投資やギャンブルなどお金にまつわること、或いは、人間関係などの信用にまつわることまで。
わたしの最大のリテラシーは、騙されても(或いは損をしても)わりきれるところまでしか賭けないことである。
情報に対しても同じである。

学術会議の法人化、良し悪しはわからんのやけど、法人化したら官僚が天下るんやろうな。

人のあざとさに気づく人って、あざとい人を完全に見透かすので、基本あざとい人に好印象はもたない(裏が見えるので好きになれない)。
しかし、この社会のメインストリームは、あざとい人と、あざとさに気づかない人が大半のため、あざとさに気づく人はメインストリームから外れていく。ここは馬鹿に最適化された星なので。
この世界の生きづらさのほんの一例である。

人生の独自性について言うと、誰に生まれたとて、別人であるその人が生きたようには生きないだろう。選択こそが人生を形作るから。
その意味においては、その人の人生は100%その人のものである。

ハイな(調子に乗った)時ほど見落としがあるものである。

わしのインスタの音楽情報は異常。(4回目)

シューゲイザーはコレクターズアイテム化してきてるよな。
投資として値上がるレコードもある程度察しはつくのだが、投資基準でレコード買うてへん。

昔に比べると何がなんでもこのレコード欲しい。という感じでもない。何なら軽く10年以上ずっと欲しいレコードとかもあるのだが、手に入らない時はほんとに手に入らないものなので。慣れた。

わたしの欲しいものなど、せいぜい10万円も出せば手に入るものがほとんどだが、これが手に入らない。
2兆円欲しい。

お金がなくて力が出ないよぅ。

世の中のことすっとばして買い物のことだけ考えると物価1/10くらいになってほしい。

本や映画や絵画などは、良いと思ってもある程度欲を殺しているので、まだ音楽だけはただのサラリーマンでもこれくらいには好きなものを集められた。買い方がDJ的であるし、世の本気のコレクターにはかなわない。
わたしが音楽のリスナーとして秀でたところがあるとすれば、それはほんとに沢山の様々な音楽を長い年月聴き続けてきたということだけでしょう。

ものすごく単調な暮らしをしている。

人生それなりに頑張ってきたけれど、同時に、何をやっているのだろう。というのも、半分ある。

招待されないのでmixiやったことないし招待されないのでmixi2もやらない。

それにしても夕食のパスタは美味かった。奥さん本気になるとやっぱすごい。

目覚めた時に、オートマチックに信仰というものを考えていた。
信仰する人にとって、話が真実か否かはさほど重要ではないのかもしれない。
信仰することを選択することで、迷うということを放棄したのかな。(それでも迷う人もいるのかもしれないが、それでも一部の迷いについては考えないで済ましてる気がする。)
客観的にこれを他者の視点で善だ悪だで考えようとすると場合によるのだろう。信仰している人も、他のものを信仰している人を見る時は善だ悪だでジャッジしようとする人もいるのかもしれないし。
ある種のことに対して完全に受け身であることを積極的に(能動的に)選択したということだろうか。エセ宗教となると、この能動的というとこがグレーというか、ダウトしたくなってしまうが。
わたしは疑い深い人間なので、信仰するということが善行なのかと考えると、どうなんだろね。と。必要以上に関わらん態度を選択しちゃうのかな。

この世界には、愛もあるのだろうが、呪怨もまたあるのだろう。友を求める人もあれば、生贄を探して回る人もいる。昔からそうなのだろう。

若いうちは、ごまかすことが嫌いというか、少なくとも抵抗感があったかもしれない。
しかし、歳も重ねてくると、ある種のごまかしはしていかないと、それこそ生きることが難しくなってくる。
例えば、そこに愛情や友情や信頼が存在しているかのように振る舞うこと。人間関係を円滑にするために多少のサービスをし合うことを拒んでいたら、社会的に孤立していく。人間が孤独であることに恐らく変わりはないが、多くの人が、嫌、そんなことないですよ。と、明るく振る舞おうとしているのだろう。そうしなければ、寒々しい世界はますます寒々しい顔をみせる。

忙しくしている人には、性分という人もいるだろうが、余計なことを考えず悩まずに済むからという人もいるだろうか。
何でも過ぎたら塩梅がよろしくないが、忙しくしている方が健康にも良さそうである。必要でもないことにがんばるのは好きなことでもなければ精神力がいることだし、仕方なくも忙しい方が自然と健全な状態を保ちやすい気がする。
心から納得してそう思っているかというと、わたしは天性の怠けものなのでやれやれと思っているが、生きる知恵というか、生きること自体が致し方ない現世では、その方がうまくいくという、経験的な、対処療法的な話である。生きてる以上はバランスを大事にする必要がある。

ちょうど良いって、案外難しい。
もう20年以上、何事にもちょうど良いとこを求めて生きていて、わりとちょうど良いとこを見つけるのはそこらの人よりうまい方だと思うのだが、それでもバランスを取るのは簡単じゃない。
恐らくものごとは、どちらかに偏ったとこで安定しようとするので、それをやじろべえのようにバランスの取れたところにシフトするというのが、わたしの人生に対する対し方というか。生きてくスタイルなのだろう。

欠点はというと、バランスを大事にするあまり、自分の「好き」を抑えがち。
人からは案外マイペースにやってるように見られがちなのだが、本人的には、もっと自分の好きを大事にしないと。と思う。

自分の「好き」を叶えるために、わたしはよく1人で行動する。自分の「好き」を気兼ねなく思う存分味わうために、1人で行動することで自分のバランスをとってきたところがある。

わたしには、同郷とか、どこで暮らしたとか、どこの学校出たとか、そういう環境によるシンパシーがほとんどない。
どの環境にいても、人それぞれだもの。
イデオロギーも興味ないし。群衆心理はむしろ嫌い。
そもそも、人の属性に興味がない。

#なうすぴにんぐ
近田春夫さんと言えば、これも名曲である。
歌詞もなんとも言えないし、かっこいい。こんなかっこいい青春の曲ない、わたし的には。
この7インチも探すのに苦労したので、そういう意味でも思い入れがある。
面影ラッキーホールとパスピエが、それぞれ違った感じでこの曲をカバーしていて、そちらもかなり良いです。

何かよろしくないことがあった時。
それを悪とし真っ向から否定して克服してやろうと考えたりするものだが、そううまくいかないものである。
真っ向から対峙しても、誰が勝った負けたの話になるだけで、一向に問題は解決しない。
糸を切ってしまう手段もないわけではないが、絡まった糸をほぐすには、感情的になっても、やけくそになっても駄目で、一つ一つ絡まったところをほぐすしかないのである。
人生はめんどくさいものなのだよ。

大阪恒例。

滋賀のお酒。
強いて言えばメロンのような淡い果実味がある。上品な甘さ。食事と合わせるより、単独で飲んだ方が味の輪郭がクリアになるかも。

来年の抱負。
あ。あ。あー。あ。あ。コホン(咳)。あー文字数

向こうから矢沢永吉が歩いてきたら、あ。矢沢だ。って言うと思う。

部屋にケルヒャーをかけました。
現場からは以上です。

お正月を海外で過ごす人達とは、人生全くリンクしてない。

昨日謎のUMA(未確認動物)が送られてきました。試しに食したところUMAかったです。

金にものを言わせて松葉ガニをゲットしました。
10年ぶりくらい?値段1.5〜2倍くらいになってるね。もうマグロ漁船乗るしかないくらいなんでもかんでも値上げしてるね。

胡蝶の夢という話があるが、ごくたまにこうして生きているのはすべて夢ではないかと思うときがある。
nhk、夜10時から量子もつれの話らしい。
人生もつれにもつれている私からすると、いささかの興味がある。

nhk。量子もつれの話、消化はできてないんだけど、まず、量子もつれ的なことは観測されると。で、観測されるんなら、それを利用しちゃえ。という応用研究がむっちゃ進んでる。と。しかし、なぜ量子もつれ的なことが起こるか、今んとこ頭で理解しようとしても誰も理解できない。と。

仏陀の言葉を借りると、この世は、「色即是空、空即是色」と。そういうもんでっせ。と。そういうもんでっせ。いうことに、だってそうなんだもん。以上の答えは果たしてあるのだろうか。
色即是空、空即是色をもう少し掘り下げると、この世のすべてのものは恒常な実体はなく縁起によって存在する。と仏陀は言っていて。

なんで量子もつれが起こるかって理由を、仏陀は縁起である。と言ってんのかな。

量子もつれの話、結晶多形の話を連想する。

量子もつれの話。アインシュタインが1番健康的とは思う。嫌いになれない。
若い頃量子もつれの話を聞いていたら、それでもわたしはアインシュタイン的に世界を捉えようとしたかもな。子供の頃に感じた世界は、とても輪郭がくっきりしていた。しかし、年齢を重ねるに従い、もつれと言えばもつれのような、抗えない混線みたいなものに翻弄されてきたような印象もまたあって。物理化学的に理解しているわけでなく、事象の観察の結果というか、体感として、何かがこぼれ落ち続けたり、絡まり続けたり、時に抗いようもなく混じったり。可逆的ではない混線というものがそれこそ一日に数えきれないくらい起こっているというか。巻き込まれてる感はずっとあるのよね(歳がいくほどはやくなってる気がする)。

仏陀のことを金仙(こんせん)と言うらしい。
言葉遊び的に混線と同じというのは何ともね。太古から人は言葉遊びにとらわれる。

波動方程式とか、大学で量子力学苦手で式とか暗記で覚えてたんだけど(もう忘れてる)、そもそも量子の世界って、誰も本質を理解してやってるわけではなかったのね。そういうもんとしてやってたのね。

番組中で耳に引っかかったことから深掘りもせず思いつきで書くんだけど、時間とか空間ていうのは、ある座標における観察の結果(その座標においては絶対的に振る舞うもの)みたいな考えになってきてるの?

レットイットビーというけれど、ものごとには流れに身を任せてよいこととよくないことがあって。もちろん大局的には、大きな流れにはそうそう人は抗えないものだけど。まあ、大きな流れには乗りつつ、その中で生じてしまうちょっとした不備や不具合に、根気よく手直しをし続けるというか。
ちょっとしたことも積み重なるとそれは手の施しようもないくらい重大な問題になるから。
こまめに日々手直しを続けて、大きな問題が起こらないようにする。
それも生活。というか、それが生きていくことの基礎。

子供のころは子供のころで色々あったので、単に思い出を美化しているわけではないと思うが、子供の頃はもっと世界を美しいものとして見ていたように思う。善とか悪とかそういう話じゃなくて、単純に美として。
人工物のデザインみたいなものは昔よりうまくなっているのかもしれないが。何だろう。世界を見てもなかなか美しいと思えない。完全性とか調和の問題だろうか。昔より世界の純度が低くなってしまったように感じるのだ。

いくら聴いても感性がシンクロしないメロディってある。

ルッキズムって、見た目を肯定するのは別に問題ないんだと思う。好みの問題なんで。否定をしかも表明するのがアカンのやと思う。

母性ってすごいと思う。母性が働かなかったら、悪ガキも駄々っ子も、可愛いものではないと思う。

現代人は精神が弱い。古文書に書いてあったから間違いない。

西洋の宗教では、かつては神に仕える御使いであった堕天使ルシファーが、地獄の長サタンとなった。サタンは悪魔の概念である。
一方、仏教では、地獄(冥界)の王は閻魔大王であり人間の死後に善悪を裁く。地蔵菩薩の化身とも言われる。
つまり、西洋と東洋で地獄のボスは善悪が裏表である。
わたしなんかはどちらも人間が作り出した想像だと思っているので、どちらが正解というのもないと思うのだが、宗教によるその違いについて考えを巡らせれば、だいぶ暇が潰せそうである。

この世界はそういう目で見ようとしたらオカルト的なことはいっぱいあると思う。興味がそっちに持っていかれる人もいるだろうけど、オカルトを探究しても沼にハマるだけで、実から遠ざかる気がする。ま、沼ってるのを実と感じる人もいるんだろうけど。

帰省。
年越し蕎麦は例年食べていましたが、家族会議の結果、今年はキャンセルになりました。習慣としてどうなのかというと、先ほど届いたおせちを今日から食べたいという母を誰も止められません。自由だあ。

数年前から話題になってて気になっていた紅まどんなをはじめて食した。びっくりまではしないけど、たしかに美味しい。ほんとにゼリーみたいな食感だね。味も嫌味がなく上品で爽やか。母の方が相当気にいったみたいで、一瞬で食べたのにびっくり。

毎年恒例のすき焼き。

内村も有吉も紅白の司会に安定感あるの、うさんくささとか駄目な感じも慣れっこで、流されないというか一緒に堕ちていかないんだろうな。受け応えているようである程度で流すみたいな。場数。

2025年、来年は本気出す。(2025.01.01記)

ヘビ年といいますと、脱皮とかけまして、新しく生まれ変わる年と言われたり言われなかったり。人間はそういう話好きね。わたしヘビだからよくわかんない。あ。ヘビだと思ってないでしょ。どうやってヘビがSNSやってるんだって。遅れてますね。SNSユーザーの8割はヘビです。びっくりするわ。
あなただって口にしたことあるでしょう。ヘビーユーザーって。ヘビのことです。びっくりするわ。

最初に謝っておきます。
ごめんなさい。
業の深さのテストです。
あてはまるものが多いほど業が深いです。
1. 涅槃で待つと言われたことがある。
2. きもちくしてくれてありがとうと言われたことがある。
3. 金髪ブタ野郎と呼ばれたことがある。
4. けつ穴を確定されたことがある。
5. うゎぁ~この日本を~、あー世の中をぉ~変えたいと人前で号泣したことがある。
6. 多目的トイレの使い方を間違えた。
7. 両耳が聞こえないことにしている。
8. 素足に革靴を履いている。
9. 気が付いたらパンツに何か入っていた。もうパンツはかない。
10. STAP細胞はあります。
あなたはいくつ当てはまりますか?

ことわざダブバージョン

二兎をおうおうおうおう

一兎をもえもえもえもえ

橋本環奈のお父さんは漫才師。
橋本環七・環八の環八の方。

赤だしに(ひきわり)納豆もグッドですね。

抹茶をたててもらいました。うまい。

母親のマイナンバーの交付手続き中なのだが、高齢者には色々と難しすぎる。
紙の保険証我が家的にはそのまま使えた方が助かるよ。俺はどっちでもいいんだけど、母親マイナ保険証たぶんわかんないと思うもの。高齢の親御さん抱えた人はうちとおんなじように困っているのでは?

台湾は誰一人取り残されない社会をスローガンに掲げてたことがあって、素晴らしいと思ったけど、日本は真逆だね。弱者を切り捨ててばかり。或いは弱者中の弱者だけ面倒みて全体のバランス見てなかったり。まあ、少子高齢化で人手は足りないんだろうけど、台湾なら違うやり方やってるというか、もっと工夫してたと思う。日本は知恵が足りないんだよ。それ以前に、頭でっかちで充分調査せず、良いアイデアを生むために必要な前提条件を把握してなかったり。問題点を把握する前に詳細設計始めちゃうから、そりゃ問題起こるよ。なんて感じで不安だらけでも、技術的な実情わかってない人が音頭とって推進だけしようとしたりね。仕事できない人というか、会社だったら失敗するパターンになる進め方で物事を進めるというか、行政してまう。イライラするよ。

帰宅。
奥さんがレコード棚買うてくれたおかげで聴きたいレコードすぐ見つかる。感謝。

社会人になってからも、レコードのエンゲル係数的なものが高くて、生活感的なものは学生時代の延長みたいな貧乏くさい生活で我慢していたただけあって、レコードだけは我が家充実している。

わしのSNS見たことある人にはわかるだろうけど、世界を見渡しても、わしほどレコ棚のレコードさらしてる人そうはおらんと思う。

観てきました。
ラスト良かったです。情報あまり入れないでみたのでそうきましたかと。中盤からちょっと集中力がダレてしまいましたが最後までみるとあってよいシーンだったんだなと見終わって回想すると味が深まりますね。

晩酌。
奥さんのお母さんのお裾分け。
激うま。

奥さんの風邪をもらってしまった。
さほど熱はないのだがむっちゃしんどい。

微熱しか出てないのだが、風邪むっちゃしんどい。
何年も風邪ひいてなかったので、あれ?こんなしんどかったっけ?となってる。

風邪ひいただけで、健康ってありがたいよなと思う。

風邪でだるい時に限ってめっちゃ忙しい仕事が舞い込んだ。在宅勤務で処理じゃ。

人間を英語でhumanという。不満ばかり言うからである。そんなの常識。

昨年株で売買された額は2000兆円を超えてるらしい。
わしも2000兆円欲しい。

金正恩もはやゴミだな。

自分が嘘だらけの発言をして社会を混乱させて、人の正当な反論に社会的嫌がらせをするって、暴力以外の何ものでもないよね。本質的に。
何とか党の人ほんとアカンよね。

世界よ。

無茶は言わんから、せめて普通にしてくれ。

チリプチ音がしていたレコード、水洗いしたら音がクリアになった。チリプチ音、まずは水洗いに限る。レーベルは濡らさないようにね。

なうすぴにんぐ。
ニコラコンテがプロデュース。
上質。

愛聴盤になりそう。

そっかー。
nhkを見ていてはじめて知ったのだが、大滝詠一の『青空のように』は、長嶋茂雄のことを歌っていたのかー。子供の頃は男の子が女の子のことを想ってる歌かと思って勝手にのほほんとした気分になっていたが、そう聞くと、たしかに長嶋のことを歌ってるとしか思えない。面白いなー。

世界の何割くらいがここ1年くらいのイーロンマスクをまともだと思っているのだろう?
インターネットやSNSにより何が私に可視化されたかというと、人類はほんとどうしようもないということだけ。

ほんま自由になるお金がない。
貧乏は大丈夫だけど、貧乏くさいのは嫌。
若かりし頃の奥さんの言葉である。
わしは貧乏も貧乏くさいのも嫌じゃ。
常日頃から2兆円欲しいと言ってきたが、インフレなので2千兆円ください。

健康上の理由から、体重を減らしたのだが、コロナ前には戻っておらず、昔買ったダウンジャケットのファスナーがまだ閉まらない。
芸能界デビューしたらキャッチフレーズは、アラカンのボンレスハムにしようか。

社会まるであかんので、俺はとうに見捨てている。

ほんとに世界を見渡してみれば、ど腐れ野郎がいくらど腐れな言動を繰り返しても、本人がそれを押し通せばそのままそれがまかり通ってしまうことが可視化されている。世界のど腐れ指数は高まるばかりである。お陰でこの世界は糞ツボである。外界に触れれば他人の糞が臭くてたまらない。という環境で自分の心を健康的に整えていかないと人生を続けていけない。
まさに人生糞ゲーである。おはようございます。

ここ数年の世界の権力者にトレンドを見出せるかというと、印象的には、いかに効率的に人類を駆逐できるかという共通項しか見出せない。

諍いばかりの人類を見ていたりすると、わたしが神を擬人化したら糞野郎にしかならないのだが、人類は自分に都合よく何でも有り難がるので、人類のことなど、わしにはわからんよ。

合理的に考えるのであれば、合理的な人間など一人もいないという結論に到達するはずである。

南無阿弥陀の反対語は何ですか?というと、未来永劫輪廻転生して呪われた生と死を繰り返せ。ということになるのかな。

リンチ監督がやたらTLに現れると思ったら。
そういうことか。

長くてもあと20年も生きないのだろうから、もう少し楽しく生きたいよ。今までの人生、けっこう散々だよ。

人生、暗夜航路みたいなフライトなのだが、文句を言おうにもこのまま飛び続けなければ今にも墜落するくらいの如何ともしがたさがある。

人生はダウナーですが、料理はアゲアゲでした。美味しかったです。
#飯テロ

なうすぴにんぐ。
現行ソウル良盤。

若干塩辛声でありつつ高音がのびる特徴のある声をしている。

結局のところ、人間の知的活動とは、不条理な環境やどうしようもない人間社会の中で、これにのみこまれず、良心としての意地の一徹を体現し続けることなのかもしれない。

日本人はやるべきことをやりもしないまま、やらない自分にただ駄目出ししていたり、やらないで心配ばかりしている人が多いね。
人なんて怠け者だから、あれこれ考えたって、やらなくて済む理由を探す人がほとんどだよ。
あれこれ考える前に、理想の1/100でも良いからなんかやってみた方がよっぽど身になると思うよ。

人に甘えること、弱音を吐くこと、頼ることが、とても怖い人がいるようだ。
本音を言って、受け入れてもらえなかったり拒絶されたりしたらと考えると、傷つくのが怖いと。
まあ、わたしもその辺うまくはないんだけどね。
生きていたら、どの道傷つく。本音を言おうが言うまいが。往生際が悪いだけの話しである。傷ついてナンボと開き直った方が、人生さわやかだよ。
だいたい世の中を見渡してみてほしい。みっともないくらい人に甘え、弱音を吐き、頼りまくってる人も全然平気で生きている。
人間、自分の行動を抑制しているのは、大概自意識による思い込みからだよ。ま。行動にタガが外れるのも、的はずれな自意識によるもの(客観的に見ると勘違い)だけどね。
大怪我するのは、本音を言ったり甘えるべき相手を間違えた時だよ。残念ながらこの世界には全く信用ならない人間もいる。慎重になるべきはむしろ人を選ぶ目だよ。
あと甘えるにしても、何もかんも丸投げは誰しも心よく思わない。親しき中にも礼儀は必要。常識程度に人を尊重していたら、意外と本音で話しても大丈夫なものだよ。礼儀は人を立てるためって思ってるかもしれないけど、むしろ身を守るためだよ。

若い頃、卒業文集に、今その時を大切に。と書いたくらいで、今という時の大切さはほぼ生まれつきわかっていたが、今だけ見ていると悪い意味で刹那的になることもあり。いい歳したじじいになると、(未来という)前を向きつつ今を大切に生きることが、建設的で健康的なのだろうと思う。今頃言ってんのか感もありますが。
まあ、人生なんて糞とも思いつつ、それでも生きていくことになるのであるならば、そんな感じで時にライドした方が、余計なトラブルの少ない安定したドライブになりますよ。と。ルー大柴です(嘘)。

いっぱしの人って、いかに駄目なものを世に出さないか。って、すごく大事にしてると思う。
駄目なものを人目にさらしてる人みると、ほんとこの人駄目なんだろうな。と思う。

なんとアナログ再発されるんですね。我が青春の一枚。もちろんオリジナル持ってます。

1日摂取したところで死ぬことはない。2日や3日でも大丈夫だ。しかし何年も毎日摂取し続けたら健康を害して早死にする。世界はそんなもので溢れている。ボーっとしていたら誰も気をつけろとは言ってくれないし、逆に気をつけろという人がいても過剰な陰謀説にはまっていてバランスをかいていたり。世の中、ちょうどいいとこ下手か。

社会人として、お薦めはしないが徹底していることがあって、目上の馬鹿には、全く、甘えないし、甘えさせない。そのため、出世することもなく、給料も成果に対してずいぶん見劣りする人生だが、俺が馬鹿というより、その逆やってる奴らばかりだから、こんな糞みたいな世相になるんだよ。と、ガッテム感マシマシである。

今の社会は馬鹿のうらみによって出来事が動いている。馬鹿によって動いているのだから結果も全く期待できない。個人的にはすごく馬鹿馬鹿しくてついていけない。
この間、ハウルの動く城を初めてテレビで観たのだが、感心したのは、登場人物がかけられた呪いに対し、呪いをかけた相手を全く恨んでいない点である。もちろん現実の社会ではこんなに感情を処理できないであろうが、フィクションとしては、作品に素敵な爽快感を与えている。

自分の非を認められない人がいる。
ちっさい人間なのだ。ものすごくちっさい。
そのくせ態度はでかかったりする。
なんなら偉くなりたいと思っている。
あちこちでストレス源になってたりする。
誰も幸せにならないパターンのやつである。
しかしこういう人はほんま変わらない。
変われば世界も変わるのに。
変わる気配もないし、何なら指摘されたらキレる。
馬鹿は死んでも直らないという人達をどれほど見てきただろう。
もちろん多数派ではないのだが人を疲弊させるには充分すぎるほどの数いる。
人間というのは自分の問題点には気づかないか気づいていてもむしろ頑なにそれを変えられない悲しい生き物である。

言うべきことをちゃんと言うことと、態度がでかいは、全く違うからね。馬鹿が間違えないように言っとくと。

アカン人間は、そっちへ行ったらアカンという方にばかり行く。見事に期待の逆に行く。1000%の確率で真っ直ぐアカン方に行く。虫か。

尊厳は誰にでも大切である。
どんな人でも自分や大切な人の尊厳を傷つけられたら腹が立つ。
問題はここからで。
心ある人は、ならば他の人の尊厳も大切にしよう。と考えるのだが。浅い人は、他人の尊厳に気が回らず、自分(たち)のことだけでキーキー言っている。
優しさは想像力だと前にも書いたが、他人の尊厳に気が回らない人は、ほんま人間として大切なことがわかってない。と、俺は思う。
わたしがキーキー言うのは、その手の浅い人にアカンやろ言うてる場合がほとんどである。
独り言ですけどね、関わりたくもないので。

客観的にこっちの方が正しいやろな。ということはある。自分でも、ヘタこいたわ。とか、言い訳が苦しい。とか、失敗したことがほんとはわかっているやつ。
素直な人はもちろん、大半の普通の人は謝る。少々意固地な人でも、あかんかったなと反省している人は、過ちを繰り返さないように気をつける。
ほんまにアカン人間は、自分の失敗を認めることができなくて、アカンかったことを正当化しようとする。テコでも動かず自分の正当性を主張する。
それにより周りにどれほど迷惑をかけているかも気にせずに、謝ってしきり直したら良いだけの話を、難しい方へ難しい方へ話をこじらせ、一層周りにストレスや負担をかける。
なんてことをほぼ毎日のように、何年も恐らく死ぬまでやっているのだ。周りから死んでくれたらいいのにと思われて自然である。それでいてなぜ俺は愛されないのかと自己愛に苦しんでいる。
絵にも描けないアホさ加減である。マジ死滅してくれて良いのだが、お山の猿ほど元気だったりする。
なんてことに社会は満ち溢れているのだ。そりゃ疲れるわ。お疲れ様です。
この手の絵にも描けないアホが、金や権力を手にして自分の我を通すことに夢中になっているのが今日の政局である。
そんなことを世界中でやっている。
恐らく人類は何度もそんな歴史を繰り返している。
正直付き合いきれないよ。

みんなよく同じような話ばかりしてて飽きないな。

他人を許せない。という人が多い。
人生生きてれば不条理なことだらけだし、そういう目で見れば腹の立つことだらけだ。どう考えても人生割に合わないなんてのは、お釈迦さまでも言ってたことだ。
俺も人の何倍も許せないような出来事はあったし、人間、いつまでも許せないことだって一つや二つあるものだ。
しかし、許せないことがあったからと言って、他人に迷惑をかけまくったり、他人の生活をおびやかすのは、絶対に違う。
お前が死ねという話である。
加害者は皆被害者意識が強いという。
被害を受けたから、加害してやれ。ってやつが、この世界のほんとうの敗者なんだよ。
知らんけど。

加害の根底にあるのは甘えである。
加害の根底にあるのは甘えである。
大事なことなので2度言った。
前にも書いたが大事なことは繰り返し言わないと人はすぐ忘れる。
母さん。今日の晩御飯は何だったかのう?

年寄りになって怒ってばかりなのは、前頭葉の退化である。
感情が平坦になるのも前頭葉の退化である。
まあ仕事はしているが、案外仕事では前頭葉を使っていないらしい。
前にも書いたが、こうした老化を防ぐには、人間が後天的に獲得した機能である、手を使うこと、歩くこと、会話することが有効らしい。
わたしなど怠けたくて仕方ないタチなのだが、人間怠けていると衰えるばかり。そうしたデフォルト設計なのである。被害者意識の強い私には、ほんま嫌がらせとしか思えない。

子供はかつて通ってきた道、年寄はこれから通る道という考え方が好きである。
優しさとは、想像力であると思う。他者を排他してばかりいて、優しい世界が現れるはずもない。
異性、外国人、等々、自分が通らない道の人でも同じことである。
みんな自分のことばかりだから、それが巡り巡って、自分が拒絶されることになるのである。
情けは人の為ならずという。人に優しくされたいなら、まず自分が優しくあろうとしなければ、望む世界にはなりようもない。

何かの記録というのであれば、ある程度の普遍性はあるが。
良かったものがいつまでも良いとは限らない。
むしろ私たちはこの何年かで、良いと思っていたものが、ことごとく劣化するのを目の当たりにしたのではなかったか。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
いや、ちょっとモテようとしただけだ。
閑話休題。わたしたちは物事を見る時に、かなりイメージに左右される。ロジカルに物事を捉えられる人は意外と少ない。自分をロジカルと思ってる人こそ、論理が破綻していたりする。
我々の脳はすぐに騙される。騙される人ほど自信満々だったりする。人間、適度に自分を尊重するのは大切なことだが、自分を含めて人間の脳みそなど、すぐにエラーを起こす信用の置けないものだ。と思っているくらいの方が間違いが少ない。自信満々なのが、肉体的なパワーを生み出すことも稀にはあろうが、それとて脳がバグっているのである。
自信過剰なんてのは、脳内物質でらりっているのである。自己肯定感がありすぎるのも無さすぎるのも幻想みたいなものである。が、人は多くの時間を幻想に囚われて生きている。アホやろ、人間。こんな思いつきの文章最後まで読んだ君は暇である。間違いない。暇か?って聞かれたら、暇だ。ってこたえる。こだまでしょうか?

真面目な話をしてしまった後、つい、相手を煙に巻きたくなる。ずっと真面目な話が続くのがめんどくさいのである。書きおわった時点でもう次のこと考えてるので。

アメリカのtiktok禁止、いかにアメリカが迷走しているかがうかがえる。個人的にはxの方がよっぽど害悪だと思う。

ロシアもイスラエルも北朝鮮も、トップにいる人、良識ある人からは総スカンでしょ。次はアメリカだね。って、マイコちゃん(4歳)が言ってた。

トランプが大統領になったばかりんとこを恐縮ですが、大人気ないじじいとばばあはもう見飽きました。

社会的に成功してたら良いかというと。
プーチンもネタニヤフもジャニー喜多川も、みんな悪魔に魂を売っちまったんだよ。
死後は悪魔の奴隷さ。
次は誰の番かな。
はい。怖いですねえ。
それでは。さよならさよならさよなら。

三択問題です。
金髪ブタ野郎とは誰のことでしょう?

春風亭小朝

中居正広

ドナルド・トランプ

根拠もなく大丈夫って言う人と、幾つも邪推を重ねて駄目って言う人がいるけど。
大丈夫な時は大丈夫なもんだし、駄目な時は駄目なもんだよ。
大丈夫にしたかったら、知恵や身体を使って大丈夫にする工夫をして大丈夫な確率を上げるしかないねえ。
起こるべくして起こることしか起こらないよ。駄目には駄目な理由がある。

落ち込むというメカニズムは、自分に期待していて、現実の結果に対するギャップにガッカリしているのである。
落ち込まないことを目的にするのであれば、方法は二つあり、一つは自分に期待しないことである。期待を下げて、酷い現実との高低差を無くすのである。
もう一つは、現実の結果を向上し、自分の期待値に対して結果の方を近づけるのである。もちろん、努力が必要だ。
さて、いかがなものか?どっちも嫌とか無理とか言うなら、落ち込むことを受け入れろ。
何度も落ち込んでは、いい塩梅まで落ち着くとこまで踏ん張るんだな。いつの日か、落ち込むことまで忘れるような日がくるよ。たぶん。或いは、落ち込むことが平気になったりね。焦らずゆっくり急げ。

アメリカほんま終わってるな。

トランプを大統領にしたアメリカ人、一まとめにくくると馬鹿だと思う。一まとめにくくると、ロシア人も馬鹿だし、イスラエル人も馬鹿だし、北朝鮮も馬鹿。はい、一まとめにくくると日本人も馬鹿です。一まとめにくくると馬鹿な国だらけ。
人間を一まとめにくくると、馬鹿になるんです。やあねえ。

昨今、国が終わってるね。というと、そうだね。って思う人が多いと思うのだが、何がどう終わってるのかという各論になると、意見が分かれるというか、何なら1人1人違うので、まとまらないっつーか、分断の方向だよね。ってことを飽きもせず、ずっとやってるよね、人類。

トランプは地球に置いとくのももったいないので、地球から飛び立つべきである。是非ともイーロンマスクも連れてって。この際、プーチンとネタニヤフと金正恩も連れてってほしい。
地球に置いとくのほんともったいないよ。
n党の立花も是非。

プーチンとトランプと金正恩とか、アカン人間同士って仲いいよね。最近の思いつきだけど、やっぱり倫理観が近いもの同士しか仲間にならない気がする。糞同士も同じ。中居と松本も?

トランプは、マイノリティや弱者を排除しても、数的な意味でのマジョリティや強者の支持を取り付ければ、多数決的に勝てるという計算なのかな。
話を二転すると、アメリカの多数は、自分のゾーンさえよければ良いという自分勝手な人達で、だからアメリカでトランプが勝ったのだろう。そりゃ、メインのゾーンの人にも不満はあろうから、その不満にうったえてね。
個人的にはもはやアメリカに憧れはない。強いアメリカなど笑止千万である。そんな人達のどこが人間として強いのか。軍事力や、クレイジーな支持者や、反対するものから仕事を奪うなど、本質的な暴力を利用しているだけではないか。アメリカでは、そういうのを強い人間というのか。終わってるな。

親鸞さんの、悪人正機は直感的にわかりにくい言葉であるが、「もし、なにごとも思い通りになるのであれば、仏の国に生まれるために、千人の人を殺せと私(親鸞)がいった時に、そなた(唯円)は千人の人を殺すことができるはずだ。しかし、思い通りに殺すことができるような縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心がよいから殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人や千人の人を殺すこともあるだろう」ということを言っていて。子供にはこれもわかりにくいかもしれないが、人生長くいきてるとそういうものかもな。と思えてくる。人を殺さなくて済んでいるのは、運が良いという一面もあるのだ。

言論統制の何が気に食わないかというと、統制する側は言われるだけの材料があることを把握しつつ、そこは改善する気もさらさらなく、本質を改めもせずただ耳に触れないようにしようとする根性ババなところである。つまり、あるものを無いと言えということであり、それが強制的に強いられるのであれば、本質的に暴力である。
一方で言論する側も、発言が暴力的過ぎたらそれを晒すのも害であると言いたくなる気持ちもある程度は理解できるが。
何にしろ極端に振れたら害悪にしかならず、何度も言うが、この世で大事なのは匙加減。塩梅である。
実んとこ、言論統制がしかれたとして、それでしゅんと落ち込んでいるようでは市民の負けである。規制にいかにひっかからずに嫌味をいうかという遊びに気持ちを転じるべきである。
京都人の褒めてるようでディスってる(馬鹿にしてる)態度をこんな時くらいは見習うべきである。

人間、何か主張するのは自分の都合である。
相手に主張を100%のませようとするのは、相手に100%自分の都合を押しつけようとするのと変わらない。
人と落とし所を見つけようとしない人は、自分勝手な人か、人間関係のスキルに問題を抱えている人である。

極論の先に人間の幸せは無いと思う。
勘だけど。

こんな世界になってほしい。って。
まず自分が何もしていないのになるわけない。って。

子曰く。他人のことが気になりだしたら暇な証拠。

神奈川の純米吟醸の生酒。ほどよい酸味と甘味で、強いて言えばパインのような印象がある。口当たりが良い。

そもそも自分をイケてると思うのは、脳内物質によりラリってるからだと10年後の科学雑誌に書いてありました。って、タイムトラベラーの源さん(73歳)が言ってたよ。

なうすぴにんぐ。
最近の。寝付けないのでもう一曲聴いてる。
夜間飛行聴くとピグの知人を思い出す。

ガキの喧嘩に大人が口出すのは違うかな(最近はタチの悪いのがあるので一概に言えないが)、という昭和の感覚を引きずっているので、歳下があれこれ迷走していてもなるべく放っておく(関わるとめんどくさくなって全部答え出してしまいそうになるし)。
振り返ってみれば昔から、わたしが何やかんや言いたくなるのは自分より圧倒的に立場が上の人間に対してである。
しかし人生半世紀も過ぎれば歳上はジジイばかりになってそれもイジメみたいになってくるので、最近は、トランプやプーチンやネタニヤフや金正恩みたいなのにか小言(独り言だけど)を言ってない。前は習近平にも言ってたけど前よかちょっとマシな気がする。いい加減いい子になってきたのかな?

何か問題がある時の原因は何かの不足というより何かの欠落であると言った方が適切である。
The problem is usually caused by a rack of some kind.

自分の落ち度を指摘されるのは、なかなか堪えるものがある。うちの奥さんは厳しいので。毎日アカンとこを指摘されて、まさに削られてる感じである。何ならサッカーより削られる。
しかし。話を聞こうとか歩み寄ろうとしなくなったらアカンと思っている。夫婦は血が繋がっているわけではないので、相手を拒絶したら、そこで関係は終わる。
愛想をつかされて見放されても人間関係は終わる。言われるうちがハナとはまさにその通りなのである。
モテるとかモテないとかいうのは一過性のことなので案外人間の真価とは関係ない。良好な関係を長く続けられる人が、ほんとのとこ、生きていくのに長けているのである。

人生は、こうだったら良いな。というのの10〜100倍の強度で地味。
実家の太い人や、何かしらんけどめっちゃ恵まれてる人や(稀にいる)、悪魔に魂を売った人のことは知らん。
わたしの体感の話である。

プロジェクトX滅多に見ないのだがゴジラのやつ見ていた。何か突き抜けたものを作り出せる人はすごいなあ。わたしは自己肯定感は高いし、簡単にいい気になるのだが、なーんにも大したものを生み出してない。才能以前に、そんな努力もしていない。もちろん頑張ったことがないわけではなく、仕事もそれなりにこなしているが、自分がほんとにやりたいことをやったかというと、中途半端だなあ。と思い知らされる。
俺にはこれしかないんだよ。と、命の火を燃やせる人は幸いである。

携帯を買い換えなければいけなくなった。
思わぬ出費で目眩がする。
今日レコードをいくらか売りに出したのだが、ほんまお金に余裕がないので、早く立派な現金になって帰ってくるんだよ。いい子だから。














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