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つぶやき2022.8.22-9.4

トラックめいめい、コンテンツとしての完成度高い。
(それに引き換え私は)バズらない。ほんとバズらない。


いいねの数は実はプログラミングされてるらしい。
実は目覚めるまでにかかった時間は時計が示す時間とは違うらしい。
街を歩く人の多くは異世界からきている。
近しい人も実は時々自分とは違うパラレルワールドで時間を過ごしている。
人間の神経は混線しており、時折聴覚や嗅覚がオンオフになったり、部分的に歯が痛みを知覚しなくなったりする。
酷い時には脈もなく心臓が止まっている。
電源コードはある日を境に電気が通じなくなる。
時々モノは消える。声に出すと現れたりもする。
それに意識を持つまでは世界は確定していない。
おかしなことを言ってもバズらない。


50半ばになり、老けるというより、細胞レベルでの劣化が著しい。

積読してた本を色々読み始めている。宮城さんの言葉ってどこか美しい。静かな音楽を聴いたり絵画を観ているような感覚を覚える。余韻のような。

今夜はシースーでした。
#飯テロ


ロシアの軍事進行から半年経ったのか。
ロシアは半年も馬鹿を晒したのか。

ほんま、プーチンの罪は重い。


無能というより、自分の使い方(機能のさせ方)が下手なだけってことはある。
また、あるチャンネルに対しては上手いけど、あるチャンネルに対しては下手というのもある。

今晩はお好み焼きでした。


コロナ、今日一日で340人も亡くなっているのか。
コロナ死亡者 推移
とyahooで検索しようとしたら
コロナ志望者
が検索候補(正しくは文字変換の候補)のトップに上がってきたのだが。
誰か、検索サービスにろくでもない奴が関わっとるやろ。
昨日今日の話でなく。

官房長官、安倍晋三の国葬のこと、儀式ゆうてもうてるやん。


詭弁蔓延る。
ここ数年間のフェイクニュース地獄感。

偽情報で嘘をほんとと思い込む反作用なのか、ちゃんとしたことを嘘と思い込む人も多いような。
世界中デマだらけ。為政者がプロパガンダするくらいやし。どないかならんもんか。
SNSとか技術サービスが広がるに伴い年々酷くなる。
偽情報は流す方も自家中毒に陥っていくからね。やめなよ、ほんとに。
電子データの信頼性が技術の進歩に反しむしろ失われてきている。
この延長線にあるデジタル化社会とは、何ら約束事が守れない(保証できない)社会なのでは?
カルト宗教ズッポリの政府が目指すデジタル化社会って、むっちゃ不安なのだが。
この延長線にある軍事のやばさよ。
誰も気にしてへんの?

統一教会の問題、違法性の問題は明らかな問題だけど、それよりも個人的にもっと問題だと思っているのは、他の宗教右派も含めた政治的思想が、自民党を中心に与えている影響。何とかなるんだろうか。他にどんな良いこと言ってる人も、この点を軽視している人は、政治的には信用できない。それ以外のとこはなるべく尊重するけど。


糞食らえだ。


日本政府は世界に金をばら撒くばかりでそれがプラスになればまだ良いが一向に国民の生活にプラスの還元がない。
エバ国家体質は何処から?

国民の不利益が特定の個人の利益になる嫌らしい仕組みが幾つもあるんだろうね。
そりゃワシら儲かりませんわ。


我が家の定番。辛美味しい。


『メディアや警察の機能不全です。われわれ学者や専門家も、問題の直視を避けてきたことへの反省があります。その大きな原因は『恐怖感』です。』
恐怖感というのは、暴力やテロと根が同じところから来ている。
つまり、見せしめとしての暴力のサンプルを見せられ、無言の暴力、或いは脅しに対し、人々は屈してきたのである。
社会は暴力に支配されてきたのである。
(疎い人は気づかぬ内に。)


戦争は外交の失敗である。
(あからさまに言わないかもしれないけど)日本が戦争を起こしたがっているのも、統一教会の思惑と合致しているし、国債を帳消しにしたいとか、政府に対し高まっている不信(統一教会との関係性等に集まる関心)をうやむやにしたいとか、そういう不純な動機もあるのだろう。


民主主義には法治国家のシステムが"正常に"機能することが基盤(インフラ)として必要。
ここんとこを蔑ろにしてきたことをアカンと言ってるわけで。
憲法の議論は、最低ラインとしてここんとこがキチンとできてからやで。
ましてや改憲論の出処の筋の悪さよ。


今夜はカレーでした。


欧州株価下がってるねえ。

円安厳しいなあ。1ドル140円て。


完全にバランス狂ってるな。世界。
俺の能力に対しこの生活の窮屈さなのだから何かが根本的に間違ってないわけがない。なんつって。

平和ボケを通り過ぎて異常ボケして異常に気がつかなくなってる。
異常のS/N比が悪すぎ。


資本主義の構造的本質に関わるとても重要な視点と指摘。↓


テキストとしては明言されてなくても否定的な感情で書かれたテキストって読み手を拒絶してるよね。

されて窮屈なことを、必要を超えて社会に求めるな。

日々おかしさが増改築されていく。
これが正常な世界というなら噴飯ものだ。
ここは何処のゴッサムシティじゃ!


どこまでいってもアカンやつがおる。
それも多様性と言えば多様性の気がするが、生物学的な多様性とは、発生原因が違い区別した方が良さそう。
つまり、考え方の多様性であって、その考え方に対する対峙の仕方にも多様性があり、その対峙の仕方に対する対峙の仕方にも多様性がある。つまり、多様性を認めるとは、個別の考え方の全てを認めるということでは無く、そのバリエーションが存在すること自体を受け入れることである。って、マックで女子高生が言ってた。


ものごとは根拠でも民意でもなく誰かの都合で決まるのでしょう。

この15年ほどの間で世界はほんまにしょうもなく手に負えないことだらけと思ったので、できる限りのらりくらりとかわして生きていきたいが、それとは別に怠惰に暮らしていると身を滅ぼすというダブルスタンダード仕様なので、身を滅ぼさない程度に騙し騙し身を助けたい。


ところで所得倍増計画ってどこ行ったん?

企業は原料コストを価格転化してるわけだからそんなに悪くないはず。
業績上向きのうちに給料上げてかないと今度はまいる消費者(労働者)が出てくる。個人差も大きいだろうけど。
買い手がいなくなったら経済が回らなくなる。外国人を買い手に当て込むのも少子化じゃ考えなきゃいけないけど日本人が貧しくなってくんじゃ何やってんだかと。



RIP
ゴルバチョフが国葬にならないのに文字数

RIP

Collage

先ほどTLに流れてきた言葉。
日本社会は「安全」よりも「安心」重視なんだな。
すごく日本人の行動特性を説明する上で、なるほど。って思ったけど。
論より気の問題にしちゃうとこ。
けど、科学的なことであるとか、「安全」を重視すべきこともあるよね。
最後はエイヤってことも、あるにしろ。


10代の頃、コネ(を利用すること)を敵視してたなあ。父親は、関係は使えば良いという考えだったけど。自身がおじさんになったら、人間関係のコネクションを大切にするのはむしろ自然なことかと思います。

おこづかいが足りない呪いにずっとかかっている。助けて。

今夜はお刺身でした。(酒の肴でなく夕食に出るのはめずらしい。)

サービスの質の低下もアレだけど、サービスを受け取る質の低下もアレだね。

逆説的だが、ある種の無責任さがなければ人の上には立てないと思う。また、責任を適切に果たしたいのであれば、安直に人の上に立とうとするのではなく、立ち位置から考えるべきである。

確かに金があった方が色々経験できることの選択肢が広がる。

何にせよ人は自分の立場からの損得勘定はするもの。
人は(自分の為になることをするという意味で)善人であるのが普通だから。

喉元に小骨が刺さったように、どこか自分で釈然としなかったことを、つい当人に言ってしまって、あゝ、やっぱり言わなきゃ良かったかな。と、思うことってあるね。
余計なこと言わないのも、一種の胆力が必要だね。

色々な事業計画を見せてくれたら、8割くらいのものに欠陥を見つけられそうな気がする。
気がするだけで、知らんけど。

技術的にできることできないことの前に、システムがシステムとしての機能を持つためにしてよいことしていけないことがある。
この数年間でそのタガが外されまくっている。これ修正できるのか?(もう狂ったシステム前提で生きなきゃいけないのか?)
映画より酷いSFじみた現実の中に既にいるのでは?

最近、備えるべき機能を備えていない製品が多い気がする。平成から兆しは見えてたけど。

例えばOFFにできる。というのも機能。
例えば改変できない。というのも機能。
ある視点から見たら、ポップアップというものは機能が失われているのだ。
一つの重要な選択を失っている。

例えば。
広告を目的としたためか、多くのシステムのプラグラミングには美しさがない。
こうした本来の機能とは別に意図された機能により、機能美(シンプルさ、わかりやすさ)、ユーザビリティ(使い勝手)が失われ、高い技術を集めたガラクタができあがる。

スイッチは機能である。スイッチとは選択である。選択できるのか選択できないのか。それは機能の設計である。

テクニクスのターンテーブルの機能美よ。

#なうすぴにんぐ


ほぼ日のコンテンツに目は通していたが、またまとめて読みたいかもな。と思って買ったまま積読していた岩田さんの本を読み始めた。

岩田聡
「だって、クリエイションはエゴの表現ですから。」
岩田聡
「わたしは、なるべく、「なぜそうなるのか」がわかりたいんです。」
岩田聡
「つまり、才能というのは、「ご褒美を見つけられる能力」のことなんじゃないだろうかと。」
岩田さんの本を読むと、自分がしたと思っていることより大きいフィードバックが貰えることを、すごく肯定的に捉えてて、ご褒美が欲しいってことに、そんなに禁欲的にならずに、むしろ、どうしたらご褒美がもらえるんだろう。って、素直に考えても良いのかな、と思った。
読了。

・・・わし見事にフィードバックが(ほぼ)ない世界に住んでるな。

奥さん外出につき、食べたいものを食すの巻。

鮎って西瓜の匂いするの思い出した。

奥さんは王家衛の天使の涙の4K上映に出かけて今帰り。
テアトル梅田閉館。
ノスタルジーに浸ってきたようだ。
私と言えば。

プライム、バットマンシリーズ終了間近だと!?
となり、バットマン3部作を慌てて鑑賞。

バットマン三部作、観て何か考えるみたいなのが全くない。娯楽作品だなあ。(三部作通じてタバコを吸うシーンが一つも無いのは時代だよなあ。)


岩田さんの本に合わせて積読してたのを読み始めることにした。

ぼくはいつもなにかを始めると、枠を決めてその中でやるのではなくて、「もっといい考え方があるんじゃないの」と、言葉を超えてものを言いたくなるんです。
(糸井重里)

「Aと言えばB」みたいな決まった動き方を疑わないとき、「本当にそうなの?」というようなことを言うんです。
(糸井重里)
企業の風土を決めるのは、「なにがかっこいいか」ということです。
(糸井重里)
あいまいなことを言っているようですが、なにかを表現するとき、最も大事な芯になることは、ぼわっとしているものです。
(糸井重里)
読了。

AIの描く絵画が大喜利になっている。
(予感はした。)


特許の調査にAIが導入されはじめたみたいで実力のほどを確認したら、精度は甘いけど低くもない感じ。今後精度上がってくんだろうね。けどこれ、研究者や技術者にはどうなんかな。ますます文献離れしそう。
まあ使い方次第なんやけど。受け身やったらアカンやろなあ。

AIって、得意なことは人間の何万倍も得意だし、苦手なことは余程の新しい何かがないとまるで駄目なんだと思う。


AIで仕事が奪われるというのは真にクリエイティブでないとこの(クリエイティブの模倣のような)仕事がAIに寡占される気がする。今の経過を見ると。
クリエイターはむしろAIでできることを利用して新たなクリエイトをするんじゃないかな。AIをツールの一種として。筆を選ぶみたいにAIを使う。

シンギュラリティというのも、得意なシンギュラリティと苦手なシンギュラリティがある気がする。
知らんけど。


今夜は鱧雑炊でした。


時間というものは前に進んでいるのか後ろに向かっているのか止まっているかさえわからないけれど世界に起こることはドミノ倒しで覆水は盆に返らない。


人生はほんと思うようにはならない。そこを程よく手放すとそれほど苦でもない。人の思うままになってても駄目だけどね。

例えば、自分の庭にテニスコートがあり、たった一人でテニスができれば、習慣的に運動すると思うが、そんなに都合の良いことはないので、なかなか運動しない。

色々目をつぶって考えないようにしてきたがそろそろ考えないと駄目かなってことをついまた先送りにしたりしながら生きている。

子曰く「ガチョーン。」

#日曜美術館

Oswaldo Guayasamín
Scott Bergey
Maqbool Fida Husain
Chris Odgers
Andrej Dugin
Amanda Ba
Walid Ebeid
Félix Vallotton
NIKOLETA SEKULOVIC
Tom Eckersley
Annora Spence
Leanne Shapton
vivian maier
Elliott Erwitt
Jacques Henri Lartigue
Renato Guttuso
Will Barnet
高原鉄男
曙英
Victor Popkov
hokkei totoya
中村芳中
徳川家光
Tsukioka Kogyo
kunichika toyohara
野口哲也

猫とネズミのための甲冑

Jeff de Boer
Jeff de Boer
Alessandro Gallo
fabio viale
VALÉRIE HADIDA
Bruno Walpoth
JEN MANN


優しくされたかったらまず自分が優しくあろうとすること、自分が理解されたかったらまず自分が理解しようとすること。
ここすっとばして優しくしてとか理解してとかいうの無理ゲーなんすわ。
恋の話は知らんよ。50過ぎてるし。

人には理性と感情があって、まあどちらもねぢれた人間はいるんだけど、理性は道理から、感情は優しさから外れていったら、人が生きやすいわけないんだよ。


自分を幸せにするのも人を幸せにするのも、或いはそれを願う心も、そこに介在するのは傲慢さではないと思う。幸せがほんとうに幸せなことなら。


皮肉なものだけど、あまり満たされていない時の方が、頭は良く働くもの。


そうかもしんまい。


カツ丼を食べに店を覗くといつも満席という夢を見た。いや、夢じゃなかった。

ハンバーグとカレーの店で。


ご近所ラーメン。1番よく行く店。


体力がないので夏より秋の方が生きた心地がする。
秋。ムフフ。

子供の頃、汁(蜜)吸ったな。


今日のニャンコ。


実に3年ぶり


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