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つぶやき2024.9.30-11.10
この世界は不可逆である。
その割に人間は慎重でない。
不可逆ゆえにこの世界には罪があるとさえ言ってもよいかもしれない。
革命家は革命が成功したら権威になるのだろうか。
マリーアントワネットは言った。
珈琲が美味しくないなら牛乳を足せばよいじゃない。
悲劇において最も悲劇的なことは、加害を肯定する人間に闇堕ちすることである。
恐怖による支配では決して愛は得られない。 人間は求める効果から最も遠い選択をする生き物である。
罪深き人に時々呪いをかけてるんだけど、償っていない罪の罪悪感は、いくらあなたが忘れようとしても、生涯あなたを追いかけて離さないと思うよ。
利用されてポイ。
で。人生おしまい。
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アンフェアな世界だな。
両親はよくしてくれたけど、基本子供の頃からこの世界には違和感しかない。
世の中のことのほとんどはわたしの思いの反対にいく。ここはロクな世界じゃないので。
何十年も生きていると悪魔がたぶらかしてくるかのような出来事があるものだが、そこで闇堕ちせず、人間としての一線を超えなかったものは、幸いである。
自分の特性を、ほんとの意味で良いことに使えた人は幸いである。
ラベルがいい感じの新潟のお酒。今飲んでますが、キリッと辛口です。
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嘘をつく人間の多くは、騙せたと良い気になっているかもしれないが、ばればれで相手にするのも嫌と思われていることが大半であるって、ノブオさん(65歳)が言ってた。
男女に分け隔てなく男も女もえげつないのはおる。
すごく性格悪い人って、一見人あたりがよく見られている。
社会的に成功してることも多いから絡まれるとめんどくさい。
ネゴシエーションうまい系のクセものとは距離感キープしたい。
長く生きてると、あ。こいつあのパターンやな。気をつけよう。とかある。
上に擦り寄っていく人。つけいるスキがある(うまく転がせば自分に利益がある)と思って擦り寄っているのである。その証拠に、ほんまに目が厳しい人には近づかないから。まあ、処世術だね。たぶん育ちで幼い頃からそんなことを繰り返しているのだろう。まあ、そこそこ金銭に恵まれるよね。 わしはこれができないんだ。良くも悪くもがめつくないので。高貴な魂に生まれると金にはあまり縁がないものである。(ものは言いよう。)
他人の幸福を妬んでも意味ない。良くも悪くも自分の人生に関係ない。課題の分離と同じである。その人はご褒美のターンなのだろうくらいしか思わない。
悲劇の渦中において、最も救われにくい人間は、悲劇に陶酔している人間である。 めんどくさそうな予感しかしないもの。悪気は無くても近寄らないよね。宗教みたいなのとかしか。 この世界は、弱り目に祟り目的な残酷さというか、そうなりがちな傾向があるので。
仮に君が天国に行ったにしろ地獄に行ったにしろ自分が変わらずあるのであれば環境が変わっただけとも言える。
数年前に購入して、ずっと母親に貸し出していた本をそろそろ良いかなと思って手元に戻した。
味あるよね。この人の作品。
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なうすぴにんぐ。(本日は在宅勤務)
ものすごく音楽を理解している作り手と感じるアルバム。
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憎しみの不毛なのは、心の中でいくら相手を憎んだとて、当人が呪われるか、知る由もないことである。顔に苦しみの跡が刻まれ、自分を傷つけるが関の山であろう。
ましてや、憎しみを行動に移せば、憎しみが憎しみを生み、ずっと連鎖し続ける。
腹立たしいにもほどがあるが、憎しみは不幸しか呼ばない。類は友を呼ぶである。
怒ってばかりいるというのは、もう少し心を見つめてみると、ずっと悲しんでいるということだろう。
できるものなら、そりゃ笑っている方が幸せだろう。
経験上、自分が不完全の極みなのに、他者に完全を求める人間が、集団に対し最もタチの悪い悪影響を与えると感じている。
人に嫌われることしといて、好かれようとか、そりゃ無理だって。
僕は意地悪なんで、あの人嘘ついたと言わずに、状況証拠から嘘ついたことを万人に知らしめる。こちらはただやるべきことをやり続けるだけ。 喧嘩売らない方がいいとはじめから言ってるし。そもそもこちらから喧嘩を売ったことはないので、常に正当防衛。言い換えると、あとだしじゃんけんしかしていない。
最近は何でもハラスメントになってしまうというハラスメント黄金世代の声も聞かれますが、鮭のお腹ばかり食べさせることをハラスハラスメントといいます。
聞く耳を持ってる人にしか何か伝えようとは思わない。まあ、聞く耳を持たない人に何を言っても聞こうとしないので無駄無駄。
腹が立つのは、期待の裏返しということもある。
期待はずればかりだと、逆に腹も立たなくなる。
全く関心がなくなるので。
人間の無関心も、行きつくとこ、目の前で死んでも無関心というところまでいく。
ガリバー旅行記じゃないが、俺も人間の醜さに耐えられないとこがある。
身近なとこまで胡散臭い話に触れることもあり、ほんま嫌になる。渡る世間は詐欺だらけ。ネットも偽情報だらけで、騙されるなって言って偽情報流すやついるし、騙されたやつが偽情報を媒介するし。怪しい話が多くて不安になって調べてみたら偽情報でもっと胡散臭い話に巻き込まれるとか。
身近にも、故郷の近所の人で、癌を患って、ニセ医療信じちゃった人もいるし。インテリなのに。
世の中騙される人も悪いみたいな風潮あるけど、どう客観的にみても、騙す方が2兆倍悪いよ。騙す人がいなきゃ、騙される人いないんだから。
詐欺師全員、自分の喉をかき切って死んでほしい。
人間には、自分に都合のいい考えを信じたがり、自分に都合の悪い考えは否定したくなるところがある。
昨今はそれが、ニセ情報でもそうなるくらい、人々が聡明ではなくなったのである。
もちろん、みんながみんなではないだろうが。
百万歩譲っていかに正当な理由があると思っても、他人を攻撃したら恨まれるのが当たり前である。そこんとこわからないでやってる馬鹿とわかってんのにやってる馬鹿がいて、要はそんじょそこら馬鹿だらけ。
反省だけなら猿でもできるというが、反省できない人間は期待値より多い。
これでも200枚くらいオブラートにつつんでしゃべるようにしている。
ヤバいブツが出回っていました。
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不条理なこと言われた場合、真っ先に浮かぶ感想は、あ。頭悪いんですね。
神A 「理不尽なこというのは、頭悪いから?性格悪いから?」
神B 「その両方ですね。」
神A 「お金持ちにはなぜ心の余裕があるのですか?」
神B 「お金があるからです。」
神A 「童貞がモテないのはなぜですか?」
神B 「女性を知らないからです。」
神A 「恋に必須の要件て何ですか?」
神B 「相手を知らないことです。」
神A 「諍いをなくすにはどうしたらよいでしょう?」
神B 「人類を滅ぼすことです。」
神A 「愛とは何ですか?」
神B 「サービスです。」
何かをしないと気持ちがないということなのか? これは結構おろそかにしてはいけない話である。 当人からしたら、そんなことはない。と、強く主張したいこともあるだろう。 しかし、受け手からしたら、してもらった行為からしか、それを感じられることはないのかもしれない。 愛することと、サービスは、実質的に限りなく似ている。
死刑とか無期懲役とかかなり道徳的・人道的に配慮したものであって、犯罪者を後悔させるのだけが目的だったら、額から全身に殺人犯と焼印を入れて、世間に放った方が効果的であろう。
昔(江戸時代?)の罪人の腕に入れ墨を入れたのは、そういう発想だと思う。(入れ墨は時代劇で見たことあるだけなので、実際そうかは知らない。)
あ。疑わしい時は心の中でダウトしてくださいね。
たぶん、島流しする時に、島から逃げても見つけられるようにするため。とか、もっと単純な理由だと思うので。
特性上簡単なことでもないのかもしれないけど、信念ほど、疑った方が良いというか、客観的に検証した方が良いものないだろうね。 行き過ぎた正義「感」で人を殺したりする人類を見てると。
覚悟とは、引き受ける決意である。
損を引き受ける人のおかげで社会は成り立ってきたけど、それを搾取する人しかいないなら、メリットなきゃやらないって言った方がいいよね。 わし、むっちゃ相手の出方見るタイプ。
いつもは豊水ばかり食べているのですが、最近気になっていたので買ってみました。
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やじゃない感じの。
仮に人間がリンゴ食べて堕落したとして、堕落したのは人間を神に似せて作ったからでは?
何がoh my godじゃって、神様が言ってた。
情報や価値観が数十年前で止まってる化石もいる社会をダイバーシティという。
なんでもお伺い立てる星人多いね。SNS。
心の中でいくら良いことを考えていたって、世界は変わらない。自分の外に出さないと、波紋は広がらないもの。
安心してください。 勤続30年くらいは働いてますが、仕事に行きたいなどと思ったことはありません。
洗濯機が瀕死。
高くなったねえ、洗濯機。
泣くわ。
仕事ができれば良いかと言うと、仕事が増えるだけで給料は増えないので、日本はクソ。
また分断煽ってる人がいるけど、人間はカテゴリーで人間性を分類できるものじゃない。男だろうと女だろうとマジョリティだろうとマイノリティだろうと年寄りだろうと子供だろうと。何人だろうと。どの所属にもいい人もいれば死んだ方がいいような糞もいる。属性で人を判断するなよ。もの知らずのくせに。実際のとこお前のその目で何を見たというのだ。妄想に取り憑かれてるだけでは?
ちょっとした空想話というか、聞いたことないパターンのフィクションを一つ。 生まれ変わりを信じている人は何割くらいいるのかしらないけど、信じている人の大半は未来に生まれ変わると思っているだろう。捻った発想をして、過去に生まれるといったとこか。 ところがどっこい、自分の生まれ変わりは、自分が生きてる時代にいるんだよ。多少の年代はずれたりしながらね。(おしまい)
少し話を展開してみましょうか? どういうことが起こるか?というと、プーチンやネタニヤフが殺した人間の中に、生まれ変わったプーチンやネタニヤフがいるのです。 金正恩に虐げられた国民の中に生まれ変わった金正恩がいるのです。 つまり人を殺したり虐げたものは、来世で前世の自分に殺したり虐げられるのです。 これが輪廻です。 いかがでしょうか?お楽しみいただけたでしょうか。
も少し具体的に話を創作すると、アラブ人を憎んだユダヤ人は同じ時代のアラブ人に生まれ変わり、ユダヤ人を憎んだアラブ人は同じ時代のユダヤ人に生まれ変わり。最悪、前世の自分の憎しみによって自分が殺されるのです。 イッツ オートマチック♪ 宇多田ヒカルの歌かよ。 わたしたちは、そんな輪廻の箱に閉じ込められた実験動物で、実は夏休みの宿題みたいにそうして観察実験をされているのです。やっぱり夏休みの宿題みたいにすぐに飽きて、実験してたことすら忘れられたりしながら。
何てご無体な話でしょうか。と思うでしょう。 しかし世界は更に手がこんでいて、そんな夏休みの宿題で遊んでいた神々は、今度は実験される方に生まれ変わり、自分で作った不条理に自分が翻弄されるのです。 はい。これが曼荼羅です。 なんての、どうでしょう?
という訳で、皆さんに、人に酷いことをすると自分の手で殺されるという呪いをかけてみました。 合掌。
まあ、自分1人が救われることを祈ったって、救われることなど無いっちゅう話ですわ。正味の話。
昼休み中に決まったので、決定の瞬間をリアルタイムで見れた。
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人間には、誰かを憎んでいるおかげで他の誰かを憎まないでいられる(結局は誰かを憎まずにはいられない)という状態の人もいるんじゃないかと思う。
世の中には、傷つけ合わないように、自分だけが傷ついているタイプの人もいると思う。それを優しさと言って片付けて良いのかわからないけれど。
人は自分をごまかす。 虚飾で自分をよく見せたいという場合だけではない。 ものごとがうまくいかない時にうまくいかない自分勝手な理由をつけて嘘っぱちの理由のせいにしたりする。変わらない自分を正当化する。防衛本能だろうが自分の殻に閉じこもるくらいの防衛力しかない。
過去を改竄しようとする厨もいるが、どうしたって良くも悪くも過去の事実は変わらない。誤魔化して生きる厨もいるが、他人のことは知らない。わたしが生きていて感じるのは、過去の事実はそれとしてしっかり受け止めた上で、良くなる方へ舵をきりつつ修正していかないと、思わぬ悪い方へ流されそうになるということ。
とは言え、抱えきれない過去に執着しすぎてしまうのも、うまい生き方ではないのだろう。
抱えきれないものは手放してもよい。
手放したら当然失うものもあるけど。
手放すも選択の一つなので。
そこで道は分岐しうる。
世の中に製品を出したりしている場合に、雑な仕事をしてはいけないのは、雑な製品というのは、しばしば、悪意をもって作った製品と、かける迷惑がかわらないシロモノになりうるから。
何か落ち度があっても許されることはある。
2度3度それを繰り返してしまっても許されることはある。
甘んじて何度も繰り返す人がいるが、それで何も言われないのは許されたというより諦められたということであり、何かを失ったということかもしれない。手放しで喜べることではない。
まあ、できない時には簡単そうに見えることでもほんとにできないという時期もある。しかし、それに甘んじ続けると、信用を失う。
信用するかは相手の課題なので自分のコントロール外だが、信用されうる人物か、その振る舞いは当人の課題である。
信用、信頼とは積み重ねである。失うは易いが、築くのは易くない。つまらぬことで信用や信頼を失わないのが良識のある大人である。
変われないことを全面否定するというより、変わろうと努力しないことを否定する人は多いと思う(特に女性)。
たしかに人生は受け身のままでは開けないものなのだが、そもそも人間は1000%受け身の赤ちゃんからスタートしているのだから、きばらんでよろしい。 しかしまあ、そもそもしたいことをするというのが能動ということなのだから、生物学的に能動的でない成体というのも考えてみればおかしな存在ではある。 まあ野生動物も動物園にいたらアレなように、ある意味受け身で過ごすのも環境への適応であろう。 環境が良いのなら受け身のままでも快適に過ごせるかもしれないが、いつまでもそんな環境に居られるほど甘くもないので、時折よいしょと立ち上がりやることやるくらいは平和ボケした日本でも必要だろう。
人格を否定しているわけではないんだけど。 中には素晴らしい業績をあげたり人々への貢献に繋がったケースもあるだろうけど、わたしなんかからみると、使命感て紙一重的な危うさも感じる。 強い使命感というもの自体に、ベクトルは違っても狂気と同じくらいの強度があるんだろうし、何に対して使命感を抱くかって育った環境でどう転ぶか運不運もあるやろなって。
なんでもバランスが肝心。
なうすぴにんぐ。(本日は在宅勤務)
すごく良いです。長いキャリアで最新作がこのクオリティってほんますごい。
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どうしたらうまくいくのか。 読者から質問があったのでお答えします。 はっきり言って、うまくいかないうちはうまくやろうと思ってもうまくいきません。ことごとく駄目です。ま、できることははじめからできるものですが、できないことはよほど頑張ってもけなされる程度の出来でしょう。長年その状況であきらめてしまうこともあるでしょう。 逆にあなたにうまくいく準備ができたら何でもうまくいきます。失敗する方が考えにくいです。大谷翔平さんを代表とする最近の天才はその究極です。 つきもへったくれもありません。話は単純です。 うまくいくものはうまくいく。うまくいかないものはうまくいかない。それだけのことです。 人間が世界を複雑にして見ているだけです。 あ。ちなみに読者からの質問は嘘なので質問寄せないでくださいね。ガチャ(戸を閉める)
人生を好転したければ、準備が肝心である。 チャンスというのはほんとにすぐ過ぎ去ってしまう。チャンスが来てから準備をしていたのでは1000%間に合わない。若い頃はギリギリまでものごとに手をつけないタイプ(下手に間に合っちゃうので)だったが、それでは一つもチャンスをモノにできない。 常に準備しておくと言ったら身構えるかもしれないが、きばらんと、常にできることを日々少しでもやり続けることである。 そうすれば、自然と準備は整っている。チャンスと身構えなくてもいつの間にか果実を手にしている。 ユダヤ人の大富豪に聞いたから間違いない。(嘘)
昔は、全ての事柄をすっきりさせたいという気分もあったが。全ての事柄が完了を迎えるなど、生きている間には無いのである。もちろん個別の案件が終わりを迎えることはあるが、別の何かは進行中だったりして。生きている間、ともかく何かは中途半端な状態で。毎日ずっと仕掛かりの状態なのである。 すっきりしないが、そういうものである。
コロナ以降、外出時は基本マスクをつけているのだが、久しぶりにマスクを外して外をあるくと、大阪、空気がくさい。汚れてる感じ。
最近お菓子はあまり買わなくなったのだが、snsで見かけて、そう言えば駅前のスーパーで売ってたな。と思い、購入。既食感のある安定の味でした。ちびちび食べます。
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久しぶりに画集を購入。1年以上(もっと?)前から欲しかったのだがなかなか数千円が捻出できずにようやくゲット。少し安く買えた。マーク・ロスコの作品を実際に観たのは1度しかないが、上下2色で描かれた作品に配色が素晴らしいと感心するものが複数あり、もっとたくさんの作品を美術館で観たいなあ。
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1億総底抜け脱線ゲーム
無党派層というが、今の政治で信用する政党がある方が異常である。
まだ異なる二つの政党がどちらも比例で民主党になってるの直ってないの⁉︎
自民党が国民民主に協力呼びかけって、やっぱり勝共連合の絆は強いってこと?
茶番だなあ。政局。
日本もアメリカも選挙を見ていると、人間の少なくとも半分はどうしようもない馬鹿という気がしてくる。
アメリカ、トランプが勝ったのは、トランプがどうこうより、女性に投票したくないアメリカ人の方が多かっただけでは?
しかし、ロシアもイスラエルも北朝鮮も中国もアメリカも世界にはアンビリーバボーな国しかないね。(褒めてない)
ま、日本も大概やけどな。
多くの人類の人を見る目の無さは異常。
なぜ人気がなくなるかというと、魅力が感じられなくなったからだよ。
細かいことを言い出してやらないってのの本音は、やりたくないからだと思うよ。メンツが折れるとかね。世の中、つまんないやつばかり。
嫌いなやつとか、はじめから嫌な感情があって、ちょっとでもうまくいかないことがあったら、それみたことかと手ぐすねひいて待ってるやついるしね。全然人間はロジカルじゃなくて、感情に支配される生き物です。
昔は性格悪い人に関わることから逃げるためにあんまり賢くみえないようにしてたこともあるけど、結局絡まれたりするもんだし、いい歳にもなったので、もう全く本来の自分のペースでいく所存。
馬鹿の頭の悪さにキーってなるのがわしのストレスのバロメータ。
この世界で一番鬱陶しいのは、勝手に俺に対抗心燃やして張り合ってくる人。そもそも張り合う気ないというか、そんな下等生物じみたこと眼中にないのに、しつこくて鬱陶しい。蚊やゴキブリと変わらん。目障り。神龍呼んで皆殺しにしてほしい。
こっちは他人なんて興味なくて、ものごとを良くしていきたいだけ。
だいたい、わしよりいい生活しとるクセに対抗心燃やしてきよる。身の程を知れ。たわけ。
猿はお山に帰れ運動に協賛しています。
ちなみにわしのいう馬鹿って、知能的な馬鹿ではなくて、自分の活かし方を間違ってる奴を指すので。(二回目)
昔ツイッターでざっくりと書いたことだが、子供の頃からわたしを嫌ったり嫌がらせをする人は、ほんとはわたしじゃなくて、相対的に自分自身の闇を見て腹を立てているのである。わたしが、そいつが我慢していることを平気でしている(人は自分が我慢していることを人がやっているのを見ると機嫌が悪くなる)とか、楽して困ってなさそう(見えるだけ)とか、自分には厳しい人に優しくされている(ものごとをわきまえて心得ているからなだけ)とか、自分の持つコンプレックスが刺激されているだけなのである。言ってみれば、鏡を見て鏡に腹を立てている。わたしに言わせりゃお門違いで、それも相当な迷惑を被っている。問題は全部そいつ自身の課題である。こっちに対抗心燃やす前に自分を磨けっちゅーの。ちゅうのに余計自己嫌悪に苛まれることばかりしよる。馬鹿だから。心より早く成仏してほしいわ。迷惑だから。
努力をやめた人間の老い先は見てられないらしいぞ。
努力のコツは無理することじゃない。
とりあえずやってみる。無理じゃない何かを続けてみる。といった感じ。1万時間の法則である。
悔しかったらすべてうまくやるって方法もあるよ。相手を落としいれなくても、悪口言ってる相手は勝手に評判を落とし続けることになるから。
心から嫌なことは断った方がゼロ対100億で良い。
自分に苦言を言ってくれる身内は大事にすべきである。(善意なら。) みんな忙しいので、ダメだこりゃ。と思ってる人には何も言わなくなる。まあ、言っても聞かないかもしれないし。成長が止まる人は止まるべくして止まる。
ぐだぐだになりそうな時ほど、堪えることが肝心である。 何度も言うが、人間やけになった時が1番大きく負ける。
日本人は変に真面目なわりにものを考えてないところがある。
例えば何にでも理由を求めたがる人がいるが、理由など、実はくだらないことで決まっていたり、妥協を重ねた上での結果であったり、原因が複数入り組んでいてもはや一つに特定できなかったりすることの方が多い。
それに、もはや理由がわかったところで手をつけられないくらい現実が進んでいても、発端の理由に文句を言って解決の糸口すらつかめなかったりする。
くだらないことを考えている時間があったら、わけもなく2兆円くれと言っていた方がまだ救いがある。
逆に、その様に理由などいずれ曖昧になるとふんで、悪事を仕込む(混ぜる)やつもまた嫌いではあるが。腐ったタイプの政治家みたいな。
火を消すのは早いうちが楽なように、悪いことは小さいうちに注意深くつまんで避けるべきである。それも生きるということ。
谷川俊太郎さんの生きる。でも詠われている。
市民が市民の監視をする。貧乏人が貧乏人の監視をする。植民地支配とおんなじ。って、アリサちゃん(11歳)が言ってた。
アホとはそもそも話さないを人生後半の基本戦略にしています。Twitterで学びました。
何に感銘を受けるかは人それぞれである。
悪い方に注目すると、馬鹿の言葉は馬鹿発見器になる。馬鹿しかポジティブに捉えないので。
え?
まだXやってるんですか?
イーロンマスクが昔いじめられてたの、イーロンマスクの方がひどすぎたからな気がしてきた。
アメリカ、イーロンマスクを逮捕する法律作った方がいいのでは?知らんけど。
Xはその内この世の邪を全て集めた感じになるんだろうね。
アカウント残したまま辞めたのが失敗。(もはやログインできないので。不利益なことに同意しないとアカウントにアクセスできないので、何もしないのが最善という苦い状況。)
どんな便利なものでも心ない者が支配すれば邪悪なものとなることを多くの人に知らしめたのがTwitter→Xの変。 ここテストに出るよ。(嘘)
イーロンマスクの株を下げてるのは彼自身。
ま、プーチンも、ネタニヤフも、金正恩もそれ。
権力を発動するほど人心は離れていく。
お次は誰かしら?
皆んな私のblueskyアカのことは誰も知らない。
やってないからね。
なんでZ世代が騒がれるのかなーって思ってたら、アメリカのZ世代人口が多いからなのね。日本の団塊の世代みたいなもんね。日本関係なさそうだけど、情報だけ輸入されてんのね。
洋服好きの人からみたら自然に聞こえるかもしれないが、絵画や音楽など、いわゆる、芸術と呼ばれるものであっても、鑑賞において何をフレッシュと感じるか、流行とメカニズムが類似した、時代の感覚の影響は少なからず受けるものである。
ものごとの良し悪しは、その良し悪しがわかる人にしかわかんないよね。何かしらは心当たりがあるんじゃないかな。
ところが人間社会は、わかんない人がジャッジするから不幸なことになる。
まあ、良し悪しがわかってないのにわかった気になっている人間がほとんどなのだろうが。
兵庫県の山田錦を使った岐阜県のお酒。
これは純米吟醸。
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〇〇は甘えという発言自体が他人に甘えている。
パワハラは甘えと同じ構造。
人から批評されたくないのに人を批評するといった、人に対し許せないと思っている行為を他人にしまくっている、属性がやまいだれの動物を人間というのだ。って、山で暮らすゴローさん(86歳)が言ってた。
その行為を価値のないものとして触れ回っている人間の中には、それをする実力がないだけという人もいる。 自分のできないことの価値を貶め、自分のやってることの価値を高く見せようとするタイプ。
リテラシー低い人にリテラシー言われたくない。 リテラシーとはそういうものです。
マネジメントは作業を舐める。作業をしていないから。
従業員はマネジメントを舐める。マネジメントをしていないから。
みんな、自分のゾーンのことしか知らない。興味がないから。
そんなにつべこべいうんだったら、給料高い人がやれば?と若手は思う。
給料やってんだから、つべこべ言わずに働けよと、経営は思う。
お互い理解しようなんて思ってないから。興味ないので。
ここは相互理解から180度ずれた世界。
この世界は同じ空間にいたとしても自分のゾーン以外の人とはねじれの位置みたいに人生が交差することはないのね。
わたしも人のことは言えない面があるが、頭ん中だけで考えて、これはいいとかアカンとか、すごいとか馬鹿とか、わかってるとかわかってないとか、ジャッジしすぎ。経験や身体性が無かったり、逆に経験や身体性が裏目に出たり。 ナンボのもんやねん。
わたしは我慢強いので、根気よく、クソと思われるネットニュースを全て削除し続けているが、クソニュースが絶えることなく毎日投稿されている。
消しても消しても酷い記事がアップされるYahooニュースを見ていると、メディアの人間も半分はどうしようもない糞なのだと思う。
社会的に責任がある立場だったら、捏造はアウトだと思う。自分としては常識だけど、そうでもないの?この社会。
少し前まで、すべて妖怪の仕業にしてたけど、これからはすべてアルゴリズムのせいにしようかなあ。
人間は学習するのに教材買ったり授業料払ってるよね。AIは?
AI学習への個人データの(勝手な)利用についてはこれから(ばんばん)訴訟や裁判がたってくる気もしないでもないが、日本じゃそうでもないのかしら?(最近は日本人も昔と違うけど)
実際、仕事でも生成AIを利用する会社が増えてきているだろうけど、なんのことわりもなく社内データベース上にある個人が作成した資料を利用する企業があったとしたら、文句言うかどうかしらんけど、無茶苦茶気分悪いと思ってると思うよ。
まあ、わたしはtiktokとかでリスペクトしてる作品を素材にしちゃったりもしてるんで、えらそうなこというアレはないんですけど、作り手が嫌だって感じちゃうのはやだなーとは思います。
わたしの場合、人の作品使っても、わたしが使ってることはわかるし、わたしには一文もはいらない。
生成aIの場合、人の作品使っても、使われたことが特定できるかわからないし(できるタイプもあるけど、画像とかは従来の模倣に近い議論になるのかな)、オリジナル作った人には利益が行かず他人にお金や利益がはいる。企業は裁判やったら勝てるんだろうけど、罪を多勢に分散したり見えにくくして責任を追えないだけで、罪自体は存在している。みたいなとこがあるよね。
きつい音楽って、同じジャンルなら良いというより、ジャンルだけかぶってて感性が合わない方がしんどいと思う。わりと色々と聴く方だけど、聴けないジャズもソウルもロックもヒップホップもある。クラブミュージックなら良いかというと、受けつけないのもある。
レア盤、購入競争に負けたとか、お金なくて手が出なかったとか、買い惜しんだやつ。その後一向に市場に出る気配がないとかますます高値になってとても買えないだとか。ずっとあーあ。と思ってるレコードいくつかあるよね。ほんまそういうやつに限って再発もされないし。
誰も知らないが、ここ数年のレコードブームの火付け役はわたしである。どうせ信憑性はわからないので、言ってみた。
しかしそれにしてもこのところ良い音楽がリリースされ続けている。金銭的にフォローしきれない。頭おかしいのではないか。
大谷翔平選手の「50-50」&ナ・リーグのホームラン王を記念した「プレミアムフレーム切手セット」が発売されるらしいが、父親が生きてたら買ってただろうな。(イチローの昔買ってた。)
数十年ぶり(?)に祭りの時に帰省しました。
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アケビを初めて食した。食べにくいけど、上品な甘さで好きかも。
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自分にとって当たり前事項すぎて書いたことなかったんだけど、若い頃からしばらく仕事を断ることを全くしなかったんで、仕事に必要な全行程を全部経験しちゃってるってのは、結果的に今の強みにはなってるのかな。全体感すぐに察しがつくもの。
あと若い頃、初めてする作業とかはすごくゆっくりやってた。気づいたこととか、全部自分にインプットするの。吸収することがなくなったらはやくしてくの。
インプットってより、インストールという感覚。
普通かもしれないけど、人より時間かけてたと思う。メモしまくりで。
まあ、わたしも若い頃は気ぃつかいーだったが、いくら気を使ったところで1人よがりだったらそれほど相手には響かないわけで。気を使えばいいかっていうと何の助けにもならなかったりするので。 人に慕われている人はもっと行動が具体的なんだろうなと思う。悪い意味じゃなくメリット(恩恵)がなければ他人の心は動きにくいもの。
わたしは子供時代、あんまりイヤミに気づかない子供だった。それはそれで子供時代としては良かった気がする。 感受性の強い早熟な子は不良になる時代の話。
自由に好きなものを買える100万円がほしい。が、しかし、浮いた100万円があれば、住宅ローンの返済に回すだろうか。いや、家電製品もそろそろ老朽化してくるので買い替えか。うーん。母親も高齢なのでそちらの方も蓄えをしておくべきか。と、色々とものいりなことばかりなので2兆円ください。
浪費家という職業があれば良かったのに。
リピートした。最近近所では見かけないが、宝山系では吉兆宝山が一番好きだった。黒麹系の芋焼酎が口に合うようである。ほんのり上品な甘さを感じる。
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寿司は江戸前
- 清少納言
幼少の頃は、せいぜい海老を食べるかどうかくらいで、卵焼きか干瓢巻きかカッパ巻きばかり食べてたので、安上がりな子供だったな。寿司の話。
わたしは特に若い頃ほんとにギャンブル運(くじ運も)が無かったんだけど、逆にそれでのめり込むこともなかったから、見方を変えればついてたのかもしれない。
ま、言うほどしてないんですけどね。そもそも。
住宅高騰でもはや手が出せない。との見出し。 な。人類アホやろ。誰の為、何の為に仕事してるのか。考えがまわってるやつ、ちょびっとしかおらへん。
時々思うことなのだが、世の中には素晴らしいコンテンツが星の数ほどあるのに、ほんの僅かしか味わってないの、残念すぎる。 本にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ。 話を広げたら、 食べ物にしろ、飲み物にしろ、あちこちの土地にしろ。
難しくはないが、作業時間がむちゃくちゃかかることは早くからはじめてコツコツと少しずつやるとか、このピースが埋まらないと次の手が打てないようなことは早めに手を打って次にボールを回しておくとか、ゴールから逆算して全体計画を立てるというのは、そういう風に、手際を最適化した上で実際にかかりそうな工数を見積もることが大事である。常にそういう風にしてるので、わたしはもう何年も納期を守れなかったことがない。
何でもギリギリ窮地をしのいできた私に言わせると、物事を成し遂げるのに1番効果的で確かな方法は、早くはじめて少しずつでもコツコツ続けることですね。ズコっとするかもしれませんが。それが結局1番楽だし。
わたしら世代だとカツマーが言ってたな。とかで記憶しているかもしれないが、80対20の法則。的な言葉で語られる法則がある。例えば、ものごとの80%のことはすごく簡単に済むが、残りの20%のことにむしろ8割の時間がかかる。といったようなことだ。法則と言いつつ、そういう呪いがかかっているわけでも、ものごとの比率が決まっているわけでもないが。ものごとには偏りがありますよ。そういうもんですよ。と知ってる方が、物事を計画したり、ペース配分したりするのに非常に役に立つのだ。まあ、より理系的に言うと、物事には律速段階があると。そこをどうブレークスルーするのか、或いはしないのか。といったことまでイメージできると、納期やマイルストーンの設定も適切になりますよ。と。
よくやったことをすごいと言われても当たり前だと思うし、ほんまに大したことないことをすごいと言われてもピンとこないし大したことないと言われてもそりゃそうだよね。となる。まあ、若干の抵抗感はあるけど、落ち度があることを指摘されたら反省もするかな。 しかし、やってもいないことやいわれのないことで不当な目にあったら、末代まで呪われて死ねって、カジュアルに思うし、目の前でそいつが死んでもウケると思う。
家族やほんとの友人ならともかく、他人に褒められても全然うれしくない。金をくれ。って思う。他人にけなされるのはもっとうれしくない。2兆円よこして死ね。と思う。
意外と読んでなかったというより、わたしは生まれてすみませんとか1mmも思ったことがないのでたぶん共感しないんやろなと読んでこなかったんですが、寿命も先が見えるようになってきたので、とりあえず名作と呼ばれるものは読んでおこうか感で古本をゲットしました。
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読み終わった。作品としてとても面白い。
しかし、この作品が自伝かというと、わたしはいささか疑問だ。人物像が胸糞悪すぎる。それこそお道化ではないだろうか。構成上のあとがきの前の手記の最後の部分がわかりやすい例だが太宰は人生に対し充分冷静である。あくまでこの作品は創作(作り物)だと思う。しかし、これを書いてすぐに死んでしまっているわけで、そんなことも含めてすごい多層構造になってる。ある意味、太宰が死ぬことにより、不朽の作品となってしまった。
これは本当のことというよりも、自分や周囲や或いはテレビなどを眺めていて感じる、妄想というよりは薄らとした印象なのだが、自分の持ってる力を出し惜しみして自分のやることをセーブしていると人として成長せずつまらない人間で終わるし、かと言って、幸運に恵まれて成功したはいいものの自分の器を超える運を使いすぎると早くに魂が燃え尽きて萎み厄災に見舞われることがある気がしている。
寒山拾得について、最もファンタジーなのは、互いに理解者がいたことである。
ちょっと芸風の違うことでも書きましょうかね。
好きな人に好きって言える人がなぜモテるかわかりますか?
好きな人に好きって言えるからです。
好きな人に好きって言えない人がなぜモテないかわかりますか?
好きな人に好きって言えないからです。
あ。もう恋愛とか特にいいです。
純愛とキモいは紙一重だってアカネちゃん(14歳)が言ってた。
うらやましい。は、普通にある感情だと思う。 そこから、妬みにならないかが、人間を分ける。
ムフ。久々ハンバーグ。
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未来の話をした時、言葉を発した時点で、それが嘘であるとは限らない。
自分のことであれば、その後の行動により、言葉はほんとにも嘘にもなる。
そのような嘘には身体性がある。
身体性があるから、罪になる嘘も存在する。
これが、責任というものの性質であると思う。
人間は言葉よりも行動を見た方が本質がわかるものだってヨシコちゃん(3歳)が言ってた。
美しいことを言うのは必ずしも悪くないが、そんなこと思ってないのに言わなきゃいけないみたいな強迫観念が感じられる言葉が苦手。こっちが少ししんどくなる。
個人的には、属性でしか勝負できないやつはダサいと思っている。
何らかを作り出していないと、批評はとたんにかっこ悪いものになると思っている。
先ほど、すべての作品を遺作と思えばいいんだというスレッドを見て、そう言えば若い頃、(作品に限らず)そういうことを意識した時期があったなあ。と思い出した。今はもうそんなにストイックではないけど、後悔をしない行動を選択することが、もはや習慣になってる。
その場で、嘘とまで言わないまでも、取り繕ったことを言うことは誰しもあるだろう。 けど、ただのその場凌ぎで嘘にしちゃうやつと、ほんとにしようと努力するやつがいるんだよ。 生き方も人からどう見られるかも決定的に変わっていくよね。 それも含めて人生は選択。
若い時ほど第一印象を重要視しなくなった。 最初にアカンと思ったら、まず300%アカンみたいな話はざらにあるが。まあ、第六感が働くことはあるが、最初のうちは本性を隠すタイプもいるので。しかし、本性というのは隠しきれないものなので、しばらく観察していると、嫌でも目につくようになる。
この世界には、よくぞここまで頑張ったなという人もいれば、良心がどこぞで遭難したのかという人もいる。
傷を受けた者の言葉には痛みがある。
傷を乗り越えた者の言葉には癒しがある。
言ってもすぐには改善しない領域の話もあるので、他人に対して、若い頃みたいに性急な期待はしなくなった。数年後でもわかるといいね。くらいに思っている。
他の人がどうかは知らないが、五十路を過ぎてもいつまでも下手とか苦手なことはある。負も蓄積するので、何かしら不具合も出てくる。特に生活習慣とか。
歳をとるとメンテナンスが重要みをおびる。
まあ、無理というか、負荷をかけないと鍛えられないゾーンの話もある。
人間甘えたくなるものだし、楽に流れたくなるのが人情だが、楽ばかりしていると、脳や体はすぐに働かなくなるので。年寄りほど。
やらされの無理はやだけど。
思う存分怠けてリカバれるのも若いうちだけである。
歳をとって自分が1番劣化したな。と思うのは、ある領域において忍耐力というか堪え性がなくなったことである。特に生活習慣に関わることは健康面とか悪いスパイラル(循環)に陥りそうなのでまずいと感じているが、欲とか本能に直結している部分なので、若い時なら平気で我慢できていたことが、なかなかに我慢が難しい。たぶんこれは脳みその加齢による退化である。 意識して習慣を見直そうとしているが、一朝一夕でスパッとはいかない。 その歳には歳なりの課題がある。
若い頃の方が賢かったことも、歳をとって賢くなったこともある。
年齢で得意領域は変化していくので。ずっと同じままではない。
逆に、若い頃にできないことと、歳をとってからできないことも変わっていく。環境にさらされていないと気づかなかったりもするのかな。
バランスを取るにも、止まっているより動いていた方が調整がきく。
わたしは幼い頃はビビりだったが、一生の内で人間がビビれる数というのは決まっていて、わたしはもうその回数を使い果たしてしまったので、もうビビろうと思ってもビビれない。 くらいその手のことは変わるもんよ。
いい人をやめろ。とか、都合のいい人をやめろ。とか、最近よく目にするが、ミスリーディングだと思う。いい人であるとか、都合のいい人であることは人に恩恵を与えているだろう。 そういう人が損をしていて、それを嫌だと思っているのならば、不当なものごとや人に対してだけNoと言えば良い話であって、心ある人に対していい人であることと、全然両立できると思う。 つまり、ただのいい人ではなく、不条理に立ち向かう勇気と術を持てと。つまり、いい人としてバージョンアップしろ。という方が助言として適切である。
男女問わず、人を好きになるって、どこか感動するとこがないと、そこまで好きにならないかもね。
わたしは10代の時には人と比較することに飽きていたのだが、よく世間には飽きない人がいるな。
世の中には、できる見込みがないのに、できると言ってしまう人がいる。
わたしは色々できちゃうが、できる計算があってできると言っているのであって、できないとわかっていることは絶対にできると言わない。納期も検討した上でできない納期は引き受けない。
それに、できる上司ほど、できそうにないと感じた時点で早く言ってくれと思うだろう。難しいと感じた時点で解決策を一緒に考えようとするはずだし、それは早ければ早い方がいいと考えるはずである。
できない状況を1人で抱えて、最後にやっぱりできません。とか、人望を落としてくれと言ってるようなものである。
まあ、できるのにできないというやつもアレで、いないとこでこすり(ディスり)ネタになってるだろうけど。
違うパターンで、できたできた詐欺という人もいる。一端に過ぎない良い結果だけ見せて、問題点を隠し続けて、フタをあければ、アカンやろそれ。ってなるやつ。
印象で評価は高いかもしれないが、最終的に何も達成しないやつ。
案外社会では当たり前にいるが、そういう人と仕事は組まないようにしている(それとなく逃げる)し、最悪組まなきゃいけないなら1人で結果出すよ。
わたしは、ありがとう。も、ごめん。も、体感少なくとも人の数十倍は口にしているが、それはそれで奥さんに言わせると、ありがたみがなく、印象にも残らないそうである。むしろ行動で示せとか言われる。ありがとう・ごめんのデフレーションである。 どんなことでも塩梅のよい匙加減というものがあるのである。
付き合うのがめんどくさくない人間などいない。
自己啓発とか、読んですっきりしてるだけなら、何も上達しないので。(みんなすぐ上達するなら、その内本売れなくなるわ。)
人生のスキルは試したなりなので。
そんな都合良くも、そんな都合悪くもいかないもんだよ。
人生思ってたんとちゃうということばかりである。
嘆きたいなら、この世界には嘆く材料が星の数よりある。それこそ、死ぬまで飽きずに嘆いていられるだろう。良かったな。退屈せずに。
楳図かずお、クインシージョーンズ、、
この世界の終焉の最後のコマに愛(AI)だけが残ったとするのは神がつけるオチとしていかがなものか。(ダジャレかよ。)
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楳図かずおさんのrip見てると、その人が死んだ時に語られる言葉から人格伝わってくると思うね。
心で思っていることと、言葉にしたことと、行動したことと、どれがほんとのその人なのか。まあ、全部ひっくるめてがその人なのだろうが、全貌は本人しか知りえないし、本人すら捉えきれてないだろう。ましてや、人からみたら最初のはわからないし、受け取り感じたことが、他者にとってはすべてと感じて不思議はない。
言うだけ無駄も正解となるし、言わなきゃ始まらないも正解となる。どちらかと言うと、伝える人だったり、伝える人との関係性の問題。つまり、聞く気がない相手に言っても無駄になることがほとんどだし(まあ、心に残ることはあるかもしれないが、変わるとしても忘れるくらい先のことだろう)、前向きに変わりたいとか何かしたいと思っている相手には、言葉が呼び水になることもあるだろう。
それで(も)言うかどうかは、自分の問題である。(そもそも言わなきゃあなたが何考えてるか相手にはわからないことがほとんどである)
自分を誤魔化さないことが必ずしも良い結果を生むとは限らない。言葉や行動にしはじめた時、最初のうちは塩梅がわからなくて、軋轢(あつれき)を産んだり、人と不必要な距離や溝ができることもあるだろう。まあ、それも、過渡期なので。成長中ということであるので。何かを超えるには、全方位、敵と思うくらいの気構えが必要な時期もあるが、それも戦況が見えていない視界の狭い状態なので。それでは自分も見守っている人も苦しい。まあ、峠を前進している状況だろうので、見晴らしの良い場所に辿り着けるよう、健闘を祈る。
生きていると何度も同じことを繰り返している錯覚を覚えるが、人生の出来事は全て一回性である。
一回性の人生において、昨日と同じ生活が営めるのは、社会的な約束事があるためである。
人生が自分の手の内にあるかというと、半分くらい転げ落ちてそうな気がする。
自分が良い夫かというと、半分くらいそうでもない。
わたしは「気」が入っているときは、それこそ、龍が天に昇ろうか。くらいの気が満ちるのだが。それこそ気が滅入っている時は、風雪に晒される屍のごとく、心が死んでいる。
若い時に比べれば、マシと言えるのか、仕事は卒なく仕上げてはいるのだが、時折寄せてくる虚しさは、昔より一層深いところに私を運んでいくような気がする。
一説によると、釈迦の到達した悟りとは、病や死を始めとする恐怖や不安が消え失せ心はどこまでも静かで落ち着いてる、そうした境地のことであったと言われているが、これって人生に疲れ切っても同じ(ような)境地になるよね。
仏教でいう四苦八苦の四苦は生老病死。 残り4つは、 (離)愛別離苦 :愛するものと別れなければならないこと。 (憎)怨憎会苦 :恨みや苦しみを感じる嫌いな人と会わなければならないこと。 (望)求不得苦 :求めてもほしい物が得られないこと。 (飽)五陰盛苦 :満ち足りすぎて飽き飽きすること。 わし的には、残り4つの方がえぐいわ。特にこの数年体感しまくり。 苦を乗り越えるには、まず、 第一に人生は苦しみに満ちていて自分の思い通りにはならないと知れ。と。 ま、そういうもんでっせー。ちゅうことを知れっちゅうことですな。
なうすぴにんぐ。このところのヘビロテ。
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宗教はドラッグに似てるな。と思う。
あんまり深い意味でなく。
気持ちいいって、実はかなり曲者である。
ほんとに良いことってのは、確かに気持ちの良さがある。心地がいい。
しかし、良くないことでも、スッキリした気持ちの良さを感じることがあるので、良くないことを良いことと勘違いすることがあるのだ。
理想は自分を引き上げてもくれるが、自分を閉じ込め、縛りつけるのもまた理想である。 強すぎれば、強すぎるなりの弱点が生じる。柔らかさ(しなやかさ)は弱点が少ない。
綺麗にも良し悪しというか、特性がある。
例えば、汚いものが混ざると目立つ。維持の労力が大変など。
それ自体が絶対的な物事であっても、良し悪しという観点は相対的なものなので、全ての視点からみて完璧な善も悪もない。
逆に、ある一点からみたら、絶対の悪と感ぜられることもあるだろうな。
個から見たら完全な悪も、別の視点からみたら悪ではない。お互いに共感することは凡人には難しいだろう。持ててシンパシーか。
人間の頭はそれほどロジカルではないので。
例えば、人を殺すという行為自体は良くないことと感じていて、もちろん好きな人間が殺されたらそれは悪だと糾弾するが、憎しむ相手に対しては平気で殺せと言ったりする。人間は完全に感情に飲み込まれるのである。
従い、法が、行為自体を定義して罪として律しようとすることは、人間社会においては合理的なのである。
他の動物はこのような必要すらない。人間が他の動物に比べ賢いと言えるのか。そうでないところも沢山あるのではないかと、わたしなんかは思うのである。
処世術のうまい人を見て、社交的な人は好印象を抱くだろうし、そうでない人は胡散臭さや腹立たしさを感じるものであろう。
みんな自分を特別と思いたい病にかかっている。 わたしなんて。という人も。
起きがけにふと思ったんだけど。 わかる。という言葉に、分かる。という字があてられているのは、たぶん、わかるってことは、分けるってことと同じである場合があるからだね。
仏教でいう悟りがなんであるか。それを語るのはあんまり意味がないんじゃないかなと直感している。 まあ、真理というものは、そこにただ転がっているものである。ただ、生きた経験をしないと、それが真理かどうか気がつかないのである。 悟りとは、そういったシロモノであると思う。
怒りはどこから来るのか? 何かを大事に思うからであろう。 怒りの質は、何を大事に思っているかという価値観の質なのかもしれないよ。
不幸な出来事があると、自分はその不幸な出来事のパイオニアではないか。などと思ってしまいがちだが、長い人類の歴史の中では、それこそ遠い昔から、数えきれないくらいの人が経験してきたようなことを、我々は、私だけが世界で1番不幸みたいなおももちで経験しているのだろう。インターネットとか、SNSとか、場や環境が変わっただけで、人間の本質なんてものは、大昔から変わっていないのだと、知りもしないのに僕は見てきたように直感する。
まあ、人にはよるのだろうが、人間、裏切られることには過敏だが、裏切る時は平気で裏切ったりする。
頭脳の発達した人間は頭の中で遊ぶことを覚えた。ある意味、頭の中で生きているところがある。 SNSやバーチャルなど、余計に頭の中だけで話が事足りそうな環境も提供された。 しかしながら、厄介という言い方をしてもいいが、人間には身体があるので。頭の中だけに没頭していると、身体が存在することに起因する問題が色々出てくるだろう。その内、AIに生まれ変わりたいという、変な願望すら出てくるのかもしれない。 しかし、人間は本来、動物の一種にしか過ぎないので。そこを履き違えると、ますますおかしなことになるだろうな。
しかし、何かと色々ある。 少し風向きが良くなりだしたかと思った小一時間後には何かあるくらいのペースである。ふ。俺が超人でなければ危うくやられているところだったぜ。くらいのメンタルで良いと思うよ。実際、糞の世の中でそれだけ頑張ってんなら。
鍋で一杯。
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広島の呉の酒。これは純米吟醸。フルーティで口当たりもよく、非常にバランスの良い味わい。
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円や丸は完全性を表したりする。まあ、数学的にもそういった要素があるかもしれない。 人間の性格にあてはめてみると、1人で丸を作ろうとしすぎると、何でも1人で完結してしまって、人と共同していくことが難しくなってしまったりする。 家族を作ろうとするならば、家族全体で丸を作ろうとする方が、楽しい家庭を築けるのだろう。 もっと言えば、家族で丸を作ったら家族だけで完結してしまうので、そもそも丸など作ろうとしない方が、人生なんてのはにぎやかなのかもしれない。
歳をとってからとらやの羊羹がうまいと言い出す人が多い気がするので、少量買ってきました。久しぶりに食べましたが、いや、うまいですね。
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わたしの鼻があと1cm高かったら世界は変わっていた。(何も起こらない系)
長生きの秘訣を聞かれてトメコ(108歳)は答えた。人のいうことを聞かないことじゃよ。がっはっは。
おでん。
は、ハーモニーである。
材料も、出汁が出る系、吸収する系と、全体が見事に調和してそれぞれが良い味をしている。
人間が理想とすべき社会は、おでんである。
何が言いたいかと言うと、おでん食べたい。