つぶやき2023.1.5-1.22
いきなり公私ともにばたばた。
久しぶりにオロオロとしている。
猫ちゃんに何かあった。
(実は猫ちゃんがプラごみを食べちゃって心配していたのだが、数日前にようやく吐き出してくれたそうで、ほっと一安心。)
一人でじっとしていると、俺って駄目だな。の波が押し寄せてくる。賑やかに何かあった方が良いのだろう。
何とか無事な生活を送っているが、こういうのって、ほんとはすぐ隣に不確実な世界は転がっていて、運良くその闇を見ないで過ごせている。とか。考えちゃうね。考えちゃう時には。
問題が起こると、うろたえたり、腹を立てたり、何やねんとか、不条理って思ったりするけど、大概、理由というか原因があって起こるんだよね。
ものごとがエネルギーの低いとこへ行こうとするように、こちらの期待とか都合とは関係なく、起こることは起こるべくして起こる。これをこうしてこうするとこうなるみたいな。そういう意味で実は世界は当たり前なことしか起こらない。
わかりやすく言うと、ピタゴラスイッチみたいなもんですわ。うまくいくもいかないも。
生きていくとどうしても避けられないピタゴラスイッチみたいなものが出てくる。悪いことなら、起こることは避けられないかもしれないが、なるべく起こるのを遅くしたり、緩やかにしたり。歳を取るとそんな工夫が必要になる。
手のひらの握れるところにほくろがあると金持ちになれるという。握れないところにあると散財するいう。占いみたいなものは一種の語呂合わせみたいなこじつけみたいな統合失調症的みたいなとこが昔からあり大きなお世話だがぶっちゃけ気になってしまう人の心理につけこんだ呪いみたいな側面もある。
しかしまあ、あれだ。
わたしの手にはそのあれだ。にぎれるかにぎれないかの境目にほくろがあり。わたしの周りではそこそこ金が動くのだが自分自身にはちょっと足りないくらいのお金しか入らない人生感だ。むちゃくちゃ金に困るというほどでもこれまではなかったが。
有難いのか有難くないのか、ついているのかついていないのか。一言でいうとそんな人生である。金をくれ。
悲劇を喜劇に変えるのは。子供の頃なら親だったりするのかもしれない。しかし。それだって恵まれているのだ。何ともならない親も世の中にはいる。大人になったら。人に救われることもあるだろうが、それにしろ、ほとんど。自分の意思でシフトしなきゃ、誰も何もしてくれないと思った方が見当がいい。天は自ら助くる者を助く。という。あまりものを考えてない人まで言う。天のことなど知らんけど。しかし。自らを助けようと思わなければホンマにどないもならんのだ。正味の話。
停滞感があるのでそろそろ何か新しいことを考えよう。
大自然は大変そうなので中自然くらいのところに観光で行きたい。温泉付きで。
実は転勤したのでバタバタなのであーる。つって、大阪から大阪で、仕事もほとんど変わってないんだけど。
ピカチュウと自己中で韻を踏める。
8時起きと発情期で韻が踏める。
哀(あい)は地球を巣食う。
語呂を合わせただけです。
意味はありません。
AIとすると意味ありげかな。
意味のないことにはいくつかの種類があって、純粋に意味(理由)のないものもあれば、意味を逆に利用して全体の意味を無効化する遊び(知的ナンセンス)もある。
ツイッターでちゃんとした話を聞いてもらいたかったら、エンターテーメント性を持たせろ。スキルがないならせめて人に見られても大丈夫なツイートしろ。
その上で破壊するなら破壊しろ。
くらいね、くらいね
くらいね、くらいね
くらいね、くらいね、性格がくらいね、
くらいね、くらいね、性格がくらいね、
で、で、でも
で、で、でも
みんないい人、あんたいい人
いつもいい人、どうでもいい人
今宵限りでお別れしましょう
あんた大好き、彼女大好き
自分大好き、メチャクチャ大好き
今宵限りでお別れしましょう
せこく生きてちょうたい
せこく生きてちょうだい
せこく生きてちょうだい
せこく生きてちょうだい
見飽きた奴等にゃおさらばするのさ
見飽きた奴等にゃおさらばするのさ
見飽きた奴等にゃおさらばするのさ
するのさ、するのさ
するのさ、するのさ、するのさ
思いつくままに動きつづけろ
思いつくままにとばしつづけろ
思いつくままに走りつづけろ
思いつくままにたたきつづけろ
思いつくままに壊しつづけろ
思いつくままに踊りつづけろ
思いつくままにしゃべりつづけろ
思いつくままにただしゃべりつづけろ
思いつくままに壊しつづけろ
ツイッターで言いたいことはない。
金をくれ。(3回目)
バロムワンにはクチビルゲといった怪人が出てきたが、令和にリメイクされるとすると、イミアリゲとかアリヨリノナサゲといった抽象的な怪人が出てくるのだろうか。
#シンバロムワン
お昼休みになうすぴにんぐ。
少し前のですがこれ買いました?
僕も芸術は喜びのためにあると思います。
今日生まれて初めて発音的に同姓同名の人と隣り合わせた。
世界にもう1人自分がいたら。
行動範囲が狭いのでまず出会わない。
無くて七草
七草wwwwwww
TLでセリナズナ大喜利が繰り広げられている。
ツイッターの画像情報を基に七草粥を食べられるお店を探し出した。
#飯テロ
ご馳走さま。
ナマコ食べたいなあ。
これはピノのサイズ感が合っている。
今日は金曜日感がすごいのだが、明日は土日で、そのあとまた土日があると考えて良いだろうか。
迷い込んだクジラ。大昔だったら。大昔だったら何とかして。何とかして食べているのではないか。
表千家、裏千家、武者小路千家にはじまった茶道の流派はやがて千家名乗ったもん勝ち騒動へと発展し、御殿場千家、お台場千家、裏原宿千家などの地域型、猫千家、劇画千家などのコンテンツ型、二郎系千家、魚介系千家などの店舗型などが乱立、百花繚乱し、今日の一億総千家時代を築いたのである。
珈琲メーカーが瀕死。
壊れても次のボーナスまで買われへん。
むむ。金をくれ。
諭吉、お前の良さは俺の方がわかってる。俺のところに戻ってこい。
仕事しても給料関係ないんだから、仕事に関係なくお金くれたっていいじゃないか!
キャバクラやホストクラブやパチンコや競馬や競艇や株やマルチやカルト宗教でさんざん散財してるんだから、5回に1回くらい、俺に散財してくれても、いいじゃないか!
その方がよっぽど人(俺)の役に立つぞ!
これだけ金くれと言っていてもお金が手に入らないのはやはり、人類はすべからく情無しのケチンボであるか、わたしが北風と太陽のように打ち手を間違えているかのどちらかしか考えられない。
どうすれば良いのだ。街ゆく人にコートをかけたら良いのか?しかし街ゆく人にコートを買うお金などない。1回脱がしてかけたら良いのか?
結論。
暇だ。
壁に耳あり障子にドーン
2階からドーン
棚からドーン
珈琲メーカー、内部のフィルターユニット外して洗浄したら直った。
ホンマ助かった。俺偉い。
慢性的にお金がないことを、
マンセー、金、寒(サム)ニダ
と言う。
最近欲しいものが結構中古市場で出ているのだが言わずもがな買えない。
メルカリをウォッチしてただ売れていくのを眺めている。
世の中、こいつに寿司を食わすなら俺に食わせろみたいなことばっかりである。
大してモノも買っていないのに何故こんなにこづかいがなくなるのか。誰か調査のためにアマゾンの奥地へ向かってくれ。
早速アマゾンから調査団が帰ってきた。アイコス代にお金がかかりすぎている。まけてくれ。
ツイートばかりするのは、逆に疲れている時というか、脳だけ回転していて体はぐったりしていることが多いので、わたしがツイートしているのを見かけたら、そっとお金を振り込んでください。
住宅ローンとか色々大変なんです!
同情するなら金をくれ。
いや。同情なんかしてなくていいんです。貰えるものさえ貰えれば!
余計なことには口を出すくせに、金は出さない。
そんな性格を直したいと思いませんか?
今ならお金を受け付けています。
じゃんじゃんご応募ください。
それは同情するなら金をくれと言っている人にどじょうをすくう行為だ。すくいがあるのかないのかわからない。
シュワルツェネッガーのデビュー作はコマンドーだと思っている日本人が多いが、実は子役から活躍しており、代表作にアーノルド坊やは人気者がある。
昨日はお腹を壊していたので、食事には慎重になる。お粥は胃にやさしい。
ご近所弁当。はじめて利用したが、ホルモンうまかった。
午後の珈琲。
このシリーズうまい。安いし。
このお菓子がなぜ安いのか。
簡単だが分析すると、原料の米に、国産米以外に米国米、中国米も使用し、原料コストを抑えているためだろう。
国産にこだわる人もいるだろうが、おいしいし、安全性を気にする人もいるだろうが、個人的にそう長生きしたいとも思ってないので、この商品はわたしのニーズに合っている。
国産じゃなきゃダメだ、安全がキーキーと騒ぐタイプの人種もいるが、それは食べなければ(選択しなければ)良いのであって。
消費者にとって重要なことは、自分が本来食べたい(欲しい)ものを、選択できるということである。
従って、このわかりやすい表示というのは非常に重要なのである。
一昔前には、産地偽装など、嘘の表示がされることもあったが、日本は貧しくなり純国産品でなきゃ。とかいう消費者も減り、ここまでは仕方ないね。という方も多いだろう。
しかし、これだけは譲れない。という線もあるだろうし、やっぱり適切な表示により消費者が選択できることと、メーカーはそこで選ばれるような、商品設計やコスト努力などが求められるのだ。
行政機関の役割としては、この消費者の選択ということが適切に行えるように、ごまかしではなく、わかりやすい表示というものをシステム化し、監視していくことである。
そのためには、システムというもの自体がわかりやすくなければならない。
食品の表示を例にあげたが、これに限らず、システムというものは、こういった思想に基づくべきである。
大切なことはあまり変わらない。
また、安全性の話をしたが、別に米国米や中国米が安全でない。などと言っているわけでは無い。生鮮食品については、農薬が。などと気にする人もいるだろうが、生鮮食品なら生鮮食品、加工品原料なら加工品原料としての安全基準が必要によっては設けられているはずであり。(不要なら設けなくてよい。)
行政機関の役割としてはこの最低限守るべき品質のレギュレーションを作り、監視していくことである。
レギュレーションが過剰なら生産者に過剰なコスト等の負担をかける(経済を縮める)ことになるし、不足とかザルのようなら何をやっているかわからないことになるので、レギュレーション作り、或いはその管理基準というのは、まことに匙加減が重要なのである。
欧米などは、レギュレーション(規格)ビジネスというか、監視すること自体をビジネス(金儲け)にしたがるが、適切な報酬は得たら良いが、本来の目的は、消費者に対するメリット(消費者にとってよりよいサービスや商品、或いはまずまずで安いものも含めた選択肢)を提供することであることを忘れてはいけない。
今日のほぼ日。読んだ方がいいぞ。いつもいいけど。
人間。損な役回りに見える人の方が実は幸福感が高かったり。せっせと体を動かす人の方が不満が少ないとか。持たざる方が欲の苦しみから解放されるとか。人間万事一億総貧乏性みたいな先天的に無自我レベルで労働者体質(働きたくなくても)みたいなところがある。
棚から落ちてきた牡丹餅を食べると腹を壊すような脅迫観念というか。
働くのが駄目という人も、実はそれを駄目だ駄目だとどこかで自分を責めてるような。(まあ人間は多様なので責めないタイプもいるかもしれないが。)
まあわしは怠け者も働き者もどっちもやってるのでどっちもわかる気がする。
あまりに良かったので、スクショした。内緒だよ。
永久保存版と思った時、まれにしてますが、すみません。
ええええええ!
RIP高橋幸宏さん
なうすぴにんぐ。
お時間ある方は↓
ダイバーシティとは
お台場のことである。
コアコンピタンスとは
コアコンピ社のタンスのことである。
サスティナブルとは
さすってなぶることである。
発音はサステナブルが正しい。
アライアンスとは
新井でやんす。の短縮系なので新井さんしか使えない。
ローンチとは
カーンチ♡(鈴木保奈美風に)から派生した麻雀用語でロンする時に言う。
メンターとは
マンターの複数形である。
ステークホルダーとは
肉受けのことである。
ヒューリスティックとは
ヒステリックの最も激しいものを言う。
スキームとは
スチーム(蒸気)の東北訛りである。転じて加湿器の意味となった。
バジェットとは
パン(バゲット)が訛ったのである。
ブランディングとは
ブランデーを飲むこと。が転じて晩酌の意味である。
セグメントとは
セメントのことである。昔はgを発音しなかったが建設業界ではアジア人の雇用が増えこれが定着した。
シンギュラリティとは
信じられへん。を茶化して言ったのが語源である。転じて、奇想天外なこと。
ナレッジとは
なれ。を親しみを込めて言う言葉で、有名なものに『お前は虎にナレッジ』がある。
#何でも聞いてください
オヤジギャグとは甘えである。
ダジャレは正義である。
この違いを察する人は信用できる。
たまには突き放さず、馬鹿にもわかるように説明しよう。
まず、ストイックさが違う。
オヤジギャグは笑いを研究していない。
いや研究とまでいかなくても別に例えばお笑い番組など見ていない。
ダジャレ好きはお笑いが好きでよく研究もしているし何なら日々実践している。
ダジャレとはワビサビというか枯山水みたいなもの、一種の流派。千家、裏千家みたいたもので、心の老成した、仏教でいえば悟りを開いたものが嗜むものなのである。
ガキのダジャレは老成されておらずうざい。散れ。
過去にいいねしてた。
天才Hiroki Nakamuraの本領発揮。
また沢山文章を書いてください。(わたしが読んでないだけかもしれないけど。)
建設的な自己防衛策です。
年の功とも言う。
軽蔑はもう一つの死である。
政府は増税を繰り返した。しかし、国民からは怒りの声が上がらなかった。政府はそれでまた増税を繰り返した。ある時政府は増税しても税収が増えていないことに気がついた。気がついた時には遅かった。国民は既に飢えて死滅していた。
もはや政治家と国民の関係は冷え切った夫婦関係より酷いだろう。
アメリカが日本の増税(防衛費アップ)を評価って、日本の政治家もアメリカの政治家も糞だってわかるね。
軍国ビジネス花盛り。人間が生まれた時からあるんだろうね。売春買春とどっちが古いかってくらい。
まともな国って無いのかもねえ。
迷い込んだクジラ可哀想っていうくらいなら、戦争なんかすんなよ。
戦争が起こる理由をついにAIが突き止めた。AIによるとその理由はじじい共に我慢が足りないからだった。じじい共はこれに腹を立てついにAIと人類との果てしない戦いが勃発したのである。
皆さん。政治家がチンケな下衆野郎と腹を立ててるみたいですが、今に始まったことじゃないじゃないですか。自民党です。
一生懸命働いています。ほら。この通り。歴史の改竄が私たちの仕事です。知恵も金も努力も惜しみません。この成果をみてください。
世界政治家連合
問題を改善したいっていうより、何か言いたくて問題を探して歩いてるみたいな人いるよね。
問題を解決したいっていうより、みんな暇なんだと思う。
#良くなるわけがない
文句をぶーたれるだけでは何も変わらんのだ。
大方の人は文句を言うだけで自ら何も変えようとしないのだ。
大変な問題じゃなきゃわたしだってそうだし、文句ばかり言ってる人間の多くはもっとそうだろう。
問題解決より、一目置かれたいとか、メリット(文句を言う商売)でやっている人もいる。
真面目な人には可哀想だが、そんな方が多い。
クレーマー社会の悪いとこは因縁つけられたら損で多くの人は理解するが善悪では割り切れない多事争論を巻き起こしそうなそれでも本来はやった方がいいことから逃げたりあの人だけずるいみたいなケツの穴が小さい心が貧乏なケチのせいで良心的なサービスが消えたりして街のホスピタリティが低下すること。
見せかけてやってる感だして金をもらっている人って結構多いから、まともにやっても成果にならない腐った組織って案外そこかしこに転がってるんじゃないかしらねえ。
そっちの方がありがたい人の方が多いかもしれないから、マジョリティは既得権益にしがみつくよね。
まあ、そんな人ばかりでちゃんとする人を蔑ろにしてきたから、今こんな世相になっちゃってるんじゃないでしょうか。
不平不満が好ましくないのは、基本人に嫌われて損をするから。人は自分が我慢していることを人がやっているのを見ると腹が立つのが多数なので(多くは無自覚)、一般的に人が我慢していることほど反感を買いやすい(人間は自分も我慢してないことには腹が立たない勝手な生き物)。
そのことをわかった上で不平不満を言いたいなら、覚悟の上で言うべきだし、嫌われたくないけど言いたいってワガママを通したかったら、不平不満をエンターテイメントにまで高める芸を磨くことだ。
批評ってものはしたくなるのが人間というものだが、批評するならって場合に大事なのは、当事者であるか。或いは、その世界に属しているか、近しいか。っていうとこがないと、外野で騒いでるだけ。みたいに見える。
単に好き嫌いで批評するのもやめろとまでは言わないが邪魔に思われるのがデフォルト。
あと。
批評しないで、素直に楽しんだり、楽しめなければ、そこから距離を置くのがわたしの好みだけど。一言言いたくなった(批評したくなった)時ほど、ユーモアのエッセンスが必要。ただ悪口をしかも面識のない人にするのは、基本不躾な行為で。かと言っていちいちお断りするのも鬱陶しいから。
最低限の礼儀として、ユーモアを含ませることで、相手への攻撃性もギスギスしたものじゃなくなるし、まあな。と、良い意味でスルーしてもらえるかもしれない。
ジャパニーズスマイルというか、悪い意味で、他人に攻撃されたり、近づかれすぎないように、おかしくなくても笑ったりずっと笑顔でいる人もいるけど。
笑いっていうのは、綺麗事を抜きにして防衛手段になるんだよね。
また、うまくすれば攻撃的(というか能動的なこと)にも使える。
レニーブルースみたいな人もいたしね。
でも。
どんな時でもユーモアの心を持っているのは大切だけど。笑っちゃいけない時っていうのはあって。態度として。
自分というより、相手の気持ちとか感情が判断基準なんだけど。(自分の納得性もあるだろうけど。)
むしろこの、笑うべきでない時にしっかり笑わないことが出来る人は信用される。
怒りというのは悲しみの二次感情という言葉があるけど、怒り(悲しみ)に対して他人が笑うっていうのは、すごく自分の尊厳を傷つけられた気がして、怒り(悲しみ)が増幅することになるからね。
人の気持ちなんてほんとはわからなくて、推察しか人にはできないんだけど、人の気持ちがわかるって言われる人は、こういう「わきまえ」ができてる人のことを言っているのだと思うよ。
ユーモアって言っても、自分だけおかしかったり、嘲笑ってのは、ユーモアとしては下衆の下衆だから。
ユーモアこそセンスと品が感じられるもの。
国が自分のために何かしてくれると思ったら甘い。そんなことしてくれる連中に見えるか?お前の目は節穴か?ご都合主義な妄想も大概にせえ。
嫌らしい話、献金とか後援でもせんかったら誰が貧乏人なんか助けると思うねん。いや最悪な貧乏人は助けるかもしれんけどちょっとでも働けたら放り出すわ。
見てみいや。どこに人のために働く政治家が残ってるんや。
自助努力も政治家が言うな思うけど政治家が国民を助けるわけないやろ。そもそもそんな政治家に投票してないじゃん。候補にすらおらん。
ましてや戦争で政治家が国民のために戦うと思うか?どこまでお人好しの馬鹿やねん。都合しか考えとらんわ。
まあ。とか言って。国民のために働く少数派もおることはおるんやろけどな。官僚にも。
でなきゃコロナワクチン無料で打てなかったやろし国民皆保険もなかった(まあ昔の賢い人が作ったんやけど)。
感謝するとこはすべきやけど高い金もらってんやから悪い方いかんように見張ってしっかりやれくらいで丁度。
中には真面目な人もおって真面目に何かが動き出すこともあろうが。
中には利権しか考えてない人もいてそういう人の方が内部政治に強いから変な方に転がりがちやねん。幾ら良い素材も腐った水の中じゃ。
まあ国民は粗を探しすぎる輩もいるし、わし的にゃ全体としてまずまず良ければ合格なんやけどな。
日本人も日本の政治おかしいと思ってる人増えてきたし、外国人も変なのと思ってんのに、変な状況がテコでも変わりそうにないその構造こそが、日本の衰退の本質である。
(↓必読です。)
憲法改正より選挙制度改正しないとダメなんだろうね。構造的に。
自民党の選挙地盤の人達がほんまに村社会の化石みたいな考えの人達で自分の村さえ良きゃいいって感じじゃないの?その人達が死なないとダメかもね。
自民党議員と一緒に死ぬのを待つしかないのかな。
選挙制度改正ってなったらもっと改悪しようとするの目に見えてるもんね。
日本は化石(みたいな古い考えの人達)が動かしてるから、死んでいく方が自然だよね。
統一協会も自民党も前の戦争の亡霊だもん。はよ成仏してほしいわ。
右翼とは亡霊に取り憑かれし者のことである。
右翼にはみんな背後霊がついてる。
みんなには見えないの?
僕なんかは考えることが当たり前すぎて、それはそれで変なことになってるけど、奇想天外なワクワクを生み出す人はほんとすごいなあと思う。
僕がパワハラしないのは僕にパワハラされたらひとたまりもないから。
強いものほど柔軟であろうとせよ。
孤独になるで。
君臨はできるかもしれないが愛情てついてきているのではない。
なぜこうも人間のことを言い切るのかというと、所詮人間など小学生の時と根っこが変わってないからである。
歳を取って社会的パッチを身につけただけ。
たったひとりでもたたかいつづけるやつはたとえころされてもたましいでまけていない。
たいていのやつはそこであいてにげいごうしてじぶんをころしたぞんびだ。まけるわけがない。いきろ。
この世界は見方を変えればゾンビとの戦いというシミュレーションゲームとして楽しめる。
どこにでも死んでるくせに動き続けるゾンビがいる。というかゾンビだらけだ。
死んでいることに気づいていないゾンビだらけだ。やつらはお前を同じようなゾンビにしようとする。生きるかゾンビになるか。お前はお前のゲームをしろ。
生きていたら、苔まみれになる。それもそれだが、それが嫌なら、転がり続けるか、光の速度で進むしかない。
ほんとうの正義というものがあるかは知らないが、それに近い正義がもしあるのだとすれば、それは特定の者に正義を行使しない正義であるか、或いは逆に、たったひとりの愛するもののために行使する正義ではないか。
というか。理解しうる正義はその二つのいずれかというのがわたしの世界線現在進行形。
子供をワクワクさせたかったら、子供が面白そうなことを用意するんじゃなくて、大人になると面白いんだぞってことを嘘でも信じさせることじゃないかな。ほっといても大人になりたくなるように。
クリスマスプレゼントを用意するように大人もそれを楽しめばいい。
信じるとは考え(理屈)ではなく、意思というか、主観なのである。
だから騙されたとか騙されないという話も本質的に議論が難しくなるのはわかっている。
カルトの場合は、その主観というものがほんとの主観なのかというところがイシューであり。
アイデンティティにも関わる問題だから、自由の価値を知っている人ほど話に敏感になるのである。
自由を語るには自由の定義から語らないと会話が通じ合わないという不自由さがある。
無秩序とは違う意味の自由とはその手に入れやすさも含めて簡単ではないのだ。
自由というのは主観的であり、社会的な自由とは他人の自由と共存するということであるから、主観同士がぶつかることもある。
自由とは未熟では手にすることが易しくないのだ。
だから不自由の中にいることで安心するタイプもいる。ウマが合わないこともある。
そんな外的環境の中で獲得するものなのである。
#自由とは 。
かくいうわたしも自由とか語りつつ、サラリーマンで既存の社会インフラは利用しているわけであり。
複雑化した社会では、好むと好まざるとに関わらずハイブリッド(混血化)していくより仕方ないのである。
ここでもエントロピーの法則のような自然な流れには逆らえない。
ものごとというのは、エネルギーが少なくて済むところに収まろうとするもの。
これだけ覚えて帰ってください。
お金とは執着しようが無くてもいいと思おうがないときにはないのである。
お金っていうのは血液に似たところがあって。適切に循環しないと体(国)は健康じゃなくなる。偏った血流が体にいいわけないでしょ。潤う細胞があったとして全体が死んでいく。
金は天下の回りものって学校で習わなかったの?義務教育なのに?
みんな。俺んちにお金を回してくれ。
よろしくな!
人という字は人と人とが支えあってできています。ロン毛の教師が昔言ってました。助けてください。国民1人あたり100円でいいんです。(しつこい)
財務省の良い子たち。お前が大きくなるまでわたしがお金を預かっていてあげるよ。
とにかく収入を得る手段が限られているのならば、やりくりして支出を減らすしか一般的な家庭にはなくて。
日本中そうなら、そりゃ経済はシュリンクするしかないわな。経済的な豊かさは諦めて小さい楽しみを見つけて小さい世界を生きるしかなくなる。
何が正しいかは置いといて、そうなるのが自然な流れ。
1人2人金持ちになったとして、全体感としてそう。
その世界でいいの?皆さんは。
お金のことはわたしに聞かないでください。お金儲けがうまければこんなに金くれとは言っていません。
ただ振り込んでくれればいいんです。
金持ちと貧乏人、管理職と従業員、子がいる家庭といない家庭。
どうしたって自然に自分のいる世界は分断され似た人のいる世界に局在されそうになる。
これはむしろ自然の成り行きだから、嫌だったら自分の運動エネルギーを高めるしかない。
近所(駅前じゃないとこ)にラーメン屋ができているではないか。
食べものくらいしか楽しみがなくなっているのは、そう、わたしです。
ご近所ラーメン(新しくできたとこ)。迷ったけど、健康思考のわたしはやっぱり、こってりで(通常は夜限定)。うまかった。
天動説とか地動説で1番びっくりするのはそんなことで諍いを起こす人類のちっぽけさ。
わたしも他人を見くだす人間を見下すという自己矛盾を抱えている。人間とはこのように真にロジカルではなく自分に都合のよいロジックで動いてしまう不完全な脳みそを持っている。自分が正しいということは真にロジカルに考えるとあり得ないと考えるのが理性であり自分を信じるのは感情の問題である。
今日も一日
餓鬼だらけ。
自分より弱いもの、劣るもの。
それが存在しないと自らが安心できないという病。
自らが蔑まれてきた悲しさや苛立ちを、自らより弱いと決めつけたものを蔑むことで代償しようとする病。
ちゃんとした大人になってない大人の星ではちゃんとした子供になれない子供が生まれるのだな。
地獄が嫌だったら、自ら地獄に近づかなければ、多くの場合、地獄には嵌まらない。
甘い誘惑に駆られるのかもしれないが、大抵の場合、自らが地獄へと歩を進めている。
娑婆の道より地獄への入り口の方が看板が派手だからな。
人生なんてのは、よほどの努力をしない限り地味なもんだよ。
地味がデフォルト。
生まれつき派手なのはむしろバグ。って思った方がいい。
金をくれ。
不機嫌は甘えという名言が流れてきたが。根底にあるのは機嫌てのは見せかけでもスキルでももちろん楽しくてもいいんだけど所謂大人としてのエチケットで意志がないとやってられないんだよ。楽しいことばっか転がってるわけじゃないから。
偉そうに言ってとても笑ってられない時間も経験したけどね。
機嫌てのはもちろんその方が乗ってけるとか人から良く思われるって自分に対するメリットもあるけど、むしろ対面する人のためなんだよね。
マナーと同じで、お互いの時間を快適にしましょうという。暗黙の約束ごとのようなこと。
まあ。逆に、できてる人とできない人の対立のもとなんだけど。
これって。裏を返せば人間が関係性を築くのが下手すぎるからなんだよね。
けれどまあ。
ご機嫌でいろって言う人の中には大した困難もなく生きてきた人もいて。とても笑ってられねえ人生を送ってきた人もいるって想像力は働かせてほしい。
それでも笑ってるすごいやつもいるだろうけど。
まあ個人のキャパはあるけど大したことないのに不機嫌撒き散らすやつはどの道嫌われる。
こういう不機嫌はほんまアカン。
喪失感とは何かがある。或いは、あるはず。と思っていたから感じるのである。
妖怪 虚無虚無より。
香菜、君の頭僕がよくしてあげよう
香菜、生きることに君がおびえぬように
香菜、明日 君を名画座に連れていこう
香菜、カルトな映画君に教えてあげよう
香菜、君の頭僕がよくしてあげよう
香菜、生きることに君がおびえぬように
香菜、明日 君を図書館へ連れていこう
香菜、泣ける本を 君に選んであげよう
香菜、いつか恋も終わりが来るのだから
香菜、一人ででも生きていけるように
ムラ係長が先ほど
なぜそうなる。。
とつぶやいていたが、世の中で起こることは、ホンマに
なぜそうなる。。
ばかりである。
なんでやねん。と思うことばかりだが、他人の課題は他人の課題と。どこかでクールに切りはなさないとストレスフルに感じてしまうので割り切りましょう。
奥さんからLINEで学習教材が届きました。
人生とはいけずなもので。
うまくいくのがデフォルトだと思っていると不満ばかりになる。そもそも世の中うまくいかないことの方が多いのだ。これを振り返る材料は君の人生に腐るほどあるはずだ。
しかしうまくいくと期待してしまう猿なのである特に若者の多くは。諦めた年寄りの方が不満がないものだよ。
努力をするなともしろとも言わない。そんなもんは自分の問題だ。他人の人生には関係ない。
うまくいくも、うまくいかないも。
理由はあるし、大抵の場合、それは当たり前の理由である。
なんとかなることと、なんともならないことってのもある。
歳をとって諦めるっていうのは、そのうまくいく道理もないことを手放すことだ。
若くて可能性があるのに諦めてばかりというのも、それはそれで、逆に、うまくいくはずもないことを選択しているわけだ。やってみなきゃ、うまくいくこともない。
歳なりに適したやり方があるのさ。
俺には自信がある。
とか。
僕ちゃん自信がなくて怖いんです。
とか。
ジジイだから言えるが、自信があろうとなかろうと、自信なんてものはただの主観だから、そんなものはどうでもいい。
やることやってりゃなるようになってくし、打ち手が駄目なら何やっても駄目だ。成仏しろ。
また人は
諦めるな。
とか。
諦めが肝心。
とか。いうが、これも諦めとはただの主観であって。
やることやってりゃなるようになってくし、打ち手が駄目なら何やっても駄目だ。
大切なことは二度言って。
学習せい。
かくいうわたしも若い頃は色々と判断に迷い、迷った時はどちどちどちらにしようかな。で決めていた。不安に思おうが結局そんないい加減なことで意思決定してもこの歳まで生き延びている。そして人はどちどちどちらにしようかなの結果が不服ならもう一回どちどちと繰り返すものである。
大切なことは既に心が直感している。
まとも。っていうのも考え出すとそれはそれで一種の狂気な気がすることもある。真っ当に生きることは感情的に肯定したい一方でまともってなんやねんとも思う。人間はそもそもおかしさを抱えている。誰しも。脳みそ使いすぎの弊害なのか人間は変である。全員正気とは思えないとも感じる。知らんけど。
たとえば、真面目にやるのがいいんだって社会的な道徳感は、真面目にやるしか脳のない人がマジョリティの社会で発生するのだと思う。
道徳観て善悪というよりマジョリティの感覚という方が誤認識しなくてすむのでは?
奥さんには頭が上がりません。
結論。
暇すぎる。
仕事はいらんけど。
あらゆる叡智を暇つぶしに使っている。
それもまた人生。
いや。それこそが人生。
それが息子タカシが産まれてはじめて口にした言葉だった。
スペック的には億稼げると思うのだが、その才能を暇つぶしにしか使えない星のもとに生まれてきました。
新しい自分に生まれ変わりたいのでお金をください。
本気で暇をつぶしたいのでお金をください。
金が欲しいって、かっこつけたこという人もいるけど、結局そういうことじゃないかね。
誠意って何かね。(菅原文太風に)
うまい話には裏(罠)があるとお思いの皆さん。何の見返りもなくお金を提供したいと思いませんか?面倒な謝礼も一切ごさいません。ご応募お待ちしています。
て。子供のために節約してる人に怒られるわ。
この辺で!
人間を音符で表すと?正解は、ララーラララララーラーです。
あまり人とそういう話をしたことがないのでよくわからないのだが、孤独っていうのは誰でも同じようなやつを抱えているのだろうか。それとも一人一人オーダーメイドしたような独自の味のやつを抱えているのだろうか。
恐らくその両方のような気がするから、孤独っていうのは救われる夜もあるのだと思う。
ほんとうに綺麗なものってほんとうに綺麗だと思いたいからほんとうに綺麗であればと願う心はポエムだけど、自分ていうのは自惚れて曇りがちだし、見てくれは経年で劣化するものだし、そうでなくてもオナラをするのがデフォルトだし、それでも綺麗になりたいお姉さんは好きですか?
歳を取るとまあ枯れてくるところは枯れてくるのだが生まれつきなところは何にも変わってないところもある。
わたしの場合話下手というよりも自分の思う通りに話したらわたしの話について来れる人がほぼいないのでテーマというかお題があれば別だがあんま話す気がしない。
なので基本相手の話を聞く方が多いし特に女性や話好きにはその方が歓迎されるしそれでももっと話をきけ(しっかり相槌打て)と思われるもの。
もう少し私に語彙が多ければ相手にとって会話が楽しくなるだろうにとは思う。特に感情や感覚を繊細に表現する語彙。或いは、目にした世界の有り様(事象)を繊細に表現する語彙。
これは私が文学(小説や随筆)的ではなくむしろ言葉などでは何も言い尽くせないのだと感じつつ小学生でもわかる言葉ですべてを表現してやろうとする詩人のような自惚れがあったから。
あれこれ書いているがほんとに自分のことばっか書いているので俺はつくづく精神性がガキなのか、或いは、社会的にはガキの部分を出さないようにしているのでインヤン整うように好き勝手つぶやいている。
何度でも繰り返すが金をくれということしか他人に言いたいことはない。
いわゆる頭のいい人とも趣味や興味が違うし。ほんま他人がどうかより自分が良いと思ったものを選んできたから。生き方的に孤独になりやすいのは宿命的というか自然な展開ではある。
まあカテゴライズされた価値観の年寄りが多かっただけで若い人はそんなこととっくに飛び越えてるのかもしれないけど。
というか、そうだったら良いなと。
まあ。限られた予算的な資源の中では色々と良いものを目にしてきたのかもしれない。
ほんまの金持ちで趣味の良い人や教養のある人には積分的にかなうはずもないけど。
これだけまあ講釈をたれるが。
そこそこ要領はいいが。
色々頭ではわかっている気になるが。
生き方がほんとうに下手である。
下手なところがからきし下手すぎる。
くるっと回って馬鹿なんだと思う。
ぶっちゃけ信用されるとめんどくさいので(責任が派生するから)大切な人や大事な場合やお金が絡む場合(金の恨みはややこしい)以外はなるべく信用されないというか頼られないようなテクニックを先天的に駆使している。
例えば僕の要領の良さとはそういうところ。
体力が無いので省エネ型だし、これが自然法則(エントロピーの法則)的にも無理がないんです。
誰かの言葉の受け売りより、こう言った誰も言わなそうなこと言う方が自分が面白くないですか?
まあ、テンプレートの利用ってのも笑いのやり方の一つとして好きではあるんですが。
クリエイティブな新しいことを考えるのも楽しいんですが、脳が活性化されて疲れるんで、機械的な作業なんかも自分でやるようにしています。脳の可動領域が少なくて済むし、他の余計なこと考えずに済むから、ボーっとまではいかないけど、脳が楽なんですよね。
欲がありすぎると(叶わないから)苦しくなるし欲がないと面白くない。
とかくこの世は匙加減。
スチャダラにヒマの過ごし方という曲があってとても好きなのだが、人生の大半はほんまヒマ潰しだと思う。
そして欧米に比べ日本が貧しいのは、ヒマの潰し方が下手というかセンスがないからだと思う。
仕事だって他人に聞こえの良い暇つぶしだよ。本来、人が楽しいのは。楽しくなけりゃ、そりゃ金くれって話。僕の場合、みんな楽しくて金貰えるのがいいけど。
そしてみんながそんな社会ならいいと思う。
自分の希望とか願いとか関係なくというかむしろ土足で人の家に上がり込む感じで、自分のままらないとこで、自分の(好きな言葉じゃないけど)運命みたいなものが、絡み合ったり転がったり繋がったりバグったりするの感じたことないですか?
まあ感じてもどうにもならなくて、あーあ。と思うのですが。
糸がそれ自体に意思があるように混線したり何かに絡みついたりするような。
良くも悪くも少なくとも丁寧に解さないとほどけないような。そしていつか糸は消えていくのかな。
まあ、いいんですけどね。
自分のことだけど、自分には裁量がない話ですから。
まあ、この世に生を受けて死んでいくのも同じようなものかと感じますが。
言いたいことってそこにはなくて、ヤシノミの中にあるものである。
あれやねんな。
現代社会って。一言で言うと。
忙しいのに退屈やねんな。
貧乏暇なしがアカンねん。
暇ですか?
って聞くと
暇ですね。
って答える。
こだまでしょうか?
いいえ、誰でも。
ツイッターをやる理由なんて一つしかない。退屈しているからである。
特に何か言いたいことがあるというよりも、その場のノリでツイートしている。
人(他人)に何か言いたいことなんて、いいから金をくれくらいしかないじゃないか!
わたしの好きなおかず選手権をしたら鳥の唐揚げはめちゃくちゃ強い。
うまい。ペロリ。
ところでほんとに。
戦争なんて馬鹿馬鹿しいと思わんかね?
おまけ。
素晴らしい連ツイ。