つぶやき2020.7.27-8.2.
リゾートで遊びながら働けるとお聞きしたんですが、こちらの星でお間違えないですか?
ワーケーション
ワーケーション2
言わせてみた。
自◯党
50年後の教科書に現代はどのように記録されるのだろう。
今日ご飯が食べられるのはただのラッキーくらいに世の中危うい。
死神博士
最近は夢の中でも何かとたたかっている。
#悪夢
It's a life like looking at a pig's ass hole.
(よしもとよしとも さん)
今時個人情報が流出してないと思ってる人がいたとは。
企業情報だって何だってどこもかしこもばんばん流出してますって。
最近の僕の感覚でいうと、100のことのうち、少なくとも98はダウトしてるよ。
相手が母親でも奥さんでも注意して話は聞く。
自分のことも、信じる信じないのさじ加減が必要。
外に出たら誰一人信用してないよ。
街歩きゃ怪しい工事や怪しい車にぶつかるもんね。
怪しい人もいっぱい。
どっちかっていうとおっぱいの方が好きです。
あなた。車売る?
人生の印象なんてめんどくさいしかないよ。
時々泣いたり笑えるから惰性で生きてるけど。
だいたい空気中にホコリがあるところからしてこの世界はめんどくさい。
重力と摩擦は無いのも不便だから、ギリギリ許す。
お昼時何気なくテレビをつけたら何でかフラメンコが流れたので今日は小吉。
急に花椒ブームなのか?
世界の仕組みを皆さんまだご理解無い。
私が大変な思いをしている間は世界はもっと大変になるんです。
もうちょっと理解されやすい表現にすると。私に起こることはみんなにも起こるんです。
私の首を絞めるものは自らの首を絞める。(3回目)
これも呪文のように聞こえるかもしれないけど、俺が誰かの首を絞めようとしたら俺も同じことだよ。
そういう風になってる。
名声を手にしようとすると、名声やお金よりも多くの嘲笑を手にする。
そういえば、道をひらくって20代の時読んだ気がするけど、家に本残って無さそう。
断捨離的に本何回か捨てちゃったからなあ。
ブラタモリ的な旅って憧れるなあ。
カッコいいカットだ。
(BON さんのツイートより)
お金がしこたま落ちてる竹やぶ知りませんか?
最近は夢の中の方が頭がクリアで、夢の中の方が何事もわかっているような気がしている。
そんなわけで休日の朝は夢をメモに取ろうとするのだが意識がはっきりするほど夢の記憶が消えていく。わざと半分眠った状態を作り出してみようとするのだが今日はうまくいかなかった。
また続きの夢を見るだろうか
今日の夢メモ
(例えば)数学(のように)。定義。わかっているものいないもの。わかっていないもの...
歯をくいしばる癖があったようで、歯がだいぶすりきれている。ということで、通っている歯科でマウスピースを作ってもらった。昨夜から寝る時にしている。初めてだから異物感が気になったが、1時間ほどで眠れたので問題無さそうだ。やがて異物感も気にならなくなるのだろう。
(山本みつ湖 さんのツイートより)
ファミコン(RPG)でアイテムを一つ手に入れたような感覚だ。
タツオトは
マウスピースを
手に入れた
奇しくも伊藤園俳句大賞。
(田中圭一さん)
母親の子守唄で通りゃんせは聞いた記憶がある。
少し怖い歌だなと思いながらもすやすやと眠った。
(たのしい4コマ @せきの さんより)
(とおりゃんせ とおりゃんせ)
ここはどこの ほそみちじゃ
(てんじんさまの ほそみちじゃ)
ちっととおして くだしゃんせ
(ごようのないもの とおしゃせぬ)
このこのななつの おいわいに
おふだをおさめに まいります
いきはよいよい かえりはこわい
こわいながらも とおりゃんせ
とおりゃんせ
(湊文『猫の菊ちゃん』より)
Fernando Botero
小林 かいち(こばやし かいち、1896年11月 - 1968年)は、日本の木版絵師、図案家である。本名は小林嘉一郎。大正後期から昭和初期にかけて京都で木版絵師として絵はがき・絵封筒などのデザインを手がけた。作風はアール・デコスタイルで叙情性をもち大正ロマンを感じさせるものである。(wikiより)
今も絵封筒ヤフオクとかで出品されてるのな。
夏日と言いつつ空がどこか秋っぽい。
そろそろスイカ食べたい。
今週の一枚
確かに人生はリセットボタンのように切り替えられるし、そのボタンを押して良いのだと思う。
人生で言うと、僕はリセットボタンの使い方が上手いとは言えずそれ故にあまり上手なプレーヤーとは言えない。
リセットボタンと言っても、全てがリセットされるわけでは無く、1番の制約は時は戻らないこと。
だからリセットせずにずっとプレイを続けていると、リセットボタンを押すのが怖くなる。
少し前のとこまで。こまめに小刻みにリセットボタンを使える方が、上手なプレーヤーなんだと思うな。
押さないのももちろんそれはそれであり。
選択の自由さは、生きることの自由さと同じ意味だと思う。