つぶやき2024.11.11-11.24
旅行行きたいなあ。
海外からは旅行者だらけなのに、自分は旅行行く金もないって何やねん。
生きてるって、わりにあわない。
人を信じるというのは、一種の賭けなのである。
絶対勝つ方に賭けたい、負ける方には賭けたくない、負けてでも賭けたい、働く心理も同じだろう。
勝つ確率、負ける確率、ある程度は予測できる。
が、必ず予測通りになるとも限らんかったりする。
問題は賭けだと思わず信じることである。
リスクに気づかず賭ける人がいる。
無防備なのが一番カモにされる。
ギャンブルならやらなければ済む話だが、人間関係はそうとばかりもいかない。
人を信じるという言葉を人生と置き換えてみてほしい。
人を信じることは、人生そのものに似ている。
人生は選択の連続である。
選択の度にBETしているのだよ。
いちいち考えていたら気も休まらないか知らないが。
見返りとか、メリットって聞くと、嫌らしいみたいなネガティブな感情を抱く人いるけど。
それ自体が悪なわけではないと思うよ。
人に何かした時、確かにお返しが欲しいわけではないことはある。しかし、それだって、自分がこうありたいってことに対する自負が得られるっていう見返りやメリットがあるわけだ。
そこまで高尚な話じゃなくても、人に喜んでもらえるのが嬉しいとか、なんらかの世界からのフィードバックを期待して行動することは、むしろ健全じゃないかな。
問題は、見返りに何が欲しいか、どんなメリットが欲しいかっていう、欲望の質なのだと思う。そこが粋じゃないとか、自分の信条や美意識といった価値観にそぐわないと、何だか嫌だなと思うのだろう。
人のことを見て、ああだこうだ思うのは、他者への同調性を感じるアンテナが強いってことであって。人間はそんな受信機としての特性で生きづらさを感じたりしている。時には自分が発信器にもなるんだけど、切り替えスイッチがあるのか、発信してる時は受信がオフになってる人が多いね。脳はいっぺんにできないのかな?
そうなんだよな。俺は自分が認める人間になりたいんだよな。まず第一に。もちろん、大事に思う人からも認められたいけど、その前に。
自分がもう80代くらいの気がするし、世の中の大抵の人を見ても青二才にしか見えない。
情けは人の為ならず。(人のためじゃない)って言うけど、同じような話で。他人を思いやらないやつが、他人に思いやりを持たれると思うなよ。 全く先が思いやられるぜ。
馬鹿に馬鹿ゆうてもどないもならん。
人間自分で理解できることしか理解できんので。
って、サトミさん68歳が言ってた。
誰かが言ってたとか、民意であるとか、さも一般論的印象を与えつつ自分は悪くないよという予防線をはって、ほんとのとこは自分がそれ言いたいだけの皆さん、こんにちは。寒くなりましたね。ご自愛ください。
人間だもの、どこかしら頑固なところはあるのではないだろうか。誰にでも自我はあるだろうから、自我を守りたい時に頑固になるなんてことは誰だってあるだろう。 まあ、何につけても頑固というのも付き合いにくいものだろうけど。結局のところ、何に対して頑固なのか、言い換えると、何を守ろうとしているのかが、対人関係には重要な意味を持つのだろう。
人の上に人を作り、人の下に人を作った最古のものがトーテムポールとされる。
前世で王様だったことがあるのかな。ってくらい、なってもいないのに、なる前からそういうのに飽きてる。生まれつき。
わたしくらいの人間になると、飲み食いする以外、全部めんどくさい。
何しろわしは腰が重い。腰が軽かったら何かで世界とってるかと思うくらい損をしている。楽したいんだから仕方ない。2兆円ほしい。
人生、疲弊するしかできない時期もある。少なくともわしにはあった。
人生が楽しいって人は勘違いしてるんだと思う。羨ましい勘違いだな。って、ヨウコちゃん(17歳)が言ってた。
生きる価値があるかどうかって。名家に生まれたら期待された価値があるか知らないが、普通そんなものはない。価値は自分で作るものである。 50にして天命を知るとは、50にして生きる意味を見出した(作った)という意味だと思う。(二回目)
妻には老け込むには早すぎると言われるが、50半ば過ぎて、もはや余生を生きてる感覚がどこかある。 ならばわたしも、人生のボーナスステージと思って楽しめばいいのに。というか、ボーナスステージというにはしんどいこと多いな。金をくれ。
自分の管理不行き届きである。
おこづかい使いすぎ。
あー、現世は色々と煩わしい。
色々とやらなければならないことがあって整理がつかない。
2兆円ほしい。
これだけ時代も進んだのだから、お金を使ったら使っただけ補填されるサービスがほしい。わしだけでも良いので。
人々に愛され、次々と道ゆく人々に1万円与えられ続ける人生だったらよかった。人生はままならない。
言語化できない人はややこしいですが、人生のステージもそこそこ消化すると、自分の話がしたい人がほとんどです。話していて面白い人とは話が面白い人ではなくなります。自分が話していて気持ちいい人が欲しいのです。ここを勘違いしていると相手は不機嫌になるばかりです。しかし、集中力がないと相手の満足が得られるパフォーマンスは無理でしょう。仕事で疲れていたらしんどい日もあるでしょう。 そこで開発しました我が社の女性対応型AI搭載おしゃべりマシン「アイヅチ君」。お値段680万円のところを500万円ぽっきり。今なら韓流スターの声にも切り替えられます。 まずはこちらまで現金をお振り込みください。どぞヨロシク。(嘘)
食料品が値上がって、家庭のエンゲル係数が上昇してるとか。 ツイッターやってるときに、何で生活必需品に軽減税率適用しないの?(テイクアウトかどうかで税率変えてたくらいだからインフラ的にはできるのに)って書いてたけど、この国の政治家はそもそも国民の暮らしを良くすることなど考えてませんでしたよ。っと。
何かに最適化されたものは、別の何かに最適とは限らない。
山と言えば川。山川と言えば豊。
竹を割ったような流しそうめん台
あなたの推しは何ザイル?
くだらないことも言わないとバランスが取れない。
センスのないナンセンスは嫌いです。
たまには冗談を言え。ふざけるな!
人はなぜ文学を書くのか。 人はなぜ詩を吟じるのか。 人はなぜ絵を描くのか。 人はなぜ音楽を奏でるのか。 映画、写真、演劇であってもよい。 人はなぜ表現しようとするのか。 以前にも一度ツイッターで書いたことがあるが、これらは全て突き詰めると「自己紹介」だと思っている。 事象を前にした時の心象だったり。つまり、わたしには世界がこう見えてますよ、自分はこんなことを感じている人間ですよということを表出しているのだと思う。 だから、間接的ではあるがその人そのものを突きつけられたわたしたちは心を動かされる。 単なる金儲けだけの作品に心が動かないのは、「私」がないからである。 時の権力者がしばしば芸術を禁じようとするのは、本能的に「私」というものへの恐怖を感じてのことかもしれない。 宗教的作品についてはよくわからない。神を表現しているのか。神を愛する「私」を表現しているのか。或いは違うことを言いたかった場合もあるかもしれない。分析するには応用編であり、単純には解析できない。
メルカリで、えらい高値になってるの、マネーロンダリング?
子供の頃、西遊記の話を聞いて、孫悟空が頭悪いなと思ったのは、御釈迦さまだかの手の内にあるという話で、僕だったら、柱の遠い側というか、外側に名前書くよなって。 まあ、そうしたら、話はそこで終わってしまうのだが。
お風呂の中で勝手なメロディを頭に浮かべてみたのだが、いつのまにかわし作曲できるようになっとるの。カセットに録音しないと明日には確実にメロディ忘れてるやろけど。
朝方を強要する人は、子供が早く出かけるとか、自分が早く目覚めるとか、自分の都合を強要している。
世の中、躾と称して虐待して気持ちよくなってる基地外が沢山いそう。DV胸糞悪い。テレビ見てたら経済的DVなんてのもあるんやな。
要するに、歩く公害みたいな人がわたしは嫌いなのだ。
ぶっちゃけていたら正直者と思う人もいるかも知れないが、今時そのぶっちゃけも嘘ってダウトあると思う。
話をすり替えるのが善か悪かってより、それで物事全体が好転する(ハッピーになる)のであれば善、悪くなる(不幸が生じる)なら悪という考え方を僕はするかも。ざっくりだけど。
まあ、もちろん、好転てのが利己的に過ぎると、人から心底嫌われるんだろうね。
嘘も同じだね。
興味湧くかどうかは自分の感性とのシンクロ具合なのでしょうか。シンクロする波長の正負によって好きだの嫌いだの言ってるのでしょうか。
ピカチュウ。
(箸休め)
文化的側面からかもしれないが、日本語は主語がなくても会話が成立する。 このことが嫌らしさに繋がる場合もある(噂話など)し、相手にはっきり物事や意思を伝えたい時ほど主語(或いは誰が当事者なのかという感覚)を明確にすることが重要だし、海外の人と話をする時(或いは言葉を翻訳する時)にうまく変換できなかったりニュアンスが伝わらなかったり。 まあ、良いと言えない面もあるのだが、SNSにおいては、ギミックというか。わざと主語や何の話かをぼやかすことで、読み手に空想が広がるようにすることを、わたしは何となくやってるかもよ。
ネットは嘘が8割くらいに思った方が身のためじゃて。嘘と言わないまでも裏の取れてない情報に溢れてるじゃろう。て、裏の取り方も知らなそうだからどうしようもない。
わたしは真実の2割の方を信じてるとか言うんやろな。どうせ。
スレッズも確実に荒れてきた。 ツイッターから来た人のせいかな。 blueskyまだやってないけど、結局同じになるのかなあ。 潜在的に人間の分母は同じだもんね。
途中までいいこと言ってて、結局最悪な方向にミスリードさせようとするアカウントの多いこと。
無防備だと鵜呑みにしちゃうのかね。今時、他人の発言には注意を払った方がいいよ。
特にこれしかないみたいに言ってるやつ。
SNSで炎上したネタの多くは、本質的に過去に何十回と炎上したことがあるネタとかぶるだろう。 人間とは似たようなものだから、同じような素材を初めてみたやつがとびつくのか、似たようなネタをとびついてまわってるやつがおるのか、わかってて閲覧稼ぎで何度も炎上ネタ投稿するやつがおるのかしらんけど、パンピーは敵対的なコメントがわいても見るのも鬱陶しいだけじゃろうて。 カール・マルクスは言った。「歴史は繰り返す。」 その石碑には、「それ既視感。」と刻まれているらしい。(嘘)
義理人情にあつい人がいる。 それを利用しようとする人がいる。 見事に利用される。 わたしはそういうの見てきたし。 透けて見えちゃうので。 昔はやるせなかったね。 けど、人類は変わらないし。 滅びるまでそんなことの繰り返しなんだろうね。
どんな人間も値ぶみして生きている。
ものごとの価値もそうだが、あらゆることに、好きだ嫌いだとやっている。
そこで他人が好きだの嫌いだの言ってることと気があわなければ、カリカリしたりしている。
好きだの嫌いだの思ってるだけなら罪はない。仕事がゼロなので。
それが言葉になり、行動になり、他者への作用が大きくなるに従い、反作用も大きくなる。
悪ければ喧嘩になり、最悪、殺しになる。
話を簡単にすると、単純な図式となる。
ここに欲というファクターが入ると話は複雑に見えてくる。
好き嫌いに関係なく、作用や反作用を利用して欲をかなえようとする。
好き嫌いで動く人とは、行動原理が違うのである。
同じ視点でばかり観察していると、目の前で起こっていることを見誤る。
世の中には一定数、人に迷惑をかける嘘を平気でつくやつがいる。幸いなことに今は周りにそういう人はいないけど、そういう人のせいで何年も苦しんだことがある。あるあるかもしれんけど。
ほんまそういう人地獄に落ちろ思うわ。そういう経験がある人には地獄も一種のファンタジーいうか、希望やと思う。その手の話は閻魔さんにでも任して、自分からは切り離して捨てないと不幸になるだけなので。
自分を正当化する行為であっても、執着は苦しみとなる。
嘘つきは、人が真実に近づかないように(嘘がバレないように)リードしたり、真理的に働きかけるので、その人が否定していることや、選択肢から省いていることや、その人任せにしたことを確認すると、秒で解決することもあるよ。
相談もされないので知らんぷりしてるけど、騙す馬鹿、騙される馬鹿ばかりの世の中じゃ、わし損するしかないのかなと夜も七時間しか眠れません。
ま、しかし、そんな嘘つくのは、100人に1人いるかどうかだよ。とは補足しとく。
処世術として、人間を見る時に注目すべきは、その人間の行動原理である。行動結果より推測できる。 ツイッターでずいぶん昔に書いたことだが、人の行動は行動原理に支配されるところが大きい。
せやねんな。 デマ流す方はたれ流しっぱなしで手間もコストもかかってへんねん。騙された人が勝手に広めるし。 流された方が手間もコストもいっぱいかかる。多大な迷惑。 ほんまタチ悪い。 デマ流す人には、死後残虐の限りをつくして閻魔さまに懲らしめてもらいたい。
歳をとると、余計な能力を身につけて、若い子をみても、こういう老け方するんだろうなと空想してしまう。
単純に。 闇バイトする奴も悪いし、させる奴はもっと悪い。 バイト言うてるけど、犯罪やし。しかも、凶悪。
世界中、温室育ちのボクちゃん嬢ちゃんたちが、いきなり殺傷能力の高い菌にさらされてるみたいな世相感は感じるね。
うちは子供がいないんで、寂しくはあるけど、気は楽なとこもある。今の世の中、嘘に詐欺にまみれて、親御さんは気が気じゃなくて普通と思うよ。
オーストラリアで16歳未満のSNS禁止法が提出されたそうだが、全然やりすぎに見えないくらい、今のSNSはひどいとこあると思う。
自分ですら若い頃SNSが無くて良かったと思う。
防衛産業って軍需産業の言い換えでしょ。
騙されてる人は幸せか問題てあるよね。 場合によっては、本人より騙されてない人との軋轢が問題だったりね。 多かれ少なかれみんなある意味何かに騙されて生きてるようなもんだけど。 まあこれも程度問題だよね。 お金や健康や人間関係やら生活全般に支障でたらあかんよね。
鈍いって、楽ではあるんだろうねえ。
馬鹿になれた方が楽という。
その分他人に苦労させとんねん。
総理大臣にも大学教授にもミュージシャンにも大リーグプレーヤーにも建築家にもなれなかった。そもそもなろうとしてないからね。
どっからどう見ても異常な世界だが、グラデーションを持ってここまで異常になった感があって。 人々は正常性バイアスを持って昨日と同じ日々を過ごし続けた結果、これだけ異常な世界になっても普通に日常を過ごしているという狂気。
今こそ表面化していないが、転げ落ちたらいつでも人生が転落する自信がある。人生騙し騙しというか、帳尻合わせて生きている。しんどいと言えばしんどい。2兆円ほしい。
光の速度を一定と仮定して色々と数式を成り立たせているみたい?なんだけど、直感的に光の速度は一定じゃないんじゃないの?って、思ってる。
電磁気学の方から導出され、
c= 1/√ ε ₀ μ ₀
これはあらゆる慣性系に対して一定
とお聞きしたのでchatGPTに聞いてみました。
cが一定なのは真空中だけのようです。chatGPTなので真偽はわかりませんが、真空系(理想状態)以外では、cが変わりうることを示唆されてしまいました。物質中での光速も一般式がありそうです。
均質な媒質中はともかく、リアルの様々な原子に満ちた世界ではどの程度の影響を受けるのか。それはそれで混合物としての誘電率と透過率を求めれば、光速を算出できるのでしょうかね。良くは知らないのですが、様々な物理的な実験で光の速度は利用されることもあるような気がして(事実は知らない)。その時、誘電率や透磁率の影響は補正されるのか。実験の時にケアしないと、データに誤差を含むことがないのか。そんな誤差がわたしたちの生活に知らないところで影響を与えていることはないのか。などということを空想していたので。
性格診断だとか、古くは血液型とか占いとか。 なぜ人は自分を決まりきったパターンに当てはめたがるのか。だいたい提示されたそのパターン、どれでも当てはまるとこあるよなってやつばかりでは?更に気にすることで自分がそういう性格と思い込んでいくまじないだろうて。 そりゃわたしもずいぶん前には動物占いとかネタにしたことはあるが、わしは人にお前はこういう人間だと決めつけられるのが嫌いなので何が楽しいのか良くわからん。 更には自分が発達障害にあてはまるだとか何だとか何だというのか。そりゃ人間色々おるわい。そんなもん知らずとも人類は何百万年も生きてきた。自分の特性がわかったとて、何百万年も生きづらいことは変わらん。人生に役立つなら否定はせんが、かえって言い訳して人生を限定していたら何のことかわかりゃんせん。 信じる者と書いて儲かると、どっかの掲示板で読んだよ。
しかし、AIの言うことはほんとか嘘かわからない。 個人の知らない情報にアクセスしているから、個人の知らなかった情報が正しいのか、裏をとるのも大変である。もっともらしいことを言うから、そこで嘘のことを信じてしまって、嘘の情報をベースに理論を積み上げてしまう科学者も出てきそうだ。むかしからアカデミックには文献調査がとても重要だったが、ここをAIに任す(言うことを鵜呑みにする)と、手間なので任したいところではあろうが、ほんまに真偽が全くわからない世界になってしまいそう。 逆にAIは科学者の思い違いを壊してくれたり、アイデアや発想のヒントをくれそうではあるが。論文やエビデンスの信用性を守るってことは、これからの人類にとって、舵取りは難しくなろうが、とても重要なイシューになるだろう。
偽情報やらAIやらの状況からみても、情報の取捨選択が、過去よりずっと、生きていく上で重要な意味を持ちはじめた。 わたしはたまたま、信用できる文献というものが当たり前に判別できていた時代に研究者のはしくれをしていたし、真偽が見分けやすいころに一般教養を身につけたから、まだ情報にある程度目利きが効くが。 偽情報に溢れ、AIも出現した中で基礎教養を身につけなければならない若者は大変だよな。と思う。
事実を調べるのは、手間もコストもかかる。そこを惜しんで、その辺にある情報を例え誤情報でも流用してるヤカラばかりなんだろうね。忙しいし大して金にもならないからね。ノルマだけはあるのかな?ベースは日本が貧乏くさくなったってとこじゃないかな。
そこんとこ、ますますAIに依存するようになるだろうね。AIが嘘ついたら、コロッと騙されたりしつつね。広まるだけ広まったら、だんだん有益な分析は有料になっていくのだろう。
ほんとに賢い人は、サービス利用できるだけ利用して、頼り切らないだけのスキルは大切にしてるだろうね。せこいやつはハウツー本だしたりしてね。
インテリの思考にはインテリゆえの弱点もあろう。 理想が勝ちすぎるとか。できん人もおるがなとか。
僕が仕事をする時に、気をつけているというか、周りにおきたくないタイプの例を挙げると、 ・嘘のデータを使う人 ・細かい指摘ばかりをして全体の進捗を遅くする人 ・細かいことまで自分の思い通りにならないと気に食わない人 ・周りにあたってばかりいる人 ・他人への寛容が乏しい人 ・完璧主義が過ぎる人 ・他人の否定や陰口ばかりの人 ・人の頑張りを自分の手柄にしてばかりの人 ・上に媚び、下をぞんざいに扱う人 ・他者を尊重しない人 ・決まったことしか引き受けない人 ・失敗を隠す人 ・自分なりの工夫をしない人 ・口だけで手を動かそうとしない人 ・アウトプットに責任感のない人 ・人の成果を認めない人 ・無理な計画を押しつける人 ・達成にこだわりのない人 ・自分の都合ばかりで状況を理解しようとしない人 ・人の言葉を鵜呑みにして事実確認をしない人 ・ただ我慢をしている人 ・悪しきことでも流される人
逆に、一緒に仕事をしていて気持ちの良い人は、 ・信頼のおけるデータを取る人 ・レスポンスの早い人 ・やるべきことにすぐ着手する人 ・常に新しい工夫をする人 ・全体と個別のこと、両方をバランスよく見ている人 ・他人の仕事のしやすさまで意識が及ぶ人 ・自分の都合も、他人の都合も大事に思う人 ・大切なことと大したことでないことにメリハリをつける人 ・他人の成果を喜び、認める人 ・評価に感情を持ち込まない人 ・他人の時間も貴重なものだと意識している人 ・仕事に必要な情報をちゃんと調べる人 ・基本的に他人を活かそうとしてる人 ・独りよがりでなく、他者の知恵を集める人 ・疑問に思ったことは他者にちゃんと確認している人 ・相手の特性に合わせて仕事を振る人 ・ゴールから逆算してやるべきことを計画できる人 ・よいプライドを持っている人 ・余計な責任は引き受けず、引き受けた責任は果たそうとする人 ・無理しすぎない人 ・仕事ばかりではない人 ・ほんとに無理なことはちゃんと断る人 ・大切なことにものおじしない人 ・アカンことをそのままにしない人 ・嘘や噂に流されない人 ・人の尊厳を大切にして他者に敬意のある人
ものごとをうまく成し遂げるには、ものごとのディテールをよく知ってる人が必要だ。学習や経験に基づき本当に理解している人。 しかし過去の10余年、あまりにこうした専門にそくした考え方や働き方のできる人や、詳細を理解し全体の具現化に貢献してきた人をないがしろにしすぎてきたんじゃないかな。 良い構造物を作るには、設計というかグランドデザイン力と、技術者や職人みたいな実現力と、どちらも重要だよ。例えて言うと。 持続可能な社会とは、そういう営みを続けていける人材を育てることが第1な気がするよ。
SNSの向こう側の99%以上は赤の他人。
SNSでコメントする人は、コメントする人の都合でコメントしているので、全責任はコメントする人にあります。
これが課題の分離です。
体感、日本の半数以上には当事者意識がない。 あったとして、自分のことで手一杯の人が大半をしめる。 だから、SNSで何か言ってたって、人ごと感が否めない。憂き世の戯言である。まあ、自分に利害のある話は一所懸命するだろうが。 くらいのもんである。 そこに悪意のある人が加わる。 何かを宣伝したい人も加わる。 そんな高尚なシロモノじゃありませんぜ、レディース&ジェントルマン。
利用しやすい人が出世する。
ひろゆきさんなどはかなりうまい方であって、世の中で正論で論破した気になってる人の言葉は、大抵の場合、前後の脈絡も含めて話に筋が通っておらず、本人それに気づきすらせずいい気になっている。だいたい面識もない相手にいきなり議論をふっかける時点でコミュ障である。間違いを指摘したら、もっとムキになるのだろう。人間ができてないので相手するのほんと嫌。 ほんとに頭の良い人の言葉はもっと柔らかくて、ある意味、もっとこわいものだて。ほんとの核心をつくので。否定しようとしても自分の方が間違っているのだと気づいてしまう(読解力があれば)。そりゃクソみたいな人もいるし、腹が立つ投稿もあるだろうけど、他人の投稿に面識もないのに読んで腹が立つこと言う時点で人間として3流。人間として未熟。修行されたし。
ひとつのおとに ひとつのこえに みみをすますことが もうひとつのおとに もうひとつのこえに みみをふさぐことにならないように
- 谷川俊太郎
生きるということは、かくされた悪を注意深くこばむことでもある。
ほんとにご冥福をお祈りいたします。
なうすぴにんぐ。
学生時代、ターンテーブルを買う金までは無かったので、レコードだけ買って聴かずにいた時期もあったかもしれません。
多くの人間が主張しているのは自分の都合である。
被害妄想ってのは、火のないところには煙は立たずみたいなもので、恐らく疑うに値するきっかけの出来事が何かあったのだろうが、深刻になると、全然関係のない話すら、自分のことに関連づける人がそれも少なからずいると思う。 まあ、中にはほんとに自分の話である場合もあるのだろうが、どうせそんな話は本人にわからないようにコソコソするもので証拠はあがらないだろうし、四六時中そんな話をするほど暇な人もそういないだろうから、気にしていても精神的なコスパが悪い。 どうせ噂されるなら、良い噂で持ちきりになるように、自分や自分の生活を整えていく方が、効率的だし有効である。人の言うことを気にしすぎて、自分のQOLを下げていたら、人生もったいない。もっと良いことに欲張れ。
夕べは奥さんが飲み屋で意気投合したらしく猫を拾ってくるように娘であってもおかしくないくらいの年齢の人妻をウチに連れてきて朝まで飲んでたようである。若い。
動物(猫ちゃん)を見ていても、反応は愛情をかけて世話したなりである。
10年前には嫌いになるとは思ってなかったもの。
テレビ
アメリカ
人間
世の中見てると、ポストファシズム現在進行中みたいな感じなんすかねえ?
引用が流れてきたけど、これで世の中流れてる感があるよね。胸くそ悪い。
多くの人間は、自分の所属するゾーンのことしか知らない。他のゾーンの人達のことを知らないし、興味がない。興味がないからシンパシーもない。これは多かれ少なかれ、ほとんどの人にあてはまる。 特定のゾーンを優遇する者が現れれば、利益が相反するゾーンの者と対立が深まり、さらに価値観の異なるリベラルと呼ばれるような、(マイノリティを含め)多様な者に富が再分配されるべきと考える者との対立が起こることは、最近のアメリカの政局を見ても明らかだ。 トランプは特定のゾーンの第一主義により自分の立場を強くしたが、ゾーンという言わば立場の違いによる諍いを引き起こしたとも言えよう。 アメリカに限らず、この先、立場の強い者が弱者を犠牲にする弱肉強食の世界を求めるのか、多様な者が平等な世界を求めるのか。資本主義対共産主義の亡霊が姿を変えてまた現れた感はあるが、果たして人類の未来はいかに。おあとが宜しいようで。(よろしくない) ま、僕なんかは二項対立じゃなくて、何でもちょうどいいのは間にあったりするんじゃないかと思うんですけどね。喧嘩してばかりじゃ塩梅よくならないんだろうね。
スレッズでニュース見出しが流れてきたが、 「ニュースはSNSインフルエンサーから」 米国の若者の40%、右派が多数 とのこと。 そりゃ駄目なわけだよ。 人の分断の前に、情報の分断があるわけね。 偏った情報をベースにして、まともな答えが出るわけない。 レシピを見ても、材料や調味料が全然違うなら、同じ料理にはならないよ。 アルゴリズムが倫理的な意味において塩梅よく機能しなかったら、連想されるのは地獄だよ。 アメリカもそうだし、国内も怪しくなってきた。この世界は地獄の蓋が開いてるよ。
世の中に復讐している人は、自身がかつて復讐したかった存在そのものに成り下がっているって、マサコさん58歳が言ってた。
潔癖症ゆうか、人の落ち度や醜さを許せない、キー!ゆう人も増えたよね。自分の心がそんな綺麗な状態なのか、鏡に映ればいいのにね。
人類みんな自分のことは棚に上げマンだからね。
ま、もちろんアカンことはアカンのやけど。 みんな、アカンことにアカン言わずに、さほどアカンくもないことにアカン言うてる感がえげつないっす。って、ショータ君19歳が言ってた。
もちろん、人びとの考え方や価値観は時代で変わっていくが、人間の本質は大昔から変わっていないのだろうと直感する。 若い人や歳寄りと価値観が違うと言って攻撃していてもストレス発散にはならず何の役にも立たない。 誰かが言ってたようなありふれた言葉かもしれないが、若者はかつて通ってきた道、老人はいつか通る道と、そのくらいの大らかさを心に持ちたいものである。 実際のとこ、ネットで何やら見て腹を立てているだけであって、実際に若者や老人と心の交流すらせず騒いでいる人もいるのではないか。虚しい話である。
人の揚げ足をとって悦にいっている人は、人の揚げ足をとるだけで、人生の何分の1かを失ったりもするのだろう。 人生長いようで短い。好きにしたらいいが、もったいないおばけでるで。
良し悪し考える労力もかけようとせず、スカッとしたいだけで人様に迷惑かけるなっちゅーの。
ほんとに嫌な世の中だよ。 そこだけは陰謀説論者と見解が一致する。 何が嫌なのかは決定的に違うけど。
事実なんて、つまらない、ありきたりのことがほとんどだよ。そんな突拍子もないことがいくつも積み重なるなんて、確率的にありえない。ものごとは、自然に見える当たり前のことが起こるもんだし、良いことも悪いことも、普通はそううまく続かないもんだよ。ただ、戦争みたいに、群衆が誤った情報を信じて、的外れな感情を抱き、おかしなベクトルに向かって収束し、破壊に向かうのはとても怖い。そんな時は、大きな炎になる前に火を消して回るんだよ。防災活動だね。そんな人は扇動なんかしていないから、区別つくと思うよ。社会の破壊が目的ってのは信用ならない。 しかし、俺も老婆心が過ぎるね。人間なんて嫌いなのに。
ほんとに悪いやつなんてそんなに数は多くないんじゃないかとは思ってる。 それでも、かつてのドイツや、かつての日本や、今のロシアやイスラエルや北朝鮮や、、、みたいなことが起こるから、人類信じられないんだよ。 世界中見渡してみれば、普通に考えたらそれ違うやろ。ってことが起こってる国だらけだ。
最近の人は自分本位を意志と勘違いしてるみたい?
兵庫県の選挙、昔からパワハラ天国だったので気にもしなかった人が半分以上だったってことでしょう。
どこもかしこも日本なんてちょっと前までパワハラだらけだよ。学校じゃいじめが蔓延してるし。死にゃいいんだよ。人間なんて全部。
ま。みんなその内死ぬけどね。
学校時代、いじめたり、いじめを見ないふりをしてきた人が大半では? そんな国でパワハラをなくそうとは、チャレンジャブルだとは思う。
殺人でも、詐欺でも、いじめでもパワハラでも、主語はなんでもいい。加害をなくすのは実は簡単である。加害者が思いとどまればいい。少なくとも俺はしていないので。くだらないやつだと思っている。辞めないのだから、加害者が悪い。
素人が信憑性語るよりは百条委員会の方がまだ信用おける。この件に関しては、人死んどるがな。
問題解決において特に重要なのは事実確認である。
問題には全て前提条件がある。前提条件を見誤っていたら、問題が解決するはずがない。
近年は事実確認に嘘を混ぜようとする奴がいるし、そう言っても余計に嘘の方にハマっていく人がいるのでやっかいである。なんで突拍子もない方の話を人は信じたがるのか、取材班はアマゾンの奥地へと向かった。
事実確認の仕方がそもそもまともではなかったりして、目眩がする。
神戸行きの電車の中で、n党の立花の動画みてる人がいた。やば。
ふつう。人んちの前で演説してうるさかったら、訴えるんじゃなくて謝るよね。
今回の兵庫の件、立花は相当悪いよな。
人間関係において、しばしば問題を起こすのは、その人間の幼児性である。
馬鹿にできないのは、未熟な者同士で共鳴し合い、時にそれは暴力を引き起こすことである。
相手の立場になって考えるとよいのは、必ずしも偽善的な意味ではなくて、人びとはそれぞれの事情によって行動を選択するのが普通なので、相手の立場を分析するほうが、妄想よりはもっともらしい推察になりますよ。っと。
兵庫県も昔は良かってん。 あか抜けた場所もあったしな。 中華うまかってん。 アランシャペルもあったしな。 明石は魚うまいし。 温泉もあるし。 行きつけの店もあったし、思い出もたくさんある。 20年以上住んどったかな。 奥さんと知り合ったのも神戸や。 友達も何人かおる。 だから何で?って思うねん。
若い人を動かすのは憧れだったりするよね。 人でも土地でも憧れ持てなくなったら駄目だね。
ちなみに兵庫県にもいい奴はいるよ。
理想と憧れは似ている。健康的な理想であれば。
理想を現実にするというのは、例えば憧れの人に近づくというのに似ているかもしれない。もちろん、その人本人にはなれないけれど、自分なりに成長していく。
憧れは憧れているだけなら憧れで終わる。或いは嫌になって憎みだす人もいるのかな。
理想だって描いているだけではただの理想。というより夢想だろうか。ほぼ日で書いてるように自分で近づいていかなきゃ、いつまでだって日常に何も起こらない。まあ、もちろん、そういうのだって人生。
水戸黄門と一緒。泣くのが嫌ならさあ歩けである。
理想通り、憧れ通りにならない方が普通ではある。それでも、日常に新しい息を吹き込むことができるのなら、理想や憧れに引っ張ってもらうのも悪くはないのだろう。健康的なら。
若い頃はじじいになってからより世界は輝いてみえるもので。昔は良かったとつい言いたくなるが、例えば政治が良かったかと言うと、昔の方がどす黒かっただろう。しかし、1回世に悪事が知れ渡ると潔く退くこころよさはあった気がする。 最近は悪事が知れてもなんどもリセットボタン押しよる。ごねたもん勝ちの世の中ってのはいけすかないと思うものだよね、真面目にやってると。
だって本当だよ。youtubeで言ってたんだから。って真顔で言う人が一定数以上いそう。人類滅びる方に500円かける。
トランプをはじめ、為政者は人間ちょろいな。って思ってんだろうね。
人間、知ったかぶりをしていると、こいつ知ったかぶりしてんだということが明るみに出るようなイベントが起ころうとするものである。
神さまがいるとしたら、相当いじわるだよ。個人的にはいたずらが過ぎると思っている。神さまなのか知らんけど。
ほんとに体裁つけてごまかそうとしたことは、すぐに恥をかかされるもんじゃて。
まあもちろん色々言うが、悪事した人がいつまでもしつこく退かない理由はわかる。悪事はともかく何かしら大変な思いをしてその地位についたのだから、執着はあるだろうし、世知辛い世の中、やり直して成功するとも限らず、やり直せたとして、既得権益に甘んじてたほど豊かにも暮らせないだろう。贅沢もしみついてるし、生きるには金がかかりすぎる。ごねてワンチャンのラッキーを狙う方がずっと楽なのだろう。 ダサいと言えばダサいが、そもそもダサいことが嫌いな人なら悪事してない。 と、悪事を働いたダサい人が、醜さを省みず現状にしがみつくのは、理にかなっているのである。 ま。わかってて俺は嫌味言うけどね。
何かの文集だったかに、好きな言葉として 「一期一会」と「ケセラセラ(なるようになるさ)」と書いたことがある。一期一会の話は置いといて、なるようになるさというのは、自分のことは相変わらずそのように楽観的なとこもあるのだが、世の中のことについては、腹が立ったり、ちょっと、なんとかなるさ精神から外れてしまった数年間だったかな。 自分では何ともできないことに対し、諦めが悪いと言うか、執着していたというか。 ま、さじ加減が難しいものだね。 ついでに思い出したが、中学生の時の卒業文集には、今その時を大切に。と書いたんだっけ。もてようとしている。根っこっつーか、ベースは良くも悪くもずっと変わらないね、俺っち。
人類(ホモサピエンス)、少なくとも25万年は存続しといて仕上がりがこれ?
人類はたぶん滅びると思うんだけど、問題は自分や家族が生きてる間もつかだよなあ。
ほんま、アルゴリズムとか悪の手に落ちたらこわいわ。
あ。X文字数
神A アルゴリズムとかけまして
神B かけまして
神A 馬鹿の説得と解きます。
神B ほう、その心は
神A どちらもどないもなりません
神B ならないよねー。ガハハ。
京都のお酒。純米冷やおろし。今いただいていますが、程よい酸味が特徴的で爽快感があります。ほんのりとした旨みも感じます。
権威のあるもの、富のあるものが、人間としての道を踏み外していたら、弱いものはどうしたらよいのだ。 ゆるやかに殺そうとしているのと同じではないのか?
ロシアがICBM打ったって?
北朝鮮製?
ところで、馬鹿はいつ自分が馬鹿だったと気づくのかね?
やはり気づかず一生を終えるのかね?
それとも、気づいていても辞められないから馬鹿なのかね。
馬鹿として生涯を閉じるしかないのかね?
ま、古代の遺跡に「馬鹿は死ななきゃ直らない」って書いてあったらしいからね(嘘)。
何だか、生まれ変わっても駄目そうな予感するけどね。教育が違えば違うのかな?
のびのびした生活を捨てて戦争に突き進みたがる基地外の考えることはわからん。 まあ、ウクライナはわかるというか、同情する。
ロシアや、イスラエルや、北朝鮮や。 プーチンや、ネタニヤフや、金正恩が掌握してるように見えるけど(まあ掌握と言えば掌握なんだけど)、本人の思い通りになってるかと言ったら冷や冷やで。毎日いつ殺されるか考えてると思うよ。殺される不安も日常になれば感覚はマヒしてると思うけど。 トランプもいつ殺されるかわからない生き方をしてしまったねえ。 ヒトラーの最期が悲惨だったように、独裁者の人生なんて心が休まらないよ。全然うらやましくない。 平々凡々な暮らしとはいえ、うまい家庭料理食って、時々焼き鳥とか食ってうまい酒のんで、好きな音楽好きなだけ聴いて時々レコード買って、仕事で暇潰しつつ、風呂上がりにあったかいベッドでぐっすり眠る俺の方が、ずっとマシな生活では?
かなりスパルタチックなとこがあるのでしんどい時もあるのだが、鬱々とした気分の時、(笑かしてくれるというのと違うが)奥さんが底から引っ張りあげてくれる人なので、非常に感謝はしている。
子供時代は食わず嫌いが多かったですが、一人暮らしで自炊して、好き嫌いはほとんどなくなりましたね。くさやとかドリアンとか特殊なものは相変わらず口にはしませんが。たぶんそれも食べたいと思わないからなだけでしょう。
花粉症はありますが、食べ物のアレルギーがないのは、ほんとに有り難いことです。
実家は裕福とまではいきませんが、両親の経済観念がしっかりしていたので、学生生活をおくることができました。いつまでも頭上がらないです。
感謝の気持ちを少し書いてみた。呪いの言葉ばかり書いているよりは心が穏やかだよ。
人間とは身勝手なもので、退屈するほど贅沢に暮らしていても、不満をつのらせ不平不満をいいたくなるものである。
社会の先行きが不透明となり、生きるのが大変な時代になってしまったが、素直で賢い人なら、今一度、豊かさというか、身の回りにあるありがたいものごとのありがたみに感謝しようとするんじゃないかな。
人間、世の中の不条理とか、人間の嫌らしさとか醜さとか、攻撃的な人とかずるい人とか、人生のうまくいかなさとか、貧しさとか悲惨さだとか、共感できなさとか腹立たしさとかに直面すると、何とか人生に対峙するために、負けないようにふんばるために自分を肯定しようとするものかもしれないが。 何でも行き過ぎたら塩梅がよろしくなくなるもので。 おいおい。俺だってアカンとこはあるよなと。自分につっこみ入れる余裕は持ちたいものです。 仕置人になりたくて大人になったわけではなかろう。
陰謀説じゃないけど、ここまで社会が悪くなったのには、色々と要因が重なっているだろう。ちまたで言われてるような政治家の問題もあっただろう。過去を糾弾してれば良いなら、そりゃ歴史を検証し糾弾することもできるだろう。
しかし、わたしたちが本当に考えなければならないのは、今とこれからである。過去の出来事は不幸にも現在のベースになってしまっている。過去を糾弾しているだけでは、現実が追いつかない。しかも、現実には過去の経緯など知らないプレイヤーがどんどん参加してくる。
悪いやつは誰が悪いのか悪いやつをすり替えようとするかもしれない。現に世界を見ても人格者とはとても思えない人達が国を掌握している国だらけ。半分の人間は為政者に乗っかりもう半分はこれを憂い国民は分断している。フィクサーがいるのかいないのか、そんなことを突き止めようとしてもますます陰謀説にはまるだけ。
ではどうしたら良いか?現実に起ころうとしていることだけを見るんだよ。例えば、法案によりわたしたちの暮らしは何がどう変わるのか。それはわたしたちにとって有益なのか、暮らしは豊かになるのかと。何かまたごまかそうとしてるかもしれない。そもそも贅沢が好きな人たちだからね。
そこだけしっかり国民が見ていれば、悪いやつもそう悪いことはできないよ。政治をきっちり厳しい目で見る。これが国民が政治に参加するということだと思う。
この政党が言ったから信じる。この政党が言ったから信じない。考えが幼な過ぎるよ。事態が良くなりゃ誰が言おうが受け手には本来関係ないんだよ。課題というか、要素の分離ができていない。政治のアウトプットは法案かね。法案が良きゃいいんだよ。極論言うと。結果として暮らしが良くなればいい。 どの政党も正義じゃないよ。誰かの正義は誰かには悪だよ。正義で判断してても暮らしは良くならないよ。 政治とは、「より小さな悪」を選ぶことだと誰かが言ってたよ。
俺だって、政権を批判すべき時は批判するよ。人以上に。 世相のステージが変わりゃ別のことをするよ。 俺はストレス発散したいわけじゃなくて、暮らしをよくしたいだけだからね。
谷川俊太郎さんみたいにほんとうのことが見えてる人でも離婚している。 仏陀だって家庭はうまくいかなかった。 わたしだって奥さんに叱られる。 わたしの話はともかく、ほんとのことがわかれば人生すべてうまくいくわけでもないのだろう。 人生無理ゲーすぎるのだよ。真面目に考え過ぎるほどハマる糞ゲーでもある。
ことを成すには肝が据わっていることが肝心だろう。 しかし、肝が据わっていたら幸せかというと、また違うだろう。
ヘタウマなボーカルに味のある超レア盤再発ダブルサイダー。
自分の知る世界だけに孤立していく。そうでしか自分のバランスを保てない人もいるよ。というか、そんな時もある。けど、自分のゾーンを広げていく。少なくとも他者を知ろうとする。そうならなきゃ、全体の中としての自分はますます居づらくなるだけだと思うよ。
真実はたった一つ。 色んな事情のなれの果てである。
群衆をわたしは憎むという歌もあった。
所見は色々あるが、人とつるんで言う気はない。
人が聞きたい言葉とは、人が欲しいと思っていた言葉です。本人すら気づいていない言葉であることもあります。 人は自分が欲しい言葉をかけられると嬉しいです。素直じゃない人も悪い気はしないでしょう。 優しい人は、そんな言葉をそっと投げかけてくれます。そんな親に育てられたら幸せな子供時代を過ごせるでしょう。 しかし、世の中そんなうまい話ばかりじゃないんです。 よくて世渡りのうまい人、最悪、ずるくてとても悪い人も、その人がほしい言葉を見抜くのがうまいんです。心なくもそんな言葉を時折言って、信じたつもりが。何てね。 人生経験少ない人は騙されちゃったりしますね。 せつない世界です。
多様性の時代とは何であるかという疑問をみた。
人びとが多様性とは何かまだわからず多様性とは何か気になってる時代なんじゃないかな?
当たり前になってしまえば、テーマにもならないよ。
ほんとはそうなってからが多様性の時代なんだろうけど。
そういや、糸井さんも似た話してたっけ?
知らん間に影響受けてるかな?
知らないものごとは誰にだってある。 知らないものごとには関心の持ちようがない。 知らないものごとはどうしてよいかすらわからない。 それどころか何が問題になってるかすらしらない。 自分の関心のあることをするのは悪ではない。 自分の利益を求めるのは自然なことだ。 しかし、誰かが得をすれば誰かが損をしているかもしれない。原資が同じであれば。 特定の誰かが得になるようにするのを政治と考える人がいる。 そうならないように富を分配するのが政治と考える人もいる。 どちらも飛び抜けておかしい考え方をしているわけではない。 しかし、お互いを批判して対立が深くなるばかり。 意固地になって対立してものごとが良くなるはずがない。 解決に必要なのは対立ではなく、相互理解だと思うよ。 もちろんこの世界には拒むべき悪事もあるけど、知らないだけで相手を馬鹿にしたり悪人にしていることもあるんじゃないかな。 自分だけ良ければ良いというのも、頑張っても頑張らない人と得られるものが同じというのも、どちらもバランスが良いとは僕は思わないよ。 丁度いいところを話し合って調整していく。 それこそが僕の考える民主主義だよ。
若い頃は自分と異質なものが苦手だった。人にも自分と似たとこを探していたし、違いの大きな人は敬遠していた。社会に出ると年齢も出身地も違う人だらけで、だんだん自分に似た人なんて案外いないんだと気づいた。自分というものが確立していって、他者との境界もより明確になる。 そういう意味では、それ以来ずっと孤独だ。しかし、この孤独は私だけに特別なことじゃない。歳を重ねるほど、出世がどうだ、結婚がどうだ、子供が産まれただの、人の人生は分岐していく。人生のプロセスが違う境遇の人とは嫌でも共感しにくくなる。歳を取るほど人生は分岐するので、歳を取るほど他人に共感しにくくなる。 大人になるとそんな寂しさを察しあって、悲しみを見て見ぬふりをするのです。
当たり前に当たり前のことをするのが、どんな時代でも1番の解決策だよ。
人間、行き詰まったらとりあえず寝ろ。
祝日が土曜日にあたることは、サラリーマンにとってこの世で1番意味のないこととされている。