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つぶやき2024.5.20-6.30(mastodon編)
前回お伝えしたように、ツイッター改め、腐れイーロンマスクの手に落ちたXは辞めたので、今回もmastodonへの投稿を中心に編集したものをお届けしたいと思います。
それにしても世の中嘘が多すぎて滅多なことでは心が動かなくなりました。 怒る方はすぐ怒れますけどね。
写真とかもう無作為にとりますね。50も過ぎると作り込んだ感じってのは窮屈に感じるようになります。わたしの場合。外していきますね。外しすぎの手前くらいがしっくりくる感じですね。
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駄洒落人(だじゃれびと)のように。 お笑いも達観した人は、若者にわかるように言うと外し具合を楽しむのである。 侘び寂びである。 枯山水である。
今更だけど。 空が青いって、何だかすごくない? まあ、青く見えるってだけなんだけど。 空が青く見えるだけで、世界の美しさは数割増しになるね。まあ、夕焼けや曇りの日も良いんだけど。普段空が青いから対比が面白いんだよね。 当たり前にあることも、よく考えるとすごいな。ってことが、たくさんある。
マーフィーの法則ググったんだけど、 "If it can happen, it will happen." 「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」 て、言いかえると、わしが言ってる、この世界は当たり前のことしか起こらない。と、根っこ同じね。
ICOCAでもPayPayでも、結局チャージしなきゃいけないから、案外めんどくさい。 僕だけ、チャージしなくても永遠に使えるようにしてくれないかな。誤解のないように言うと、お金払いたくない。(きっぱり)
諸般の事情とショパンの次女で韻が踏める。
私はいまだにマスクをつけて街を歩いている。 マスクと手のアルコール消毒をするようになったら、コロナどころか、風邪さえひかなくなったので。
ロシアの敵がイスラエルだったら、プーチン20回くらい暗殺されてるだろうなあ。と思ったり。
ロシアも、ウクライナをほんとに破壊しようと思ったらすぐできそうだけど、こうして戦争が続き、内政的に力を誇示できることにロシア政府のメリットがあるんでしょうなあ。
1つの中国と1つの台湾。
中国も1つ。台湾も1つ。
でいいんじゃないの?別に。
何か問題でも?
センスのない奴が力任せに自分を拡大していこうとするのが人類の歴史だから、ほんまそういう馬鹿は全員死ねと思う。 この世界の馬鹿、甚だ迷惑やねん。
自己実現言いますけど。 センスのない馬鹿は自己を実現するなと声を大にして言いたいわけであります。
正義の反対は悪じゃなくて違った正義。という先人の言葉をスレッズでみかけましたが。
なんでしょう。日本人は(というか日本人以外はよく知らないんですが)物心つくと、みんな自分の正義を振るうようになると思います。
わかりやすい杓子定規のようなものもあれば、それに反対するアンチだって、その人にとっては正義です。おのれ。あいつ許さん。など、毎日飽きるほど目にするし、自分でやってることもあります。その件に関しては僕はそれに加担しないぞ。というのも、その人の正義だし、そんなことより、仕事仕事。とか、恋愛恋愛。とかいうのも、ある意味、その人の正義だったりするのかもしれません。つまり、こうするのが正しいと思うその人の価値観ですね。
もちろん、打算とか、もっといい加減なことで行動することはあるし、その人の行動原理はオリジナルなものなんですが、その支配力というのは大きく、その一要素として、その人の正義があるんじゃないかと。
当事者や第三者からみたら悪意にしかみえなくても、本人は正義であると疑わないなんてことは嫌ってほどザラにありますからね。戦争がだいたいそうですし、大国の正義とかね。
正義がないというのも良いのだか悪いのだかよくわからないし、なかなか厄介なものでもありますね。正義って。
正義が厄介な話になりがちなのは、その人の尊厳と非常に結びつきが強いからかな。と。
尊厳て、その人が削られていっても、最後まで守りたいものだったりしますよね。それがその人の正義と強く結びついていたらどうでしょう。命に替えてもその正義(尊厳)を守りたいと思っても不思議ではないでしょう。それを無くすな。とはとても言えないですし。
そうなるとですね。皆の正義(尊厳)をなるべく大事にするために重要なことは、正義は自分でしっかり持っているため、言わば、守りのためのものってことですよ。
自分の正義で他人に攻撃しちゃいけません。そうして争いが起こるんです。冒頭に戻りますが、正義の反対は違う正義なので。
靖国神社については、意見の強い人の意見ばかりが注目されるが、どちらも極端すぎると思っている。
先の戦争には(どの戦争でも)被害者はいる。もちろんA級戦犯とされる人たちは罪深いことをしたし、ご遺族の方には許せない人もいると思う。ともに靖国神社に祀られるべきではなかった。しかし、それは過去の出来事であり、合祀されてしまったものは仕方ないだろう。我々は合祀されてしまった後の世界にしかいない。お国のためかどうかわからないが、普通に、というか、致し方なく歴史に翻弄され死んでいった者たちの霊もそこに合祀されている。
死者の魂がお墓や神社にずっといるかというと、そんなことはないだろうと私なんかは思うのだが、親が靖国神社に祀られている人からしたら、そこはとても大切な場所である。
私自身、A級戦犯は罪深いと思うし、そんなものを祀るなという感情もわかるのだが、そうなってしまっている以上、戦争で死んで代々の墓に入ることも出来なかった方々のご遺族に対し、あまりにもシンパシーがなさすぎる。
自分の感情にさわることだけに噛みつき、他人の感情に触れようとしない人間という生き物がわたしは大嫌いである。
自民党のいう再発防止って、悪いことしても引っかからないようにするってことでしょ。
それにしても政府の答弁、言葉尻の一つ一つの文言がどういったことに責任が及ぶかを意識しながら聞いていると、100%責任が及ばない言い方してるよね。聞いてみそ。
岸田総理も順風満帆の時代だったら、そう悪い総理でもなかったのかもしれないが。とにかく、今はハマってないねえ。
日本は検察も酷い。
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最近は、人心を煽るというか、そんな話を聞いたら腹立てるのが普通という話が、話自体がデマであったというケースも多い。 ほんま嫌な社会だと思う。
先日、馬鹿にちゃんと頭を打たせる社会にするのが大人の唯一の責任というようなことを書いた。 これと遠くない話だが、ハーベイカイテルのスモークの続編、ブルーインザフェイスのひったくり少年の出てくるくだりは、とても好きである。 1番初めに観た時は何だか頭の中を揺さぶられたが、年齢を重ねるほどに納得のシーンである。
タイムリープしたのかってくらい、朝が来るのが遅いと感じる日がある。 え?まだ6時前?もう一回寝ていいの?助かる。みたいな。 SFだが、実はこんな日は何年も時空を超えているらしい。
名家に生まれた馬鹿ほど迷惑なものはない。
苦労せず育つ可能性は一般人より大きい、つまり名家に馬鹿が育ちやすいのは、理屈にかなうので、ほんま困る。
ほんとにこの世の中は、完璧なほどうまくいかないようにできとる。
だいたい、馬鹿は自分が馬鹿だと気づかんとこが、絶望とまでは言わないが、かなりの悲観材料である。 これも、人間わからないことはわからないものなので、理にかなっているのである。ほんま世の中うまくいかないようになっているにもほどがある。
しかし、政治家をはじめとするメディアに触れるいい大人を通りこしてジイさんどもが、相手をディスるのに感情的になって、幼稚な言葉で自分の知能の低さを国民の前にさらけ出すさまは、みっともないにもほどがある。 これも馬鹿と同じ話で、みっともないことする人って、何がみっともないかが、良識ある人間からずれてるのよね。自分のわからないことはわからないという話。 マスコミも、そんなのにいつまでも忖度してると、マスコミも馬鹿がやる職業と認定されるよ。
Yahooニュース的なニュースまとめで用いられている方法であるが、貶めたい相手の行動に、子供じみた行為に使われる言葉を使うと、対象を馬鹿にした感じというか、相手の権威を貶める感じが、読み手に伝染する効果が少なからずあると思う。
例えば、野党が政府に物申しているのを、激おこ。と表現するなど。
一定の効果はあるのだろうが、弱いものイジメっぽい嫌らしさも感じる。どうせなら、プーチンとかネタニヤフとかの、圧倒的に強い立場に対してやってほしい。
野党を嫌いな人の中には、揚げ足をとる的なことが嫌いで、野党が生理的に嫌いという人もいるだろう。 実際、揚げ足をとるタイプの人は、初めに相手を貶めたい。とばかり考えているので、言葉尻でもなんでも、少しでも機会があれば飛びつく。(ほんとに相手が嫌いでそうなっちゃう場合もあろうが。効果からすると馬鹿だよな。と思う。些事にとらわれて良いことの中のちょっとしたことに噛みついていたら、それで心が離れていく人もいるし、あまりに細かいことにイチイチ噛みついていたら、それで心が離れていく人もいる。本来、世の中を良くしたくて政治家をしているのではないのか?(自民党はそうでない人も多いが。) それならば、良いことは良いと認め、悪しきことにだけしっかりと反対し対案を出す。そうしたら、心ある人は少なくとも一目おくし、相手も馬鹿にできなくなってくる。ほんとに政権を取りたくて、そういうことをしていたのなら、とっくの昔に自民党は野党になっていたはずである。この辺が野党は野党で頼りないとこなんだよね。自民党より悪人は少ないと思うけど(維新はしらん)。
同族嫌悪というが、元々性格や人格が他人から見ると似たような人たちが、お互いの利害が一致していないがために闘争するパターンもある。 歴史の権力闘争など。結局、強い立場になれば同じような悪政をしたり。 まあ、新陳代謝した方がよいが、少しマシになれば良しくらいなもので、何事も期待しすぎるとガッカリするのである。効果(状況の好転)のみを見ていれば、そう流されない。
何年も前から詐欺の罪が軽すぎると言うとる。
規制法改正は早くも抜け穴だらけ言われとるな。
決定的に何かが足りず、決定的に何かが余計だ。
駄目なものに大丈夫って言ってると人生に倍返しされることもあります。
日本語というのはすごい。 遠回しの文化である。 普通の言葉づかいがもう空気で動け。ということになっている。 ◯◯していただけると幸いです。 て、よくよく読んでみると、してくださいとは言ってない。してくれると嬉しいな。と、それこそお気持ちしか表明してないのである。 お気持ちしか言ってないのに、圧をかけるし、かけられているのである。
行間も空気も読めた方がいい。その上で乗るかそるかスルーするか決めたらよい。ようは、読めたら打ち手が広がるのである。読んだ結果、打ち手が狭まるなら少なくとも頭脳派ではない。
行間を読まされていては駄目なのである。
行間を読む(気配りする)も読まない(相手の手にのらない)も自分に主導権がないと。
俺はいいんですけど。って、言うことはそりゃあるんだろうし、若い頃は心当たりあるけど、嘘でしょ。 俺のこと、全然良くなくない? 自分だけ良ければいいも違うと思うけど、良き人も自分もどちらも大事にしていこうよ。 もてないよ。そういうの。 俺はいいんだけど、矢沢がなんて言うかな。矢沢さんごめんなさい。
お察しの通り、私は同調圧力が嫌いなのである。 協力すべきには協力するし協調性もあるが、無条件に同調しろというやつには殺すぞ。となるのである。
自民党の法案は自分の都合いいようにしたいだけが100%。国民のことなどもちろん見ていませんよ。自民党です。
無法者が作り出した悪法を守らなきゃって、どこまで本末が転倒すればこの国は気がすむのか。
岸田総理は法の支配に基づくなんたらと呪文を唱えるが、法治国家としての規律をめちゃくちゃにしたのは自民党である。
散々糞の発言をしてきた人達が政府に苦言を呈して逃げ切りをはかろうとしているようだ。醜いね醜いね。(小松政夫風に)
人類は時々順番がおかしくなる。
例えば、成功している人は〇〇しない。
という時。〇〇しないから成功したというより、成功したから〇〇しなくなったということの方が多い。
しかし、〇〇しないが成功法のように語られるのである。
アホなの?アホちゃいまんねんパーでんねん。
人類。逆だ逆。ぜんぶ逆だ。
これは100%当たる予報ですが、自分でほんとうに無理と思ったら100%無理です。できることでも無理になります。自分でできない呪いをかけているんです。 実現するには、無理と思い込まないようにすることです。 まあ、できると思っても、できるように組み立てなかったら、やっぱりできないんですけど。
思いつきなんだけど。 嘘って、嘘だって言っても、その嘘に一定の効果があるんじゃないかな。アンカー効果みたいな。だから嘘だって種明かししても、嘘言うのはちょっとした責任があるのかもよ。 どういうことか、ちょっと試すよ。 「これは嘘なんだけど、岸田総理は毎日うんこ食べてるらしいよ。」 ね。 嘘って言ってるのに、岸田総理になんらかのダメージない?本人にはダメージないけど、読み手の印象に対して。
おばちゃんがスーパーで阪神タイガースの話をする町に住んでいる。正直大阪にはそれほど馴染んでいない。暮らしはそこそこしやすいが。 というか、どこに行ってもデラシネ感がある。 故郷はあるが、故郷にもそう馴染んでいたわけでもないし。家族と過ごした土地だから愛着はあるが。 どこの土地にも好きなとこも嫌いなとこもある。 言うて長く暮らしたのは大阪、兵庫、東京、愛知くらいなものだが。
僕は世界ランカーが虚弱体質の体に転生したみたいなとこがある。 (例えで虚弱体質なわけではない。)
諸行無常のほんまの意味は、馬鹿ばかりでわしゃかなわんよ。という意味なのでは?
一切皆苦の原因は、馬鹿ばかりでわしゃかなわんよ。ということなのでは?
何かしらの因果はあるかもしれないか、99%を超える人間が、自分とは関係ないのである。 世界の人口のうち、一体何人と話したことあるのだ?
知り合う人間の数が少なければ、その人間の影響は支配的になる。
そして、支配的にしたい人間ほど、人の人間関係をクローズドにしたがる。
あなたと出会えて本当に無駄でした。という人の方が圧倒的に多い。わざわざ言わんけど。
無駄な経験はないっていうけど、貴重な経験はあって2割で、8割は無駄だと思う。
そりゃどんな経験からでも学ぶことはあるだろうけど、何かあればなんか思うという足跡みたいなものにすぎず、糞の経験を貴重な経験と思うバイアスがかかってるだけじゃないの?
かわりに良い経験してたら、100倍の何かを得てたと思う。
わたしは、出世もしてないし、貯金もないし、友達もないし、子もいないし、旅行もいけないし、と、ネガティブな話をあげようと思えば枚挙に限りがない。 わたしにパワハラしてた上司はといえば、私よりは出世してるし、わたしより金持ってそうだし、わたしより顔が広いだろうし(友達がいるかは知らない)、子供はいるし、家族で旅行にもでかけている。 相対的に物事を見たら、不幸にしかならない(怒りしかわいてこない)のである。 忘れて違う幸せを見つめろというのも、人に言われたら、かんにさわる話である。 この世界は嫌がらせしか起こらないと考えた方が、まだ理不尽さを耐えられるのだ。嫌いな相手の死は願いつつ、この世界はデフォルトで糞なのだと思ってなければ、理不尽さをとても許せる人生のイベントではなかった。
三国志とか読んでないの?
人生に伏線回収とかないと思うよ。
最近の漫画で伏線回収がトレンドになっているのは、人々の、人生の伏線を回収されたいという願いの、鏡みたいなものだと思う。逆に言うと、いかにみんな伏線回収されない人生を送っているかということでもある。
漫画というのはどの時代も、人々のこうだったら良いのにを代わりに見せてくれるものだったのである。だから魅力的なのだ。
どちらかと言うと人生は、手に掴んだ砂のように、掴んでいようとしても、何かがポロポロと溢れ落ちていこうとするのが、実際のとこだと思う。
それくらいの感じというか、何かがこぼれおちていこうとするのが常なのだと知りつつ、時にはこぼれおちてしまう大切なものを、なるべく手につかみ続けようと工夫する(執着ではなく)というのが、人生というか、生活という意味も含めたlifeなのだと思う。
人間の認知バイアスはすごい。というか、僕から見ていると、世間の人がそうだと思っていることの99%に認知の歪みを感じている。
人間は、卑弥呼の時代から、というより、それ以前からずっと、とち狂い続けているのだろう。
キチガイは、人間の伝統芸能なのである。
人の認知バイアスを正すのは本当にめんどくさいので、普通はスルーする。
まあ、業務のことだったら、認識を正しても普通なら喧嘩にならないので正そうとするかな、それとなく。たまに自分を否定されたと勘違いして喧嘩になるアホの子がいると、めっちゃ疲れる。
そんな時は、全人類、いい加減課題を分離してくれといいたくなる。
数十年間、わりと入り組んだ難しいことを考える仕事をしてきたのだが、この手の仕事、上が理解追いついてない(難しいということすらわかる人が少ない)ので、ほんまワリに合わない仕事だと、だいぶ歳をとってから気づいた。 最近はアホかで済ませる方が多くなった。こっちの方がむしろ人にはわかりやすく、事態はむしろ好転する。まあ、若い人にはやりにくいかもしれんが。
アホにはアホと思っていることが明確に伝わるようにしておいた方がいい。若い時してなかったことが悔やまれる。
アホにアホ言わないと、アホに巻き込まれたり絡まれたりするので、アホには、殺すぞ。というスタンスがビンビンに伝わるようにしておくべきである。
(自分より力の弱い者にやっちゃダメだよ、当然)
ただし、最近のSNSやメディアで見かけるように、実際に相手に対して人格まで否定するような発言を繰り返したり、社会的に攻撃して悦にいってる感じの人達は、アホの子か、精神を病んでいるヤンデレラなので、早く天に召されることを祈りつつ2度と信用しない。
現代人、根拠ない無双感ありながら、電話苦手とか言ってんだから全然客観的に自分見れてないよね。
大抵の人は、甘えるな。甘えさせろ。の精神なのである。
お気づきかと思うが、ドラえもんのジャイアンのしていることは、世間に対する甘えなのである。
のび太よりジャイアンの方が甘えん坊なのである。
なぜ責任を取らないか。
甘えているからが300%である。
なぜ謝らないか。
甘えているからが300%である。
見た目は大人!中身は子供!
迷探偵かよ。という話である。
言ってしまえば、ハラスメントは全て世間に対する甘えである。
だいたい権力者というのは、自分を甘えさせてくれるものだけを周りにおきたい甘えたなのである。
偉そうにしているのは、全て甘えである。
自民党もどこまで甘えているのか。
アホはバベルの塔を積み上げそこに住む。
あの人元気だといいなあ。という人も。 まだ生きてんのかなあ、死ねばいいのに。という人もいる。 人間だもの。
近くで見ると悲劇、遠くで見ると喜劇。みたいな言葉がある。つまり、笑っているのは当事者じゃないから。ということはよくある。当事者は大変なのである。
この世界は不思議な因果があって。 あまりにも自分を守ろうとすると守るべき自分がなくなったり、あまりにも愛されたいと思うとほんとうの愛が逃げていくのだって、通りすがりの園児が言ってた。
メディアで嫌でも見せつけられるもの。面白くないを通り越して、見出し見ただけで痛々しい。俗に言う、痛い。
お前が面白くないのはお前の勝手かもしれないが、こっちの目に触れると苦痛なのだ。痛すぎて。
いた。いたたたたた。人の馬鹿が痛い。
プーチンとかネタニヤフとか金正恩ファミリーとか痛すぎる。
自民党もかなり痛い。というか、日本の政治家ほとんど痛い。カルト宗教痛すぎる。マルチも詐欺師も性を搾取する人もDQNも痛い。世界に目を向ければほとんどの国が痛い。メディアも痛い。偉そうな人全員痛い。道を歩けば痛いのにぶつかる。
いたたたたた。
歳を取ると、アホの子には誰も何も言わなくなる。アホの子はアホの子のまま生涯をとじる。厳しい現実である。もちろん、リアではわしも言わない。 SNS限定とは言え、わしみたいにアホにアホ言う人は貴重なのである。しかも直接リプライではやらないので実は人類にかなり優しくしているのである。いい加減、金目のものを送ってほしい。
この世界、ゲス野郎はゲス野郎らしく陰でひっそりしていれば良いものを、ジャニー喜多川みたいなポジションにいる方が多そうなのだからたまらない。
悪人は生まれ変わるとカメムシになる。未来永劫カメムシとして生まれ変わる。 近年は悪人ばかりになったので、カメムシも増え続けているのである。
天は人の上に。というのがあるが、人の上に立とうとか、下でいよう、とか思うから人間は変な方に行くのである。 人間は猫に支配されていれば宜しい。
人が好ましく思う愛情とは、行為だけ見るとサービスと区別がつかない。まあ、人間とは勝手な生き物なのである。
悪意と、悪い行為、どっちが悪いのかという話。
頭の整理はついてないが、そういう時、僕は究極に話をデフォルメしていく。
毎秒毎分殺意を抱いているが全く普通にしている人
全く悪意はないが毎秒毎分人を殺す人
といった具合である。
行為に及ばなければ思うだけなら罪にならないと思われる。人の頭の中で何を思うかは不可侵なのでは?
それでは、テーマを変えてみる。恋愛。
心の浮気と実際の浮気。
おやおや?という方も中にはおろう。
結局人は理論より感情が勝ったりする生き物なのである。
神がこの世を作ったとするなら、そのデフォルト設計の悪さに腹しか立たない。
次に仏が降臨し、この世界に幸福をもたらすのは、ざっくり56億7千万年後だそうです。皆さん、頑張ってください。
宗教って、真理と、その時の前提条件や価値観でそういうことになった普遍的でないことが、同じ重みづけされとるから、後世の人が話ややこしくなんねん。
アレでしょ? 何か1つの真理を含むだけで、全ての話が真理と思っちゃうアレな人が多いんでしょう?
ちなみにわたしは宗教を否定も肯定もしていません。 ただ、生家の宗教に従い、お葬式や墓参りをしています。別に嫌いな宗派じゃないですし。 末代なので、自分がどんなお墓に入るのか(入れるのか)わかりませんが。まあ、お墓というのは、半分、残された生きてる人たちのためにある。と、思っているようなとこもあるので。 エセ宗教は肯定しません。どちらかというと否定寄りですね。政治の有り様や、悲惨な話などを聞いていると。
もし神がいるならって空想の話ですけど。
神って、すごく嫉妬深いんじゃないでしょうか。
もし神がいるとして物事を眺める遊びをしていると、その方が辻褄合うんですよね。
まあ、人間は神に似せて作られたとかって話をそのまま受け取ったら、その方が自然ですよね。
まあ、日本の神話に目をやれば、神は人間より人間らしいというか、デフォルメしたくらいめちゃくちゃなとこがあるみたいですが。
僕の中では、神がいるともいないとも、天国や地獄があるともないとも、死後の世界があるともないとも、決めつけてないんですよね。
だって、知らないですからね。知らないものは、知らない。の箱に入れてる感じですかね。時々取り出しては、もしこうだったらこうとか、ケーススタディというか、仮説と検証というか、妄想というか空想というかを楽しんだりします。
暇なんでしょうね。旅に出るお金もないので、頭の中でよく遊びます。ただですからね。
思っていると、その通りになる。とかいうのは、陰謀説とタイプは同じで、否定しようにも悪魔の証明になるから、その手の気にかかってしまうような言葉からは離れた方が身のためだよ。真実を見る目が曇っていく。 シュレーディンガーの猫、見るまで世界は確定しないみたいな話も、気にしたら妄想が深くなるだけであって、証明しようとする暇人もいるけど、とりとめのない話であって。 振り出しに戻って、思ったことは全て実際になるなんてことは、実際のとこないと思うよ。だってそれが事実なら、人類全員とっくに死んでると思うもの。わし何べんも死ね言うとるから。
これも何べんも言っているが、特にカルト系なんかでタチが悪いのは一部はほんと(と思われること)も混じっていることである。 人間は一部だけが正しいのをみて、全てが正しいと思う落とし穴にハマる人だらけなので。儲かるとは信じる者と書きますね。って、ネットの掲示板で読んだよ♪
わしは、わりと正解のことを言うことが、平均に比べたらずいぶんと高い気は自分でしているのだが、わたしの言うことを全て信じるという人がいたら、やっぱりあなたの頭は大丈夫ですか?と言うと思う。 俺の言うことを信じろ。って、根拠なさすぎで怖いんですけど。まあ、全く信用されなくても困るんですけど。 君ら丁度いいとこ下手か。て人、案外いる。 だから詐欺に合う。
世界なんてわからないことだらけですからね。 だから全てにほんとうのこと言うなんて不可能に近いと思うんですよ。 それでもほんとに近づいた言葉を伝えたいなら(伝えろとまでは言ってません)、自分が知り得た全ての前提条件に矛盾しないこと、摂理として理に適っていると直感すること、自分の感情にとって嘘がないこと、以上の全てに当てはまることを丁寧に誤解のないように伝えるしかないと思うんです。 というか、わたしはそれをやってるわけです。日々何十年も。
何か見てると恥ずかしくなってくる番組とか作品てないですか?演出的に。紅白とかもそうでしたが。今は大丈夫ですけど、若い頃は苦手でしたね。何だか恥ずかしくなってきちゃって。多感すぎたのかもしれませんが。
岡部たかしさん良いね。朝ドラ見てないけど。
この人好きだなとか信頼できるなってのは、案外、何を恥ずかしいと思うかが似てるってことかも。 いかにも古典の日本人みたいですが。 何を恥ずかしいと思うかは生まれた時代の影響も受けてますね。
まあ、全く同じような価値観の人ばかりの中にいても、育たないというか成長しないというか目新しいことは起こらないとか革新しないなんてことも思うようになりましたが。
何か見たんですけど。 根っこの悪い人が綺麗事言うとほんとに嫌われるんでほんとやめた方がよいよ。
人は自分にとって重要でない(関係ない)こと、或いは自分が厳しく対応していることには他人に厳しく、自分に甘いことには人にも甘い。
議論になるとき、大方の人間は、自分の立場から発言しているのである。
交渉に参加するもののみが有益になるのは、そういうとこにも要因がある。
関心の先を問題の解決にしなければ、誰かが得する損するという話になるだけで、本質的に問題は解決しない。
なんか平成から令和にかけて、良いものほど安い(それか一部は逆にむっちゃ高いか入手困難の二極化)という逆転現象が起きてる気がする。日本しか知らないけど。
令和になってから、キモさははっきり認知度を得たというか、コンテンツとして確立した印象を受ける。 まあ、昔からキモいものはあったけど、ここまで市民権がある感じでもなかった。
その内出てくるもの。(既に出ているかもしれないが。) ハラスメント・ハラスメント。 略して、ハラハラ。 ややこしい時代である。
攻撃を受けているとか、自分を守る時には、自分の正当性を主張するのは大切である。他の誰もあなたをかばってくれるとは限らないし、自分の人生は自分で切り開く最低限の覚悟は必要だと思う。
だけど、平常状態というか、なんでもないような時に、自分の正当化しかしないと、デメリットが勝ってしまうものだ。
自分のことしか考えてないやつと思われたりして。
楽しい人間関係や毎日を築くことを目的と考えると、自己を正当化しすぎるのは、目的に対し逆効果なのである。
ここのところ集中力がなく、思考が発散しがちである。
なんかバイオリズムがあるのよね。
言われてみればそうであるが、集中できないというのは脳が休んでください。と言ってるらしい。
ちょうどいいって、すごく望ましい状態と思うけど、ちょうどいい状態をキープするのって、案外難しい。その前後を行きつ戻りつする方が簡単かもしれない。(後先考えなかったら、振り切る方が簡単。)平均したらちょうどいいみたいな。人生のスイートスポット、案外せまい。ちょうどいい人生を送ってる人って、人生の達人なんじゃないかと思ってる。まあ、周りからみたらそう見えるだけで、誰も本人としては大変なこともあるのかもしれないけど。
バイオリズムとは別の話として、体というのは怠けるほど無理のできない体になっていくので(歳をとると余計に顕著)、ほんまめんどくさいデフォルト設計だと思う。
光には影がつきものと言いますが、大谷翔平のニュースの何割かは嫉妬の話ばかりになってきましたね。
早く成仏してね。しか、コメントないよね。
すごいものにはすごいだけで良いのにねえ。
嫉妬の醜いのは、嫌いなのは自分の現状なのに、他責して成功者を貶めたいとすることです。 うまくいく実力もなく性格も悪い(歪んでる)。全く良いとこないので、死んだ方が良いと思います。
とある事情で関係することになった人生の大先輩に、答えのないことを考えても仕方ない。と助言を受けた。雑談的に。ほんまその通りと思う。
何かみたのだが、歳を取ると前頭葉の劣化は重要な問題である。人によっては生活習慣病やら色々持病もでてくる。機能の劣化や欠損のカードを人は漏れなく抱えて生きていくことになるので。若い人には実感なく他人事にしか感じられないだろうが、早死にしない限り、漏れなくお前にもその時が来るので。そういった人に優しくない社会を作ったら、やがてお前が優しく無い目に合うのだ。年寄りは未来のお前のアバターくらいに思って仮想してみるとよい。
何度も同じようなことを言って恐縮だが、この星に生まれた時点で糞ゲーに巻き込まれているので、イージーモードの人生などない。 イージーに子供時代を過ごせたなら、親が守ってくれていたのである。感謝しろ。
DQNな親のもとに生まれた不幸な人もいるが、多数は親なりに子を愛していた家庭の方が多いのだろう。最も多くは、親の愛し方が、思っていたのと違う。という、愛し方の好みの問題だと思う。多くの場合、愛されてなかったわけではないと思う。親御さん自身がちょうどいい愛を受けてきた人じゃなければ、ちょうどいい愛し方もわからないかもしれないし。日本は戦争があって、ちょうどいい愛なんて受けられなかった空白の時代もあるだろう。 なんてこと考えたりしないのだろうか?親ガチャで思考停止?まあ、ホントの毒親の元に生まれたら親ガチャいいたくなるやろけど。(俺はジジイだから想定がちょっと古いかな。)
まあ、君がテンパってるように、親だってテンパってたのかもしれない。ということは、多々あると思う。人間、目上は完璧であるべき。と思いすぎ。(わしでも目上に厳しいバイアスある。) 歳とって君自身が思ってたのとちゃう確率、大谷翔平の打率よりずっと高いから。残念。
母親にずっと良いなと思っていた茶碗をこの前もらったのだが、経年劣化で数カ所ヒビが入っている。 金継ぎしたいが、そんなことをしている生活のゆとりがnothing。 ナッシングまち子先生である。
タバコ(アイコス)、コーヒー、炭酸水、そう高くないアルコール、高くないフルーツ、安いアイス、できれば特価の惣菜、たまにお菓子(ほぼやめた)、たまに外食(コスパ重視)、本(ほぼ古本)、たまに美術館やお寺や映画、何と言ってもレコード(たまにCDやダウンロード。最近は売った金で買う。)、Amazonプライム、帰省でわしの消費行動はほぼ説明がつく。 見事に必需品がほぼない。
わからない。ってことに腹を立てる厨がいますが、僕はなんとも思わないですね。少なくともおっさんになってからは。単にわからないことはわからないというだけです。
わからないには、たまたま今はわからないこともありますし、そもそも解(答え)が無いことや、知り得ないこともありますから。いちいち感情的になりません。
わからない。は、ただ、わからないこととして認識しておくんです。
わからないことに、無理にこうだと思いこんだり、無理に答えを見つけようとすると、沼にハマっていくんです。それこそ、詐欺にあったり、陰謀説にハマったり。僕はなんなら人より妄想が過ぎるんですが、わからないことに答えを出すのを保留しているので、正常が保てているんです。
逆に言うと、当たり前とされていることも、なかなか信用しないんですけどね。
普通の人が常識フォルダに入れているようなことを、僕はわからないフォルダに入れてたりします。
わからない中大切にしているのは、仏教でいう灯りのようなものです。
ま、仏教的に言うと、こうだと思い込むのも、執着で、捨てた方が楽に生きられますよ。ということなんでしょうね。
知らんけど。
宗教って、信じられるかと言ったら、疑っちゃう部分も混じってると思いますが、思想的には面白いというか、頭の良い人が頭をこねくりまわした結果行き着いた真理的なものは含まれていると思います。
僕の場合、ほどほどというか、自分にとって良さそうなとこだけ、信じてるというか、取り入れてるというか、参考にしてる感じですね。
この世界に完全にロジカルな人なんていません。みんなどっか破綻してます。
たぶん仏陀やキリストでもね。会ったことないけど。
今ちょっと振り返ってみたんですが、私って何か相談して物事が解決した記憶がほとんどないというか、思い出せないんですよね。
結局、人は勢いとか押しとか相手が怖そうとかめんどくさそうとか立場で対応を決めているんじゃないでしょうか。要は、わたしは舐められていた。
まあそんなこんなもあって、ほとんど人には相談しないんですけどね。業務はともかく。
あと、好かれてないとか、シンパシーを抱かれていないとか、シンクロしてないとか、ありますかね。
都合のいい人間を舐めまくる人多いですからね。 地獄で5億年焼かれたらいいのに。
基本的に他人に興味がないので内緒話など一切しない。人から聞いてもほんとに誰にも言わない。言いたくなることがまず無い。
既婚者はモテるというが、既婚者のうち少なくない人は、どんな女性でも口説き落とせる魔法を覚えているのではないかと思っている。 ただ、その魔法を使うのは人生で一度にしておいた方が良いと思っている人が大部分ではないかと。 何が言いたいかというと、遊んでいる既婚男性などというのは特別魅力があるわけではなく、安い男なだけだと思っていたりします。
メンツなどというものは、そんなものをこしらえるから攻撃ポイントになるのである。
柔らかいものが強いとは、老子の頃から言われてる。
結局、そんな人たちはメンツを凝り固める馬鹿の一手しか打たない。
もともとメンツって、自己肯定感が低いタイプの馬鹿しか持たないものなので。
そんなこんなでメンツをコンクリートより強くしていく。かたすぎるものはモロい。いつか崩壊する。
それが人類の歴史である。
老子の頃から言われている。
ほんま人類は同じことばかりを繰り返し何も学ばないアホの子ばかりなのである。
人って、偉くなると馬鹿になるのかね。
ピーターの法則の概要をまとめると、次の3つが挙げられます。
有能な人も昇進し続けると、いつしか能力の限界に達する=「無能」になる。
あるポストにおいて、有能な人はさらに出世していくが、無能な人は今のポストに留まり昇進が止まる。有能な人でも次のポストにおいて同様のことが挙げられ、一定のポストで留まってしまう。結果、どの階層も無能な人材で埋め尽くされる。
組織は「まだ無能レベルに達していない人」が仕事をすることで機能している。
わしは、最後のとこを意識的にやってる。
社会全体として、ピーターの法則に陥らないように、成果に対して出世を与えるんじゃなく、有能な仕事に対して適正な報酬を与えろ。と、ずっと言っているのだが、馬鹿にはわからんとです。
おもしろい話をしようとするから、まぐれでしか受けないのであって、良い話をすれば、人は勝手におもしろいと感じる。 これが知性である。
誰かにとってはかけがえのないものが誰かにとってはクズだったり誰かにとってはクズなものが誰かにとってはかけがえのないものだったりする。
人間というのは感情と理性が複雑に入り乱れているので説明がつかなかったり訳がわからなくなったり矛盾を抱えたり生きづらかったりするが、もし感情だけで理性がなかったら人を殺しているだろうし、もし理性だけで感情がなかったら弱い人には見向きもしないかもしれない。それはそれで役に立つこともあるというか、そうなってる現実に合わせて我々は生を営んでいるのである。
答えを出すのに時間がかかるほど、実は知性が高いという話。
人間というものが脳自体に機能や構造的な複雑さを抱えている以上、前にテレビで言ってたかもしれないが、矛盾というものを矛盾としたまま受け止める知性と胆力が必要なのである。賢い人ほど。
逆に、なんでもなくこの世をスイスイと泳ぐように生きている人は、仕方のないことは仕方のないことと受け止め(見極め)、自分で可変の裁量があることだけに人生のエネルギーを使っているのだと思う。
どうしたってわからないことできないことは手放すのだ。
僕などは、できないことに未練があったり、執着しているので、仏教的に言うとたぶん欲深い。
対話型aiがでたそうな。 人間の方が対話ひどいから、aiとしか話さない人でてきたりしてな。
あー。贅沢言わないので巨万の富が欲しい。
お金を使いすぎたので、全くお金に余裕がなくなった。 全くこの世はどうかしている。
生き生きした老人にはみんな秘訣があった。 金持っとる。 はい、じゃかじゃかじゃかじゃーん。
新札が出たらまた自販機で使えないんだろうね。 腹の立つ新札はすべて私に郵送してください。
最近は良い音楽がありすぎなのでコンプリートとか無理で、良いとこつまみ食いしている感じだ。それしか無理。
僕なんかはすぐ足元を見られるので、足元のおしゃれには気をつかっている。
奥さんに、すぐ話が横道に逸れると言われる。 その通りだと思う。
これはSFだが、異世界が混入すると、その時のことは忘れてしまう。というか、脳には記憶が残っているのだが、思い出せない(引き出しがあかない)。
しかし、あまりにも異世界との接触が多くなり過ぎると、時々引き出しがあいてしまうのである。
自分だけが記憶を忘れない男のSF小説を書こうかと思ったが、考えただけでめんどくさい。
それにしても我ながらモノ考えてるときと考えてないときの高低差で発電ができそうである。
なぜ基本をおさえるのが大事かと言うと、基本がわかっているほど応用がきくからである。つまり自由度が増すのである。細かい枝葉にとらわれず(それは本来マストではなくただの都合で決まっていることもある)、上位の概念がわかるので、本質的で大胆なことができるようになる。
基本を知った上で、色々と事例を知るというのは、打ち手のバリエーションを効率よく知ることができる、つまり、打ち手(ツール)が増える(基本を知っていればいつかは解決できるのだろうが、解決の引き出しが増える、或いはすぐに手を打つアイデアが生まれやすい、リスクを予測しやすい)ということなのである。
従って、事例を知るというのは、現代人の好きなコスパの話なのである。
これも基本がわかってなければ、事例の応用があまりきかない。
つまり、1を聞いて10を知る人とは、基本がわかっている人なのである。勉強や技術的なことだけじゃなくて感情的なことについても、人の感情がどう動くか、知っているのである。
自分のことを中心に考える人には、自分がされて嫌なことをするな。というのが正解であろうし、共感型の人間には、相手が嬉しいこと、より好ましくは、お互いが嬉しいことをしよう。が、正解なのだと思う。 人間は(ある程度タイプわけできるが)人それぞれなので、面倒でも、助言は人を見て、その人にあったことを言うのが理想である。人間関係は、自分もオンリーワンだし、相手もオンリーワンなので、これが100%などという決まった答えはない。 人との関係を良好に築くのは手がかかるのだ。(僕の場合、それがわかっているので、逆に付き合いの人数や深さや回数を少なくしているとこもある。疲れちゃうというか、誠意を心がけたら体力的にキャパオーバーになるので。この辺りのことが、言わなくてもわかるような人は楽というか、そんな人ばかりならそんなに疲れないんだけどね。)
馬鹿な話をやめさせたかったら、馬鹿も休み休み言えというより、馬鹿な話しかするな。休んだら殺すぞ。と言った方が結果的に効果がある気がする。人間、ふざけないと殺すぞ。と言われてふざけ続けられるタイプは少ないと思う。
神A この星の人間どうよ?
神B ちゃんとしてないのに偉そう。
神A わしらに似せて人間作ったからな。ガハハ。
神B そりゃアカンわ。ガハハ。
(完)
最近はほんとに相手がキレるようなことして戦争になってるからねえ。匙加減がわからないような馬鹿をリーダーにしちゃあかんのだよ。 国民が怒りで判断がつかなくなってくると、そういう見境のつかないやつら(典型的には右翼)が台頭して、、、みたいな歴史、何べんも人類繰り返してる。基本的に進化してないんだよね、人類。
天国は退屈だというけれど、わし的にはウハウハじゃないかと思う。
天国に対する想像力や発想が貧困なのである。
例えば、ウマい話しかない場所を連想してみたらどうだろう?
わたしだったら。
ウマイ食い物を食いたい時に食える。
うまい酒をちょうどいいだけ嗜める。
当たりのレコードを欲しいだけ所有できる。
自分でもうまく楽器がひけたりうまく歌がうたえる。
好きなだけ惰眠を貪れる。
怠けても健康。
美女に好意しかもたれず嫉妬もされない。
部屋はいつも綺麗で掃除しなくてもホコリがたたない。
好みの洋服がいくらでも好きに着られる。
住人がみな気が利いている。
詩や短歌を楽しむ。
面白いコンテンツだらけで好きな時に好きなだけただで見られる。
漫画も読み放題。
退屈しのぎにことかかない。
時々、良い景色の面白い場所に旅にでる。
世界が美しい。
等々、いくらでも希望は出てくる。
行きたすぎるのだが。
これは思考実験なのだが、世界中の人が全員現在の貨幣価値で2兆円持ってたとしたら、何か困ることがあるだろうか? ほんとに資源が枯渇したり、食糧が無くなったり、ものの価値がなくなったり逆に高騰したりするだろうか? 多くの人は贅沢ばかりも飽きるだろうし、妬んだりする必要もなくなるのだし、案外丁度いいとこに落ちつく気もするのだが。ほんとの金持ちって、そんなにガツガツした人いないでしょ?特に日本の場合。 社会全体に生産性があるか、食糧や地球環境としての持続性があるかは課題だけど、それって今でも課題でしょ。全体が裕福になったらその悪化は加速するのだろうか?人口が増え過ぎないかがポイントなのかなあ?
高度に発達した宇宙理論は妄想と区別がつかない。
そもそも数式は複雑になるほど限定された前提条件においてあるパラメータだけに注目してなんなら近似的に状態を表したものが多い気がする。
そもそも、数式では表せられないものを、無理から数式で表そうとして、当然表れる矛盾に対して、おかしいと頭を悩ましたり、矛盾を正当化するためにありえなさそうな仮説を作り出して現実の方をそちらに合わそうとして遊んでる気がする。
高いところの食べ物を食べるためにキリンの首が長くなったと考えるのは僕には突飛な考え方で。変異で首が長くなった。首が長いから高いところの食べ物をとった。他に高いところのものを食べる競争相手がいなかったから生き延びた。と考える方が、僕にはずっと自然。
コロナウィルスにしても、かつてツイッターに書いたが、毒性の強すぎるものは宿主を殺すため淘汰され、マイルドな毒性のものが生き延びる、変異はランダムに起こり、やがてより生存のしやすいもののみが多数をしめ、やがては風邪のようになるというようなことを書いた。
一時、ある変異が起こると、その変異体のみが生き残るウィルスのデスマッチのような報道になっていたのが理由がよくわからない。自然法則の逆の方に向かう現象みたいだったから。実際は複数の変異体がいたが、その遺伝子のものしかマーク(特定、調査)していなかったというなら解せるが。
正論を言うな。と正論アレルギーの人がいますが、そういった人達が拒絶しているのは、本来の真の正論ではないのだと思います。 本来、誰が見ても聞いても自然で理にかなっていて、無駄無理のない論。これが本来の正論だと私は思います。 そうじゃないなら、それは正論ぶってるだけの安い駄論だと思います。正論に失礼です。僕の中(定義)では。
昨日の、今日のダーリンで、「人間には、こんなに「罰したい」という欲望があったのか。あったんだろうなぁ、きっと昔から。」という一文を読んでハッとした。改めて自分にもあるなあ。と。人はガッデム(畜生)を抱えて生きているからね。 だから、芸能でも復讐劇がこんなにもあったり。忠臣蔵にしても、必殺シリーズにしても、ゴッドファーザーにしても。漫画だっていっぱいあるよね。もはや人間の伝統芸能。
基本、人に噛み付く人って、ほんとは自分が愛されたいだけなんだと思ってる。 だから、否定したら愛されてないと思って余計噛みつこうとするし、かと言って、悪いことは悪いと知らしめないといけないし、うまくそこんとこわかってもらったとしても甘えられたらめんどくさいし、なんでこんなことやってんだって腹が立つし、けど冷静にならなきゃいけないし、ほんとに対応が難しいよね。 つーか、ほんとにめんどくさい。迷惑かけるのも大概にせいや思うけど、迷惑かけてる自覚より被害者意識の方が強いんだよね。 ややこしやー。ややこしやの化身か?むしろ神か?
関心領域、映画のあらすじ的なものを読んで、なるほどな。と。
何故普通に暮らしているような人がある集団や個人に対し残虐になるのか。無関心だからである。つまりシンパシーを感じていない。
相手を自分と似たような心ある人間であると想像できない。リアルな人間だと思ってないから残虐なことができる。直接残虐なことをしなくても、戦争を支持したり、殺されても何も思わなかったり。
いじめもそうであるし、隣国を嫌っているならそうであるし。
とにかく自分に関係ないと思っている。
これはあなたの話であるかもしれないが、それを想像さえしないのだろう。
ということをあなたに突きつけようとする映画なのだろう。
世界のゲーム巧者を見ていたら、ゲーム自体を勝つゲームに変えてしまっているのである。
ポルノとかは全部ai製になる時代がやがて来るんじゃないだろうか?
aiポルノクリエイターの第一人者になったらめっさ金入るのでは?
まあ、今までの流れだと、クリエイターよりプラットフォーム企業が儲かるんでしょうなあ。歴史は繰り返す。
基本的に人に戦えと言われたら、この人は俺をそそのかしているのだな。と考えます。人に戦えというのは、300%その人間の利己による言葉だと思っています。
戦えと言うやつほど自分のことしか考えてないよ。
これほんと。
大谷さんじゃないけど、うまくいってる人には、エサにありつこうとするゲスな人たちが寄ってくるから、あんまり成功しすぎも考えもの。 世の中には、魔物か妖怪みたいな人いるもの。
大谷翔平さんとこもそうですが、時々、双子かっていうぐらい顔や雰囲気が似た夫婦っているじゃないですか。 ああいうのって、直感的に、一生仲いいんだろうな。って、思いません?思うよ。
なんか、人知れず、そっと長者になりたい。
しろうとにデザインさせて呪いの館みたいになってるスポットってあるよね。
歌は歌心みたいなものがないとつまんないね。
ボカロ系の音楽を一通り聴いてみている。刺さるとまでは言わないが(怖いわ)面白いことは面白い。
トラックメーカーとしてのセンスを感じる。
50過ぎたら深掘りしてなかったクラシック音楽でも聴こうかと漠然と思っていたのだが、まさかボカロ聴き出すとは自分で思わなんだ。
TikTokせんかったら聴き始めなかっただろうなあ。良かったんだか悪かったんだか。
なぜボカロを聴くのかというと、グルーブ感が馬鹿にできないからだろうなあ。あとメロディが日本人の琴線をくすぐる感じなのと。いい歳なのにという視線に耐えられるかは別として、普通にボカロをDJ的に選曲できるなあ。たぶんワシ。
世界は鏡という。 それならば、全ての人間は自分の鏡像体である。 そう考えると、全ての人間が愛おしく、感じるか、ボケ!
急に、子供の頃、父親と相撲の真似事をしていて、必ずさば折りされて負けたことを思い出した。 ほんま将棋でもなんでも、手加減はしていたのだろうが、絶対勝たすことはしない父親だった。 そんなんで良いのだと思う。
思えば両親からいくつもの大切なものをもらっている。
人生、何か失敗するとしたら、ほとんどの原因は、自分に都合のいいように考えて、適切な手を打ってないことにあります。 都合のいいように考えて、都合の悪くなる選択ばかりをしているのが、大方の人間です。
化学反応などにおいて全体の速さを支配している段階を律速段階という。つまり物事が進む時に1番時間がかかっている段階である。任天堂の人も言っていたが、ここを速くする工夫をしないと、どうしたって全体の仕上がりは遅くなる。速さだけじゃなく、この工程を改善しないと、量産化は無理とかもある。 これは僕でも意識していることでこの段階が納期に影響を及ぼさないように計画を立てるし、可能ならこの段階がスムーズに進むための工夫をしている。
自己啓発本でも、何とか術でも、読むだけでスッキリしていては何もうまくならない。 別に大風呂敷を広げなくても、目にしたアイデアは何かの機会に自分なりに試してみる。 そうしたことの積み重ねで自分のスキルは積算的に上がっていくのである。 スキルはやってみて体で覚えていくものである。まずはやってみそ。である。
日本で貧富の差が広がっている。
財がある人は財テクしてるのでますます差が広がる。
投資に回す金が無ければ何ともならない。
お金の話は、健康の話と似たところがある。
どちらも生活習慣の影響がとても大きい。
あとは、受け継いだもの(相続、或いは、遺伝)が大きく明暗を分けることがある。
日野原先生が生活習慣病というものを世の中に知らしめたが、生活習慣貧乏というものもあるだろう。
マクドナルドのハンバーガー、人生で100回くらいは食べているかもしれないが、おいしいと思って食べたことは一度もないかもしれない。 もちろんマクドナルドばかりを食べているわけではない点も含めて、人生の縮図のようである。
マクドナルドを食べる1番の理由は習慣性ではなかろうか。
豊かさの根源とは金とヒマなのである。
金とヒマが無ければ、海原雄山のような暮らしはできない。
最近のネットで検索される医療情報の中に、昔は聞いたこともなかった情報が当たり前のように散見されるようになった。急に。一見科学的に矛盾が無い情報のようにも見えるが、今まで聞いたこともない話が多く、真偽のほどがわかりにくい。もちろん、最近の研究で明らかになった事実というものもあろうし。一方で、可能性の一つとして、AIが作成に関与した可能性がある。ご存じのようにAIは常に真実を言うとは限らないので。ほんとに厄介な時代になった。
chatGPTの有用性ばかりが取り沙汰されるが、情報の真偽という意味ではchatGPTは全く信用できないという注意点を、人は一年足らずの間にもう忘れているのだろうか?
この一年くらいの間に、嘘が真実よりも精巧になったのである。この「事実」を誰も深刻に受け止めていない。というか、わたしが気づくのだから誰かも気づいているのだろうが、その情報がアルゴリズムにより目に触れない。或いは、陰謀説に誘導されうる時代になってしまったのである。
人生という糞ゲーの無理ゲー感が一気に上がった。ダンジョンの糞加減が人知を越え始めたのである。
変な方に転んだら、マジで人類滅ぶ時代の到来である。人間はもはや地上で1番知能の発達した存在ではないのである。
もはや、誰もコントロールできない。いきなりカオスの蓋が開いてしまったのである。
こちらもAI的文法で事態をちゃかすとしたら、マヤ文明が滅びた級のイベントとも言えよう。
chatGPTを使う上で重要なポイントは、まず、話は全て嘘っぱちと思うこと。その上で、観点を参考にすることである。 ここさえ万人がわきまえていれば、1を聞いて10を信じてしまう人間には、いい頭の体操になるのではないか。 問題は、やはり1を聞いて10を信じる馬鹿の方が多いであろうことと、そこから派生するデマにそれと知らず流されるリスクが大拡大することであろう。
最近のネットニュースは、真偽がどうかよりも、市民の感情を煽ることが目的となっている。或いは、その市民感情を動かすことを目的とした実証実験が繰り広げられている。という目で僕はネットニュースの見出しと、自分が受けた印象を客観的に観察している。この1年くらい。ネットニュース記事自体には不快感しかない。
悪意というより、根底にあるのは、視聴率的なことであろう。営利を追求すると、しばしばそれは悪を突き進むことと行為或いはその効果自体が同じになる。
子供の頃は色々なタイプの人と友達になる可能性があるが、大人になるとどうしたって人生は分岐していくのが普通だ。学力によって分岐するし、子供がいる人といない人の人生も深いところでは交差しなくなっていくのが普通だ。
そんなこんなでみんな自分のいるゾーンのことしか知らなくなる。他のゾーンには無関心になる。
無関心というか、シンパシーを抱かず、感情がシンクロしなくなる。
自分のいるゾーンが狭いほど、状況の理解はされず(されようとせず)、ワリを食ったことになりやすい。
群れる人間は昔から苦手だが、生存競争としては理にかなっているのである。そういったやつの方がマジョリティなので。
わたしは、一見するとマジョリティの世界に住んでいるが、混み合った事情からマイノリティ的な立場にいる。実はこれがなかなか生きにくい。かと言ってわたしにはそう生きるしかできなかったので、よくよくメカニズムを紐解いていくと、起こるべくしてこのような辛酸もついて回るのである。
僕は客観的視点で全部相手を悪者にできるので、喧嘩しない方がいいと、自分で発信さえしているのに、火に飛び入るなよ、虫どもが。と思っている。 虫の絶えない10年間であったけど。
友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ って、僕的には、自分を卑下してるんじゃなくて、絶対、糞な世の中だぜ。と思って読んだんだと思う。
自分の中の尊厳をいかに守るかっていうことは、そう少なくない人にとって、ある時期に抱える重要なイシューとなるけど。そこで、他人から理解されない俺が尊いみたいな沼にハマると、孤立から自死に向かうしかなくなるかもしれず。 ほんまこの世界は、バランスをキープするの簡単じゃない。
過去にも言っているかもしれないが、悪人の最も愚かで私が嫌う点は、利益を総取りしようとする嫌らしさである。 まあ、そんな人間だから悪人になるのだが。猿にこの猿が。と言ってるようなことだとも、言ってて思う。
高度に発達した営利の追求は、悪と区別がつかない。
人を利用することしか考えてない人に、人を見る目は育たない。
この国の政治家は国民にシンパシーを抱いてないので、支持したって国民の生活が良くなるわけないよ?
岸田総理が象徴であるが、人並以上の生活をしてきた人間ほど、実は感性が鈍く、人の分け前まで自分のものにして平気なだけだったりするので。 この場合のリテラシーって、高いことになるのか低いことになるのか、よくわかんないですね。
最近は、まともに働いてもまともに暮らしていく金も提供できていない社会なのだということを、やっと金持ち〜富裕層も理解してきたようである。
なんでこんなにわたしが色んな立場からものを言うかというと、トップもビリも強いも弱いも経験した上でだいたい中位にいますから、テリトリーのことはざっくりわかるんです。あと、指示者の経験もありつつ、ずっと実行者をやってますから。 経験や面識のないようなことは、過去からの書物の文献情報と、10代までの学校での人間観察(人の基本的な部分はその頃から変わらない)、或いは、類似案件からの外挿ですね。そんなに人間の本質は変わらないので、そう外れません。 あと、ミクロからマクロ、マクロからミクロにメカニズムを水平展開して考察を立てます。この世界に働く物理作用は普遍なので、色々なことに似たような作用が働いているという経験則があります。 全部こうして説明してても、同じようにやる人はそうそう見かけませんけど。ま、みんなスタイルがありますしね。
なんでこんなに書いてあることをそのまま読まずに書いてないことを読む人が多いんだろう。 そこちゃんとするだけで数割は余計な仕事無くなるんちゃう?
どんなにしゃべりがうまくとも、会話というのは難しいというか、骨がおれる。基本奥さん(というか女性)には傾聴というか、聞いていますよ。という態度と、的確な相槌やキャッチボールが求められるので、話上手より聞き上手がモテるのである。 以上を理解しており、かつ、やればできる子なので、集中力がある時は充分に対応できるのだが、集中と分散のレンジが人より数倍大きく、集中力がないと人の話を聞き続けられないので、そんな時は対応下手か。となるのである。
これは考え方の癖の話なのだが。奥さんは、物事の点と点を結びつけて線で考えるのが普通というが、わしは点は点として見ちゃうというか、何ならたまに微分しちゃったりなんかするのだ。 だから、そうでない人から見ると視点がフレッシュであったり、トンチキな嘘に騙されなかったりする。 その反面、人間関係に纏わるあれやこれやは線の引き方に宿ったりするので(そこが真骨頂なんだろうなあとも思う)、どうしたって人間関係が濃密にはならないのである。
やらない言い訳よりやる訳を探せ。奥さんから名言出ました。
何べんも言っているが、怒りは悲しみの2次反応なのである。つまり、最初に悲しみがあり、悲しみから怒りが生まれるのである。私が言い出したわけではなく、それこそネットで知ったのだが、自分の感情的経験に照らし合わせて矛盾がなく、その通りと直感した。なので時々この話をする。 わたしが人が怒っているのをみてやるせなくなるのは、怒っている人はほんとは泣きたい(というより泣いている)のだということがわかってしまうからである。 つまり子供のように泣きわめいている姿を晒しているのを赤の他人に見せつけられているのである。しかも泣きわめきながら誰それが悪いと口撃している。 もちろん、わたしも人のここがよくないみたいな発言をすることはある。しかし、本来、よくないことをよくないという時ほど、冷静な態度で言わないと駄目なのだと思う。効果的でもないし、というか逆効果なのである。 恐らくわめきちらしている人は、ほんとは自分が悲しいのだということすら忘れて怒りに飲み込まれている。だから私は定期的にこの言葉をかりて、誰が読むかもしれないsnsにそっとおいておくのだ。定期的に。
ま、中には感情抜きに、効果のため(人をコントロールするため)に怒りのパフォーマンスを見せるやつがいるのでな。そんな怒りは全く気にも留めない。無視。(ただし、無視しているのが伝わると姑息なことをされるので、そっとスルー。)
いじめとか、集団で暴力みたいなマネは僕はしたくないし、したことがない。やるなら、1人で猫が虫を殺すみたいにやるだろう。
世の中への怒りは、それこそ町なかで人を殺している人と強度は変わらないかもしれないが、無差別殺人をするほど世間知らずじゃないし、恨む相手を殺すには頭が良すぎてやる確率もかなり低いだろう(自己制御がききすぎる)。
だいたいいつでもリミッター外すぞ(殺すぞ)という殺気だけはいつでも出せるので、そう馬鹿は近づいてこなくなった。
美輪明宏さんの歌う「群衆」的なものが、僕も嫌いなので。snsとか、軍拡的なものを感じたら、火の小さいうちに、ことごとく潰しにいっている。
人生のすぐ隣には死の川が流れている。
え。いいですよう。別に。全然。 わたしに災いをもたらした人は未来永劫呪われるんで。全然気にしなくていいですよう。
トランプみたいな人もいるが、通常、強い立場の人間が強い発言をするのは好ましくないことの方が多いだろう。 わたしなど、フォロワーが少ないから自由に発言できている面がある。 もしフォロワーが1億人もいたなら、毎月お金を送ってほしい。
昔から知能がボーダーラインの人は沢山いたが、それをメインストリートに晒そう、或いは利用しようとする馬鹿が増えて混乱が起きているのが昨今である。snsというインフラの影響もあろう。
チャボの歌詞で言うと、グロテスクなものが売りに出されているのである。
日本人は、憲法に書かれている義務と権利の理解も甘いし、組織としての責任と権限もいい加減だし、だから課題の分離もできていない。
チャボの歌詞で言うと、権利は無視され義務は押しつけられ。ということになる。
まず愛せ(信仰しろ)。そしたら愛す。って、要求する順番が普通と逆である。
神々というのは甘えたばかりではないのか。
そこがどうしても好きになれない。
自分がそうされたかったら、相手にもそうしろ。ちゅう話である。
つまり、宗教とは商売だということが、このセンテンスからわかるのである。
なぜ宗教はまず信じろから話がはじまるのか?
そこが何やねんこいつ。となる。
ほんとの良い人で誰も彼も救いたいなら、信じても信じなくてもいいけど、こんな考え方もあるよ。って話すと思うもの。だから、どんなに言ってることに真理が含まれていても、商売なんでしょ?ってとこに帰っていく。まあ商売なんですけど、いくらいくらであなたの幸せを本気で祈りますよ。と言ってくれた方がよっぽどスッキリして清々しい。わし的には。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神様は、同一らしい。知らんけど。
宗教を区別するのはそちらの都合だし、わしはどの信者でもないので、各宗教に重みづけもしない。従って分断もしない。
平和や愛のために信仰をはじめるという心がけを否定するつもりはないが、信仰の匙加減が行き過ぎて争いをしていたら本末転倒で、そんなくらいなら、信仰しない方がよっぽどピースなのであります。(個人の感想です。)
キリストが、わしは炎(諍い)のためにきたのだって書物に書かれているの、ほんとならキリスト大迷惑でお前が一番罪深いと思うし、言ってもないのに書かれたなら、そこに相当の悪意があったのだと思う。(個人の感想です。)
カルト宗教もそうである。
もともとは何か状況を良くしたいという祈りの気持ちからはじめて、結局家族を不幸にしているのは、一体何をやっているのだ。ってのが、ずっとある。
禅問答にしろ、孔子的なものにしろ、ソクラテスとか古い哲学にしろ、聖書にしろ、弟子が御大の言葉を書き留めるのが、様式になっている。間違ってたらごめん。真剣に読んだことないので。 話戻って、よくわかっていないやつがわかるようになる過程が描かれているし、違う視点から意見が集約されるプロセスを採用しているので、一般人に理解を促す上で効果もあると思うのだが、本人が書いてるわけではないので、理解が本質理解に至っているのか、いささかの疑問がある。
本末転倒する人が9割。って本書こうかと思ったけど、どうせ読んでも本末が転倒するのだからやめた。書いたことにして印税だけもらえないだろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1719761003426-37MfE6RN0q.jpg?width=1200)
オジサンと若者のミスコミュニケーションの原因の一つに認知力の違いがあると思う。 もちろん個人差はある話だろうが、以下の様なことが起こりやすいのではないだろうか。 若者のうちはわりとひたむきで何かに対して彼らなりに真剣に生きていると思う。なので、真剣な気持ちでオジサンと話したなら、何なら言葉の一字一句まで覚えている。酷いことを言われた時などその言葉を忘れられないだろう。 一方の前頭葉の退化したオジサンはというと、そりゃあその時は真剣な気持ちで話しているのだろうが、色んなことを忘れているのでその場その場の局面で思いつきでものを言ってしまう。どころか、言ったことすら三歩歩けば忘れてしまう(ニワトリか)。 つまり一つ一つの言葉に対する真剣さが違うので、言ったことすらオジサンが忘れているような言葉で若者は真剣に悩んだり腹を立てたり、逆に若者が真剣な思いをしていることにオジサンは感知すらできなかったりするのである。原因は認知機能の劣化なのだが、若者からしたらオジサンは無神経だし、オジサンからすると何に腹を立てているか心当たりがない事態が発生するのである。 なお、この話は自分の経験から構成している。
一般には愛情を示す行為ほど、誰がやってるかによってはホラーになるのだ。 想像してみよう。 「あなたのことをずっと見ていました。」 誰が言ってるのか?
モテるかというとモテないが、全くモテないわけでもなかった若い頃。印象に残っている女性からの口説き文句は、
・頼むからやらせてくれ。
・来世でよろしく。
である。対極的だが、どちらも覚えているので、すごい口説き文句である。
据え膳食わぬは男の恥。とか言うが、わしは据え膳食わない人生なので。
男の恥というのは、女に恥をかかせるな。という意味で男の恥。とキメてみた言葉なのだろうが。
知らんがなである。関知しないように生きとる。
女に恥をかかせたくないなら、女に惚れたことを後悔させないような貴方になればいいのだと思う。
一夫多妻など、ありえへん話しである。 ガキンチョは憧れるのかもしれないが。 どんだけマメにしないといけないのか。 相性の悪い女性同士でバトルになりそうやし。 どう考えてもめんどくさい。
通常手は二つしかないし、何かを掴もうと思ったら、何かを手離さなければならないのである。
モノであれば道具を使うという工夫もあるが。人生はそうとばかりもいかない。体は一つなので。
手放すのがうまいかどうか。これがセンスというか粋かどうかの真骨頂ではないだろうか。
人生に余計なほど予防線というか、バリアをはって生きてるので、人から見たら退屈だし、つまらない人生を過ごしているかもしれない。 はちゃけた人生を選択した方が、楽しい人生だったかもしれないが、それはそれでその人生について回るめんどくさいこともあるだろう。 どんな人生を送ろうと、それなりに楽しいし、それなりに苦しい。なので、(人の才能に憧れることはあるが)人の人生を羨ましいと思ったことはない。
言葉づかいを丁寧にする人っていうのは、世間と一定の距離を置きたいから、丁寧な言葉を使ってるんじゃないかな。ふさわしい心遣いはするけど、一定の線からはずけずけと入ってくるなと。
センスの悪いカッペはそこにある線がわからない。
というか、その線がわかっているなら、逆に言葉づかいは重要なイシューではなくなる。
アインシュタインやホーキングのようにスーパースターになる天才もいることはいるが、大抵、神童と呼ばれたような人は、平凡な人生、或いは、それよりも不幸な人生を送っていることが多いと聞く。 これも、周りにその頭脳を理解する人がいなかったことが原因と推察する。特に一般家庭なんかに生まれちゃったりすると頭脳の活躍の場が限られるだろう。能力を生かすことをできた天才は恵まれてもいたのだろう。 ちょっと人より考えの展開法が変わっているだけのIQもちょっと並より上くらいの私でもこれだけ理解者がいなかったのだから(少しは理解しているとしたら私の投稿の読者である。暇か。)、天才の孤独とは、私では想像が及ばないくらいではないかと思う。
20代の頃から気がついていることだが。私はよくエントロピーの法則の話をするので、クレイジーな読者はまたか。という感じだろうが、今回はこの法則では説明のつかないような現象というか作用が、この世界にはあるという話だ。わかりやすく例えると、ビルゲイツやイーローンマスクのように富めるものはどこまでも富む。みたいなことが、この世界にはある。富の話としては、元手があった方が金を増やしやすいとかもあるのだが、要は一旦何かが起こりやすくなったところでは、続けて同じことが起こりやすい。パチンコで言うと確変に突入するのである。線状降水帯をイメージしてもらえばわかりやすいだろうか。要因というのは複雑な要因が絡んでいるのかもしれないが、ある事象が、特異点において、アンプで増幅されるように発生確率が高くなることがどうもあるようなのだ。起こりにくいところの発生確率は依然低いままだ。
一旦起こりやすい道筋をつけてしまうと、行き場のなかったものが、すべてそこに向かって流れだすような、乱雑化し拡散へと向かうエントロピーの法則とは逆とも言える現象がこの世界には観測される。生命現象の中にも、恐らくそれは観測されるだろう。
いずれにしろ、エントロピーの法則も含めて、この世界で起こることは、先日も述べたように、今現在の状態を前提条件として、あちこちパタパタと起こるべくして起こることが起こり続けている。というのが、世界に対する私の現在進行形の認識である。
ちなみにここでいう起こるべくして起こるとは、あの人は良い人だからきっといいことがある。とか、あの人は頑張ったんだからきっと報われる。とか言った、つい何かを期待してしまう若者の希望みたいな話ではなくて、この材料を使ってこのレシピで料理を作ったら、必ずこの味になる。みたいなことである。
今日のほぼ日で虫が減っているという話がかかれているが、それはわたしもずっと感じてきた。実際減っているのだろうし、昭和以降、時間に沿って生物にとって住みにくい星になってきているのだろう。
電磁波の影響というと電波系と笑われるが、実際そういった話かもしれないし。虫は高周波をキャッチしていると思うので。
人間である私もこの数十年で生きるのが相当しんどくなった。単に年齢とか人間関係だけの話ではなく、環境に対して。私はTwitterをする以前から、人間の作り出した環境が人間を生きづらくさせている直感を感じていた。わかりやすい例だと、公園からベンチなくすとか、木を伐採するとか。わかりにくい例だと、目にするものがデジタル的になり、もともと人間は揺らぎに対し安息感を感じるのだが、揺らぎを感じさせないもので溢れた。音楽でいうと、ピッチが機械的というか。こんなものばかりを聞かされ続けていたら人は狂う(少なくとも俺にはしんどすぎる)。Twitterにもそのようなツイートはしたが反響はゼロであった。
しかしわたしは本件に対しては異常なほど直感の正しさを直感しているので、インスタにしろTikTokにしろmixcloudにしろ、あらゆるsnsを通じて世界に揺らぎの総数をあげる活動をしていたのである。知らんやろけど。
ご興味ある方は1/fゆらぎで検索。
大学教授でそういう研究をされていた方が実際に過去におられた。
世界はわたしの鏡である。 わたしが痩せ細れば世界も痩せ細る。 わたしに休む宿木がなければ世界からも宿木がなくなる。 わたしが悲しみと怒りに震えていたら世界も悲しみと怒りに震える。 何度かこのような言葉をTwitterにも書いたが、予言をしているわけでも、呪文を唱えているわけでもない。 わたしに起こることは高確率で他の人にも起こりうる。世界は繋がっているということである。
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人を傷つける人は、自分も傷つけてるんじゃないかな。って、誰かが言ってたかもしんない言葉だけど、自分と照らし合わせて考えると、直感的に正しい気がする。 言い換えると、人を呪うって、自分のことも呪ってるんだよね、きっと。綺麗事言いたいわけじゃなくて、スッとそうだろうな。と思う。 こういう、スッとそう思うことを大切に生きた方がたぶん苦しみは軽くて、嫌だなとほんとは思いつつやってることとか、逆にハイになっちゃうようなことって、自分を悪い方へ運ぶんだよね。
いとうせいこうさんの怒りを吼えるケモノのように、純粋なよい怒りみたいなものもあるんじゃないかと思っているんだけど(正解かはわからない)、完全燃焼しないと一酸化炭素みたいに有害だろうし、いずれにしろ火と同じで扱いには細心の注意が必要なんだと思う。まあ、それを含めた歌詞なんだけど。
人生、自分のために私は生きているつもりなのだが、蓋を開けてみれば自分の利益になってることはさほどなくて、むしろ人の利益になることばかりを結果的にしている気がする。そんなつもりないのに。今年の漢字で表すと義務の義、或いは、犠牲の犠。みたいな。 わしは菩薩か?菩薩なのか?(怒られるわ。) 楽になりたくて頑張ってるのに、いつまでも楽にならず頑張り続けてるみたいな。 人生修行みたいなのは大嫌いなのだが、修行を強いられてるみたいな。 わしゃ楽したいだけなのに、なぜ。
この世界で積んだ徳というのは、自分のところにかえってくるのではなく、人のところにかえっていくというのをずっと前から感じている。
高尚なことを言いたいわけじゃなくて、そういうふうに因果というか、嫌でもメカニズムがそうなっとる。
ずっと金をくれ。言うとるが、金がやってくる気配はない。
神さまがいるとしたら、お金のことは、徳を見ている神様の管轄外なのではないか。まあ、金の話は狐様(お稲荷様)に頼むしの。
金はほんま、わしとは縁の薄いとこに流れ続けてる。つーか、ちょっととなりに流れとるのだが、わたしのとこに流れる道筋がない。この道筋を作らないと金持ちにはなれないのであーる。言うとる場合か。
わたし自身の話をすれば、わたしに金が入る支流がないから、いつまでも金が入らないのである。
若くして成功して、成功しつつづけてる人間案外少ないと思うのだが(ピーターの法則?)、実際有益な仕事をし続けているかより、スタートダッシュが良かった人間の方が、後半糞な仕事しかしてなくても、生涯賃金高いよね。 実なんか見てないんだと思う。 仕組みがそうなってたら、もうそこで思考停止の社会なんです。
夢を持たなかったら、当然夢は叶わないというか。まあ夢を持っていたとして、動き出さなければ、世界は何も変わらない。いや、夢を持っているか以前に、何もしていないのに何か幸運が突然やってくるなど、確率的に考えてもまずありえない。棚ぼたしか考えてなかったら、詐欺話しかやってこない。
更に言えば、夢があって、夢に向かって動き出したとしても、夢を叶える環境にいなかったら夢など叶うはずがないのである。シンデレラだって、舞踏会に行ったから玉の輿にのったのである。
夢を叶える環境というのも、都合よくその辺に転がっているかと言ったら、そう転がっているわけでもなかろう。探しに行ったり、或いは自分で作り出さないと、いつまでも昨日の延長線上の世界しかやってこないのである。良くて現状維持である。
夢というと大袈裟で、引いてしまう人もいるだろうが、夢という言葉を小さな出来事に置き換えても話は同じことだろう。
思う、或いは思わなくても、動かなければ動きに応えた反作用はないし、正しく反作用する環境にいなかったら、期待される適切な結果は得られないのである。(余計な反応はあるかもしれないが。)
常々言っている、世の中は当たり前のことしか起こらない。というのは、こうした話も含んでいる。
金持ちになる要素とは ・実家が太い(金を増やすためのベースがある) ・ケチ(無駄なものにはビタ一文払わない) ・仕事或いは投資などなど、お金が増える仕組みをこしらえている ・人脈があり例えば同じ金持ちから有益な情報(お得情報)を得ている ・情報や価値に対し金になるかという目利きが利く ・お金を得ることに対してフットワークが軽い ・当然、馬鹿や無能ではない。 といったところではないだろうか。
結局のところ、デジタル化したここ数十年で豊かになった者は、デジタル化技術の中に利益を得続けるプラットフォームを築いた者たちなのであろう。
それ以前の機械化の時もそうであっただろうし、更に古くから、富める者はそうしてきたのだろう。
からくりは、手数料ビジネスをイメージするとわかりやすいだろう。一旦仕組みを作ってしまえば、あとは何もしなくてもお金が入ってくるのである。
AIとて。
現代ビジネスは、意味のないもの(何の負荷もかからないこと)で金を巻き上げる仕組みをいかにつくるかというパターンがよく見られる。
コンテンツとしてフルスペックを提供しても何の仕事も発生しないが、わざわざ使いにくくする仕組みを作って、その仕組みを外してやるから、はい有料化ね。という、ヤクザなコンテンツばかり見かける。
ある有益なものに役立つコンテンツは、ある有害なものに役立つこともある。
先日のnhkの児童ポルノの番組見てるとそう思う。
システムの開発者やプラットフォーム企業の難しいところである。それでは開発者やプラットフォーム企業は難しいから責任はとらない(儲かるし)で良いのか。という問題。
悪いシステムにユーザーが加担している場合、少額だから罪の意識がないみたいなのがトレンドとしてある。しかし、それが集まれば富を生むのと同じように、被害が被害者に集まればとんでもないことになる。その被害は誰が責任を取るのか(誰もとっていない)という話。そんな地獄がいくつもある。
わたしは世界的大企業の、せこいことで金を巻き上げ、社会的に生じた問題に何も責任を取らない、その姿勢が大嫌いである。
マイナスなものを与えていたら、それは奪っているのと変わらない。小学校で習う数式で表せるような話である。マイナスをプラスしたらマイナスと同じなのだ。
こんなに人に良くしているつもりなのに、何で嫌われるのだ。と思っている人は、大方、受け手にとってマイナスのものしか与えていないからだろう。受け手には奪う人(taker)と思われている。
人生に伏線回収はないと言ったが、逃げたことだけは全部自分に返ってくる。 逃げずに全部パンチを受けろと言っているわけではない。対処しないと、問題は起こるべくして起こると言っているだけである。
世の中には、割合としては気の良い人の方が多いのだろう。しかし、そんな人達も、無意識や無自覚のうちにひどいことの歯車やワンピースになっている。 これからも僕はそれを見せつけてやるので。
長い人生(リア)や、ピグやsnsなどの半ば仮想的なコミュニケーションツールにおいて、数こそ多くないが、相性の良さを感じる人は少なからずいた。(それ以上親しい関係性にならない原因のほとんどはわたしの不精というか、極度のめんどくさがりと遠慮しいであることも理解している。) しかし、相性の良し悪しはともかくとして、感性がビンゴという人は1人も見たことはない。価値観のこの部分は同じ。とか、芸術的なこのセンスは通じるとか、部分的に強くシンクロするのを感じたことはあるが、全ての波形だかスペクトルが一致したことはない。 肉親とも仲が良いが、似ている部分ももちろんあるが、違うとこのが多い。 他の人も、感情がシンクロしているだけで、実際はそんなとこなのかも?それを孤独と捉えたら全員孤独ということになってしまうのだろう。 安心したまえ。みんな違う。たぶん。
人に助けられて、そこそこ好きに生きてきたのに、感謝せず、不満ばかりを吐き出すのは、美しいことではないな。
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最近の若い男性はお化粧している。(嫁情報。)
明らかに化粧品会社の戦略(啓蒙)が功を奏し、市場を生み出したのである。
女性の生活から化粧品が切り離せないように、これからは男性からも化粧品が手放せない時代となるのだろう。永遠に。もはや呪いをかけられたも同じである。
わたしは化粧をする文化のない時代に10代20代を過ごし、もはや名実ともにジジイの仲間入りをしているので、とても化粧するなどめんどくさくてやってられないが(田舎に生まれたし母が高齢出産だったので同年代より昔気質なとこも一部ある)、化粧品会社がうまくやったなあと客観的に思うのだが、これを悪かというと、男性が女性と同じように化粧が価値を生み出す一面も覚えてしまったのだから、悪というより魔女の手に落ちたな(悪意はない)という感想である。
わたしはアイコスで無駄金をはたいているが、若い子は化粧品で人によってはもっとお金がかかるのだろう。
インフラ的に使われる商品は強い。変動費というよりむしろ固定費に近い消費になる。
日本にハロウィンが定着したのもそうだが(古くはクリスマスも)そうするしきたりが当たり前にしてしまう企業戦略はえげつない。外資がやっぱり得意なのかな。日本なら電通か。
わしは子もいないしあまり人がどうこうしたとか気にして生きてないので、世間に比べこうした、してやられた感の消費はたぶんかなり少ないのだが、学生時代とか、見事に乗っかってる人もいたよなー。と、遠い目。
乗っかってるというか、乗っからざるを得なかったのがiPhoneである。iPhoneをインフラ化してしまったジョブズはほんますごい。
アップルという会社、まあ、Microsoftもそうだが、それ以前のパソコンをインフラ化してしまったとこも、その収益構造を作り出したとこもすごい。Amazonもすごいし、Googleもちょっと前までは凄かった。ほんま外資の収益構造を作るやり方というか、儲けようとする知恵がえげつない。ほんま奴ら、毎日いかにして儲けるかしか考えてないのだと思う。日本の企業とは発想からして違う。ダイナミックさも含めて。まあ、アップルもウォッチとか小粒の商品はあり、その手にのるかよ。ってことが見えすいたものもあるとして。
snsは、広告による収益構造としたところが、今日の偽広告に繋がっているので、お利口というにはケチがついている。
あれ。だんだん悪口になってきた。金目のものくれないともう褒めない!
まあ、アップルもジョブズが生きていたらどうだったかわからないが、悪意のあるアプリを野放図にしたのは長い目で企業価値を大きく落としてしまっただろう。
sns各社もそうだが、ユーザーに起こった問題を、完全にスルーする風潮があった。対策には大きなコストがかかるが、その改善により新たな利益は生まれないとふんで、問題解決をコストカットする悪手をとったのである。詐欺広告や偽情報も、同様なことから生じた副産物である。しかし、これらは、社会不安の素にもなっているし、これから先、その安全にかかるコストを削ったツケは、わたしたちも含めて大きく被ることになるだろう。
メーカーには自明なことであるが(一部わかってない経営者や管理者はいるが)、商いが大きくなってくると、企業の維持存続にかかるコスト(ヒトモノカネ)は、かなりを見積もっていなければならないのである。とくに安全と品質に関する信頼性保証は大切なのである。え?私ですか?今、企業で信頼性保証の仕事をしています。奇遇ですねえ。何かの縁ですから、給料あげてくださいよう。
日本も外資と同じようになってきたが、この10年足らずの間に、製品の不具合とかのオペレーターサービスが完全に自動化されてきたもんね。 昭和から生きてるから、昔の日本のきめの細かい対応を知ってると、なんて不親切なんだ。って、最初は腹も立ったよ。 けど、少子化で人材いなくなる一方だし。まともにやってたら人件費かかりすぎて収益を圧迫しかねないもんねえ。ただでさえがめつい人たちってとこは置いとくにしても、他の面でユーザーにメリットを与えて満足を与えることを考えた方が利口なのかもしれない。 だけど、さっきのように製品やシステムに纏わるほんとの害悪を見過ごしては駄目みたいな。 どっかで今日書いたけど、営利のみを追求しすぎると、そこには悪がはびこるか、害悪そのものになったりしやすい。 バランスが難しいよね。
まあ、綺麗好きの奥さんの話を参考にすると、汚れ(問題)は、軽い汚れ(問題)の内にこまめに拭き取るのが1番楽なんですよ。 こびりついたら大変。なかなか落ちないし、最悪、もう綺麗にならない。
私の話は示唆に富んでいるので、沖縄ではシーサーと呼ばれ屋根に飾られています。 ぜんぜんワシchatGPTの中の人できそう。
たまたま今奥さんと話していたことだが、続けることが最大の才能である。 こうしてわけのわからないことを毎日のように書き続けるわたしは、才能のかたまりなのである。 何かください。
どうしたって歳はとっていく。できないことは増える。それを受け入れて、できるだけ健やかに生きていくしかない。歳をとるとできることは限られてくるので、ある意味、生きることはシンプルになる。
わたしが抱える問題の多くは色んなことがわかりすぎることに起因している。博識というより、ものごとのアウトラインとか、どの立場からその発言が出たのかなど、状況の理解に長けているのである。と少なくとも自分で思ってる。というか、外れて困ったことがあまりない。わからないから悩んでいるのではない。わかりすぎて、なんでわたしがその答えを出したのか、人の理解が追いつかず苦労してきたのである。馬鹿に馬鹿にされたと怒る馬鹿は世に多くいるが、わしの場合、まじでそれ。なのである。
別に話がわかる人の言うことを聞かないわけじゃないし、むしろ聞いてる方が多いし、大抵のことは建設的に対応する。 馬鹿の言うことを聞くのが嫌いなのである。むしずのはしるほど劣悪な考えを無理から押し付けられるのがたまったものじゃないのである。それでも若いうちは善処してきたが、結局馬鹿は直らないので、いつかリミッターを越えて関係は不全となるのである。必ずと言っていいほど馬鹿はリミッターを超えてくるので、ある程度の年齢になってからは、善処すらしない。時間がもったいない。ほんまに馬鹿はおそろしいのである。
馬鹿に馬鹿って言わず、はいはい。と何なら笑みを浮かべながら命令を聞く別のタイプの馬鹿ばかりで、そういうやつらしか上に上がらないので、日本社会はこのていたらくなのだ。どこ見渡しても。全滅。 思春期の子供に反抗され家庭崩壊するがいい。糞が。 王様の耳はロバ耳的なことをズバリ言ってみそ。のコーナーでした。
わたしは根がのび太くんなので、学生の頃までほんとにのんびりしていたし(父親は経済観念がしっかりしていたし、母親は働き者の上、私が遅くに生まれてきたのもあり甘やかされて育った。うちの母親過保護だよなあという自覚を持ちつつ子供時代を過ごした)、勤めだしても私は世間知らずというか今と違い人間の嫌らしさに疎かったし(仕事はブラックだったが)人生に対してものほほんとしていたので、時に流されていたら、何もかもがギリギリになってしまった(結婚もマンションを買うのも遅かった)。まあ、昔から宿題は夏休みの最後にやるタイプで、やればできちゃうのが裏目に出て、なんでも早くやるクセがついたのはいい歳をしてからである。てなわけでいい歳をして金銭的には自転車操業の毎日なのだが、染み付いたのんびり感というのはすごいもので、全然のんびりゆとりがあるように見られていたらしい。オチはない。
若い頃は悩みもしたけど、オッさんになってからは悩んでるわけじゃない。 奥さんと出会った頃、彼女はよく、悩んでも時間の無駄。その時間に解決法を考えた方がいい。というようなことをよく言ってたんだけど、ほんとにその通りだと思う。 今の私は悩んでいるわけでも、解決法を全く思いつかないわけでもなくて、それでもいかんともしがたいことだらけじゃねえか今畜生(こんちくしょう)時代の長いトンネルを抜け、いかんともしがたいことに執着してもほんとにどないもならんので、いかんともしがたいことはポイ捨て時代のステージに立ったところであります。 まあ、断捨離というか思い出の品を処分するのが苦手な人間だったんだけど、そろそろほんとに良いものだけを残していきましょうと。そういったところです。報告は以上です。
ものごとがうまくいくかと言ったら、そうそううまくいかない。下手をこかそうという方向にイベントは起こるものである。うまくいかすには、失敗の予兆に気がついたら、ことごとくその芽を潰していかないと、ずるずると時間は過ぎていくし、手を打たなければ当然うまくいかない。うまくいくとしても、フィードバックが返ってくるまで相当待たされる。何なら数年など軽く過ぎる。思ってるのの何倍も時間がかかる。
チャンスというものは、現れてもすぐに通り過ぎていってしまうくせに(準備してなければ、闇雲にチャンスは過ぎていく)、果実として受けとるのは、受け取れたとしてもずっと先。
他の人がどうなのか、他人の人生を経験したことがないので知らないが、わたしの体感的にはこの通りである。
ものごとはうまくいかない(ようにものごとは起こる)と思っていた方が、一喜一憂しなくてよい。
全部すぐにリターンが返ってくる人もいるかもしれないが、それはその人が果実を手にする構造を既に築きあげ済ということだろう。恐らく道筋をつけてしまえば、起こるべくして来たるべきものはやってくるのかもしれない。その道筋ができないと、ものごとがうまくいっても暮らしは厳しいままである。←イマココ
まあ、若いうちに成功しないと、ものごとをうまくやっても見返りが返ってこなくなってしまうのが、日本社会というか人事評価制度の構造的な欠陥である。なぜ会社に役職があるかというと、給料の違いを正当化するため。と言っていた漫画もある。大器晩成という言葉があるが、日本社会はこのタイプはワリを食いやすい。若いうちに上に上がらないと昇進のレールから外されたりね。ゆっくりと育った者の方がより仕上がりは良かったりするのにね。
後悔先に立たず。という。不注意による事故もそうである。めんどくさくても、アクシデントの芽は摘んでおかないと、ある確率でアクシデントは起こるのである。 確率には、人間の都合など関係ないのである。 これも、世界は当たり前のことしか起こらないという話と、根っこが同じ話である。
わたしは子供の頃から平均より体力がなかった。まあ若いうちはそれでもそれなりに活動的な生活になるのだが、特に中年以降抗わずに身体的な楽に流れすぎたので、今すべて裏目が出ている感じである。 ほんとに健康とか肉体的なことだけは、人生って伏線回収してきよるので。
多くの若者は健康であるし、体力もすぐに回復しやすいので意識しないだろうが、歳を重ねて思い知らせられるのは、生活にまつわるすべてのことに、もっとも役に立つのは予防である。 もちろん健康も。住まいを清潔に保つことも。財産形成も、何なら人間関係も。日々、ほっといて悪化しないような取り組みを生活習慣にできたら、QOLを向上できる。 わたしは(ほんとうにめんどくさがりで)苦手できたので、逆にその大切さがわかる。 ほんま悪いことが起こらない状態をキープするってことが、最上のリスク回避策になるし、最上のコスト低減策にもなる。医療費など、余計なコストがかからないし。何なら備えをするよりも有益なことである。いくら備えをしても生活を不安視する人もいるが、気苦労するより健康であったら働けるし。
もう歳とると、エロも絵的にエロいか、或いは単に惰性で見てるかになりますね。暇ですし。まあ、もうこの世に真にエロいものはないと達観するほどでもないんですが、そこまで魅力を感じるとしたら、逆に人間的な魅力が透けて見えてるか、魔物がついてるか、どちらかって気がしますね。こういう話をどうでもいい話といいます。
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誰かが言ってたけど。 毎日は続くけど、同じ時間は2度とない。
人生損しないには目利きが大事である。 気の利いた暮らしができるかというのもそうだし(金はあっても趣味の悪い人はいる)。 期待してガッカリするのも目利きが利いてないのである。 世間はコスパコスパ言うが、目が肥えて無ければ結局安いものをつかまされるのである。 まあ安いもの(市場価格というより絶対的に質の低いもの)で満足しているならそれはそれで良いのかもしれないが。 まあ、味覚の話に通じるものがある。
京都三条の京セラ美術館で村上隆展観てきた。圧倒的作品群でとても充実していた。 涼しいうちにと思ってたんだけど。暑いわ。夏の雲みたいなんでとるやんけ。
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令和的なアートの一つに一見調和されたデザインや色彩の中にグロテスクなものが描かれているスタイルをよく見かけるように思うのだけど、この時代に対して感じるリアルがそれってことなのかな。
流行というと、すごくダサいものがトレンドになったりするので、全く流行としか言えない面もあるのだが、美しさみたいなものには、例えば黄金比みたいな(人が美しいと感じてしまう)なんらかの法則みたいなものがあって。 そこを表現するのに、例えば、最低限の構成要素とはなんだろう? 或いは、そこさえ押さえていれば、芸術なのだろうか(芸術としての価値に見合うものだろうか)? 思いついたことを速記しているだけなので、答えはない。
あのアイドル可愛いのでその音楽を聴くという文化が私の中にはない。
その音楽を良いと思わなければその音楽を聴かないのが私の文化である。
例えば音楽を引き合いに話をすると。
その人がどんな音楽を愛しているか。もちろん感性がシンクロするのは楽しいが、趣味が一致しているかは、わたしにはあまり重要ではない。
むしろ、その人が音楽を愛しているということ自体にわたしはシンパシーを抱くのである。
音楽だけではなく、わたしは全てにおいてこういう感じ方をする。
大成功をおさめた人の話を聞いていると、紆余曲折の末に、手持ちのカードを全部使って特異点を超えたのかな。という気がしている。 特異点を超えるまでは、鳴かず飛ばずなのだ。ここでめげたら成功はない。
基本、誠実であることは好ましいが、時にはかわすテクニックも身につけないと、疲れてしまうぞ。
- のび太(そんなこと言ってない)
有名になったり、金持ちだと知られると、騙したり利用しようとする害虫みたいな人たちがわいて、とてもめんどくさそうである。 ひっそりと2兆円ほしい感じである。 どの道現実味のない話ばかりしている。
自分のコピーを量産しようとするタイプ(生きる目的が自己の拡大であるやつ)とは距離を置く。
わたしは自分のコピーが欲しいわけじゃない。 興味深く、愛すべき隣人がほしいだけである。
踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆より踊らす阿呆になった者が利口なのである。
音楽情報はまたどこかでまとめます。それでは、ばいなら。
補足すると、リアでは、馬鹿に馬鹿というのはあまり賢くなく、アウトプットに対しnoな点を伝えるのが常套手段である。関係を壊したくない場合は、noを言うのも一旦話を受け入れるワンクッションを置いてからが良い。