つぶやき2020.8.24-8.30
ツイッターする前って何か思ってもしばらく経つと忘れたじゃないですか。
それがツイッターに書くと書いたそばから忘れますね。
あ。同じ?忘れる速度速くなってる気がするけど単に歳ですかね?
けど脳みその代わりに記録されてるんですよね。しかも他者から見えるとこに。
考えたらヘンテコですねえ。
ツイッターというのは私にとってみればコミュニケーションツールでは無くて。
外部とも接続しているオープンスペースに脳の代わりに記憶を保管しているというのが私の使用目的であって。コミュニケーションは設計上それもできるから時折気まぐれでしているに過ぎない。
したがって擬似的な脳みそに不要な情報は要らないので気に入らないものは秒でブロックする。
猫総理ムーブメントが巻き起こっている。
日本の首相、メルケルさんに帰化してもらいたいなあ。
あんま信用できる日本人おらへんで。
そんなんだからあの人が最長なんやろ。
まあ。安倍くん。安倍くんの人生はこれからが本当やと思うで。
悪い方の行動力がある総理が選ばれませんように。
よしなにやってよ。
辞める時くらい足向けんと花向けろくらいには思うで。
責任に対し力不足だったと思うけど。
ただの人間としてみたらお疲れだと思うよ。
切り替えて、法治国家としてグズグズになっちゃったの何とかしようや。
三本の矢も三本目どっかいったままだ。
何となく現状が続いてるだけで国の問題何一つ解決してないからね。
じいちゃんへのコンプレックスで総理してただけだからね。
安倍さん人間としてはお疲れ様だけど、一国の総理としては、やめてくれてほんと良かった。
問題先送りだけでここまでこれたんだからそれはそれ。
ハッピーエンドでいいじゃん。
これからだよ、大変なのは。
つけは全部残ってる。
仕切り直してちゃんとやりましょう。
私は結構自分のことを棚に上げますが、総理大臣でも社長でもやったらできるんじゃないかな?
って思うんですよね。
私的には、大臣や部長の方が難しい。
知らんけど。
いつまでも文句言ってるところがこの世の野党的なものの万年野党感やねんな。
そこが嫌われとるから勝てないということがわかってない。
ディベートはしなくちゃいけないけど、しょうもないことまで批判して足元救われるというか茶の間もこけるねん。
右とか左とか見てないでちゃんとして。
けしからんと言っている人間のほぼ全員がけしからんことをしている。
嘲笑することによって何もしない自分を肯定したいだけの話。
何故そうするかと言うと心の底は何もしない自分がほんとは気にいらないから。
気にいらないのは本当は自分のことなのに自分の非を認めたくなくて他人を攻撃している。
安い肯定感。そんなんで本当に満足できるわけないからいつも不機嫌。
変わったのはバーチャルみたいな仮想現実みたいなとこだけ。形式的なコミニュケーションと上っ面の更新。何も変わってないのに変わった気になるものだけアップデートされていく。少々人は器用になったかもしれないがそれ以上に不器用になったことの方が多いだろう。
頭でっかちで。誰も変わりたくないのだ。経験のない努力をしたくないのだ。何も新しいことをせずそのままが続いてほしいのだ。そのままじゃいやだと思いながら。見えない未来が不安で怖くて。
そして現実には先細り自由や豊かさが失われていく世界をバーチャルに良い世界だと思いこんで生きるのだろう。
「人間」と書いて「せこい」と読む。
口でいくら卑屈なことを言おうと100%の人間が自分のことを棚に上げている。
ほら。高い高い。
どうせなら調子に乗ればいいのに。
周りを楽しくするような感じで。
俺すごいねん。
どうしよ〜。
つってた方がかわいげあるで。
そっとしとくけどな。
どうせ年をとるなら、陽気な笑いでこの顔にシワをつけたいもの
他者を認めないというのは己の世界を狭くするということになるのだ。
つまらんやつが仕組みを作るとほんとに社会がつまらなくなる。
世界(了見)が狭い人が仕組みを作っちゃほんと駄目。生活(人)が死ぬ(生き生きしなくなるということも含めて。)
真面目で、かつ、楽しく愉快な人(ほんとに人間らしく生きている人)が仕組みを作ってほしいと思う。
みんな自分の狭い世界だけで生きてちゃ駄目なのは、そんな人ばかりだと、ほんと狭い世界になるよ。
狭いあんたの世界を押し付けると、あんたの狭い世界も、もっと狭くなるんだ。
自分の世界を殺せと言っているんじゃない。
俺が思う世界はこうだって言えばいいじゃない。
同じように別の人が思うその人の世界をそうなんだって聞けばいいじゃない。
賛成や反対も自由だけど、あんたが世界をどのように思ってもいいように、他者にもそれを許せよ。
そっからだろ。
ちょうどいいとこみつけてルールを作るのは。
人間てやつはいつも順番が違うねん。
わかってほしいって。泣き叫びたいくらいの気持ちなのは。たぶん。大人も子供もみんな同じなんだよ。その根源的欲求をどう消化し昇華しフィルターを通して人に表現し振舞うかっていうのが人の中で生きていくことと言い換えても良いと思えて。それは他者からみたその人自身と言い換えても良いと思えて。
恋ってのは、それはもう、ため息と涙でできたもの
私は誰よりも気が長く誰よりも気が短い。
例えば。許すことも殺すこともできる。
同時に自分の運命も許されるか殺されるかの幅でものごとを考えている。
プロは飯食えなきゃプロじゃないってのはわかるな。
うちの奥さん、例えば、料理作っても、薔薇を育てても、インテリアコーディネートしても、それはもうすごいんだけど、それを仕事にすることに彼女の納得がいかないからしない。一流としてやってく絵が描けなきゃしない。
俺も同じような或いは全く逆の思考から勝てない勝負はしなくて。食ってかなきゃいけないから、プロになるなら最強のアマチュアになってから転身するな。それまではサラリーマンようやめんわ。
いきなりプロとして自分を磨いていく覚悟の人はそれはそれでいいぞと思うんだけどね。
それもまたできる人とできない人がいる。
自分がどういう人間かによって歩み方は決めるべきで。
同じ人でも年齢とか、年齢じゃなくても精神的かつ肉体的な若さにも左右されると思うな。
努力が実を結ぶのにはとてつもない時間がかかる。
だから地道にコツコツとやんなきゃいけない。
ほんとはみんなわかってる。
今の自分に力がないことも。
そこで地道に少しでも始める人とやらずに人を笑うことで誤魔化す人がいる。
そしてその差は数年後もっと開くことになる。
秋刀魚が不漁らしいな。
天候的なものもあるだろうが、そもそも、日本人も、中国人も、しこたま獲りすぎやねん。
昨日テレビでやってたけど、足りる(食べる)分だけ獲る沖縄の人を見習えよ。
豊かっていうのはそういうことだぞ。
台風に海ひっかきまわしてもらわんとなあ。
大切なことが何一つわかってない大人ばかり。
うちの会社なんてほんまどうしようもないと思う。
例えばどういうとこがどうしようもないかというと。
通常私はバス通勤なのだが、そこそこ大きい会社なので、駅までの送迎バスが何本かある。
たまたまタイミングがあった時だけ利用させてもらうことがあるのだが。
駅に着いた時、ドライバーの人の方がありがとうございましたと言っているのだが、乗っている人は、老いも若きも、私以外ありがとうございましたとは言わず、当たり前のような顔をしてバスを降りていく。
道徳心がどうとか言わないが、心が無いし、気持ちよくない。
うちの会社の人たち、きっとまだ童貞なんだと思う。
人のこと。ださいとかださくないとかいうのはあれやな。
その人が。かっこつけたい。とか。ええかっこしたい。とかいうのが。ほんまにかっこええ。とか。愛すべきこと。とか。ほんまに思えるかどうかってことやな。
これもまあ共感とかシンクロ率の問題であって。
頭の回転の速い人って。相手に共感したから相槌を打つとは限らなくて。相手の話を聞いて。そこから発展した自分の考えに相槌を打ってるって場合があるかもね。
良し悪しでは無く特性として。
あ。エアリプです。
共感力っていうのは、どれほど相手の立場を思いやれるかという主観の問題である。
主観がしっかりしてない人が他人を救えるわけがない。
みんな褒められたいか?
わしは微妙。
わしの母親は褒めすぎる人なので変なことで褒められるとそうでは無いのにと思う。
わしの奥さんは友達は褒めるがわしのことは年に数回褒めるかどうかなのでご無体ながら料理は上手いし愛のある人だと思う。
こんな褒められることに贅沢で余裕があるのは人生の褒められ総量が足りてるから。
だから人に褒められようが褒められまいがほとんど気にしていない。
だからいいねの数とかほんまどうでもいい。楽。
楽だぞ。みんなもっと褒められるといい。
だからわしは褒められるより褒める人生を選択している。
けなすのはけなすのもけなされるのもあんまり良いことは無い。
どうしてもけなしたいときはけなすこともあるかもしれないがけなしたぶんのダメージは自分も受け取るもんだって覚悟した上の方がいいぞ。
人を憎んで罪を憎まずって人。
結構な割合でいるよね。
つまらないものしかないとしたら見せかけで儲けようとするものしか目にしないからつまらないものばかりになるんだよ。
つまんないのをつまんないっつっててもいつまでもつまんないままで。つまんなくないものを作ったらいいのだよ。大したことじゃなくても。例えば紙と鉛筆をもって。
一人で見る景色と誰かと見る景色は、景色自体は同じであるかもしれないが、違う景色に見えるのかもしれないね。
今テレビで作る、わかる、なおすは違うって言ってたけど、総合できなきゃ役には立たないね。
仕事はね。
減らそうとするほど良い仕事ができるのだよ。
そして減らそうとするほど忙しくなるのだよ。
私はずっと先を楽にするための仕組みを考えている。
それに忙しくていつまでも楽にならない。
先って未来ね。
かもさんのいう優しさが優しさなのかはわからないけどかもさんのいう優しさについてはすごくわかるな。
特に仕事なんかは僕も最適解を探しているだけで。とすると優しい仕事をしていることになるのかな。
仕事抜きにするとちょっと違うかな?相手の希望重視かも。自分のことは自分で勝手にやるから。
わしは50より40の時の方が仕事はきつかった。体力は逆だが。
仕事の量や質がどうかというと今の方がいい。
なんでかというといらないものが見えていらないことをしなくなるから。
若いうちは迷いながらうまくいかないことばかり。けれど試行錯誤を繰り返していたら最速で最適解がわかるようになるよ。
ここはずっと歳が変わらないパラレルワールド
10代20代はかっこつけて読んではみたけどよくわからなかった本てたくさんあったな。
読んだという記憶しかない本たち。
もう一度読んでみたい気もするし、読まなくてよい気もするし。
ぜんぜん知らんけど絵に力あるし面白そうだね。
俺が20代だったら飛びついてる感じの。
チェンソーマン
たぶん自分が卑怯という自覚が無いからそこまで卑怯になれるんだと思う。
卑怯な人ってわかってて卑怯な人と自覚が無い卑怯な人がいるから。
逆に言うと、卑怯がわからないと、卑怯ではなくならない。
辛酸を舐めたことが無い人は無自覚に残酷なことをしていると考えた方が自然。
右の頬を殴られたら左の頬を差し出せと右の頬を殴らせて正当防衛でぶち殺すの間のレンジで生きている。
人生は思うがままであり思われるがままだ。
このことと人生はままならないということに大きな違いはない。
正義は正義でもってるのは別にいいんだけど。
悪に加担しないのと同じくらい僕は人の正義からは距離を置く。
人の正義って別の誰かからは正義じゃないしね。
正義は主観だから。
僕は正義そのものより正義の裏側や背景、正義がどこからやってきたか正義の上位概念みたいなところをみてるのかもしれない。
みんなもっと自由に言いたいこと言えたらいいね。
自由にいいたいこと言える人って言いかたがうまいんやで。
言葉をちゃんと使えるから言いたいことを言っても失礼にならない。
言葉をちゃんと使えないと言いたいことも言わずに抑えても人は感心をよせない。
言いたいことを飲み込むより言葉そのものを大切にした方がうまくいくんだよ。
鶏が先か卵が先かみたいな話だけど、言葉を大切にしてたら、言っちゃいけない言葉や、逆に伝えなきゃならない言葉もわかるようになるんだ。
どうにもわからんちんはおるからそういう人には余計なことは言わないけどね。そんな人の人生を一部でも自分に取り込む必要はない。
仕事とかで仕方のない時もあるけど。最小限でいい。単に仕事の付き合いだから。笑顔で心の中で死ねって言っておけばいい。
マイナスな人をプラスに変えるのはなかなかに手こずるから、それよか総和がプラスになるくらいの人を見つけて大切にすることだね。
この世界には馬鹿のための馬鹿な(頭の悪い)コンテンツもあるのだな。
需要と供給がマッチしてるんだから存在しても仕方がない。
人をバッシングしたい腹がすけて見えるような記事は好みではないのだが当たり前に世の中にそれが溢れていることを始皇帝でもない朕はどうすることもできない。
せめてお互い干渉しないようにしましょう。
目に触れないように
ブロック
ブロック
ブロック
普通の人って1日の何%くらいがおもしろいんやろ?
私は面白さに対する感度が低いんやろなあ。
ほんまにおもろないとおもろくない。
おもしろさに飢えとんやろなー。
おもろいもん見つけると飛びつくもんなー。
地味にやけど。
ふつうの人がおもろいゆうもんには飛びつかへんから独自基準やしなー。
何なんやろなー。
縦軸と横軸に調和と違和感をプロットしたら傾向見えてくるんやろか。
自分の倫理観がどうやって身についたかようわからんなあ。
親の影響は絶対あるやろけど。
こんな感じなので私は学校を卒業してから誘い誘われというのが一般的な人に比べ極めて少ない。
サラリーマンより商売をしている人と話す方が楽しいので、気に入った雰囲気と人のお店に金を出して(時折商品を買って)その人の時間を買うのがスタンダードだ。
その方が気兼ね無く話ができる。
その内、客とプライベートの間のフラフラした関係性ができあがる。
逆におごってもらったり。
レコ屋さん。飲み屋さん。美容院。雑貨屋さん。みんなそう。
奥さんも元はそれ。
変わっているのだろうか?
私には逆にこういう関係しかない。
ところでいのちの輝きの話はもういいのか?
日本人の消費速度の単位はマッハやろ。
古い靴を処分。
これは前にアディダスのサイトでスーパースターのカラーリングを自分で選べるのがあって作ったやつだけど、もう履かないもんなあ。
そういえば靴と言えば90年代はエビスジーンズのオレンジの発色が綺麗なローファー履いてたけど、画像検索すらもう出てこないな。
あとPATRICK COXはよう履いた。
私はモノへの執着心が強い方だと思う。
一つは素晴らしいと思うものをほんとに素晴らしいと思うこと。
限られたお金の中でそれを選び買った喜び。
そのモノたちと過ごした時間の記憶。或いはそのモノにまつわる愛すべき人たちの思い出。
というのがほんとに愛おしいのだ。
その割に放っておいたり粗末に扱うからタチが悪いとも思っている。
梅田に出たついでにあまりにも何でもない写真を撮った。
今日も日差しは暑いけれどわずかに吹く風に少し秋の気配を感じる。
景観の良い土地になかなか出られないのでほんとに何でもないものばかり写している。
美しくない土地に住んでいると何でもないものに時折垣間見える調和を探し出すより他に無いのだ。
それはそれとして美しい土地を訪れたいなあ。
今日の消しゴム版画
《ひまわり畑》
かつお(仁科勝介)さんの写真集を買いました。図書カードで。
かつおさんの写真は色彩感覚がすごいんだけど、鮮やかさの上に穏やかさと優しさのフィルターがかかっている感じで。
それは技術的には彩度を調整しているのもあるんだろうけど。
かつおさんが特別なのは暮らしを見つめる目なのだと思う。
新生姜といえば、母親が毎年酢漬けを作っていて、これが美味いので、時々送ってもらう。
今夜もカレーライスの付け合わせにいただいた。
新生姜の酢漬けのレシピが無かったので、母親のピクルスの漬け方をアップ。
そういえば人生に久しくピニャコラーダ的なものが無いな。
ちる
はっきりいって たいくつだ
だつくいた てっいりきっは
らしんのすけだ
奥さんには話すほど変な人だと言われます。