くそオヤジに捧げる記事
父親は生前、イヤというほど私の人生をかき回し、最後までやりたい放題の人生を生きた。
一億を軽く上回る借金を残し、私と一度も向き合って話をすることもなく、世を去った。
人望溢れる母親の時と違い、父親の葬儀は何となくの雰囲気の中で始まり、何となくの形で幕を閉じた。
亡くなってからも父親の幻影に20年近くも悩まされ続け、ようやく彼のことも冷静に振り返れるようになっている。
大阪の宗右衛門町のとあるビルに、ある洋食屋さんがあった。今はない。
コキーユだかなんだか、名前はおろかどんなものだったのかさえ思い出せないほど、その記憶は覚束ないが、確かにおそろしくウマイ洋食がそこにはあった。
そこへ、父親がわたしを二度ほど連れていってくれたことがあった。それは確かだ。
父親との会話は相変わらず成立しなかったけれど...。
厳しい親子関係で、心を通い合わせることもままならなかったけれど、それでも確かな繋がりをいまだに感じている。
その忘れられない味とともに...。
くそ親父...いや、お父さん...いろいろあったんだね。いまなら、わかるよ...。 ......
オレは、自分の息子たちと話を一杯してるよ、毎日のように。
おれが、新しい時代をつくるから。見てて。
もう苦しまなくていいから。もっと自由でいてください。
人生そんなに悪くない
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