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【緊急事態日記7】宣言から36日、晴れ

5月12日(火)、35日目。

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AM7:00、起床。今日も良い天気。朝ご飯はトーストにマーマレードとリンゴジャムを塗ってコーヒーで食べる。

AM8:00~17:00、在宅勤務。午後にリモート会議が立て込み、子どもの相手ができないので、午前中は近くで勉強させながら、業務をこなす。

学校から休みの間の自宅学習の進め方が配られており、それに沿って「こくご」「さんすう」「しょしゃ」をやらせる。ひらがなをなぞったり、数を数えたり。褒められると、子どもは「簡単だね」とか調子の良いことを言ってよろこんでいる。朝顔の鉢植えもそろそろ始めないとな……。

昼ご飯はチャーハン。テレビで有名シェフのまかないの作り方をやっていたのを思い出し、これも一緒につくる。子どもにボウルに卵を割って入れてもらい、具材とご飯も入れてもらい、混ぜてもらう。それから焼くと、家庭の火力でもパラパラになるらしいので、本当かなと話しながらやってみると、確かに! 卵が行き渡ってる!! と話しながら、おいしく食べる。

午後はリモート会議で、しばらく子どもにテレビを見ていたもらう。画面からの距離2㍍のところに設置された定位置に、自ら座るので、えらい! とかほめて会議に入る。実のある会議ができた。

次の会議までの休憩におやつを一緒に食べ、もう一度会議が終わると夕方だったので、急いで子どもを公園に連れて行く。

小一時間ほど遊ばせ、帰宅。郵便受けにマスクが届いているのを見つける。差出人なし、厚生労働省の説明が入っているので、これが噂のアベノマスクかと思う。

実物らしきものをまじまじと見たのは初めてだし、アベノマスクと書いてあるわけもなし。だからというわけではないが、自分でアベノマスクと書きつつ、ネットを見て、今日が看護の日であったことを知る。ナイチンゲールの誕生日なのね。

献身。もさることながら、

戦時下に統計学を使って看護師の役割を浸透させた戦略家

って個人的に思ったりするんだけれど、それは置いておいて、税金が使われているマスクなのだから大事にしようと思う(税金の使途のあり方の是非もまた置いておいて)。

そして、医療関係者に感謝しよう。

おそらく人生で一番まじめにそう思った。

晩ご飯はオイルサーディン、トマトのパスタ、枝豆の塩ゆで、残りのボルシチ。

AM21:00就寝。子どもが「今日はお仕事終わるまで退屈だったよ~~」と言いながら寝るのを見て、「ごめんねえ」と心の中で反省する。

5月13日(水)、36日目。

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AM7:00起床。晴れ。

コーヒーを飲み、8:45~17:00、在宅勤務。

10:00からZoom会議。この日はなぜかよくフリーズしてしまい、退出・参加を繰り返す。なんでだろう? 話し合いが進んで「そのまま分科会形式でやろう」となり、こんどはSkype会議で会議。こちらは落ちなかったから、参加人数が多すぎるとかの問題なのか、それともZoomの問題なのか。結局分からなかった。しかし、週内に資料を提出することになり、あわてて取りかかる。

子どもは午前中、勉強に室内体育で遊び、公園へ。一人の時間ができたので、淡々と仕事をする。

今日で緊急事態宣言から36日。39県は今日、自粛解除になる。

47都道府県のうち、39県だから、8府県。人口動態、感染者数の多さ、からして首都圏と近畿は持ち越し。もっともな判断だ。とはいえ、自粛解除の流れができたから、緩みも出るだろう。まだ8もある(から気をつけよう)なのか、あと8しかない(から大丈夫だろう)なのか。

人間の行動心理的には後者だろうなあ。でも、ウイルスに県境なんか関係ないから、緊急事態と緩和の緩やかな繰り返しがしばらくは続くのだろう。自分としては解除組ではないので、身も心も前者の立場であることを自分に言い聞かせようと、「47-39=8」と書く。

晩ご飯は営業を再開した近くのイタリアンのチェーン店でピザをテイクアウト。マルゲリータ、クワトロフォルマッジとバジルのハーフ&ハーフ。粉末してイチゴタルトにチーズスフレ。

22:00、就寝。

5月14日(木)、37日目。

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AM8:00、起床。今日も晴れ。朝ご飯はコーヒー、トースト。

9:00~17:15、在宅勤務。今朝はなんだか体がすっきりしない。

子どもに時間割通り、こくご、さんすう、朝顔の種の観察をやらせる。夏休みは2週間とか言われている。授業日数が足りないから、休校中の家庭学習を授業カウントするってことなのだろう。学校からのお願いが増えていて、こちらもきっちり子どもにやらせることにした。子どもの頃に伝記で読んだエジソンの家庭のようだ。

観察では「知らない人が読んでも分かるように書くんだよ」と教えると、しばらく考えてから「思ったよりも種が大きかった」「形が面白かった」とか書いていた。

「かまぼこみたい」と言ったので、「そういうみんなが知っていそうな言葉を入れるともっと伝わるよ」と言ったけれど、気持ちがもう切れていたようで、書かずに終わる。残念。

休憩時間を早めに取ることにし、子どもを連れて買い物に出る。

よく行く喫茶店が持ち帰りのみの営業を再開していたので、久しぶりに寄る。子どもはここでスコーンのおいしさを知った。この日も相変わらず、最初に食べたチョコとクルミのスコーンを選ぶ。それから「枝豆とかお茶とかそういう季節だからなあ」とか思い、ずんだとクリームチーズのマフィン、ほうじ茶とクリームチーズのスコーンも買う。

在宅が1カ月を過ぎ、季節に敏感になりたいのかもなあ、とか思う。しかし、やはり食い気が先に立っていたようで、ついでにサンドイッチ屋に寄った。こちらは今月いっぱい休業の張り出しがあり、がっくり。別のパン屋でミックスサンド、クロワッサンを買って帰り、お昼ご飯に子どもと食べる。

午後はZoom会議、業務。子どもはなぜか最近、「鹿男あをによし」にはまっている。鏡やガラスに映った自分の顔が鹿だったり、鹿と狐とネズミというしりとりで最初に覚えそうな動物が出てくるところだったり、あるいは鹿がしゃべったり、が面白いらしい。

「鹿の運び役と使い番は出てきたけど、狐の使い番は出てこないのかな」

とか、画面を見ながらつぶやいている。こちらもつい、「そういえば、出ていたっけかな……?」とか手が止まりそうになるが、1話も見れば公園に行きたがるのは必定。

なにせ、新聞紙をまるめて鹿男で見た剣道のマネを始めるので(その場面が放映された回を見ている・見ていないに限らないところがザ・子ども)、おやつにほうじ茶とクリームチーズのスコーンを食べ、早々に公園で遊ばせる。

しかし、近所の子どもたちも似たり寄ったり。今日は缶蹴りの缶の代わりにボールを使ったかくれんぼ。遠慮知らずで、十数回連続で鬼をやらせてくれた。

燃えたよ、燃え尽きた、真っ白にな・・・。

休校に在宅。子どもに勉強を教え、遊びに連れて行く。親は「あしたのジョー」のセリフばりの日々だけど、コロナがなかったら、こんなに濃密な親子の時間はなかった。ありがたくもあり、でも、やっぱりちょっと変わった月。良くも悪くも忘れがたい。そう思って皐月と書く。

晩ご飯は鶏手羽、鯛出汁のお鍋。

22:30就寝。

5月15日(金)、38日目。

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AM7:30起床。晴れ。コーヒー、昨日買ったずんだとクリームチーズのマフィン。

8:15~16:30在宅勤務。午前中、子どもはプリントと工作。こちらは休憩時間に歯医者。お昼ご飯は豚キムチ丼。

午後はテレ会議と資料づくり。読売書法展の延期発表を知る。毎日書道展も延期だし、作品の審査に人が集まったり、展示で人が集まったり、というイベントは軒並みコロナでストップ。緊急事態宣言解除で外出自粛でなくなっても、準備もなく展示したりできないので、美術館も含めてめどがつかないだろうなあと思う。

おやつにチョコとクルミのスコーンを食べながらニュースを見る。ここのところ、コロナを除けば検察庁法改正に関することが議論になっている。

「なんで他の公務員と足並みがそろっていないんだろう」とか「それが最優先事項なのか?」とかつっこみどころはたくさんあって、個人的には、不自然な話だと思う。

でも、思想的な主張も、時代錯誤とまでは言わないけれど、批判の仕方としてクリーンヒットとまでは刺さってこない。抗議した人は本当に多いのか非議論も今ひとつピントが合っていないと思う。運動によるかさ上げがあったとしても、問題視されていることそのものが相殺されるわけではないし。

そこで

という記事を読む。

巷で起きている批判はどちらサイドからのものであれ、間違ってはいないが正確とも言い切れない、ということのようで、問題はあり、解消されていないこともうかがえる。

どう自分なりに捉えようかと考えて、ふと、今日が五・一五事件(1932年)があった日だと思い出す。

Web歴史街道の「今日は何の日」にはこう書いてある。

その日は日曜日でした。76歳の犬養首相は首相官邸におり、高齢ながら医師の診断を受けても健康そのものだったようです。午後5時30分頃、首相官邸に乱入した将校らは、警備の警官を銃撃し、食堂にいた犬養のもとに殺到します。そして一人が引き金を引きますが、弾が装填されておらず不発。犬養は慌てずに、一同を応接室に案内しました。自分の考えを、いま日本が置かれている状況を踏まえて説き聞かせる気だったのです。ところが将校らは「問答無用」とばかりに犬養の腹部と頭部を撃ち、立ち去りました。女中たちが駆けつけると、犬養は「撃った男を連れてこい。よく話して聞かすから」と、最後まで言論で説得しようとする姿勢を見せます。しかし傷は重く、日付が変わる前に絶命しました。丸腰の老首相を武装した軍人が射殺する、紛れもないテロリズムです
しかし、なぜ青年将校たちはテロに走ったのか。それについては、当時の日本と世界の状況を客観的に見る必要があります。3年前の昭和4年(1929)、ニューヨークの株式相場が大暴落し、世界恐慌が始まります。衝撃は日本をも襲い、翌年には「昭和恐慌」と呼ばれる大不況に陥りました。その最中に、ロンドンでは海軍軍縮条約が結ばれ、海軍軍人の政府に対する不満が募ります。一方、満洲では中国国民党の妨害とソ連の暗躍で権益が脅かされ、昭和6年(1931)、状況打開のために関東軍が満洲事変を起こしました。我慢を続けてきた日本国民は、これに喝采を贈ります。さらに国内では、飢えに苦しむ貧しい農村で娘たちの身売りが日常化していました。そうした背景の中で、国家社会主義ともいうべき思想が蔓延します。「貧困にあえぐ国民がいる一方で大資本家が経済搾取を行なっている。それを助長する政党政治を倒さなくてはならない」というものでした。
そして事件直前の2月、3月には血盟団による前蔵相・井上準之助、三井財閥の團琢磨射殺事件が起きます。これには民間団体の血盟団がテロを実行してみせれば、海軍の青年将校たちも重い腰を上げるだろうという目論みがあったといわれます。事件後、軍法会議にかけられた青年将校たちに、多くの国民から助命嘆願が寄せられたことも、時代の空気を示すものとして見逃せません。こうした背景と国内の空気の中で、4年後により大規模な二・二六事件が起きるのです。
ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将の遺品の中に、五・一五事件の将校たち全員の顔写真が掲載された当時の新聞があります。よく見ると、その顔一つひとつにペンで丸眼鏡やらひげやら、子供のいたずらのような落書きが描かれていました。多聞がどんな思いで落書きしたのかは想像するしかありませんが、この事件に否定的な思いがあればこそ、でしょう。おそらく「軍人の本分は有事に備えることで、政治に口を挟むことではない。まして銃口を国民に向けるなど論外である」という思いではなかったでしょうか。

いろいろ読んで考えたが、世界も日本も当時に似た展開になっているとも言えるし、そこまでの空気ではないとも言える。この問題の行方も今日の段階ではまだ確定していない。でも一つはっきりしていることは、「問答」は「無用」ではなく「有用」だろう。そう思ったので、問答有用と書く。

晩ご飯はスパニッシュオムレツ、味噌汁、味噌焼きおにぎり、スライストマト。

22:00、就寝。

新型コロナの緊急事態宣言(2020年4月7日)から、解除までの日々の記録をマガジンにまとめています。

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