見出し画像

【緊急事態日記9】仕事のパフォーマンスは下がらなかった

5月21日(木)、44日目。

画像45

AM7:00起床。肌寒いが今日は暑くなりそうな予感のする晴れ。出勤日なので、久々に出かける支度をする。駅までの道のりも久しぶり。電車に乗るのも久しぶり。通勤客が少し増えたかな、と乗って思う。

会社はまあ、定時出社の人は少なかった。が、時差で来ている人もいるので、こちらは増えても減ってもいない感じ。スタバが再開していたので、おぉ~と軽い感動を覚え、午前中だけで今日のコーヒーを2杯飲む。

昨日の提案書を受け、Zoom会議のロジを下命される。別件の会議をZoomで行った後、一段落。昼ご飯は卵サンドと鮭のおにぎり。

ニュースサイトは黒川検事長の賭け麻雀問題と緊急事態宣言の関西の解除が2トップ。麻雀問題は賭け金の額の多寡、検事と記者のあえての3密がどうも、って感じだが、まあなんとも。週刊誌なら追いかけそうだなとか思いそうなもんだろうけど……。定年でも再任用を命じることができたはずなので、定年延長で法律をいじり、国会審議に口撃の口実を与えたい動機が最後までわからなかった。

それより、甲子園をはじめとする若者の残念さの方が心に染みた。将来の糧になるとかは、当事者じゃないから言える言葉。言う方もそれが分かっていて、でもそうとしか言えないのだろうから、余計に切ない。

他のスポーツではどうなのかと調べると、ラグビーやバスケ、サッカーは、#ラグビーを止めるなプロジェクト とかつくっていた。高校生の動画をUPして、人が見る機会をつくり、才能の発掘の手助け。そこに、W杯で活躍した選手がコメントして支援する。とてもいい。

移動できなくなってから、 #おうちでおかし旅 というハッシュタグ、いいよねと思っていたけれど、この #○○を止めるな 、○○には何を入れても成立する。こういうつながり方、直接的にあーだこーだ言わない分、やさしさが響く。そう思って一筆書く。

それと停滞していた書道教室まとめを投稿する。銀座と言えば数寄屋橋か和光でしょとか思って画像を探しに探し、迷ったあげく和光にした。

今夜はZoom飲みなので、帰り道、それ用に焼き鳥(つくね、ねぎま、皮)とちまき、ウイスキーを買う。晩ご飯は回鍋肉にごはん。

Zoom飲みはやはり飲み過ぎで、結局、焼き鳥とちまきはお預け。ネット社会の話題になり、いつでもどこからかニュースは発信されてキャッチできるので、マスコミ発を自ら手にしようとする人は、コーヒーやたばこといった嗜好品を買っているのに近いのではないか、と画面越しに目の据わった友人が言っていたのが印象に残りました。

AM1:30、就寝。

5月22日(金)、45日目。

画像46

AM8:00起床。今日もあまり暖かくない。どんより。酒がたたってあまり食欲なし。コーヒーのみ。子どもはトースト。AM9:45~18:00、在宅勤務。

午前中は子どものプリント学習を横目に淡々と業務をこなす。昼は昨日食べなかった焼き鳥を温めて食べる。

午後はZoom会議を2回。子どもにはその間、「トムとジェリー」か「鹿男あをによし」を見てもらうことに。1回目はすんなり、2回目は若干、簡潔さに欠けた。だからか、両方とも見たらしい。会議が終わってテレビのある部屋に行くと、多部未華子をマネして「マイ鹿です」とかやっていた。

雨が降りそうで降らないので、肌寒いけれど公園に連れて行くことに。

公園でお友達とサッカーしたり、リップステップの練習をしたりさせている時に、学校が来週から、週二日、生徒数を減らし、時間差登校で始まるという行政からの連絡が来る。

この公園で遊んでいる小さい子も大きめの子も、学年が一つ増えたものの、ほとんど通えていない。0年生問題の本当の意味とは違うけれど、0年生状態であることには変わりないなあとか思い、帰ってから0年生と記す。

晩ご飯は取っておいたちまき、クリームパスタ、ビーツのミートソース
と炭水化物祭りになりました。

辻井伸行さんの「春よ、来い」の演奏、日本の伝統色の投稿を見かける。子どもが「きれいな音色だね」とつぶやき、「本物は伝わるんだなあ」としみじみ。伝統色はちょっと前に平岩弓枝の「御宿かわせみ」を読み、豊かな色彩がもうちょっと市民権復活しても良いんじゃない? と思っていたので、ステキだなと眺めました。22:00就寝。

5月23日(土)、46日目。

画像47

AM8:30起床。快晴。初夏の陽気でいっぱいで、散歩日和。

コーヒーとトーストで朝ご飯。子どもに朝顔に水やりに行かせる。すると「ピンクが出てるよ」。「ピンク?」と首をかしげながら鉢に行くと、芽が一つ出てました!

「これ、朝顔の芽だよ」と教えると「トトロの葉っぱがぐーんと伸びるところを見直す前に、出てきたねえ!」とうれしそう。子どもはこうでなくてはねえ。

週末にこの陽気。緊急事態宣言も週明け月曜日に解除になるんでしょ的な雰囲気が漂っているので、人が多いかなあと思いつつ、この散歩日和は散歩をすべしと思い、JRの駅まで歩いて出かける。

いきなり子どもが「お腹すいた」行きつけの団子屋の前で止まるので、みたらし、ごま、三色すあま、豆大福を買い、ベンチで食べる。

商店街はやはり、お店がだいぶ開いていた。人もだいぶ戻ってきている。自分もそうなのだが、若干緩みもしますよね、ってところか。

ガード下のまだ行ったことのないこぢんまりしたパン屋が行列していなかったので、買いに寄る。とても良い店だった。

消費欲が高まったのか、それから肉屋に寄り、ポテトコロッケ、メンチカツ、ハムカツ、あじフライ、なすの肉詰めフライを買う。ついでにレバークーゼン、ペッパーハム、ピスタチオリオナー、ドイツパン(メアコルンブロート、フィグブロート、プンパニッケル)、バターを買う。

帰宅後、コロッケを残らず食べる。子どもは歩き疲れたのか公園に行きたいと言わなかったので、お友達一家とLINE飲みすることにして、早々に風呂に入れる。レバークーゼン、ペッパーハム、ピスタチオリオナー、ドイツパン、バター、赤カブの漬物、グリーンサラダを食べながら画面越しに話す。

互いの一家でサザエさんのカツオくん、ドラえもんのジャイアン、スヌーピーといった絵を描き、それを当て合うというクイズで盛り上がる。

寝る前に、子どもがなぜか「深夜食堂」を見てみたいとか言い出すので、見る。新宿のガード下の車の流れや雑踏が流れる冒頭のシーンを見て、わりと好きだったこの風景が「なんだか遠い昔の事みたいだな」と感じる。

そんな風に感じてしまうこと自体、緊急事態宣言が解除されても、元の生活が戻ってくることを意味するとは限らないってことなのだろうか。

大きな流れを見れば、自粛と緩和が繰り返され、ウイルスとの共存みたいな状況が消えることはないだろう。

「そうか、これがデファクトになるんだな」。甘い期待は禁物か……とか考えてしまい、「大局」と書く。22:00就寝。

5月24日(日)、47日目。

画像48

AM8:00起床。梅雨を思わせるような湿気の高い晴れ。朝ご飯は昨日ガード下の小さなパン屋で買ったシナモンロールとコーヒー。

天気が良いのでベランダへ出る。朝顔が昨日は一つ目を出していたのだけれど、今朝は五つ! 子どもを呼びに行くと、駆け寄ってきて「お~」。一余に感動して水をやる。

それからブロックスをやっていると、実家から空豆が届く。採れたてらしいので、さっそく枝豆を焼き、豆ご飯にしてお昼に食べる。

午後、遊びに行きたがるかと思いきや、コナンを見たいと言い出す。名探偵ではなく、未来少年の方。最近、NHKで再放映しているのを見かけたかららしい。

「自分もあんたぐらいの時に再放送を見たきりだよ」と思いつつ、覚えていないから見る。

面白い。深い。

歌が70年代なのはご愛敬。「来週も見よう!」と録画してから公園へ遊びに行く。水飲み場でお友達がその辺で拾った石を磨いて遊んでいる。

「レンガは削りやすいよ」とか少し上のお友達が教えてくれたので、一緒に磨く。

「この辺はじょーもん時代って大昔から人が住んでいたんだ。こうやってコナンの銛見たいに槍を作って、イノシシとか捕っていたかもね」

とか言うと、喜んで矢尻づくりに精を出している。子どもらしくて良い。

帰宅して朝顔を見ると、子どもが「背が伸びているよ!」と言うので見に行き、確認。「あしたも観察しよう!」「そうしよう!!」と話して、お昼の残りの豆ご飯に蕪の味噌汁、それと卵焼き。

夕べ見た「深夜食堂」で「お寿司屋さんで出るのが卵焼き、おそば屋さんで出るのがだし巻き卵」というセリフを覚えていて、「つくるのは卵焼きだから」とかいっちょ前なことをおっしゃる。

今日の東京は新規感染者が二ケタに戻ったものの、明日25日はどうやら緊急事態宣言が解除されるらしいというニュースを見る。

とはいえ、いきなり増えなくなるとは到底思えない。認知バイアスのサンクコストを惜しむ「コンコルド効果」を思い出す。マイナス用語だけど、ここはこれまでの苦労を惜しんで前向きに慎重に行きたいという意味で、この言葉を記す。

その後、今日5月24日が大安と一粒万倍日の二つが重なる縁起の良い日だったことを知り、ふつうの休日を過ごしてしまった……とちょっぴり後悔する。

22:00就寝。23:30に一度起きてしまい、3:30、本当に今日解除か、この日記もいったんおしまいかな? とか考えながらもう一度寝る。

5月25日(月)、48日目。

画像49

AM8:00起床。朝ご飯はホットケーキ、コーヒー。

8:15~17:00、在宅勤務。今日は緊急事態宣言が解除される見込み。在宅生活に変わって48日間か。満員電車に乗っていた日々が遠い昔のように感じる。

この間、自分の何が変わったのだろうか。

マスク、手洗いうがいが日常になった。特にマスクはほとんど使わなかったが、玄関にいつも置き、手に取るようになった。最初はナウシカの世界にいるみたいだと思ったが、肌の一部になった気がする。

毎日三度三度自炊し、掃除洗濯をするようになった。外食はもちろんおいしいし、気分転換にもなる。でも、お店には入れないし、自分でいろいろなものをつくるようになった。noteでインドに一人旅行した女性が宿屋のおじさんに言われたという言葉がなんとなく分かった気がする。

洗濯も掃除も炊事も優先度の低いこと。それよりも仕事や勉強、そして人に会うことの方が有意義だ。面倒なことは全部外注したらいい。渋谷のITベンチャーでそんな働き方を三年ほど続けた。その会社を卒業し、二度目の転職の間にちょっと気持ちをリフレッシュしたいと思って足を運んだのが、インドだった。
北インド・リシケシ。ビートルズやスティーブ・ジョブズも瞑想をしにいったという、瞑想とヨガの聖地だ。そこでお世話になったゲストハウスのおじさんは、なぜか東京での私の暮らしぶりを見透かして、叱った。「君は仕事はしているかもしれない。でも、『生活』をしてないね。」
さらに「カヨコ。よく聞きなさい、外食はゴミだ。」と言う。外食産業に失礼だ!と、私は抗議したが、おじさんはこう続けた。「ちゃんと自分で作った、できたてのご飯を食べなさい。」「それが無理なら誰かが自分を思って作ってくれたものを食べること。」「ご飯を作る、服を洗う、住まいを綺麗に保つ。すべて君が君の責任においてやることだよ。一つ一つマインドフルであること。それが大事なことなんだ。」

自分も生活はしていなかったな。というか、その意味をきちんと考えてもいなかった。それが今では、生活するようになったな、と少しだけ思う。

子どもと向き合った。向き合っていなかったわけではないが、こちらも休校の子どもも、家しか居場所がない。一緒に勉強をして、自分の子どものタイプが少し分かった気がするし、ご近所の同じ年ぐらいの子どもたちとの間での立ち位置も見えた。外に出ている時間が長ければ、家にいる時ぐらいは子どもに優しくとか考えて、それはそれで穏やかかもしれないけれど、どこかよそ行きで、いつかはがれるメッキだったかもしれない。びっちり一緒って、お互いに疲れる。けれど、子どもも、こちらの余裕のある・なしを見ていて、ゆるい協力関係みたいなものができたような……。子育てって、こういうことだったんだなあとか、思ったりした。

仕事のパフォーマンスは下がらなかった。停電とか通信障害とかにならない限り、家でできる。非常時でみんながそうだから相手も受容できる面は確かにある。でも、人は慣れる生き物で、非常時が2週間も続けば日常になる。コロナ以前の仕事のやり方や生活様式に慣れていただけで、新しい様式に取り組めばできる。というか、できた。いろいろ変わらないのは、それが一番効率的だからという光の部分だけじゃなく、惰性とか楽とかいう陰の側面が大きかったんだね。目的設定や意思について、都度都度確認していなかったってことかもしれない。「なんで満員電車に乗って出かけないといけないんだろう。時間と精神と体力のムダ」。潜在意識が顕在化してしまったので、これからの働き方はどうなるんだろう?

「まあ、強制的に環境が変わらないとそれに気づけなかったわけですな」とか思いながら、グリーンピースの炊き込みご飯、納豆、ささみと柴漬けの揚げ物、レンコンはさみ揚げ、蕪の味噌汁のお昼ご飯を食べる。

子どもは今週から、週2日ほど学校が始まる。公園で好き放題に遊べる時間も終わりつつある、ってこともあり、公園へ。一人の時間ができたので、またしばらく考え事をする。

この48日間は、長いようで短かった。短いようで長かった。

新しい生活様式が板についた。心がついて行かないかもしれないけれど、まだ旧い生活様式に戻ることもできそうだ。

水は低きに流れ、人は易きに流れる

孟子はそう言った。

マイナスの意味っぽく見えるけれど、水が高いところから低いところへ流れるのと同じように、ものごとは自然な成り行きで進む、ということらしい。

性善説に任せて良いかどうかはさておき、アフターコロナ(アフター第1次緊急事態と呼ぶ方が適切だと思うけど)と分類されるであろうこれからの流れはどちらのスタイルになるんだろう。
揺り戻しは常にあることだから、回帰派圧勝?
それだと、反動とまでは言わないけれど、単なる先祖返りで発展性がないよなあ。
さりとて、ちょっと不自由だけど自由がなくはない、みたいな生活?
ないよりましだけど、あまり長く続くのもなあ……。
堂々巡りのまま、ニューノーマルと書く。

Zoom会議では、緊急事態宣言が解除されても、当面は在宅基本という方針が示された。当面って、いつまでのスパンかしら。会議に参加した全員、定義がばらばらな気がする……。

首相会見をLIVEで見る。「発想を変えて」と言っていたけど、言語明瞭意味不明瞭というか、「発想」「変える」という言葉そのものの脳裏に浮かぶイメージが違うんだろうなあと思う。

VUCAの時代とか言われると、特殊な状況が発生して運悪く自分は遭遇しちゃったのねって気になるけれど、歴史を振り返れば状況が安定している時期の方が稀だ。

固定化した状況で人生の大半を過ごし、舵や既得権を手放さない世代とそれ以外との格差。ある世代の中でも、流動化していく状況に対する状況認識の温度差。それが国内にとどまらず地球上で同時多発でおきている。

そうめん、担々ごま鍋、焼き空豆、ハム、キャロットラペ、グリーンサラダの晩ご飯を食べながら、適者生存していくしかないね、妙案はないけれど、とか思う。

子どもとマンカラ、ブロックス、UNOをやる。

緊急事態が終わったので、その名前での日記は今日までってことになる。別のタイトルでつらつら書いてみようかな? と考えながら、22:30就寝。とりあえず、おしまい。

新型コロナの緊急事態宣言(2020年4月7日)から、解除までの日々の記録をマガジンにまとめています。

#緊急事態宣言 #日記 #書道 #緊急事態宣言日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?