論語と算盤~渋沢栄一の生き方~
論語と算盤~渋沢栄一の生き方~
BLOGKOMへ、ようこそ。
本記事の内容
渋沢栄一の生き方を学べる。
算盤と論語を現代に転換するとどういうことか知れる。
みんながキーワードだと気づける。
大河ドラマで、渋沢栄一を見たことで完全にファンになったので、簡単にどういう所を好きになったのかどの様な考えの持ち主なのか共有していきたいと思います。
今回のテーマは、「論語と算盤~渋沢栄一の生き方~」です。
それでは、さっそく見ていきましょう。
目次
渋沢栄一とはby ChatGPTより
「渋沢栄一(しぶさわ えいいち、1840年3月16日 - 1931年11月11日)は、日本の実業家、政治家、教育者であり、近代日本の経済発展に大きな影響を与えた人物です。幕末から明治時代にかけて活躍し、日本の近代化を推進するため、金融、鉄道、製糖、繊維など多くの産業分野で事業を創設しました。
また、第一国立銀行(現在のみずほ銀行の前身)を設立し、日本の金融システムの発展に寄与しました。また彼は教育事業にも力を入れ、慶應義塾(現在の慶應義塾大学)の設立に関わったことで知られています。
渋沢栄一は、「日本の資本主義の父」と呼ばれることもあり、日本の産業界や金融界、教育界の発展に多大な功績を残した人物として、現代まで尊敬されています。」
第一国立銀行(現:みずほ銀行) - 日本初の国立銀行で、日本の金融システムの発展に大きく寄与しました。
東京瓦斯株式会社(現:東京ガス) - 日本の都市ガス事業を担う企業です。
日本船舶振興会(現:日本船舶振興会グループ) - 日本の造船業・海運業の発展を支援する企業グループです。
日本生命保険会社(現:日本生命保険相互会社) - 日本の大手生命保険会社であり、日本の保険市場の発展に貢献しました。
武州鉄道(現:東武鉄道) - 関東地方を中心に運行する鉄道会社で、日本の鉄道インフラの整備に寄与しました。
群馬紡績(現:クラレ) - 繊維事業を展開する企業で、日本の繊維産業の発展に貢献しました。
横浜正金銀行(現:横浜銀行) - 神奈川県を中心に事業展開する地方銀行です。
とにかくめちゃくちゃ会社作ってますし、しかも今も残っているという凄すぎる人です。
生粋の商人
埼玉県で生まれた時から、繭や藍染めの仕事環境で育ったことが商人、渋沢栄一を作ったと思われます。
また名前も一度、渋沢篤太夫と変更しましたが、また渋沢栄一戻るといったように生まれながらの名前で生き抜いていたことも印象に残っています。
新政府の役人として、大蔵省で働いていたこともありますが、結局のところ民(商人)から日本に貢献するという道を切り開くことを選んだことからも生粋の商人であったということでしょう。
三菱の岩崎弥太郎、五代才助などと日本の経済界を作った一員であることは間違いありません。
論語と算盤
渋沢栄一が一万円札になると決まった時も一躍有名になりました「論語と算盤」です。
論語と算盤というのは、渋沢栄一の生き方そのものを表した言葉でもあります。
論語とは
「『論語』(ろんご)は、中国の古代哲学書であり、孔子(こうし)やその弟子たちの言行録を集めたものです。『論語』には、人間の道徳や倫理、人間関係、政治や統治の方法などが説かれており、中国の伝統思想や文化に深い影響を与えました。
『論語』には数多くの有名な言葉が収められていますが、その中でも代表的な一節として「己所不欲、勿施於人」という言葉が挙げられます。これは「自分が望まないことは他人にもしないようにせよ」という意味であり、他者への思いやりや倫理観、道徳性を示す言葉として知られています。」
渋沢栄一の考え方は、幼きころから漢学を学んでいたことで、民(村の人、貧しい人、子ども)のために何が出来るのかというような考え方を形成していったのであると思われます。
算盤
小さい頃から商人として、生きてきたことから算盤や計算に長けていました。
この能力が、第15代将軍徳川慶喜の懐(正確には一橋家の財務担当)として活躍した武器となったのです。
またこの功績が後々、明治新政府や日本での株式会社の誕生に大きく寄与することになるのです。
単なるお金儲けではなく、官(政府)に対しては税のありがたさと商売の大変さを民(百姓、商人や武士)に対しては国に貢献するという視野の大きさを布教することに尽力されていました。
この辺りがどちらの立場も経験した渋沢栄一の凄さなのではないかと思います。
みんなと合本
個人的に、渋沢栄一の好きな所は、「みんな」と「合本」いうワードを多用していたことです。
この2つの言葉には渋沢栄一の考え方が如実に表れています。
みんな
みんなとは、文字通りのみんなです。
親のいない子どもたちが集まる養育院を引取り、死ぬまでずっと院長として子どもたちに慕われ、支援していました。
途中、財政難で経営が厳しい場面もありましたが最後まで支援し続けた功績はカッコ良すぎますよね。
みんなが嬉しそうにしていることが好きな人物であることが良く伝わってくる場面が多かったことも印象的です。
合本
合本とは、協力するということです。
国立第一銀行を設立した時も、株式を分け合う形も合本でした。
三菱の岩崎弥太郎との海運会社同士の対決も、岩崎と渋沢の考え方の対立から起きたものでした。
岩崎は、三菱の一強体制を望んでいましたが、渋沢はあくまで協力を求めていました。
最終的には、岩崎弥太郎の死をきっかけに合併という形で幕を閉じる結果となっています。
渋沢栄一の生き方
民を想い、弱気ものを助ける行いと合本という考え方は個人的にも感銘を受けました。
論語の考え方も現在も、大切な考えですし、算盤という数字への強さはどの分野でも役に立ちます。
日本にもこの様な素晴らしい人がいると誇りに思って、負けない生き方を歩んでいかなければと思いました。
お互い頑張りましょう。
まとめ
記事のポイントをまとめます。
渋沢栄一は、「日本の資本主義の父」と呼ばれることもあり、日本の産業界や金融界、教育界の発展に多大な功績を残した人物として、現代まで尊敬されている。
渋沢栄一が一万円札になると決まった時も一躍有名になりました「論語と算盤」。
合本とは、協力するということ。
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