自分史③(中学校その①)
学生時代の中で1番暗黒だったのが中学校です。この時代には二度と戻りたくないなぁ…。
1.こんな生徒でした
中学校時代の私の特徴はこんな感じでした。
学級委員や生徒会役員をする優等生キャラ
ソフトボール部所属
人生の中で1番勉強ができた
絶賛反抗期で親も教員も大嫌い
合唱コンクールでは基本伴奏
中2辺りから髪を短くし,見た目ボーイッシュ
周りの大人のことが誰も信用できず,皆敵だと思っていました。ですが,持ち前の真ん中っ子気質で上手く立ち振る舞っていたので,親以外にはあまり気づかれなかったと思います。
2.この違和感は何?
中学校に入って不思議だったのは、男女で何でも分けることでした。まずは制服です。私が中学生だった頃は,女子用スラックスはなかったので女子は有無を言わさずスカートでした。最初の頃は嫌で仕方なかったけれど,スカートの下にハーフパンツを履いて凌いでいました。私が通っていた学校は男子は学ランだったので,男子がとても羨ましかったです。
割り振られる出席番号は男女別でした。小学校の時は生まれ順の出席番号だったため,それにも違和感がありました。当時は体育の授業も男女別だったため,「なんで男子と一緒にできないんだろう」と思っていました。また男女で教わる種目も違っていたので,それに対しても疑問を感じました。
楽しかった小学校と比べて,一気に変化した中学校。先生達からの「もう中学生なんだから,こうしなさい」「皆がこうしているから,こうすべき」という押し付けが嫌でした。自分が教員を経験してみて,当時の先生達の気持ちも今は分からなくはないのですが,その頃は「なんでこんなに型にはめられなくちゃいけないの?」と疑問に感じました。
男女別に行動することが多いので,小学校で仲の良かった男子たちとも距離ができました。「お前は女子だろ」と言われることも多かったし,自分自身も女子といることが多くなりました。小学校の頃のように男子と話せなくなってしまったことは単純に悲しかったです。私は元々人とずっと一緒にいることが得意ではないので,女子の友達に「一緒にトイレに行こう」と声を掛けられるのも正直嫌でした。
3.部活三昧の日々
ソフトボール部に入ったのは①小学校の時に仲の良かった人がいたこと②スポ少がないので,早めにレギュラーになれそうなことの2つが理由でした。小学生の時の「野球がやりたい」という純粋な気持ちではなく,どちらかというと打算的な考えからでした。なんだかんだ言ってソフトボールは中学校,大学,社会人(草ソフト)と続けました。部活はとにかくきつかったです。平日は夜遅くまで練習,土日は両方とも練習試合か練習と小学校の時とは放課後の過ごし方がガラリと変わり,遊ぶ時間はありませんでした。顧問の先生にはとにかく怒られまくり,今では体罰に当たるのではないかというレベルのものもありました。部活に入ったことでだいぶ身体が絞られたので,そこは良かったです。
他校との試合となると,私の親が車を送迎することも多かったです。今となってみれば本当にありがたいことではありますが,当時の私はそう思えなませんでした。なぜなら,家に帰ると私やチームメイトのプレイについて色々と言われるからです。私の親は野球経験があるわけではないので,知っているような口をきかれることが本当に嫌でした。私と親の間で距離が1番あったのはこの時期です。親と並んで歩くことすらも嫌でした。小学校の頃以上に親には何も話さなくなり,何か聞かれても「別に」とか「うん」とか適当な返事をしていました。
4.恋愛対象として女性が好き
小学生の頃気になっていた同級生のことに対しては誰にも言わなかった私ですが,中学生の頃は好きになった人ができると周りの友達にオープンにすることが多かったです。今は本当に信頼している人にしか話しません。当時の私は好きになると気持ちを伝えないと気が済まなかったため,誰かを好きになっては猛アタックして失恋という流れを繰り返していました。「この人と付き合いたい」という気持ちがあったので,自分の恋愛対象は女性であるとはっきり自覚したのはこの時期でした。周りの同級生からは「Iってレズらしい」という噂を流されることもありました。中学生の頃の私は「性同一性障害」という言葉を知らなかったため,「自分はレズビアンなのか?でも,自分が女であることは違う気がする。この違和感は何?」ととにかく悩みました。
中学生編が思ったり長くなりそうなので,次回その②に続きます。
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